▼ユーラシア大陸横断鉄道旅行

2015年11月16日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その92:東京へ~

前回「その91」からのつづきーっ!
予告編その1「香港」その10「広州」その20「ウルムチ」その30「北京」
その40「ウーメオ」その50「ミュンヘン」その60「セルベール」
その70「アテネ」その80「イスタンブール」その90「クアラルンプール」

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

いよいよ最終回っ

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1996年8月28日(水):くもり のち 雨

Singapole:シンガポール → 東京(とうきょう:Tokyo)

今日はいよいよ日本に帰国する日だ。

忘れ物がナイように荷物をチェックして、朝4時にTさんの家を出る。
(もし忘れても、後でCさんが送ってくれるだろうケド

Tさんは寝ているので、そ~っとドアを閉める。
心の中で「泊めていただき、ありがとうございました~~」とお礼を言う。
外はまだ真っ暗だ。

…さて、ココでイチバン問題なのが、「タクシーがすぐに捕まるかどうか?」だ。

空港には、遅くても5時半までに着けばイイんだけど…。

建物の外に出ると、すぐに目の前にタクシーの姿が
運ちゃんもこちらを見ていて目が合ったので、すかさず手を挙げて呼ぶ。

ラッキーーーーーっ

コレでもう安心だ

空港までの道は、以下のとおり。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その92・東京へ(最終回)-9201
(2015年のグーグルマップより)
からの道を通って、空港まで行くのだ。

の道は来た時にもバスで通ったので、遠回りされたらすぐに判る。

タクシーは、車のいない広~い道をカッ飛ばす。
運ちゃんとハナシをしていたら、30分弱で空港に着いた。

今から乗るひこーきは「ユナイテッド航空」なので、「ターミナル1」で降ろしてもらう。
余裕で早く着いたぜぇ~~い
ありがとぉ~
(料金はS$16(約1200円)。深夜割増(50%)含む)

ターミナルビルに入ると、まだ朝の4時半だというのに結構人がいる。
しかも大半が西洋人。

オラの乗るひこーきは、7時半発の「Boston(ボストン)」行き「UA890」便だ。
途中、成田ロサンゼルスを経由する。

…寝過したらアメリカだぞ。(笑)

アメリカ、しかも東海岸のボストンまで行ってしまったら、リアルに世界一周旅行になってしまう
ポルトガルのロカ岬からのほうが、はるかに近い。(笑)

…いや、ポルトガルからアメリカ経由でシンガポールまで来ても良かったのかもしれない。
でも、そうするとイタリア・ギリシャ・トルコに行けなかったワケで…

今回の旅はコレで正解だったのだろう

1時間ほど待っていたら、5時半からチェックインが始まった。
すぐにチェックインし、窓側の席を予約する。

この当時、格安チケットでは座席のリクエストを聞いてもらえることなど無かったので、少しビックリ
航空会社によってサービスがかなり異なっていた時代だからねぇ~

ココにいてもつまらないので、すぐに出国審査場へ向かう。

シンガポールの空港(チャンギ空港)は、広大で設備が整っていることで世界的に有名。
なので、さっさと中に入って時間潰ししていたほうが楽しい

どこ国でも出国審査はすぐに済むので、あっけなく通過できた。

コレで最後の国を出国したぞ

中でうろつくも、早朝なので開いているお店は少なかった。
おとなしく搭乗ゲート前のベンチで座って待つ。

しばらくして、搭乗開始となったので、いそいそと乗り込もうとしたら…

座席番号順にご案内しております。ご自分の座席番号が呼ばれましたらお並びください」とアナウンスが。
現在では当たり前だが、この当時では画期的なシステムだった

ゲート前で待たされるが、機内の座席までは前がつっかえることなくスムーズに座れる流れにビックリ

…なんてスマートでクールなシステムなんだっ(笑)

CAにニッコリ迎えられ、座席に着く。

今回のフライトは、「帰国」なのでドキドキ感がナイなぁ~。
むしろ、今までの想い出がいろいろよみがえって来る。

…ん?

そういえば、久々の日本語のアナウンスが聞こえる乗り物(笑)

今から飛ぶ区間は、以下のとおり。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その92・東京へ(最終回)-9202
(2015年のグーグルマップより)
からまで、ひとっ飛びよん

東京~那覇」間の約3倍だねぇ…。

こうやって世界地図を見ると、オーストラリアも近いんぢゃん
でも、シドニーメルボルンには行ったことがあるから、今回はイイや。(笑)

7時半になり、ひこーきがゲートを離れた。
そして離陸。

シンガポール、バイバイキ~~~ン

楽しかったよぉ~~~

成田までは6時間半の旅。
行きの「成田~香港」間の、倍の時間かぁ…

隣の席には若い日本人女性が座っている。
どうやら一人旅のようだ。
食事が終わった後に話し掛けようかとも思ったけど、眠くなって来たので止めておいた。(笑)

2時間ほど寝ただろうか
目が覚めたら、窓の下方に小さい島々が見えた。

…どこだろう

フィリピン~台湾辺りかな
それとも、沖縄~鹿児島の辺りかな

そして着陸態勢に入り、15時成田空港に着陸。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その92・東京へ(最終回)-9203
(2014年撮影)
外の景色に日本語が書いてあるぅ~~~~(笑)

寝過してボストンに連れ去られることも無く、無事に成田で降機。

すぐに入国審査場へ向かう。
ココは日本
自分の国なので、入国審査は超~カンタンだ

パスポートに「帰国」のスタンプが押されて、ゲートを通過する。

約4ヶ月ぶりに帰って来たぜぇ~~~~~い

さぁ、次は荷物の受け取りだ。
ベルトコンベアの前に行き、オラのお荷物ちゃんと再会するのを待つが、なかなか現れナイ…
どうやら最初にチェックインしたので、荷物がイチバン奥に収まっているようだ。

やっとこさ出て来て再会した荷物を持って、目の前の税関に行く。

日本人ツアー客と同じ列だったのか?すんなりと通過出来た。
コレで「儀式」は全て終了~~
目の前のドアを通れば、完全自由なシャバの世界が待っている

…と、その前に。

シャバで使う「ぢゃぱんまねー」を持っていないではナイかーーーーっ

目の前にある銀行窓口で、持っていた米ドルのトラベラーズチェックをUS$50分換金する(約4000円ね)。
コレで、とりあえずは帰宅出来るぞ

ドアを通り、到着ロビーへ出る。

さぁ、完全にフリーの世界よ

言葉の壁も、食べ物の相性も、移動の不自由さも、不衛生さも、何もナ~~イ
なんてステキな国なのぢゃ

この旅で、「全くのストレス無く、毎日自由に行動出来る」というのが、こんなにも素晴らしい事だったというのに気付いたよ

さぁ、お家に帰ろう。

JR線の切符を買って、「成田空港(なりたくうこう)」駅16時発の、快速「久里浜(くりはま)」行きに乗る。
東京(とうきょう)」駅で下車し、通勤電車に乗り換え、地元の駅まで戻る。

このまま仲間の家に遊びに行く予定だったけど、雨のために中止。
(傘を持っていないので)
駅前からバスに乗って帰宅することに。

19時頃、無事にご帰宅ぅぅぅぅ~~~~っ

とりあえず、家族と夕飯を食べ、まったりとくつろごうとしたら…
…同級生から電話だ。
帰って来たのを知らナイらしく、「ついさっき帰って来たよ」と言ったらビックリしていた。
まさか本人が出るとは思っていなかったみたい。

…何というタイミングだろう。

結局、近くの居酒屋に行き、おみやげ渡し&旅の報告をば。
さっき行こうとしていた仲間もこっちに呼んで、合計4人で飲んで話した。

久々の和食は美味しいのぉ~~~~

最近、日本で変わったことはあった~」とみんなに聞いたら、口を揃えて…

チョベリバ」が流行っている。

とのこと。

「…ちょべりば

…あぁ、略語ね。
そんなに悩まなくても、すぐに意味が解った。

…どうやら日本は平和だったようだな。(笑)

その後、結局仲間の家に遊びに行き、未明まで話し込んでいましたとさ

まぁ、とにかく…

お疲れさまでしたぁ~~~~~っ!!

