旅と鉄道(03関東)

2024年12月23日 (月)

お散歩日記 ~「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋~

前回「東京23区の街なかの紅葉・中野編2024晩秋」からのつづきーっ!

晩秋と言えば「紅葉」だよね

でも、今年は地球温暖化のせいか、紅葉が少し遅いような気が…

最近は貧乏なので、紅葉の有名な観光地に行く事が出来ないので(外国人観光客が多過ぎるというのもある)、日常歩いている場所で紅葉を楽しんでみた
東京23区内の、ごく普通の街なかにも、隠れた名所があるのだ

…という訳で、今回は「その2」として、東京都世田谷区で観た紅葉をご紹介

今回の場所は、小田急線の「祖師ヶ谷大蔵(そしがやおおくら)」駅の北側だ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1001
(2024年のグーグルマップより)
の位置ね

…荒玉水道道路
…祖師谷住宅中央公園
…(旧)そしがや温泉21
…仙川

の下(南)に祖師ヶ谷大蔵駅があり、右(東)には「千歳船橋(ちとせふなばし)」駅があり、左(西)には「成城学園前(せいじょうがくえんまえ)」駅がある。

祖師ヶ谷大蔵駅から南北に向かって商店街が伸びており、今どきにしてはかなり活気のある、楽しい街だ
北に伸びる商店街の中程に、天然温泉の銭湯「そしがや温泉21」(地図の)があったのだけど、2023年3月に設備老朽化により閉店してしまった…

もう何十年も通った銭湯だっただけに、悲しい思いでいっぱいだ…
今は広大な更地になっていて、新たな建築工事が始まっている。
(そしがや温泉21の日記はこちらをクリック

そして、のすぐ上(北)には、有名な「木梨サイクル」がある。
とんねるず」の木梨憲武氏の実家で、店先に父親の作三(さくぞう)氏がいたのを何度も見た。
(以前は、この商店街の北のはずれに住んでいたそうな)

祖師ヶ谷大蔵駅と千歳船橋駅周辺は、今でも畑が残るのどかな近郊都市なのだが、団地がたくさん建っているため、朝の通勤時間帯は大変な混雑となる。
(なので、千代田線直通の準急列車が停まるのだ)

逆に、仙川(せんがわ)の谷を越えると、突然街の雰囲気が変わり、超高級住宅地となる。
地図の左側に区画整理された部分が見えるが、これが俗に言う「成城の豪邸」群だ。

このさらに左側には野川(のがわ)が流れていて、急な崖(国分寺崖線)になっている。
崖を下りると、またのどかな畑のある光景が広がる。

こんな感じね。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1002
経済的国境ぉぉぉぉぉ~~~~~~ぅ

右に見える高台が崖の上(成城の豪邸群)で、地下に成城学園前駅がある。
この野川のすぐ近く(左側)には「喜多見(きたみ)」駅がある。
奥に、小田急線の巨大なコンクリート橋が見えるでしょ

この野川の右側が「世田谷区成城」で、左側が「世田谷区喜多見」となっている。

町名のブランド力のせいか、右側には超高級な住宅しか建っていない。
僅かに、昭和の木造アパートが見えるが、全て川のすぐ傍にあるだけだ。
高台へ行けば行くほど、家のグレードが上がっている。

逆に、左に行けば行くほど畑が広がっている。(笑)
すぐ先は、もう「狛江市(こまえし)」だ。
(狛江市は日本で2番目に小さな市で、羽田空港の半分もない)

まだここはギリギリ東京23区内なのだが、すでに「多摩」の匂いが漂っている。
まぁ、数キロ先は、神奈川県の川崎市だからねぇ~。

余談だが、地図のの「荒玉水道道路(あらたますいどうどうろ)」は、道路の下に水道管が通っている。
そのためか、どこまで行っても真っ直ぐな直線となっていて、地図で見ると非常に面白い
杉並区の「高円寺(こうえんじ)」から世田谷区の多摩川の土手(狛江市との境目にある浄水場)まで、一直線だ
オラの、昔のサイクリングコースでもあった。

さてさて。

今回も、通勤途中に「あっ今撮っておこう!!」と、慌ててへっぽこスマホで撮ったので、画質が少々霞掛かっているのはご容赦を。(笑)

…これでも、翌朝に撮り直したんだけどね。
(最初に撮ったのは夕方で、全体的に暗かった…)

では、の場所にある「祖師谷住宅」に行こう。

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1003
ウルトラなけやきぃぃぃ~~~~~っ

けやきロード祖師谷」と書かれた、昭和チックな商店街がある。
恐らく、この団地が出来た頃からこのままの姿なのだろう…
でも、中の店舗はお洒落に改装されていて、人気のコーヒー屋等もある。

けやきロード」と言うだけあって、見事なケヤキの木がたくさん並んでいる。

ちなみに、右に見える街灯は、ウルトラマンをモチーフにデザインされている。
祖師谷にはウルトラマンの撮影所があった関係で、町全体がウルトラマンで飾られている。

左に見えるのが祖師谷住宅で、この辺では最初期の団地ではなかろう…か
かなり老朽化が進んでいる感じだ。

この団地が出来た当時は、祖師谷はまだ「東京の端っこ」の田舎だったのだろう。
今の感覚で言うと、多摩ニュータウンや八王子市内の団地群に近い感じだろう…

このけやきロードを奥に進むと、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1004
静かで爽やかな朝ぁぁぁぁ~~~~っ

鳥のさえずりと朝日の木漏れ日が、とても美しい

この祖師谷住宅はかなり広大で、見える範囲全てが団地となっている。

今立っている場所が地図ので、ここから左を見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1005
うまい棒ぉぉぉぉぉぉ~~~~~~ぅ

細長いイチョウの木が、公園(祖師谷住宅中央公園)を囲むように並んでいる。

…何か「うまい棒」みたい。(笑)

公園の中に入って見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1006
黄色い壁ぇぇぇぇぇぇ~~~~~~っ

すごいでしょ

黄色い壁(カーテン)が見事だ

朝なのでまだ人もほとんどいないため、ゆっくりと撮影出来た。
(遅刻するぞ)

地図を見ると、このイチョウの木に囲まれた部分が「中央公園」で、隣接する同じような空間は「中央北公園」となっているようだ。
パッと見では、一続きの同じ公園に見えるね。

…で、中央北公園からイチョウの木を見ると、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1007
黄色が燃えているぅぅぅ~~~~~っ

