海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その92:東京へ~
(前回「その91」からのつづきーっ!)
(予告編・その1「香港」・その10「広州」・その20「ウルムチ」・その30「北京」
・その40「ウーメオ」・その50「ミュンヘン」・その60「セルベール」
・その70「アテネ」・その80「イスタンブール」・その90「クアラルンプール」)
このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
「その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。
いよいよ最終回っ★
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1996年8月28日(水):くもり のち 雨
Singapole:シンガポール → 東京(とうきょう:Tokyo)
今日はいよいよ日本に帰国する日だ。
忘れ物がナイように荷物をチェックして、朝4時にTさんの家を出る。
(もし忘れても、後でCさんが送ってくれるだろうケド★)
Tさんは寝ているので、そ~っとドアを閉める。
心の中で「泊めていただき、ありがとうございました~~♪」とお礼を言う。
外はまだ真っ暗だ。
…さて、ココでイチバン問題なのが、「タクシーがすぐに捕まるかどうか?」だ。
空港には、遅くても5時半までに着けばイイんだけど…。
建物の外に出ると、すぐに目の前にタクシーの姿が★
運ちゃんもこちらを見ていて目が合ったので、すかさず手を挙げて呼ぶ。
ラッキーーーーーっ
コレでもう安心だ♪
空港までの道は、以下のとおり。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2015年のグーグルマップより)
●から▲の道を通って、★の空港まで行くのだ。
▲の道は来た時にもバスで通ったので、遠回りされたらすぐに判る。
タクシーは、車のいない広~い道をカッ飛ばす。
運ちゃんとハナシをしていたら、30分弱で空港に着いた。
今から乗るひこーきは「ユナイテッド航空」なので、「ターミナル1」で降ろしてもらう。
余裕で早く着いたぜぇ~~い
ありがとぉ~♪
(料金はS$16(約1200円)。深夜割増(50%)含む)
ターミナルビルに入ると、まだ朝の4時半だというのに結構人がいる。
しかも大半が西洋人。
オラの乗るひこーきは、7時半発の「Boston(ボストン)」行き「UA890」便だ。
途中、成田・ロサンゼルスを経由する。
…寝過したらアメリカだぞ。(笑)
アメリカ、しかも東海岸のボストンまで行ってしまったら、リアルに世界一周旅行になってしまう★
ポルトガルのロカ岬からのほうが、はるかに近い。(笑)
…いや、ポルトガルからアメリカ経由でシンガポールまで来ても良かったのかもしれない。
でも、そうするとイタリア・ギリシャ・トルコに行けなかったワケで…
今回の旅はコレで正解だったのだろう★
1時間ほど待っていたら、5時半からチェックインが始まった。
すぐにチェックインし、窓側の席を予約する。
この当時、格安チケットでは座席のリクエストを聞いてもらえることなど無かったので、少しビックリ★
航空会社によってサービスがかなり異なっていた時代だからねぇ~
ココにいてもつまらないので、すぐに出国審査場へ向かう。
シンガポールの空港(チャンギ空港)は、広大で設備が整っていることで世界的に有名。
なので、さっさと中に入って時間潰ししていたほうが楽しい♪
どこ国でも出国審査はすぐに済むので、あっけなく通過できた。
コレで最後の国を出国したぞ★
中でうろつくも、早朝なので開いているお店は少なかった。
おとなしく搭乗ゲート前のベンチで座って待つ。
しばらくして、搭乗開始となったので、いそいそと乗り込もうとしたら…
「座席番号順にご案内しております。ご自分の座席番号が呼ばれましたらお並びください」とアナウンスが。
現在では当たり前だが、この当時では画期的なシステムだった★
ゲート前で待たされるが、機内の座席までは前がつっかえることなくスムーズに座れる流れにビックリ★
…なんてスマートでクールなシステムなんだっ(笑)
CAにニッコリ迎えられ、座席に着く。
今回のフライトは、「帰国」なのでドキドキ感がナイなぁ~。
むしろ、今までの想い出がいろいろよみがえって来る。
…ん?
そういえば、久々の日本語のアナウンスが聞こえる乗り物だ★(笑)
今から飛ぶ区間は、以下のとおり。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2015年のグーグルマップより)
★から●まで、ひとっ飛びよん
「東京~那覇」間の約3倍だねぇ…。
こうやって世界地図を見ると、オーストラリアも近いんぢゃん★
でも、シドニーとメルボルンには行ったことがあるから、今回はイイや。(笑)
7時半になり、ひこーきがゲートを離れた。
そして離陸。
シンガポール、バイバイキ~~~ン★
楽しかったよぉ~~~♪
成田までは6時間半の旅。
行きの「成田~香港」間の、倍の時間かぁ…
隣の席には若い日本人女性が座っている。
どうやら一人旅のようだ。
食事が終わった後に話し掛けようかとも思ったけど、眠くなって来たので止めておいた。(笑)
2時間ほど寝ただろうか?