(超おしまーーーーーーーーいっ!)

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 あとがき…というか、おまけ 

全92回に亘る長編旅日記をご覧いただき、まことにありがとうございましたっ m(_ _)m

第0回で「予告編」を書き、第1回がスタートしたのが2011年2月
書き上げるのに4年半も掛かっちゃったねぇ~

沢木耕太郎氏も、香港からロンドンまでのバスの旅を小説「深夜特急」にするのに数年掛かっているのだから、まぁイイっか(笑)

これだけのノンフィクションの旅日記を書くのに、超~頼りになったのが、何といっても「当時の手書きの日記帳」だ。
コレが無かったら書く気にはならなかったでしょう…

生まれて一度も日記を書いたことが無かったのに、ナゼかこの旅では「書かなきゃ」と感じ、毎日欠かす事無く書き上げた次第。
…夏休みの宿題の日記さえもロクに書けなかったヘッポコなのに。(笑)

今では超~大事な宝物になっているッス 

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さて、今回の旅の大まかなルートを、改めて記しておこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その92・東京へ(最終回)-9204
(2015年のグーグルマップより)
赤いが、滞在および通過で立ち寄った都市。

オレンジの線が、おおざっぱな移動ルート。
青い●は、2015年の今までに行ったことのある所。
(コレの他には、オーストラリアの「シドニー」と「メルボルン」があるだけ)

…そう、実はまだ「アメリカ合衆国」に足を踏み入れたことがナイのだ
南北アメリカ大陸とアフリカ大陸が、未踏の地。

エリアごとに移動した場所とルートをまとめた「その38」「その44」「その60」「その65」も、併せて見てねん

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ついでに、国ごとの索引を載せておこう。
右側の「その●●」をクリックしてね

香港(英国)…「その1
中国…「その7
ロシア…「その33

フィンランド…「その37
スウェーデン…「その40
デンマーク…「その42

ドイツ…「その42」~「その51
オランダ…「その45
フランス…「その52
スイス…「その53」「その61

スペイン…「その54」「その60
ポルトガル…「その55

イタリア…「その62
ギリシャ…「その68
トルコ…「その72

パキスタン…「その81
シンガポール…「その82」「その91
マレーシア…「その88

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この旅が終わった後、2000年にマレーシアから「真っ赤なカード」が届いた。
いかにもちうごく」な、結婚式の招待状

その真っ赤でキンキラキンの招待状とスーツを持って、クアラルンプールまで行きましたよ、えぇ。
シンガポール経由で、ベンクーレン通りの同じ安宿に泊まってね(笑)

30℃を超える気候でのスーツは死にそうだった…。
(新郎と付き添い役のオラだけがスーツ姿)

新郎と間違えらること数回。
(新郎は友達とチョロチョロ移動していて、全然席にいなかったからねぇ~)
Cさんも「オマエのダンナは日本人か」と、何度も聞かれたそうな。

…オラ、イケメンだから(笑)

親戚一同も覚えていてくれて、大歓迎だったよん
特に、Cさんのパパには溺愛された。
新婚旅行に一緒に付いて行ったほどだ
(Cさん・ダンナ・Cさんパパ・オラの4人組)

カワイイ女子大生だったJさんは、すっかり「大人の女性」な雰囲気に成長していたよ

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この旅で同行した仲間2人はその後どうなったかというと…

オレはインドに行きたいんだっ」と叫んでアテネで別れた彼は、トルコ~イラン~パキスタンとバスで抜けて、無事にインド入りしたそうだ。 
忘れた頃にインドから手紙が来た。(笑)
彼は思い込みが激しかったので、思想世界のインドではどんな経験を積んだのだろうか…
(その後一度会ったが、多くは語らなかった

イスタンブールで、目をウルウルさせながら不安そうにバンコクへと旅だったもう一人の彼は、タイで立派に成長して帰って来た。
帰国した日はそれほど離れていなかったが、オラの想像を超えた度胸の付きっぷりにビックリ

タイで知り合った日本人青年が、実は悪いヤツで、彼と一緒にいる時に麻薬を売りに来たマフィアから麻薬を奪って逃げ去ったそうだ。
彼はそいつの仲間だと思われて、マフィアに目を付けられるハメに…

食堂でそっと脇腹にピストル付けられて、ハッタリかましながら店員にコッソリ「警察呼んで…」の騒動に。
まぁ、身の潔白も証明されたので、無事に帰国出来たワケで(笑)

その武勇伝をニコニコ話しているのを見て、イスタンブールでしんみりしていた奴と同一人物とは思えなかった…

そんな彼は、何かに目覚めたのか、教師になるのを目指していた。
(ホントに先生になったんだっけかな…忘れた

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ユーラシア大陸を陸路制覇した後も、ドイツや中国等に何回か行った。

でも、やはり「南欧とトルコへ、またのんびりと行きたい」という夢がある。
世界の秩序とオラの生活環境が当時とまるで異なっているので、果たしていつ行けることやら…

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来年からは、中国のシルクロードを夏に1ヶ月間ほど一人旅をした時の日記をスタートいたしますわん

その名も「我的長征 ~絲綢之路~ 2006」ッス

今回の旅で西安の「シルクロード起点の地」に立ったので、その先の「トルファン」と「カシュガル」を観に行った次第。
過酷な環境なので、1人でサックリとひこーきで出掛けたッス。
(海外に不慣れな同行者を気遣うゆとりは多分ナイと思ったので…

…予想通り、日々「灼熱」と「乾き」と「腹痛(激しい下痢)」と「ぼったくり」との戦いだった。(笑)

乞うご期待っ

ではまたぁ~~~~

(つづき「我的長征2006 予告編」はこちらーっ!)

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2015年11月12日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その91:シンガポール・街歩きと最後の晩餐~

前回「その90」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

日本帰国は明日(8月28日)だよん

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1996年8月27日(火):くもり

Singapole:シンガポール

今日は11時ころ起きる。

さぁ、今日はいよいよこの旅の海外での最終日だっ
明日の夜には、東京に戻っている予定。 

なので、しっかりと一日を過ごさねば…

…そうそう、この日ではないかもしれないけど、部屋のドアを開けて換気か荷物整理をしていた時だった。
ふとドアのほうを見ると、廊下からこちらに強い視線が…。 
その視線の主は、床にいた黒いアイツだった。

…デ、デカい。

日本のよりはるかにデカいそいつは、触角を動かしながらこちらの様子を伺っている。
オラもベッドに座ったまま、お互いにお見合い状態。

そして、ヤツがゆっくりとこっちに歩いて来ようとした。

オラが優しく「こっちに入っちゃダ~メ。あっちに行きなすぁい」と言って、左の方を指さした。
するとヤツ、歩みを止めて少し考えている…。
もう1回「だぁ~~~め。あっちだよ」と言うと、素直に指差している方向にテコテコ歩いて去って行った。

…か、賢い。

このフシギなやり取り、後になって笑いがこみあげて来た。
まるでワンコと話しているようだった。

さて、本題。

身支度をして、11:45ころにチェックアウトする。
荷物はCさんのオフィスに預けたままだ。
(夕方に取りに行く予定)