まぶしいくらいの黄色だ

このような、黄色一色の紅葉も良いね

この周辺を歩いていて発見したのだが、この団地もついに建て替えるらしい。
建築計画のお知らせが貼られていた。
何期かに分けて工事するようだ。

すると、このレトロな団地とのコラボも、今年で最後になるかもしれないねぇ…
祖師谷」と言えば、オラ的にはこの団地のイメージだったんだけどねぇ~。

撮っておいて良かったぁ~

最後に、別の場所で1枚撮ってみた。

ほれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編」2024晩秋-1008
昭和全開ぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ

見事なまでの「昭和の秋」といった感じだ
(駐車場は今どきだが

ここは、同じ世田谷区の「千歳台(ちとせだい)」の5丁目で、地図で言うとのさらに上(北)にある。
祖師ヶ谷大蔵駅との距離を、さらに進んだくらいの位置にある。

もうこの周辺は畑だらけだ。
でも、畑のすぐ横には巨大な団地やマンションがいくつも建っていて、畑と団地が交互に見えるような、ちょいと変わった光景が広がっている。

以前、この近くでお仕事をした事があり、その時に撮った、1週間に1便しか来ない「千歳台五丁目」のバス停は、すぐ近くにある。
(バス停の日記はこちらをクリック

今回、久々にこの地にやって来たという訳。

このすぐ近くの生活道路も、そしがや温泉21に行く時に何度も通った、オラのサイクリングコースだ

懐かしいねぇ~

…まぁ、こんな感じで、今回も東京都心での紅葉を楽しみましたよ、えぇ。

何も、混雑する観光地に行かなくても、見事な紅葉は近場でも楽しめるのですよ、はい

来年は、カメラ片手にぜひぜひ遊びに来てくださぁ~い

では、またぁ~~~

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2024年12月16日 (月)

お散歩日記 ~「東京23区の街なかの紅葉・中野編」2024晩秋~

晩秋と言えば「紅葉」だよね

でも、今年は地球温暖化のせいか、紅葉が少し遅いような気が…

最近は貧乏なので、紅葉の有名な観光地に行く事が出来ないので(外国人観光客が多過ぎるというのもある)、日常歩いている場所で紅葉を楽しんでみた
東京23区内の、ごく普通の街なかにも、隠れた名所があるのだ

…という訳で、今回は東京都中野区で観た紅葉をご紹介

今回の場所は、西武新宿線の「沼袋(ぬまぶくろ)」駅の北側だ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・中野「東京23区の街なかの紅葉・中野編」2024晩秋-1001
(2024年のグーグルマップより)
の位置ね

のすぐ下(南)に沼袋駅があり、さらに下にはJR中野(なかの)」駅がある。

中野駅まで歩いて行っても20分ちょっとの距離(約2Km)で、ちょうど良いお散歩コースだ

このの場所にはお寺が多く集まっているので、住宅地なんだけど、非常に静かで緑豊かな空間となっている。
オラも子供の頃から歩いていて、お気に入りのスポットだ

ここの紅葉はきれいなので、時期を狙って撮りに行った次第。

…と言っても、移動中に「あっ今撮っておこう!!」と、慌ててへっぽこスマホで撮ったので、画質が少々霞掛かっているのはご容赦を。(笑)

まずは、の場所にあるお寺「久成寺(くじょうじ)」から。

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・中野「東京23区の街なかの紅葉・中野編」2024晩秋-1002
そうだ 東京都、行こぉぉぉ~~~う

見事でしょ

これだけの絶景であれば、わざわざ新幹線に乗って激混みの京都まで行く必要は無ぁ~い

東京都(ひがしきょうと)で充分だ(笑)

久成寺は日蓮宗のお寺で、1607年(慶長12年)に牛込弁天町(今の東京都新宿区弁天町ね)で開山された。
その後、1911年(明治44年)に、今の場所に移転したそうな。

道路から少し奥に引っ込んでいるのであまり目立たず、子供の頃から印象は薄かった。
隣の「明治寺(めいじでら)」の方が有名なので、お寺の名前を言っても知らない地元民も多いだろう…

でも、紅葉の季節になると、ご覧のように最高のビュースポットになるのだぁ~よ

…もうこれで京都に行かなくていいや。(笑)

この場所から右側を見ると、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・中野「東京23区の街なかの紅葉・中野編」2024晩秋-1003
全ての道は鎌倉に通ずぅぅぅ~~~っ

まるで、鎌倉の裏道にいるような雰囲気でしょ

右側は住宅地で、左側はお寺だ。
手前の、柵が異なっている所辺りがお寺の境目だと思われる。
手前が久成寺で、その奥全てが明治寺だ。

では、奥の曲がり角まで行ってみよう。

この場所から左側を見ると、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・中野「東京23区の街なかの紅葉・中野編」2024晩秋-1004
黄色いじゅうたぁぁぁ~~~~~~ん

イチョウの葉が地面いっぱいに落ちていて、見事な黄色い絨毯(じゅうたん)となっている

奥に見える黒いビルが、中野駅前にあるNTTのビルだ。

この明治寺の部分までが高台なので、端っこに立つと見晴らしが良い

ちなみに、「中野サンプラザ」は、NTTビルの左側に建っている。
この場所からだと、見えないねぇ…
もうちょっと奥まで行けば見えるんだけど、手前に丸井の本社ビルが建っているので、全体像は見られないね。

左側は墓地になっていて、右側には小さな公園とたくさんの小さな観音像が建っている。
(黄色い絨毯の突き当りに、公園の入口がある

明治寺は、通称「百観音(ひゃくかんのん)」と言い、地元民にとっては「ひゃっかんのん」と言った方が通じやすい。

子供の頃、通りすがりのおばさまに「明治寺はどこですか」と訊かれても、誰一人判らなかったという経験がある。
おばさまが「…あぁ、百観音とも言うのかな」と言った瞬間、お子様全員が「あぁここだよっ」と即答したというオチ。(笑)

百観音の小さな公園が、オラが子供の頃の遊び場だった
滑り台が石(コンクリート)製なので、お尻が痛かったんだよね…

最後に、もう1枚。

この明治寺の高台のすぐ下(南側)には、見事なイチョウの木がある。

ほれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・中野「東京23区の街なかの紅葉・中野編」2024晩秋-1005
(2022年12月に撮影)
黄色いアフロぉぉぉぉ~~~~~~ぅ

すごいでしょ

中野区内で一番大きなイチョウの木で、樹齢はおよそ600年だそうだ。

ここは「禅定院(ぜんじょういん)」と言う、真言宗豊山派のお寺だ。

イチョウだけではなく、牡丹園藤棚でも有名だ。

この場所で後ろに振り返ると、沼袋駅前が見える(徒歩数分)。

以前、鎌倉の鶴岡八幡宮の石段の脇にも見事なイチョウの木があったのだけど、落雷だったかで倒れてしまった。
なので、今ではこれがオラ的には「八幡宮の代わり」という感じだ。