目が覚めたら、窓の下方に小さい島々が見えた。
…どこだろう?
フィリピン~台湾辺りかな?
それとも、沖縄~鹿児島の辺りかな?
そして着陸態勢に入り、15時頃成田空港に着陸。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2014年撮影)
外の景色に日本語が書いてあるぅ~~~~(笑)
寝過してボストンに連れ去られることも無く、無事に成田で降機。
すぐに入国審査場へ向かう。
ココは日本。
自分の国なので、入国審査は超~カンタンだ★
パスポートに「帰国」のスタンプが押されて、ゲートを通過する。
約4ヶ月ぶりに帰って来たぜぇ~~~~~い★
さぁ、次は荷物の受け取りだ。
ベルトコンベアの前に行き、オラのお荷物ちゃんと再会するのを待つが、なかなか現れナイ…
どうやら最初にチェックインしたので、荷物がイチバン奥に収まっているようだ。
やっとこさ出て来て再会した荷物を持って、目の前の税関に行く。
日本人ツアー客と同じ列だったのか?すんなりと通過出来た。
コレで「儀式」は全て終了~~♪
目の前のドアを通れば、完全自由なシャバの世界が待っている
…と、その前に。
シャバで使う「ぢゃぱんまねー」を持っていないではナイかーーーーっ★
目の前にある銀行窓口で、持っていた米ドルのトラベラーズチェックをUS$50分換金する(約4000円ね)。
コレで、とりあえずは帰宅出来るぞ♪
ドアを通り、到着ロビーへ出る。
さぁ、完全にフリーの世界よ
言葉の壁も、食べ物の相性も、移動の不自由さも、不衛生さも、何もナ~~イ♪
なんてステキな国なのぢゃ
この旅で、「全くのストレス無く、毎日自由に行動出来る」というのが、こんなにも素晴らしい事だったというのに気付いたよ★
さぁ、お家に帰ろう。
JR線の切符を買って、「成田空港(なりたくうこう)」駅16時発の、快速「久里浜(くりはま)」行きに乗る。
「東京(とうきょう)」駅で下車し、通勤電車に乗り換え、地元の駅まで戻る。
このまま仲間の家に遊びに行く予定だったけど、雨のために中止。
(傘を持っていないので)
駅前からバスに乗って帰宅することに。
19時頃、無事にご帰宅ぅぅぅぅ~~~~っ★
とりあえず、家族と夕飯を食べ、まったりとくつろごうとしたら…
…同級生から電話だ。
帰って来たのを知らナイらしく、「ついさっき帰って来たよ」と言ったらビックリしていた。
まさか本人が出るとは思っていなかったみたい。
…何というタイミングだろう。
結局、近くの居酒屋に行き、おみやげ渡し&旅の報告をば。
さっき行こうとしていた仲間もこっちに呼んで、合計4人で飲んで話した。
久々の和食は美味しいのぉ~~~~
「最近、日本で変わったことはあった~?」とみんなに聞いたら、口を揃えて…
「チョベリバ」が流行っている。
とのこと。
「…ちょべりば?」
…あぁ、略語ね。
そんなに悩まなくても、すぐに意味が解った。
…どうやら日本は平和だったようだな。(笑)
その後、結局仲間の家に遊びに行き、未明まで話し込んでいましたとさ★
まぁ、とにかく…
お疲れさまでしたぁ~~~~~っ!!
(超おしまーーーーーーーーいっ!)