まずはお昼ご飯だ

とりあえず、通い慣れたブギスまで行こう。

ココで、今日歩き回る範囲の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9101
(1996年当時の地図を撮影)
この地図を見るのも、コレが最後だね。

…お宿
…ブギス
…ラッフルズプレイス駅
…マーライオン公園
…ビクトリアシアター
…シティホール
…シンガポール・クリケットクラブ
…マリーナ・スクウェア
…ラッフルズシティ(そごう)
…サマーセット駅(プラナカン・プレイス)
…オーチャード駅(Cさんのオフィス)

歩いてブギスまで行き、屋台村(ホーカース)で「雲呑麺(わんたんみん)」と「牛肉飯(んがうよっくふぁん)」を食べる。

雲呑麺」はこんなイメージ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9102
(2010年香港で撮影)
まいう~

コレは香港で撮ったモノだが、まぁ同じようなカンジ。

そして、「牛肉飯」もこんなカンジ。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9103
(2012年香港で撮影)
もっとまいう~

店によって具の内容や比率が異なるけど、まぁこんなイメージで

さぁ、最後の本格的ちうか料理(庶民版)を堪能した後は、「おみやげ探し」だっ 
もう他国へ移動しないので、金額&量的にどんだけ買ってもダイジョーヴ(笑)
(ビンボーだから、チョットしか買わナイけどね~

まずは、すぐそばのブギス村へ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9104
(1996年撮影)
う~~~~~ん…

改めていろいろ観たけど、今回のおみやげになるようなモノはナイなぁ~。

スーツケースを持っていないので、壊れやすいモノや大きなモノはNGなのよ
すでに欧州で買ったみやげも結構持っているのでね。

…仕方ナイ、次へ行こう。

Bugis(ブギス)」駅から地下鉄に乗って「Raffles Place(ラッフルズプレイス)」駅へ移動。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9105
(1996年撮影)
人が多い~~~~

昼休みの時間のせいか、平日のオフィス街なのに結構人が歩いている。

ココからテコテコ歩いて、「Merlion Park(マーライオン公園)」へ移動。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9106
(1996年撮影)
同じような所ばかり歩いているね

ココで、おみやげを物色する。
結局、バッグTシャツを買った。
(どんなモノを買ったかは、全く記憶に残っていない…

次へ進もう。

ココからはしばらく徒歩移動だ。
テコテコ歩いて、近接している観光スポット達を観て行くのだ

最初はコレ。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9107
(1996年撮影)
らっほーーーーーっ

シンガポールの創設者、「Sir Thomas Stamford Raffles(ラッフルズ卿)」の銅像だ。
後ろの建物は、ラッフルズ卿の側が「Victoria Theatre(ヴィクトリアシアター)」、側が「Victoria Memorial Hall(ヴィクトリアメモリアルホール)」となっている。
(建物は1つだよ)

お次は、目の前にある…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9108
(1996年撮影)
City Hall(シティーホール)」だ。

…何か、ゲームの「シムシティ」に登場するシティーホールそのものってカンジぃ~
シンガは、街の造りもシムシティっぽい。

道路を挟んだ対面には…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9109
(1996年撮影)
栗蹴ったーーーーーーーっ

ココは「Singapore Cricket Club(シンガポールクリケットクラブ)」という、1852年創設の由緒あるクリケット場とのこと。

ちなみに、後ろにある東京都庁とよく似たビルの下に、先日Cさんと歩いた「Boat Quay(ボートキー)」がある。
あの「おデブな鳥の銅像」は、まさにこのビルの足元だ

シティーホール前の道をテコテコ進んで、交差点をに曲がる。
そして、目の前にある「Marina Square(マリーナ・スクウェア)」というショッピングモールへ入る。

ココでも、おみやげ探しでテコテコ歩く。
でも、欲しいモノが無かった。

…やっぱ、食べ物だな★ 

さっきの交差点を挟んだ向こう側にある「Raffles City(ラッフルズシティ)」へと向かう。
ココには「そごう」デパートがあるのよん

先日と同じように、地下の食品売り場に行く。

ココでは、シンガポール名物の「Prawn Roll(香脆蝦巻:えび春巻き)」を買った。
空港でも売っているけど、こちらのほうが質は落ちるが格段に安い

この「えび春巻き」、カンタンに言えば「えびのすり身に味を付けたモノを、春巻き風に巻いて揚げたお菓子」だ。
大きさは、1本の長さが5cmくらいで、結構ちっこい。
ビール等のおつまみに最高の逸品だ

…さて、そろそろCさんのオフィスのほうへ向かおう。

City Hall(シティホール)」駅から地下鉄に乗り、「Somerset(サマーセット)」駅へ移動。

今日は全て1~2駅間くらいしか乗っていないなぁ~。
どれも短距離なので、余裕で歩いて行ける距離なんだけど、ず~っと歩いていると疲労が蓄積していくんだよねぇ…
…ってなワケで、地下鉄に乗れる区間は僅かでも利用している次第

駅の目の前にある「Peranakan Place(プラナカン・プレイス)」に立ち寄る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9110
(1996年撮影)
正面の低い建物から左に、レトロでおされな建物が並んでいるのだ

イメージ的には、昔の表参道(原宿)にあった「同潤会アパート」(現:表参道ヒルズ)や、神戸・元町辺りをイメージして頂ければと。
…いや、むしろ「テーマパーク内のショッピングエリア」のほうが近いかな 

ぐるっと観て、オーチャード通りを西に進む。
もうCさんのオフィスは間近だ。

そして、18時になったので、「Orchard(オーチャード)」駅のそばにあるCさんのオフィスを訪ねる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9111
(1996年撮影)
ただいまぁ~~~(笑)

5日ぶりにMyお荷物ちゃんと再会

荷物を受け取って、夕飯を食べに行く準備をする。

…あれ?今夜はどうすればイイんだ?

Cさんに聞いたら、この職場に日本人青年が働いているそうな。
なので、今夜はその人と一緒に食事に行って、そのまま彼の家に泊めてもらうという作戦になった。

…「泊まる」と言っても、明朝は4時に空港へ移動開始しないとイケナイので、「深夜まで部屋に居させてもらう」に近い

日本人青年のTさんと挨拶をする。
まさに「一期一会」に近い出会い(笑)

しゃぶしゃぶ食べに行こ~う」となり、3人でブギスの近くにあるホテルへ移動。
ホテルの上のほうにある、プールが付いたセレブなお店に入る。

…た、高そう

店内には、日本人のツアー観光客の姿が多い。

席に座って、まずは乾杯

いやぁ~、コレぞリアルな「最後の晩餐」だなや。(笑)

ガッツリ食べよう

しゃぶしゃぶ」とは言っているけど、正確には「シンガポール風しゃぶしゃぶ」で、その名を「スチームボート」と言う。
現在では、中華の「火鍋」と日本の「しゃぶしゃぶ」の中間版と言えばイメージしやすいかと。
(この当時は、「火鍋」は日本ではまだあまり知られていなかったからねぇ…

食べて、飲んで、ハナシをする。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9112
(1996年撮影)
Tさんも楽しそうだ

オラの今回の旅の話をしたら、2人とも「すごーーーいっ」の連発。

酒飲み話には事欠かないぞ、今のオラは。(笑)

Cさんとも記念撮影
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その91・シンガポール・街歩きと最後の晩餐-9113
(1996年撮影)
最終夜に相応しい、サイコーのおもてなしだ

す~~~っかり満足して、Tさんの家に向かうことに。
(今回もタダだったような…

Cさんとは、ブギスで「じゃ、またね~~」と、アッサリとバイバイキン

…まるで明日も会うかのようだ。(笑)