余談だが、このお寺群の広い一帯は通り抜けられる道が無いので、ぐるぅぅぅぅ~~~っと遠回りしなければならない。
地図を見ても、周辺には道が無いのが判るでしょ。

自転車なら問題ないが、徒歩だと地味に面倒臭いのよ…
しかも、最短距離だと急坂があるしぃ~。

…まぁ、こんな感じで東京都心での紅葉を楽しみましたよ、えぇ。

隣の「新井薬師前(あらいやくしまえ)」駅のすぐ近くには、童謡の「たきび」の発祥地(古民家)があり、ここの紅葉も見事なので、併せて訪ねて頂きたい。
(「たきび」の古民家の日記はこちらをクリック

来年は、カメラ片手にぜひぜひ遊びに来てくださぁ~い

では、またぁ~~~

つづき「東京23区の街なかの紅葉・世田谷編2024晩秋」はこちらーっ!

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2024年8月26日 (月)

つぶやき日記 ~「一枚の写真から・全て曲がってます。東京・四谷」2024夏~

今回もサックリと。

東京都新宿区」は、都心方面に行くほどレトロな街が多い。

観光客等は「東京都庁」周辺の高層ビル群をイメージするけど、地元民は「四谷(よつや)」「市ヶ谷(いちがや)」等と聞くと、江戸の雰囲気が残っているレトロなごちゃごちゃした下町のイメージが浮かんで来る。

そんなレトロな街の1つ「荒木町(あらきちょう)」の「車力門通り(しゃりきもんどおり)」を歩いていたら、ちょっとおもしろい看板を発見した。

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都新宿区荒木町「全て曲がってます」2024夏-1001
全てが曲がってるぅぅぅ~~~~~っ

奥の突き当りを左に曲がると、すぐに地下鉄丸ノ内線の「四谷三丁目(よつやさんちょうめ)」駅前(甲州街道)に出る。

この一角は、高低差がかなりあるためか真っ直ぐな道が無く、全てが直角に曲がりくねっている。
昔の大名屋敷跡のとの事、

この写真のすぐ後ろも、直角に折れ曲がっている。

そんな曲がり角の手前にあった電柱の看板には「まがり医院」と書かれている。

確かに、病院は角を曲がってすぐの場所にある。
病院の先もまた、直角に折れ曲がっている。

極め付きなのは、「まがり医院」の看板も曲がっている事だ

う~ん、「くねくねタウンだ

この一帯は小さな飲食店がたくさんあり、昼はランチで、夜は飲みで…と、多くのビジネスマンで賑わっている。

昭和中期で時間が止まったかのような場所も多いので、カメラ片手に訪れてみては
美味しそうなお店も、たくさんあるよぉ~ 

では、またぁ~

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2024年8月12日 (月)

探検日記 ~「今や伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏~

前回「一枚の写真から・都会の小さな楽園。東京・世田谷代田2024夏」からのつづきーっ!

今回はお盆休みなので、久々にちゃんとした日記を書こう。(笑)

前回では、東京都世田谷区にある小田急線「世田谷代田(せたがやだいた)」駅上の、小さな癒し空間をご紹介した。
今回は、そのすぐそばを走っていた「今や伝説と化した臨時の短絡線」をご紹介しよう

では、スタート

オラは、いつもは世田谷区内の北東部に当たる「北沢地区」を、毎日うろうろしている。
そんな中で、とある公園(代沢せせらぎ公園)に1つの案内板(地図)があるのを発見した

それは、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1001
文化地図ぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~っ

北沢地区の、文化人等の住居跡を記した地図だ。

歴史や文学が好きな人には、非常に嬉しい案内板だ
下北沢(しもきたざわ)」駅を起点に、2つの散策コースが設定されている。

さすが世田谷区、数々の著名人が住んでいたんだねぇ…
今でも超有名な芸能人等がたくさん住んでいるけど、どこに住んでいるかは教えなぁ~い
(毎日うろついていると大体判るのよ。工事現場のすぐ横だったりするからね)

そんな中、地図上に鉄ちゃんには見逃す事の出来ない、超重要な記述があった

アップで見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1002
伝説の路線~~~~~~~~~~~っ

何とっ僅か数年しか存在しなかった伝説の短絡線「代田連絡線(だいたれんらくせん)」が描かれているではないかっ!!

…これは珍しい

今まで代田連絡線がちゃんと描かれた地図はほとんど存在せず、「幻の線路」となっていたのだ。

見付けちゃったからにゃぁ~、撮るしかないわね

炎天下のクソ暑い中、スマホを取り出して地図を撮影。

後は現地を調べてみるだけだ

…なぁ~んてね

実は、この連絡線の場所は、半年間も毎日常駐していたエリアなのだ。
なので、この地図を見た瞬間に、どこの家の所を通っていたかが瞬時に解った
あまりにいつも居た場所なので、写真すら撮った事が無いエリアだよ。(笑)
顔見知りになった住人さんも多い

…で、今回は日記を書く時間も出来たので、この線路跡をご紹介してみようと思った訳

では、この代田連絡線の解説をしよう

場所はどこ

現在の小田急線「世田谷代田」駅と京王井の頭線「新代田(しんだいた)」駅の間。
造られた当時は、世田谷代田は「世田谷中原(せたがやなかはら)」駅、新代田は「代田二丁目(だいたにちょうめ)」駅と名乗っていた。
(現在の代田2丁目は全く違う場所にあり、世田谷代田駅の南側の一帯なので、むしろ世田谷代田駅が代田二丁目駅を名乗ってもいいくらい。(笑))

何の目的で造られたか

小田急線の車両を井の頭線に送り込むため。

何でそうしたのか

第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)5月25日の早朝に、米軍の空襲によって、井の頭線の「永福町(えいふくちょう)」駅にあった車庫が大打撃を受けた。
井の頭線在籍の全31両中の、24両もが被災したそうで。
それで、急遽小田急線から車両が送り込まれる事となった。
軍隊も応援に来て、1ヶ月弱の短期間で完成したとの事。

戦争中なので民間の土地を強制的に接収して、焼け残った民家も取り壊しての、突貫工事だったらしい
(土地は戦後に返還されている)

何で小田急線からなの

戦時中は、政府の政策によって、小田急も京王も京急も、全て東急電鉄に合併されていた。
なので、同じ会社どうしで線路の幅と架線電圧が同じ事から、小田急線から送り込まれた。
(京王の本線は、線路の幅が路面電車と同じで広い)