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★ あとがき…というか、おまけ ★
全92回に亘る長編旅日記をご覧いただき、まことにありがとうございましたっ★ m(_ _)m
第0回で「予告編」を書き、第1回がスタートしたのが2011年2月。
書き上げるのに4年半も掛かっちゃったねぇ~
沢木耕太郎氏も、香港からロンドンまでのバスの旅を小説「深夜特急」にするのに数年掛かっているのだから、まぁイイっか★(笑)
これだけのノンフィクションの旅日記を書くのに、超~頼りになったのが、何といっても「当時の手書きの日記帳」だ。
コレが無かったら書く気にはならなかったでしょう…
生まれて一度も日記を書いたことが無かったのに、ナゼかこの旅では「書かなきゃ」と感じ、毎日欠かす事無く書き上げた次第。
…夏休みの宿題の日記さえもロクに書けなかったヘッポコなのに。(笑)
今では超~大事な宝物になっているッス
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さて、今回の旅の大まかなルートを、改めて記しておこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2015年のグーグルマップより)
赤い●が、滞在および通過で立ち寄った都市。
オレンジの線が、おおざっぱな移動ルート。
青い●は、2015年の今までに行ったことのある所。
(コレの他には、オーストラリアの「シドニー」と「メルボルン」があるだけ)
…そう、実はまだ「アメリカ合衆国」に足を踏み入れたことがナイのだ★
南北アメリカ大陸とアフリカ大陸が、未踏の地。
※エリアごとに移動した場所とルートをまとめた「その38」「その44」「その60」「その65」も、併せて見てねん♪
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ついでに、国ごとの索引を載せておこう。
右側の「その●●」をクリックしてね♪
香港(英国)…「その1」
中国…「その7」
ロシア…「その33」
フィンランド…「その37」
スウェーデン…「その40」
デンマーク…「その42」
ドイツ…「その42」~「その51」
オランダ…「その45」
フランス…「その52」
スイス…「その53」「その61」
イタリア…「その62」
ギリシャ…「その68」
トルコ…「その72」
パキスタン…「その81」
シンガポール…「その82」「その91」
マレーシア…「その88」
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この旅が終わった後、2000年にマレーシアから「真っ赤なカード」が届いた。
「いかにもちうごく」な、結婚式の招待状だ★
その真っ赤でキンキラキンの招待状とスーツを持って、クアラルンプールまで行きましたよ、えぇ。
シンガポール経由で、ベンクーレン通りの同じ安宿に泊まってね★(笑)
30℃を超える気候でのスーツは死にそうだった…。
(新郎と付き添い役のオラだけがスーツ姿)
新郎と間違えらること数回。
(新郎は友達とチョロチョロ移動していて、全然席にいなかったからねぇ~)
Cさんも「オマエのダンナは日本人か?」と、何度も聞かれたそうな。
…オラ、イケメンだから(笑)
親戚一同も覚えていてくれて、大歓迎だったよん♪
特に、Cさんのパパには溺愛された。
新婚旅行に一緒に付いて行ったほどだ★
(Cさん・ダンナ・Cさんパパ・オラの4人組)
カワイイ女子大生だったJさんは、すっかり「大人の女性」な雰囲気に成長していたよ★
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この旅で同行した仲間2人はその後どうなったかというと…
「オレはインドに行きたいんだっ」と叫んでアテネで別れた彼は、トルコ~イラン~パキスタンとバスで抜けて、無事にインド入りしたそうだ。
忘れた頃にインドから手紙が来た。(笑)
彼は思い込みが激しかったので、思想世界のインドではどんな経験を積んだのだろうか…
(その後一度会ったが、多くは語らなかった)
イスタンブールで、目をウルウルさせながら不安そうにバンコクへと旅だったもう一人の彼は、タイで立派に成長して帰って来た。
帰国した日はそれほど離れていなかったが、オラの想像を超えた度胸の付きっぷりにビックリ★
タイで知り合った日本人青年が、実は悪いヤツで、彼と一緒にいる時に麻薬を売りに来たマフィアから麻薬を奪って逃げ去ったそうだ。
彼はそいつの仲間だと思われて、マフィアに目を付けられるハメに…
食堂でそっと脇腹にピストル付けられて、ハッタリかましながら店員にコッソリ「警察呼んで…」の騒動に。
まぁ、身の潔白も証明されたので、無事に帰国出来たワケで★(笑)
その武勇伝をニコニコ話しているのを見て、イスタンブールでしんみりしていた奴と同一人物とは思えなかった…
そんな彼は、何かに目覚めたのか、教師になるのを目指していた。
(ホントに先生になったんだっけかな?…忘れた)
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ユーラシア大陸を陸路制覇した後も、ドイツや中国等に何回か行った。
でも、やはり「南欧とトルコへ、またのんびりと行きたい」という夢がある。
世界の秩序とオラの生活環境が当時とまるで異なっているので、果たしていつ行けることやら…
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来年からは、中国のシルクロードを夏に1ヶ月間ほど一人旅をした時の日記をスタートいたしますわん♪
その名も「我的長征 ~絲綢之路~ 2006」ッス
今回の旅で西安の「シルクロード起点の地」に立ったので、その先の「トルファン」と「カシュガル」を観に行った次第。
過酷な環境なので、1人でサックリとひこーきで出掛けたッス。
(海外に不慣れな同行者を気遣うゆとりは多分ナイと思ったので…)
…予想通り、日々「灼熱」と「乾き」と「腹痛(激しい下痢)」と「ぼったくり」との戦いだった。(笑)
乞うご期待っ
ではまたぁ~~~~♪
(つづき「我的長征2006 予告編」はこちらーっ!)
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