Tさんの家はすぐ近くにあった。

…てか、今朝まで泊まっいてたお宿のすぐそばぢゃねーか。

オフィスビル内の住居に、仲間と2人で住んでいるそうで。
(今で言う「ルームシェア」かな
今夜は仲間が不在らしいので、「気楽にしててね」と言われた。

シャワーを浴びて、本を読みながら、出発時間(朝4時)までリビングで時間を潰すことにした。
本は日本の雑誌だった。

うわぁ~~~~~っ超~久しぶりっ

…あ、明日からはいくらでも読めるのか。

いきなり電話が掛かって来た
Cさんからだ。

さっき、あっけなく別れたので、「元気でね~~」と電話して来たのだ。
ありがとね~~~」とお礼を言って電話を切る。
コレで、今回のCさんとの旅が終了した。

Tさんも「おやすみ~」と言って、自室に入って行った。

オラはこのまま朝出て行ってOKとのこと。
玄関のドアの鍵も、そのままでモウマンタイ(無問題)だそうだ

…さて、寝るか。

んぢゃ、おやすみぃ~

…って、今夜は寝ちゃダメだーーーーーーっ

つづき「その92」(最終回)はこちらーっ!

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2015年11月 9日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その90:クアラルンプールからシンガポールへ~

前回「その89」からのつづきーっ!
その1「香港」その10「広州」その20「ウルムチ」その30「北京」
その40「ウーメオ」その50「ミュンヘン」その60「セルベール」
その70「アテネ」その80「イスタンブール」その90「クアラルンプール」

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

日本帰国は8月28日だよん

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1996年8月25日(日):くもり 一時 雨

Kuala Lumpur:クアラルンプール

確か、朝だったか?
Pさんのオフィスで寝ていたら、突然若い男性が部屋に入って来た。
ビックリして起き上ると、向こうも少しビックリ

そして英語で一言、「Cさんの友達かい?」と聞いて来た。
そうだ」と答えると、「あぁ、ゴメンね。ゆっくり寝てて」と言って、手短に用事を済ませて出て行った。

この彼、当時はPさんの仕事仲間だと思っていたのだが、4年後の2000年にCさんの結婚式に呼ばれて来たら、新郎だった。 

何が何だか解らないが、再び寝る。(笑)

そして、12時ころ目覚めて起きあがる。
Cさんに電話をする。

しばらくするとお迎えが来て、Cさんの実家に行って昼食を食べる。
食後にフルーツを食べながら、少しおしゃべり。

わらび餅みたいな色をした丸いフルーツと、みたいな色をした台形っぽい形の種のデカいフルーツを食べた。

…どっちらもメチャメチャ甘い。

あと、カボチャと里芋の餡と、少し固い餅を重ねて油で揚げてあるスイーツもあった。
揚げ饅頭のようなカンジで、白い里芋餡の中にオレンジのカボチャ餡茶色い餅が層になって挟まっている。
(白・オレンジオレンジ・白の順)

コレも甘かった…。

…それにしても、この一族の話し声はとにかくデカイ。

中国語自体に「有気音(息を強く出す発音)」があるため、本人達は気付いていないけど声がデカくなってしまうのだ。
コレが「ちうごく人の会話は、怒ってケンカしているように聴こえて怖い」と言われるゆえんだ。

さて、次はおばさんの家へ戻るそうな。

タクシーで戻り、しばし休憩。
そしたら、今度はおばさんの母親の家に行くそうな
家は近くにあるとのこと。

お盆なので、おばさんも実家に帰るんだね

JさんやSくんも、おばあちゃんに会いたいだろうし…。

おばさんの母親の家で夕飯を食べる。
ココもおしゃべりがウルサイ。

…なんか、オラは親戚中に紹介されているような…

少しくつろいだ後、またおばさんの家に戻る。
ココでは、Cさん・おばさん・Jさんとハナシをする。

今日は女性だらけだなぁ~。

さて、そろそろシャワーを浴びて寝ますか。

シャワー」と言っても、浴室の一角に水を貯める四角い水槽があるだけ。
それを手桶ですくって頭からかける方式。
お湯はナイ。
夏の海水浴場の水シャワー(行水)」をイメージして頂ければ近いかと。

熱帯地域なので、水でもまぁダイジョーヴだが、冬季は少し寒いとのこと。
(Pさんの妹夫婦の家は、お湯が使えたので気持ち良かった

また今夜もSくんと添い寝だ(笑)

んぢゃ、おやすみぃ~~

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1996年8月26日(月):くもり のち 雨

Kuala Lumpur:クアラルンプール → Singapole:シンガポール

今日は11時ころ起きる。
…といっても、夜中にSくんが寝返り打って幅寄せして来たので、狭くて寝にくくて時々目覚めていたんだけど。

そして、Cさんと近くの屋台村に昼食を食べに行く。
マトンカレーにチキンを載せて、いんげんの細切れ炒めを付け合わせた一品。

チョト辛いが、結構美味い
自宅で作りたくなる味だ~~
(といっても、現在ではすっかり記憶に残っていない…

あと、メロンも食べて、家に戻る。

さぁ、今日はシンガポールに戻る日だっ

明後日は、ついに東京へ移動だ。

荷物をまとめて、挨拶をして出発

タクシー(マレー語では「Teksi」と言う)でKL駅まで移動。
列車の時間までは、買出しや写真を撮ったりすることに。

Cさんは風邪をひいたらしく、駅で大人しくしているとのこと。
そういえば、風邪薬を飲んでたっけなぁ…
鼻水とクシャミばっかりしている。

今から乗る列車の切符はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9001
(1996年当時のモノを撮影)
14:10発のシンガポール行きだ。

昼間なので、座席の車両だ。
シンガポールは20:08着。
ちなみに、料金はRM34(約1100円)。

列車番号は「1」。
つまり、マレー鉄道の最重要列車という意味であろう。
日本でも、かつての寝台特急「富士」「さくら」や「北斗星」などが「1列車」だった。

では、駅舎の写真を撮ろう。

駅舎の角まで歩いて行き、数枚撮影。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9002
(1996年撮影)
宮殿のような美しい駅舎は、ぜひ撮影しておかねば

近郊列車も来たので、しっかりと撮っておいたぞ

さて、ホームに戻ろう。
手前の4番線に列車が来るそうなので、ホーム上に立って待つことに。

ココでも記念に1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9003
(1996年撮影)
あまり「アジアの駅」という雰囲気がしないねぇ~。

屋根のカンジが、北欧デンマークのコペンハーゲン駅っぽくもある…。
(数ヶ月前のコペンハーゲン駅のおさしんはこちらをクリック

列車を待っていたら、おばちゃんに広東語で声を掛けられた。
シンガポールに行く列車はココでイイの」と。

そうですよ~我々もシンガポールに行くからモウマンタイ(無問題)」と2人で答えると…
ありがとう …あなた達、香港人」と聞かれた。

2人で「ううん」と首を振る。
…あっそう。」と、おばちゃんは手を振って笑顔で離れて行った。

我々は広東語をしゃべりはするが、日本人マレーシア人(華僑)だ。
残念だけど、英国(香港)人でもポルトガル(マカオ)人でも中国人でもナ~イ。

…グーゼンかどうか、香港は日本とマレーのちょうど中間だ。

しばらくして、14時に列車がやって来た。
出発は5分遅れて14:15になるとのこと。

…まぁ、マレーシアにしては遅れていないほうだ。
(長距離バス等はすごく遅れる)

列車はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9004
(1996年撮影)
コレは別の列車だけど、大体同じだ。

今回乗る列車も、韓国の「現代(ヒョンデ:ヒュンダイ)」製だ。

ちなみに、機関車はこんなイメージ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9005
(2000年撮影)
ゴツい…