…と言うか、東急合併前は、井の頭線は小田急の路線だった。
(現在の京王電鉄となったのは、戦後の分割後)

余談だが、改良(地下化)される前の地上時代の下北沢駅には、小田急線と井の頭線の間に中間改札は無かった。
なので、どの改札口から入っても、どちらの列車にも乗る事が出来た。
現在、改札前に水色とピンクでしつこく「小田急線はこちら」「井の頭線はこちら」と大きく書かれているのは、その名残りだ

いつまであったの

1945年6月頃(文献によって年月が違うものがあるので、定かではない)から1953年9月までとの事。
使用していたのは最初の数年間のようだ。
(京王1800形の新車搬入まで使っていたという記述がある)

これで解説はおしまい

では、現在の代田連絡線の跡地を見て行こう

地図の下(世田谷代田駅)から上(新代田駅)へ向かって見て行こうね。

まず最初の、世田谷代田駅から。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1003
(2024年のグーグルストリートビューより)
今や温泉~~~~~~~~~~~~っ

今立っている場所は、世田谷代田駅の真上に出来た遊歩道「下北線路街」だ。
この右斜め後ろには、小さな改札口(東口)がある。
正面の左右に見える和風な建物は「由縁別邸 代田(ゆえんべってい だいた)」と言う高級温泉旅館で、箱根から源泉を運んで来ている。

連絡線は、駅前ロータリーの環七通りと交差する部分(地上時代の踏切の少し先)で分岐して、この左側の建物辺りを走っていたものと思われる。
…あ、戦時中の資材不足の中での突貫工事なので、もちろん単線

線路は、正面左側に見えるマンションの部分から、左に曲がり始めるようだ。

マンションの前に行ってみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1004
(2024年のグーグルストリートビューより)
痕跡無しぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ

今や完全に痕跡は無い。

線路は、右の電柱の辺りから、正面の丁字路部分で左にカクッと曲がって進んでいるようだ。
正面の大きな木が稲荷神社で、地図を見ると、この手前を通過している。

余談だが、正面突き当りの白い建物の左横が、前回ご紹介した「白髭(しろひげ)のシュークリーム工房」だ。

その白い建物のすぐ右横の場所が、前回の日記の「癒しの空間」になっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1005
癒しの空間~~~~~~~~~~~っ

この写真で言うと、正面の和風な建物の後ろを、連絡線が右奥へとカーブしている訳だ♪ 

では、進もう。

ここで道路はいったん下り坂となる(その先は上り坂)が、線路はそのままの高さで通っていたのではないかと思われる。
この谷っぽい地形は、現在ここを横切っている道路の為に切り下げられたものかもしれない。
(下北沢駅前(鎌倉通り)と環七をつなぐ、この辺りのメインの道路でもあるため)

この、交通量の多い道を横切って坂を上りきると、こんな住宅街になっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1006
(2024年のグーグルストリートビューより)
線路どこよぉぉぉぉぉぉ~~~~~っ

何の変哲もない普通の住宅街だが、オラには超見慣れた場所だ。(笑)
この電柱の場所に立って警備(通行止め)した事が、何度もある。

地図を見ると、連絡線は左斜め後ろからやって来て、この黒い車から正面の白い家に進んでいる。
地図で言うと「代田連絡線跡」の「」の字と「戦時応急車両搬送線」の「」の字の間ね

さらに進もう。

ここからは、連絡線は直線に近い形で進んでいる。
左に見える白い車の横にも真っ直ぐな道があるのだが、この部分だけ究極的に狭く、小型車以外は通り抜け出来ない。
そこを無理やり通ろうとする奴もいるようで、この一帯の家の車や壁には傷を付けられた跡が残っている。
どこにでも、悪い奴がいるもんだ…。

少し進むと、直線部分の中間地点に出る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1007
(2019年のグーグルストリートビューより)
まるで判らなぁぁぁぁぁ~~~~いっ

…これ、連絡線があった事を知っている人じゃないと、全く判らないよね。

場所的には、地図の「戦時応急車両搬送線」の「」の字の所ね

奥に進む道路の右側の家々が、連絡線の跡地と思われる。
家並みが奥で左にカーブしていて、地図の線路跡と同じ形になっているので、ほぼ間違いないだろう

先ほどの写真もそうだけど、ここから右側は下り坂になっていて、この高さが小田急線と井の頭線を難なく結ぶのにちょうど良いようだ。
ちなみに、左側は上り坂になっている。

この日記を書くのに、「鉄道ピクトリアル」の2003年7月号「京王電鉄特集」(No.734)を参考にしたのだけど、そこの173ページに写っている1950年代の当時の写真、もしかしたらこの場所かもしれない。
…何か、直感で感じる。(笑)

余談だが、オラが警備員になって初めての世田谷区内の仕事(入社10日後)が、この十字路に立って右の下り坂を通行止めにする事だった。
なので、感慨深い場所でもある。(笑)
その後は、約半年間、この周囲を毎日うろうろしていた。

今の常駐現場の工事でも、この交差点のちょっと奥をやった。
久々に立って、懐かしかったねぇ~

2020年5月に仕事内容も地理も何も解らず緊張して立っていたこの場所に、今やこの辺の地理(特にトイレの場所(笑))に精通したリーダー(警備隊長)となって悠々と立っている事に、時の流れを感じる。(笑)
この辺ならば、「住んでるよ」とウソを付けるくらいに詳しいよん

でも、まさかこの見慣れた場所に代田連絡線があるとは思いもしなかったねぇ~。
オラ程のヘビーな鉄ちゃんでも気付かないんだから、一般の方々はなおさらだよ

先に進もう。

奥の突き当りに見えている家辺りで線路も左に緩くカーブしている。
この家の数軒後ろは、もう井の頭線の線路だ

ちょうどこの位置の井の頭線は、この道路の高さと同じになっている。
(左から右への下り坂の途中の、ちょうど良い中間点だね)

最後は、井の頭線の新代田駅のホームから見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏-1008
(2024年のグーグルストリートビューより)
おそらくここぉぉぉぉぉ~~~~~ぅ

上りホームから下北沢駅(渋谷)方面を見たところ。

線路の奥に見える電車の位置が、下北沢駅のホームね。

…で、連絡線の位置は、地図と写真の建物の関係からして、右手前のアパートと奥の白いマンションの間にある一軒家であろうと推測出来る。
鉄道ピクトリアル」の当時の写真と見比べると、この2軒の一軒家が線路に対して斜めに建っている事と、連絡線の合流地点のカーブがかなり似ているのだ

ちなみに、ホームの背中側の上空には環七通りが走っている。
…という事は、代田連絡線は「環七に対して半円状に造られていた」という事だ
まぁ、当時は「環状七号線」という言葉(計画)すら無かったのではないかと思われるので、たまたまの偶然でしょう…。

おっしゃこれで代田連絡線の探検は終~了~ぅ

今や伝説の路線と化してしまったので、「みなさんもいかがぁ~」とはお勧め出来ないけど(笑)、身近にある「隠れた廃線跡」を探してみるのも楽しいかもね

では、またぁ~

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2024年8月10日 (土)

つぶやき日記 ~「一枚の写真から・都会の小さな楽園。東京・世田谷代田」2024夏~

今回はサックリと。

オラのお仕事は、通常は東京都世田谷区の北沢地区(「下北沢(しもきたざわ)」駅を中心とした一帯ね)を毎日うろうろしているのだが、この1ヶ月間程は、現場の都合で違う場所に行きまくっていた。
(ほとんどが大田区の「蒲田(かまた)」駅周辺だったけどね)

…で、久々にいつもの北沢地区に戻って来た

やっぱり落ち着くねぇ~
もう、ほとんど「地元」と言ってもいいくらいだ。(笑)
(もう4年間もうろついているからねぇ~)

そして、いつもの休憩スポットに行ってみると…

…あれこんなに自然が豊かだったっけ???

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都世田谷区「都会の小さな楽園。世田谷代田」2024夏-1001
山の中ぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~っ

…んここ、下北沢駅から歩いて10分かからない場所だよね
しかも、真下(地下)に小田急線が走っているよね

こんなに緑がたくさんあったっけ…

どうやら、木々の葉っぱが増えたようで、去年と比べたらかなり違っている。

…何か、すんごい山の中の楽園っぽいんですけどぉ~。

今座っている場所は、小田急線の「世田谷代田(せたがやだいた)」駅の新宿寄りの端っこで、おそらくこの真下にホームの端っこがあると思われる。
(写真の左斜め奥が改札口ね)
地上に線路があった時代は、ここまで増設(延伸)ホームが伸びていて、目の前を横切っている道は歩道橋だった。(1988年当時)
さらに昔の1980年当時は、ホームも延伸されておらず、ここは踏切だったのが昔の動画で見てとれる。

この楽園は「下北線路街(しもきたせんろがい)」と言う緑道(遊歩道)の途中にある。
下北線路街は、小田急線が地下に潜った部分の跡地(「東北沢(ひがしきたざわ)」~「世田谷代田」駅間)に造られた、お洒落な空間だ。
まだ下北沢駅前が未完成だが、全体の80%程は完成しているんじゃないか…な

正面の建物は「由縁別邸 代田(ゆえんべってい だいた)」と言う高級温泉旅館で、箱根の芦ノ湖温泉から源泉を運んで来ている。
この狭い横道に、大きなタンクローリーが入って来るのは、なかなかの見物よ
小田急線の地下化完成と同時に出来た、まだ新しい旅館だ。
(公式サイトはこちらをクリック

背中側には、小田急線の換気塔らしき施設と幼稚園があり、お洒落で都会的な光景になっている。
緑道(遊歩道)の奥には下北沢駅も見える。

この場所の正面と後ろで全く雰囲気が違うので、なかなか面白い

…で、右側には小さな稲荷神社があり、この周辺が森になっている。
地元の人に聞くと、この一帯の大地主の土地だそうだ。

そして、その右側に「白髭(しろひげ)のシュークリーム工房」というお店があり、女性に大人気の観光スポットになっている
トトロのシュークリーム」と言えば判る人も多く、早めに買いに来ないと売り切れてしまう程だ。
冬は店の横の大きなモミの木に電飾をするので、実物大のクリスマスツリーが見られるよん
(公式サイトはこちらをクリック

さらに、左側には街の小さなコンビニ「ヤマザキYショップ・サンカツ酒店」がある。

このサンカツさんは、この地域では有名で、名物の親切なおばちゃんがいる。
オラも、年始の日記で書いている干支のビールは、ここで買っている。

サンカツさんの数軒横には、かつてタモリ氏が住んでいたマンションがあり、「ブラタモリ」で映していた。
おばちゃんと一緒に撮った写真も店内に飾ってある。

おばちゃんに「ブラタモリ観ましたよ」と言ったら、少々照れ臭そうにしていた

余談だが、タモリ氏が住んでいたマンションの数軒隣には、コーヒーで有名な「KALDI(カルディ)」の本社がある。

下北線路街は色々なお店があって楽しく、この楽園も途中にあるので、シモキタの散策がてらに訪れてみては

この楽園にはさらなる秘密があるのだが、それは次回ご紹介しよう

では、またぁ~

つづき「今や伝説の短絡線・代田連絡線2024夏」はこちらーっ!

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2024年8月 5日 (月)

つぶやき日記 ~「一枚の写真から・修行の聖地?東京・中野」2024夏~

今回はサックリと。

オラが住んでいる町「東京都中野区」は、お寺神社が多い。
特に、早稲田通り沿いはお寺だらけで、民家があまりない場所もある。

そんな町内を歩いていたら、こんな看板を発見した。

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京都中野区「修行の聖地?行者に注意」2024夏-1001
ただいま修行中ぅぅぅぅ~~~~~っ

この交差点、右側から行者(修行者)が飛び出して来るかもしれないから、注意しようね

ここで騒いだら、「修行の邪魔だっ!」って怒られるかもよ。

では、またぁ~

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2024年6月24日 (月)

お散歩日記 ~「京王線代田橋駅のエレベーター」2024初夏~

前回「今のうちに…。京王線・代田橋駅と桜2023春」からのつづきーっ!