コレはマラッカに置いてあった古めの展示車両だが、まぁ、似たようなモンだろう

余談だが、この機関車の製造銘板を観たら…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9006
(2000年撮影)
日本製ぢゃん

銘板には「KISHA SEIZO KAISHA OSAKA JAPAN 1965」と書いてあった。

コレは、1972年まで大阪にあった「汽車製造(汽車会社)」のこと。
1972年に合併されて、現在は「川崎重工」になっている。

さぁ、列車に乗り込もう

我々の席は、F号車の3A・3B番だ。
この車両は、座席は全て中央を向いている「集団見合い式」という配置だ。

座席番号は、シンガポール側から1A・2A~の順になっている。
なので、我々はずっと後ろ向きのままシンガポールまで引っ張られることになる。

後ろ向きであの線路の揺れ…
乗り物に弱い人には耐えられナイかも。
(2015年の現在では、さすがに設備がグレードアップされていると思うが)

14:15、列車は発車した。

列車は揺れながら、熱帯の森の中を進む。
さすが熱帯、森の「濃さ」が違う…

…あ、雨が降って来た。

この先、ずっと雨かなぁ~。
傘持ってナイんだよなぁ…

景色も単調になり、雨で外も見えにくくなった。

…そっか、行きの寝台列車はこんな森の中を走っていたんだねぇ~。

どおりで外が真っ暗(真っ黒)だったワケだ。(笑)
しばらくはまったりと過ごそう。
Cさんは薬飲んで寝ているしぃ~。

乗った車両の、客室とデッキの間の仕切り扉(自動ドア)が壊れていて、開いたり閉じたりばかりしていて落ち着かナイ…
しかも、前の席のお子ちゃまがウルサイ。
この車両にはキッズが多いなぁ…。

そして、日も暮れる19時半過ぎに、マレーシア最南端の「Johor Bahru(ジョホールバル)」駅に到着。
ココで、マレーシアの出国審査が行われる。

出国審査は、係員が座席に出国カードを受け取りに来てパスポートにサインをするだけの、超~カンタンなもの

コレは欧州並みで楽だねぇ~~~

しばらくして、全員の出国審査を済ませた列車は発車した。

…あ、マレーシアでほとんどお金を使わなかった。

食事・宿泊・移動代は全てタダだったのでね
自分で払ったのは、1人行動中の夕飯くらいか

Cさん一族に、非常感謝(^入^)

コーズウェイ」の長い橋を渡って、シンガポールに入る。
ココからは、あと数十分で終点に到着だ。

橋を渡り始めたら、Cさんが「今のうちに先頭に行かないと、入国審査の列がスゴイよっ」と慌て出した。
周りの人達も先頭へ移動し始めている。
なので、荷物を持って、先頭車両へ移動して行くと…

…うわぁもう人でいっぱいだ

車両の通路にズラ~~~っと並んでいる。
その列は、どんどん後ろに伸びて行く。

(シンガの街並み)を観る」なんて~ことはもう不可能なので、車内に書いてある注意書きなどをCさんと読んで盛り上がる。
マレー語の「ありがとう」という意味の「Terima kasih(テリマ・カシ)」は、この時に覚えた(笑)

Cさんが「マレーシアとインドネシアでは、微妙に発音が違うネ~~」と、違いを喋ってくれた。
我々がしきりに「てりまかし~~」と読んでいたので、周りにいたマレー人達が不思議そうな表情をしてこちらを見ていた。(笑)

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余談だが、東京の電車内で後ろにいた黒人のお兄さんが、横にいた友達に日本語の「すみません」を説明するために連呼していた時は、コレを思い出して笑いそうになった。
その途中で、彼の足がオラにぶつかった。
そしたら、その彼が「Sorry」とオラに言って来た。

…おいおい、ココでこそ「すみません」でしょが(笑)

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さて、列車はシンガポール駅に到着した。
列車のドアが開く。

各馬、一斉にスターーーーーートっ

ホームの中ほどにある、入国審査用のブースへダッシュ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9007
(1996年撮影)
遅れれば遅れるほど、入国完了までに待たされる時間が飛躍的に増えるそうな。

Cさんと一緒に走り、Cさんはマレーシア・シンガポール国籍用、オラは外国人用のゲートへ別れて並ぶ。
オラは3番乗りだったので、すぐに順番が回って来て、パスポートにスタンプを押されて手早く手続きが完了した。
列の中ほどにいたCさんより早かっただろうと思って前へ進むと、なんと目の前に「遅いよ~」と言っているCさんの姿が…

…は、早ぇ。

ハナシを聞くと、マレーシア人とシンガポール人には、パスポートにスタンプも押さナイそうだ。
…どおりで早いワケだ。

とにかく、シンガへの入国は済んだので、後はフリーだ
駅舎の中で写真を撮り、ココで解散。

Cさんは、風邪もひいているのでタクシーで帰るそうな。
オラは地下鉄の「Tanjong Pagar(タンジョン・パガー)」駅まで歩いて戻ろう。
お宿は再び「LEE BOADING HOUSE(リー・ボーディングハウス)」にする予定。

雨が降っているので、足早に歩く。
ビルの軒下で雨をよけながら、地下鉄駅に到着。

そして、「Dhoby Ghaut(ドビーゴート)」駅で下車し、ベンクーレン通りを歩いてお宿に到着。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その90・クアラルンプールからシンガポールへ-9008
(1996年撮影)
今度は入口も解っているので、余裕だぞ

7階のフロントに行って空き部屋を尋ねると、フロントのお兄さんがオラを覚えていてくれて、すぐにチェックインが済んだ。
今夜のお部屋は、7階の3号室だ。(今回は1泊のみ)

疲れたので、シャワー浴びますか

共同シャワールーム(兼トイレ)に行き、頭を洗う。
数日ぶりのお湯だぁ~~~

気持ちイイ~~~

気持ち良く頭を洗って目を開けると、視界が無かった。

…あれオラ死んぢゃったの

落ち着いてそのまま立っていると、外でざわざわ喋っている声が聞こえた。
そして、ほどなく明るくなった。

…あぁ、オラ、死んでなかった(笑)

どうやら、停電したらしい。
誰かがブレーカーを飛ばしたのだろう。
窓がナイので、完全に暗黒の世界だった…

ちなみに、東南アジアの安宿のシャワーは、電気温水器が多い。
なので、ずっと使っているとタンクが空になって水になっちゃうし、停電するとお湯が冷めて行く。

…といっても、海外の電気は200V~240Vが多いので、水を沸かすのはヒジョーに早い。(日本は100V
ホテルの部屋にある電気ポットの仕事の早さに、ビックリした経験を持つ方も多いのでは

サッパリしたので、部屋に戻る。
やっぱ、お湯はイイねぇ~

そうそう、日記を書いておこう。
今日は書くことが多いからね

さて、明日はどうしよう…
明日はシンガポール最終日だ。

…つまり、「この旅の海外最終日」ということだ

ついにこの旅も終わるのかぁ…。

明日はちゃんと外に出て行動しよう

んぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その91」はこちらーっ!

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2015年11月 5日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その89:クアラルンプール・街歩き~

前回「その88」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

日本帰国は8月28日残り5日間っ

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1996年8月24日(土):晴れ ときどき 雨

Kuala Lumpur:クアラルンプール

今日は11時頃目覚める。

…あれ誰もいない。

家の中がシーンとしている。
お手伝いさんもいない。

…おいおい、初めて来た外国人を1人置いたまま、みんなで出掛けるなよ。(笑)

とりあえず起きて、身支度を整える。
ボケ~~っと待つこと1時間、全員がぞろぞろと帰って来た。 

…さらに人が増えているぞ。

いとこが2人増えているようだ。
親戚多いなぁ~~。

急に賑やかになった家の中で、みんなでお昼ご飯を食べる。
Cさんと2人でクアラルンプール(KL)の中心地まで行くので、急いで食べた。

そして外出。
Cさんとバスに乗ってKLまで行く。
バスは「BUS MINI」という名前のミニバスで、車体は全てぷりち~なピンク色になっている。

ミニバスなので、車内は混んでいる。
しかも、音楽がガンガンかかっているので、落ち着かない…
(まるでインドやパキスタンのバスのようだ)

しばらく乗っていると、KLの中心地(駅の辺り)に着いた。

Cさんはお母さんの墓参りに行くとのこと。
(…あれ午前中にみんなで行って来たんぢゃなかったのか…

18時にCさんに電話する」という約束をして、フリータイム。

初めての1人マレーシア

…さて、どこに行こう

地図を見ながら、いろいろ考える。
Cさんに「ココを観に行くとイイよ」と言われた場所をチェック。

ナゼかKLの地図が手元に残っていないので、現在の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8901
(2015年のグーグルマップより)
当時とだいぶ違っているかもしれないけど、勘弁してちょ

…クアラルンプール駅
…セントラルマーケット
…ペタリング通り(露店マーケット)
…スリ・マハ・マリアムマン(インド寺院)

まずは、「Central Market(セントラルマーケット)」へ行こう

KL駅からほんの少し北に歩いた所にあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8902
(1996年撮影)
人が多いねぇ~~~~

久々の大人数にチョットわくわく
イスタンブールの「グランバザール」以来だ

中に入ってみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8903
(1996年撮影)
スゲぇーーーーーーーーーっ

店舗と国旗の数が半端ナイ。(笑)

…何でこんなに国旗が掲げられているんだ
首都の代表的な観光スポットだからかな

特に買うモノもナイので、ぶらぶらと眺めながら歩く。

…そうだ、まだマレーシアのお金を一銭も使っていない。

マレーのお金の単位は「リンギット(RM)」と言う。
US$1=RM2.43だった。
日本円だと、RM1=33円くらいかな

一応、ご飯くらいは食べるだろうし、少しだけ両替しておいた。

さて、次を観よう

街の中を歩く。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8904
(1996年撮影)
このゴチャゴチャしたカンジがイイ

正面と左に見えるピンク色の車が、「バスミニ」だ

Jalan Petaring(ペタリング通り)」という路地に入った。
ここは露天マーケット等が多い、下町っぽいフンイキ。

このエリアはこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8905
(1996年撮影)
わくわくするねぇ~~~~~~ぃ

なんか、インドに迷い込んだみたい
イイなぁ~、この猥雑感。

…でも、スリにはご注意を

そうそう、道路名のアタマの「Jalan(ジャラン)」は「通り」の意味で、あちこちの道の名前に付いている。
日本の旅行雑誌「じゃらん」は、この「Jalan」から名付けられているのだ

…ちなみに、「Jalan-jalan」と2個つなげると、「お散歩する」や「旅行する」の意味にもなるそうな。

では、オラも「ジャラン・ペタリング」で「ぢゃらんぢゃらん」するかな

商店街は結構長く、かなり楽しめる。
ただ、車も入って来るので、ボーッと歩くのは危険だ。 

人が多いなぁ~と思っていたら、今日が「土曜日」だったことに気が付いた

…どーりで。
(もう曜日感覚がナイ…

ぐるぐる歩き回って、またセントラルマーケットに戻って来た。
歩き疲れたので、外の座れる場所で休むことにした。

ぽつねんと座っていると、マレー人男女2人組に声を掛けられた。

2人は兄妹言っているが、ホントがどうか判らない…。
何か怪しいので、警戒してハナシを聞く。
オラの正面左側に兄がいて、立ったまま話し掛けて来る。
そしたら、妹がに座って来た。

…明らかに、右に置いてあるオラのバッグ狙いだろう。

すぐにバッグに手を載せて、荷物を引き寄せる。
話しを聞いていると、どうやらホテルの宿泊の勧誘らしい。
だが、必要ナイので、短めにかわした。

…怪しさタップリの2人組だったなぁ~。

もしコレがボ~ッとしている日本人の女子だったら、カンタンに荷物をすられたか、どこかに連れられて行ってしまっただろう。
当時の日本人は「平和ボケ&海外慣れしていない」人が多かったので、目を付けられやすかったのだ。
外見ですぐに日本人って判ったしねぇ~。

…でも、オラはそうはいかないよ

…あ、雨が降って来た。

マーケットの中に避難だっ
雨が止むまで中で「ぢゃらんぢゃらん」していよう…。

少ししたら雨が止んだので、次の目的地へ。
再びにテコテコ歩く。

ほどなくたどり着いた。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8906
(1996年撮影)
デカぁーーーーーーーーーい

Sri Maha Mariamman(スリ・マハ・マリアムマン)」という、インドのヒンドゥー教の寺院だ。

入口(この塔の下ね)はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8907
(1996年撮影)
大勢のインド人が出入りしている。

さすがに、異教徒のオラが勝手に入ってイイものか…と思ったため、入口を眺めるだけにした。

…あ、また雨だ

すぐ近くにデパート(大きいスーパー)があったので、そこへ避難
5階にフードコート(カフェテリア)らしきモノがあるようなので、行ってみよ~う

テーブルとイスがあったので、そこに座って休憩
今日の日記はココで書こう

まったりしていたら18時近くになって来たので、Cさんに電話することに。
バスターミナルに移動して、Cさんに電話を掛けるも、Cさん不在…。

しばしデパートで時間を潰していると、外は大雨

あららららら…

再びCさんに電話すると、今度はOK♪
20時半に、セントラルマーケットの前で待ち合わせすることに。

ペタリング通りのマーケット(夜市)や、通りの入口にあるショッピングセンターを覗いて時間潰し。
お腹が空いたので、センターの最上階にあるお店で夕飯(炒飯RM3.5)を食べる。

炒飯なんて久しぶりだ…

外はすっかり夜の光景に…。

ちなみに、KLの夜の景色はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8908
(2000年撮影)
しゃれおつぅ~~~~

コレは2000年に撮ったモノだが、このようなおされスポットが急速に増えつつある状況だ

セントラルマーケットに移動しよう。
テコテコ歩き出す。

この時点では全く気付いていなかったのだが、あちこちにある露店で、みんながお茶を飲むことが多いそうで。
後にCさんが教えてくれたんだけど、このお茶はミルクティーだそうな。
インドで言う「チャイ」みたいなモノ。

その熱いミルクティーを、飲みやすいように冷ましてくれるサービス…と言うかパフォーマンスがある。
Cさん曰く「コレがマレーシア名物よ~」とのこと。

そのパフォーマンスとはコレだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8909
(2000年撮影)
タリック、タリック、タリックぅーーーーっ

Tea Tarik(テ・タリック)」と言って、2つの容器(コップ)を両手に持ち、交互に上から落として移し替えていくのだ。
」は「お茶」、「タリック」は「引っ張る」という意味。

こうすることによって、お茶の温度も下がり、ミルクティーも撹拌されてまろやかな味になるというダブル効果がある

観光用みやげの絵葉書にもあった。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8910
(2000年当時の絵葉書を撮影)
…コレって、何気に技術要るよねぇ~。

皆さんも、マレーシア人に会ったら聞いてみてねぇ~

さて、ハナシを戻そう。

マーケットの前で、無事にCさんと合流。
Pさんの運転する車で来たそうな。
美女のPさんとは、オラも日本で名前はよく聞いていたし、1回くらいは会ったことがあると思うので、全く知らない間柄ではナイ。