今回はサックリと。

普段は、仕事の常駐先である東京都世田谷区の北沢地区(シモキタ界隈ね)を、平日はほぼ毎日徘徊している。
駅で言えば、小田急線「東北沢(ひがしきたざわ)」~「梅ヶ丘(うめがおか)」間と、京王線「笹塚(ささづか)」~「明大前(めいだいまえ)」間と、京王井の頭線「駒場東大前(こまばとうだいまえ)」~「明大前」間ね。

今回は、その途中にある京王線「代田橋(だいたばし)」駅に少し変化が現れたので、軽~くご紹介

まずは、代田橋駅はどこにあるのかと言うと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「京王線代田橋駅のエレベーター」2024初夏-1001
(2023年のグーグルマップより)
の位置だよん

…新宿駅
…代田橋駅

東京の中心「新宿(しんじゅく)」駅から、各駅停車で2駅目の所にある。
(京王新線経由だと4駅目ね)

この代田橋駅は、現在立体交差化(高架化)工事の真っ最中で、日夜工事が行われている。
笹塚駅~「仙川(せんがわ)」駅間が立体交差化される)

先日、工事が進展して、駅構内の上り(新宿方面)ホーム側の通路と階段が大幅に変更された。

トイレも移設され、仮設備なのだが広くてきれいな快適な空間へと生まれ変わった
従来のは、狭くて窮屈だったのでね…
(京王電鉄のトイレは、どこも狭くて圧迫感がある)

それと時を同じくして、エレベーターも従来とは違う場所に新設された。

このエレベーター、利用する分には全く普通なのだが、外(下りホーム)から見ると……ちょっと変わったお姿をしている。

ほれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「京王線代田橋駅のエレベーター」2024初夏-1002
何か伸びてるぅぅぅぅ~~~~~~っ

ホームの屋根の上にも、もう1階分の乗降口があるのだ

アップで見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・世田谷「京王線代田橋駅のエレベーター」2024初夏-1003
展望台かよぉぉぉぉぉ~~~~~~ぅ

パッと見、展望台監視台のようにも見えるねぇ~。

何だろこれ

…なぁ~~~~んてね

実はこれ、高架ホーム用の乗降口なのだ。

先に造っておいた」という次第。

恐らく、本設ではなくて、仮設ホーム用のだと思われる。
(オラ、この駅の工事の詳細は解らないので、断言は出来ない)

エレベーター内にも、この階の分の押しボタンがあるのだけど、何も記入されていなくて、試しに押してみると「今はまだこの階は利用出来ないよぉ~ん」と言われてしまう。(笑)

工事が進展すると、現在の地下空間ってどうなるんだろう

新しい改札は1階(地上)に持って来るだろうし、そうすると地下は利用しなくなる可能性が大きい訳で…
すると今度は、地下1階が「利用出来ないよぉ~ん」と言われてしまうかもしれない

ちょいと今後が気になるエレベーターちゃんである。

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おまけ

最初の写真の下りホームに、5000系電車が写っているでしょ。

これは新宿発「桜上水(さくらじょうすい)」行きの各駅停車で、朝ラッシュのみに数本だけ走っている珍しい列車だ。

何が珍しいか」って、実はこれ、上りの「京王ライナー」(全席指定列車)の折り返し運用なのであ~る。

全ての構造が破綻している朝の慌ただしい新宿駅で、すぐに折り返して発車しなければならない関係で、回送列車にはしないでそのまま各駅停車として使用する。
ただし、最も短い区間の桜上水駅まで(新宿から5駅目)としている。
(桜上水からは回送列車で発車して行き、また上りの京王ライナーで使うようだ)

新宿駅での停車時間が無いので、座席はそのままクロスシートとして使える。
自分で座席の向きを変える事も可能だ。
後期に製造された編成は、リクライニングも出来る。
…ただし、桜上水駅で駅員さんがまた元に戻しているので、その辺を考慮して使ってね

室内照明は、京王ライナーの時は電球色なのだが、各駅停車になった瞬間に白色へと切り替わる。
この5000系は、車内が白い時は座席指定料金が掛からないので、ご安心を

この桜上水行きは、どの列車も2分ほど直前に各駅停車の「高尾山口(たかおさんぐち)」や「京王八王子(けいおうはちおうじ)」行きが発車する関係で、いつもガラガラだ。
なので、「うそんこ京王ライナー」として、優雅な通勤・通学を密かに楽しんでいる人も多い。

…まぁ、終点まで乗っても乗車時間が短いので、「ゆったりさ」はやや満たされないけどねぇ~。

機会があったら乗ってみてねぇ~

では、またぁ~~~

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2024年4月 1日 (月)

お散歩日記 ~「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇!」2024春~

先日、お仕事で東京都と埼玉県の境目まで行ってきた。

その時に、都営「日暮里・舎人ライナー(にっぽり・とねりらいなー)」に初めて乗ったので、ちょいと写真を撮ってみた

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1001
わくわく

天気が良くない日の通勤途中に撮ったので、今回はサックリとね

本当は、埼玉県の現場なんて遠くて行きたくなかったんだけど、「おっ日暮里・舎人ライナーに乗れるぢゃん」と判明してからは、いそいそとお出掛けしたお調子者である。(笑)
東京の西部に住んでいる民にとっては、こんな機会がないと乗る事が無いからねぇ~。

開業が2008年3月30日なのに、今の今まで乗った事が無かった…

日暮里・舎人ライナーってどこ走ってるの舎人”って何て読むのしゃじん???」とお思いの方、まずはこれを見たまへ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1002
(2024年のグーグルマップより)
の間を走っているのぢゃーーっ

…東京駅
…上野駅
…日暮里駅
…扇大橋
…見沼代親水公園駅
…草加市と川口市の境目(4枚目の写真の撮影場所)

東京(とうきょう)」駅()から真北に少し行った所にある「日暮里(にっぽり)」駅()が始発点だ。
そこから、「尾久橋通り(おぐばしどおり)」の頭上を真っ直ぐ北に向かって、埼玉県との県境にある「見沼代親水公園(みぬまだいしんすいこうえん)」()まで走っている。

の場所は、東京23区内では最北端で、東京都足立(あだち)区の「舎人(とねり)」と言う町にある。
この地域の町名は、一ひねりある難読地名が多い。

東京都営の「鉄道」なのだが、ゴムタイヤで走る「新交通システム」なのが特徴。
バスと一般的な地方鉄道の中間くらいの輸送能力を持ち、東京湾岸の「ゆりかもめ」と似たような感じ。
今まで鉄道の空白地帯で、車の渋滞が激しかったので、東京都が気合を入れて造った次第。
おかげで、だいぶ便利になった

今回、お仕事で行った場所をアップで見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1003
(2024年のグーグルマップより)
境が複雑ぅぅぅぅぅぅ~~~~~~っ

が見沼代親水公園駅で、の付近まで歩いて行ってきた。
(徒歩10分ほど)

その間に、東京都足立区と埼玉県草加(そうか)市との県境があり、さらに埼玉県内では草加市と川口(かわぐち)市の境目もある。

の少し上を流れている「毛長川(けながかわ)」が県境なのだが、一部分は昔の川の流れていた位置らしき場所にずれている。
(少し太めの黒い点線ね)
川沿いの境目では、よく見られる現象だ。

そして、埼玉県内では黄色い線を境にして、右が草加市で左が川口市となっている。

何か、複雑だよねぇ~。

行きは朝の通勤時間だったので、サクサクと移動して現場に向かった。
そして、お仕事が終わって帰る途中に、ゆ~っくりと撮影したという流れ。

まずは、お仕事中に気になっていた場所()に行って、撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1004
境界マニアが大喜びぃぃぃ~~~~っ

十字路の交差点に、2本のカーブミラーが並んで建っていた。

よく見ると、左は「草加市」で右は「川口市」のステッカーが貼られている。
この交差点のマンホールも、川口市の物と草加市の物が混ざって設置されている。
市の境目が、交差点を斜めに通っているような感じだ。

背中右側の住宅地も、一直線に並んでいるのに手前の数軒だけが川口市で、あとは草加市となっているようだ。
なので、お隣の家なのに車のナンバーが「川口」と「春日部(かすかべ)」と、別々になっている。

交差点の角には、東京ガスの調整設備があり、そこには草加市の「遊馬町(あすまちょう)」と書かれているが、その真横にある町名表示は「川口市榛松(はえまつ)」となっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1005
面白ぉぉぉぉぉ~~~~~~~~いっ

…って言うか「舎人(とねり)」「遊馬町(あすまちょう)」「榛松(はえまつ)」って、どれも素人には読めねぇーよ
どれも、大昔からの由緒ある町名っぽいね。

この交差点の写真を数枚撮ったので、見沼代親水公園駅へ戻ろう

交通量の多い埼玉県の県道を歩き(埼玉は車社会だからね)、駅の近くまで戻って来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1006
これも境界マニアが大喜びぃ~~~っ

一見、何の変哲もない大きな道なのだが、実は目の前に県境がある。
今は埼玉県草加市に立っていて、東京都足立区を目の前に見ている状態。

歩道にある背の低いポールの2本目(奥のやつね)と、歩道左側に停まっている銀色の車の間が、県境だ
つまり、マクドナルドは草加市遊馬町に建っていて、銀色の車は足立区舎人に停まっている。

この道は、ここまでが埼玉県の県道で、県境から先は都道となる。
道路名はどちらも同じ「58号」で、「104号」線もこの部分だけ重複している。
通称名は、埼玉県側が「第二産業道路」で、東京都側が「尾久橋通り」だ。

この写真では、道路上の白い車は埼玉県から出ないでUターンしようとしていて、奥の黄色っぽい車は都内に今入ったばかりという状態。

では、県境まで近付いてみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1007
いろいろ違うぅぅぅぅぅ~~~~~っ

まず目につくのが、道路上にある「東京都」「足立区」の大きな標識だ。
反対車線には、背中側に「埼玉県」「草加市」の標識が建っている。

よく見ると、この小さな横道を境に、歩道の造りやガードレールの形や植栽が全て異なっている
車道の舗装状態も異なっていると思われる。
昔、別の場所にある都と埼玉県境を通過した時は、路面の状態(メンテナンス)が極端に違っていて、埼玉県に入った途端にガタガタと激しく揺れた事があった。
まぁ、現在ではそれほど大きな差は無いでしょうけどぉ~。

足立区側の歩道は都内では標準の造りで、かなりしっかりと整備されている。
車道上の奥に見えている建物が見沼代親水公園駅()なので、開通時に一緒に整備されたのだろう。

草加市側の歩道は「昔ながらの道」と言った感じで、これがこの辺一帯の本来の姿だったのだろう。

東京都」の標識の根元に自転車に乗ったお兄さんがいるが、この人は「東京都の端っこでスマホをいじっている」という事になる。(笑)
お兄さんの右横には「尾久橋通り ここから」の標識も建っている。

ちなみに、歩道左側の銀色の車の後ろにある建物には「TEL03-3890-XXXX」と書かれているので、東京都内である事は間違いない。

さて、ひょんな事から「東京23区の最北端」を制覇する事が出来て大満足のオラ、日暮里・舎人ライナーに乗るとしますかいのぉ~

行きは朝ラッシュだったから、帰りはのんびりと景色を眺めよう

朝は、日暮里駅の1つ手前にある「西日暮里(にしにっぽり)」駅から乗車したので、帰りは全線を乗り通すのぢゃ

まずは、改札を通ってホームに上がる。

結構な高さぢゃのぉ~。

道路上に造られているので、どの駅もビルの5~6階くらいの高さににホームがある。

すでに列車は停まっていたが、始発駅の昼過ぎなので、余裕で最前席に座る事が出来た
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1008
眺めバツグぅぅぅぅぅ~~~~~~ン

車両は新旧3種類あるようで、旧型はクロスシートがあって車窓の風景をじっくり眺められるのだが、新型は全てロングシートになっていて通勤・通学に特化したような感じ。
ゆりかもめ」も同じような状況なので、乗る人が増えてきたという証なのだろう…。
(ネットで調べたら、増え過ぎてラッシュ時の混雑率ワースト1にもなった事があるようだ

この車両は新型だね。
行きは旧型で、クロスシートに座って来た

最前席は運転台も兼ねているので、どの編成も前面に向かって座れるようになっている。
普段は無人運転だが、ごくたまに運転士が乗る事もある。

では、出発進行

列車は静かに走り出し、淡々と南へ進んで行く。

この尾久橋通りは、関東平野を真っ直ぐ南北に走っているので、こう言っては何だが「景色に変化がない」のだ。
走り出してすぐに、大ききな「舎人公園(とねりこうえん)」を過ぎてしまえば、後はビルに挟まれた平坦で真っ直ぐな道を進むだけ。
前面展望が良くても、鉄ちゃん的にはあまり面白くない。
横に座った人達も、前面を見る事無くスマホをいじっている。

そんな中、1ヶ所だけ行きに「何か凄くない!?」と思っていた場所にやって来た。
行きは中間車で横を見ていただけなので、その全貌が見えていなかったのだ。

扇大橋(おうぎおおはし)」駅()に停車した時に、何気なしに前面を見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1009
ねじれてるぅぅぅぅぅぅ~~~~~っ

真っ直ぐだった線路が、左上に大きくねじれているではないかっ
まるでジェットコースターだ。

…そういえば、行きに川を渡った時に、えらい高い所を走っていた感じがしていたぞ。

アップで見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・足立「東京23区の最北端と日暮里・舎人ライナーを初制覇」2024春-1010
そういうことかぁぁぁぁ~~~~~っ

幅の広い「荒川(あらかわ)」を渡るためでなく、土手の横を走っている首都高速道路の上を越さないといけないから、高くしたのねぇぇぇぇーーーーっ

現時点でビルの5~6階の高さにいるのだから、あの頂点はどれだけ高いんだ!?