Cさんは、夜遅くまでオラを1人KLに放置しておいたので、親戚達にかなり叱られたようだ。
初めて来た外国人、しかも自分の友達を、物騒な街中に夜まで放っておくとは何事だっ」的な。
目をうるうるさせながら、「ごめんねぇーーーーっ」と謝りまくり。

…まぁ、こちらは気ままな男子一人旅なので、特に怖い目に遭ったりはしていなかったが。

親戚達の気遣いに、感謝、感謝

今からは、Pさんの妹夫婦の家に行くそうな。
車の中で色々なハナシをしながら、KLの夜景を眺める。

コレは2000年に撮ったモノだけど、多分この時もあったのでは…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8911
(2000年撮影)
巨大なマレーシア国旗

KLは政府の施設も多いので、こういったモノもあるのだろう…。

お次はコレ。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8912
(2000年当時の絵葉書を撮影)
巨大なツインビルだ

コレは「Menara Berkembar Petronas(ペトロナスツインタワー)」と言って、この当時では「世界一の高さになる」とみんな興奮して語っていた。

高さ452mで、88階建てだって
完成は1998年なので、あと2年後だ。(上の写真は完成後の姿)

話しを聞くと、このビルは左右(タワー1とタワー2)で施工する会社(国)が違うんだって。
しかも、タワー1は日本の「ハザマ(間組)」が造っているとのこと。
日本の技術ってスゴいよね~~」とみんなに言われた。

タワー2は、韓国の「サムソン(サムスン)物産」が担当。
技術がナイのに、日本を意識して無理して受注したせいで、完成後にビルが僅かに傾いていることが判明。
現在でも、タワー2にはテナントがあまり入っていないそうな。

道を走っていると、あちこちでライトアップや電飾れている建物が多いのに気付いた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8913
(1996年撮影)
来週の8月31日が「独立記念日」だそうで。

どうりでイルミネーションが多いワケだ
…あ、だからショッピングセンターも国旗だらけだったのかな

車はPさんの妹夫婦の家に着いた。
ここでシャワーを浴び、リビングで映画を見る。
(一瞬だが、途中でPさんがバスタオル1枚で現れた時はビックリしたっ

この後「みんなでカラオケに行く」という予定だったのが、中止になってしまった。
理由は不明。
誰かの明日の仕事の都合かもしれない…

…ってなワケで、解散となり、オラは今夜の寝床へ案内されることに。

車でPさんのオフィスに連れて行かれる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8914
(1996年撮影)
今夜のお宿はココだって(笑)

オフィスの片隅に、深夜作業の寝泊り用と思われる2段ベッドが置いてあり、「ココの下段を使え」とのこと。
殺風景だが、清潔で広い部屋を1人で過ごせるので気楽だ
しかもタダなので、シンガポールの安宿に比べたら天国だ
コレは良い~

することがナイので、さっさと寝ますか。

んぢゃ、おやすみぃ~~

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 おまけ 

2000年にマレーシアへ再訪した時に、Cさんの友人達と写真を撮った。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その89・クアラルンプール・街歩き-8915
(2000年撮影)
マラッカでの一コマ。

ココに、マレーシア人・シンガポール人・香港人・日本人が写っている。

さて、誰が何人か…な?(笑)

ヒント:国籍は4種類だが、民族は2種類しかいない。

つづき「その90」はこちらーっ!

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2015年11月 2日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その88:クアラルンプール・お盆の墓参り~

前回「その87」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

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1996年8月23日(金):晴れ

→ Kuala Lumpur:クアラルンプール

昨夜22時半シンガポールを出発した夜行寝台列車は、真っ暗な森の中を進む。
周囲は、ソテツなのかパイナップルなのかの木がたくさんだ

さて、どこを移動しているかというと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8801
(2015年のグーグルマップより)
マレー半島の先っぽよん

…シンガポール駅
…クアラルンプール駅

両点を結ぶオレンジ色の太い線(幹線道路)と似たようなルートを通っている。

線路の状態はお世辞にも良いとは言えず、高速でもナイのにかなり上下左右に揺れた。
車両の台車が空気バネなのに、これでは全く効果が発揮出来ていない…
(逆に、古いコイルバネ台車の車両はもっと揺れているんだろうなぁ~

…ってなワケで、当然「快眠」も出来るハズがなく、ベッドでうにょうにょ転がりまくっていた。

そして朝6時
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8802
(1996年撮影)
しうてぇ~~~~~ん

列車は終点の「Kuala Lumpur(クアラルンプール)」(以下「KL」)駅に着いた。

寝不足なので、朝日が目に痛い…

さて、ココからまた列車に乗って移動するそうな。
でも、ほんの数駅とのこと。

まずは、親戚のおばさんの家に行くんだって~。

切符を買おうとお札を手にしたら、券売機に「ただ今、お札は使えません」との表示が…
仕方ナイので、駅舎内のハンバーガーショップに行き、小銭に崩すがてらに朝食を摂る。

ちなみに、KL駅の外観はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8803
(1996年撮影)
豪華やのぉ~~~~~

駅っぽくないね…

側面(…というか正面)はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8804
(1996年撮影)
モスク王宮のようなデザインだ

駅の規模は大きくなく、駅舎は見えている範囲でほとんどだ。
ホームが3つで線路が4本。
首都の中心駅としては、かなり小さい方だ。

さて、近郊列車の切符を買おう。
Cさんの小銭で2人分の切符を買う。

今から行く場所はココらしい。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8805
(2015年のグーグルマップより)
KLの隣町」くらいのカンジ~。

…クアラルンプール駅
…スリ・セティア駅

この「Seri Setia(スリ・セティア)」駅まで距離はおよそ14Km
KL駅から「ポートクラン支線」で6つ目ほど。

ちなみに、この地域「Petaling Jaya(ペタリングジャヤ)」は「PJ」と呼ばれている。
Jaya」は「勝利・栄光」の意味で、KL周辺の町名のオシリによく付いている。
…「茶屋」ではナイぞ。

東京の「三軒茶屋(さんげんぢゃや:Sangen Jaya)」は、マレー人にとっては馴染みやすい町名だろう。(笑)

今から乗る列車はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8806
(1996年撮影)
近代的だねぇ~~

想像以上に今ドキだったので、ちょっとビックリ
マレーシアは急速に近代化が進んでいるので、2~3年経つとかなり変わってしまうそうだ。
この電車も、去年(1995年)に走り始めたそうで、それによって途中駅も増えたんだって。

シンガポールからマレーシアに帰って来る度に街の景色や乗り物が変わっていて、地元なのにもうワカラナイヨ~」と、Cさんは叫んでいた。(笑)

近郊列車用の乗り場(真ん中のホームの奥)から電車に乗る。
乗る時間は10分ほどだそうだ。

電車が発車した。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8807
(1996年撮影)
快適ぃ~~~~~~

列車は3両編成。
今ドキの「VVVFインバータ制御」で、デッキ付きの客室ということもあって、かなり静かで快適
線路の状態も良いので、さっきまで乗っていた寝台列車とは大違いだ

ほどなく、スリ・セティア駅に到着。
駅の造りは対向式ホームで、日本の一般的な近郊駅とほとんど同じ。

…何か日本に帰って来たみたい(笑)

駅舎を出て、目の前の道路でバスかタクシーに乗ることに。

バス停は目の前なのだが…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8808
(1996年撮影)
…わ、渡れなひ。

歩道と車道の間にバイク専用レーンがあって、平日朝の通勤ラッシュと重なったために全く横断することが出来ナイのだ
数分待てどもバイクは途切れず…。
しかも、みんなオートレース並みに高速で通過して行くので、走って横断もムリ。
(車優先社会なのだ)