列車が動き出して、頂点に達した。

横を眺めると…

…10階分くらいはあるんでなくね

左に建っている12階建てのマンションを見ると、最上階と大して高さが変わらない。

…これ、強風の時はかなり怖いんじゃない???

まぁ、鉄軌道と違ってコンクリートの箱の中を走っているから、強風に煽られて横転…ってな事にはならないと思うけどぉ~。

観光気分で乗っていたら、楽しいスポットでもある

荒川を渡った後は、都電荒川線と交差するくらいで特に変化はなく、西日暮里駅に到着。
そして急カーブの後、大都会のビル群に挟まれながら少し進み、またまた急カーブで終点の日暮里駅()に到着ぅ~

…ふぅ、ちょっとした「小さな旅」だったな

都営の1日乗車券で乗りに来ようと思って十年以上、やっと全線を乗り通す事が出来た
しかも、色々な境目も堪能する事が出来た

沿線住民でなければそれほど乗る機会のないこの路線、たまぁ~に観光気分で乗ってみるのも面白いかもね
オラも一応「都民」だから、利用しないとね(笑)

ではではぁ~~~~

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2024年2月 5日 (月)

お散歩日記 ~「大森は謎が大盛り」2024新春~

今回はサックリと。

お仕事で、東京都大田区にある、JR京浜東北線の「大森(おおもり)」駅前に行ってきた。

最近はこのエリアに来る事が多い。
きっと何かご縁があるのだろう。(笑)

まずは、大森駅がどこにあるのかというと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・JR大森駅前「バラェティ アサヒ」2024新春-1001
(2024年のグーグルマップより)
の位置ね

…東京駅
…品川駅
…大森駅
…羽田空港

大森駅は、大田区と品川区の境目にあり、品川区にある京急線の「大森海岸(おおもりかいがん)」駅も目の前に見える。
オフィスビルやショッピング施設も多く、大変便利な街だ
この一帯の繁華街「蒲田(かまた)」や、空の玄関「羽田空港(はねだくうこう)」にも近い。

大森駅前は古くからの商店街があり、昭和の匂いをプンプンさせたお店が数多く並んでいる。
ちょっとディープな街並みで、謎や不思議が大盛りの街だ

事実、この日記を書き始めようと思った頃(午前10時頃)に、大森駅近くのラーメン屋「豚山」で、プロパンガスのボンベが爆発するほどの火災が起こっているしぃ~。
線路際なので、京浜東北線等が3時間も止まってしまった…。
(この日記を書き上げるまで、全然知らなかった。書き上げて落ち着いた後に、ネットでニュースを見て驚いた次第。

余談だが、大森には「大森貝塚」と言う史跡があり、縄文時代から人が住んでいた超絶に歴史の長い町でもある。
(みなさんも、歴史(日本史)の授業で習ったでしょ
故に、古(いにしえ)からの謎や不思議があっても、何もおかしい事は無い。(笑)

そんな商店街をテコテコ歩き回っていたら、あるお店が目に留まった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・JR大森駅前「バラェティ アサヒ」2024新春-1002
雑貨屋さぁぁぁぁぁ~~~~~~~ん

バラエティ アサヒ」と言う名の雑貨屋さんのようだ。
シャッターが閉まっていたので、店舗の詳細は判らず…

ちなみに、この右隣にあるゲームセンターも、昭和の匂いがプンプンしていて面白いんだけどね

このお店(アサヒ)の看板を見ていて、ふと思った。

…んオラ日本人なのに発音出来ない。

カタカナは読めるのに、発音出来ない。

これは困った。

看板をアップで見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・JR大森駅前「バラェティ アサヒ」2024新春-1003
難読店名ぃぃぃぃぃ~~~~~~~っ

「バラエティ」ではなくて「バラェティ」なんだよね…。

ラェ」って、どう発音するの???

ちなみに、英語だと「Variety」と書くので、わざわざ小さい「」にする必要が無い。

う~~~~~ん、謎が多いぞ、大森駅前は…。

では、またぁ~

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2024年1月15日 (月)

お散歩日記 ~「ハードロッカーからあげ君 大森町」2024新春~

今回はサックリと。

お仕事で、東京都大田区にある、京急線の「大森町(おおもりまち)」駅付近に行ってきた。

それほど時間を置かずに二度も訪れたので、何かご縁があるのだろう。

まずは、大森町駅がどこにあるのかというと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・大森町「ハードロッカー・からあげ君」2024新春-1001
(2024年のグーグルマップより)
のすぐ上ね

…行った場所(大森中1丁目のファミリーマート)
…京急蒲田駅
…JR(東急)蒲田駅
…羽田空港

大森町駅は、大田区の真ん中くらいにあり、「箱根駅伝」で有名な国道15号線(第一京浜)のすぐ横にある。
この一帯の繁華街「蒲田(かまた)」や、空の玄関「羽田空港(はねだくうこう)」にも近い。

住宅地と町工場とが混ざり合った、典型的な東京南東部の下町エリアだ。
国道沿いには大きなビルも多いので、この一帯(京急線沿い)は独特の雰囲気がある。

お仕事の集合場所が、国道15号線上にあるファミリーマート(地図の)だったので、とりあえず移動。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・大森町「ハードロッカー・からあげ君」2024新春-1002
おはよぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~う

まだ朝早いから、人が少ないや…

このお店は「大田大森中一丁目」店と言う。

大森中」は「おおもりなか」と読むよ。
大森中学校の略(おおもりちゅう)じゃないからね
オラも最初は間違えそうになった…

お店の前には、水色の大きなロッカーが置いてあった。

今や町のあちこちで見掛ける、宅配荷物の「置き配(おきはい)」用のロッカー(ポスト)だ。
これは、その「amazon」版だね。

通販が発達して便利な世の中になったよねぇ~
(その分、配送業の方々はヒーヒー言うようになってしまったが…

ずいぶんと大きくてハード(堅い)なロッカーだ

このamazonロッカーは初めて見たので、ちょいと近付いて眺めてみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・大森町「ハードロッカー・からあげ君」2024新春-1003
なるほどねぇぇぇぇ~~~~~~~っ

まぁ、今どきの「スマホありき」のシステムだよね。

…ん???

このロッカーには、識別用の為にお名前が付いているようだ。

右上に書いてあるねぇ…

もっと近寄ってみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・大森町「ハードロッカー・からあげ君」2024新春-1004
からあげくぅぅぅぅ~~~~~~~ん

何とっこの子は「からあげ君」だったのだっ!!

…どこかで聞いた事のある名前だぞ。(笑)

URLも「karaage」になっているよねぇ…

見た目がいかついハードロッカーの割には、かわいらしいお名前でしたとさ

では、またぁ~

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