しばらくして、僅かに出来た瞬間を狙って横断成功
たかが数メートル進むのに何分掛かってんだよ…

だが、今度はバスが来ない

車道も渋滞しているのだ。

この渋滞解消のために近郊列車が誕生したのだが…
更なる解消のために、近郊列車線をたくさん造っているそうな。
1998年に開通予定なんだって。

やっと来たタクシーを何とか捕まえて乗り込む。

…あぁ、やれやれ。

そして、やっとおばさんの家にたどり着いた。 
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ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8809
(1996年撮影)
イイ家ぢゃぁぁぁぁぁーーーーーん

…何だよ、日本のオラの家よりも、ぜ~~んぜん豪華ぢゃん

全く想像外の家だったので、これまたビックリ

この家は、ニュータウンの中に建っている。
大きな家だが、ハナシを聞くと「2軒で1棟になっている」そうで。
よく観ると、建物の中心線でフェンスや壁によって完全に仕切られている。

これがKLでは一般的な造りとのこと。
治安はイマイチなので、家によっては窓に格子を取り付けている。

ココでCさんの親戚一同に挨拶をする。
日本から来た客」ということで、あちらさんも少し緊張している。
オラも、(1人で訪れる)外国の一般家庭は初めてだったので、少し緊張。

…えっ言葉の問題は」って

Cさんが日本語を喋れる以外は、みなさん広東語・北京語・英語・マレー語を話すのみ。
マレーシアやインドネシアでは、華僑の皆さんはコレくらいは話すことが出来る。
(すべて実生活で必要なので)

オラは、日本語(プロ級)・広東語(たしなむ程度)北京語(かする程度)・英語(中学1~2年レベル)で対応。
Cさん一族は広東語がネイティブなので、まぁ何とか意思疎通は出来そうだ。
でも、広東語も英語も「マレーシア訛り」があるので、慣れるまでは気疲れしたが…

とりあえず、寝不足だったので寝かせてもらうことに。

シャワーを浴びて、昼寝をする。
その間、Cさんは親戚とおしゃべりタイム

お昼になったので起こされた。

目の前にはお昼ご飯が 
一般家庭のご飯なので、近くのお店で買って来たモノがそのまま出て来る。

こういうのイイねぇ~~~

美味しく頂いたら、Cさんが「今からおばあちゃんのお墓参りに行くよ~」と一言。
Cさんと2人でお墓参りに行くことに。

…何だよ、今回のマレー旅行って「お盆の帰省にくっついて来た」って~ことぢゃん

人生初マレーシアの、初観光スポットが「お墓」って…

…キライぢゃなくってよ、こういうの(笑)

タクシーを拾って、丘のほうへ登って行く。
Cさんが運転士さんに道順を説明しているのだが、オラとは日本語、運転士さんとはマレー語で話しているので、アタマの中がこんがらがっちゃうようだ。
(Cさんのネイティブは広東語なので、全て文法(語系)が違うのだ)

あの車がいる場所で右に曲がって」と説明している時に、「車」だけ日本語で「くるま」と言ってしまい、車内の3人で大笑い。
マレー人・中国人(華僑)・日本人と、何とも国際的な車内だ

ほどなく、お寺が見えた。
下車して境内に入り、円形のお堂の中に進む。

お堂の中は壁面にびっしりと遺影遺骨が納められている。
最近の日本もこんなカンジのお墓が増えて来たよね~。

そして、その中から1人の写真の前に立ち、「うちのおばぁ~ちゃん」とCさんがニッコリ。
どうも、初めまして~」と、ご挨拶(笑)

仏教のお寺なので、様式や作法などは日本とあまり変わらナイ。
強いて言えば、色彩が派手めなくらいか。
(日本の寺院も、建立当時は極彩色というのが多かったのだ)

別のお寺だが、クアラルンプール近郊のお寺は、こんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8810
(2000年撮影)
マレーのお寺は、華僑が多いので中国風の様式だ。

マレー人はイスラム教徒なので、タイ・ミャンマー風の寺院の様式は伝わって来なかったのだろうか…
後ろでは、高層ビルがニョキニョキ生えている真っ最中だ

お参りを済ませ、再びタクシーで移動。
今度はCさんの実家に行くそうだ。
多分、KLの市内に戻っていると思われる、緑に囲まれたニュータウンっぽい場所で下車。

これがCさんの実家だそうな。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8811
(2000年撮影)
やはり建物の半分で別世帯になっている。

一軒家と集合住宅の中間のようなこのスタイル、日本人からすると不思議だが、意外と気にならナイ。
上下と片側の隣人がいないから、マンションよりは気楽だしね~

マレーシアの新興住宅地は、こんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8812
(2000年撮影)
日本よりも格段に良い

これだけ緑に囲まれているのって、何て豪華なのだろう…

この写真の場所は「ランカウイ島」と言うリゾート地だけど、KLの住宅地も、もう少し緑が少ないくらいで似ているね。

家の目の前の道は、こんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8813
(2000年撮影)
イイねぇ~~~~~

もう一度言う。
地方都市ではナイ、首都「クアラルンプール」だぞ
東京で言えば、山手線から10Km位(練馬・杉並・世田谷)の位置か。

こんな街に住みたい~~~

さて、家の中でまたもや挨拶。
確か、親戚がいたっけかなぁ…(詳細な記憶が残っていない…

そうそう、この国には「お手伝いさん」(女性)がたくさんいて、華僑の家には大抵いる。
お手伝いさんは、外国からの出稼ぎか、地方から来たマレー人がほとんどだ。
香港にも、フィリピン人のお手伝いさんが大量にいる。

しばし休憩していたら、Cさんが「こんどはお母さんのお墓参りに行くよ~」と言って来た。

準備をして、みんなで車で出掛ける。

…も、お寺が閉まっていた。

みんなで話をした結果、明日の朝に来ることにして、さっきの親戚の家に戻ることに…。

家に戻り、夕食&洗濯&シャワーを浴び、Cさんのいとこ達とCさんの写真を観ながらおしゃべり。

ちなみに、家の中はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8814
(1996年撮影)
結構お金持ちの家庭だぞ 

Cさん曰く、「アナタも日本の家を売ってこっちに来たら大金持ちよ~」とのこと。
土地代が安いから、上物(うわもの)にお金を掛けられるんだって

Cさんと記念撮影もした。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8815
(1996年撮影)
こちらの家は、床が木ではなくが多いので、ピッカピカに光っている

南国なので、石のほうがヒンヤリして気持ちイイのだろう

いとこ達とも記念撮影。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8816
(1996年撮影)
おぉ、いぇい

Cさん・オラ・Jさん(姉)・Sくん(弟)だ。
Jさんは女子大生で、かなりカワイイ
もし渋谷や神戸などの街に立っていたら、フツーに日本語で話し掛けられるくらい、日本人のような顔立ちだ。

みんな、歳も大きくは離れていない。
(ちなみに、最年長はCさんだ。

おしゃべりしていたら小腹が空いて来たので、Cさん・Sくんと3人で近くのお店に食べに行くことに…。
Jさんは「乙女」なので、夜食は太るから食べナイそうだ。(笑) 

お店は、建物と歩道の間にテーブルを出している所がほとんどで、開放感タップリ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8817
(2000年マラッカで撮影)
こんなカンジの建物が多い。

チョットした屋台気分に浸れる

Cさんが「ココに来たらコレを食べてみてぇ~」と言うので、「福建麺(ふぉっきんみん)」というモノを注文した。

福建麺は、カンタンに言ってしまえば、日本の「焼きうどん」に近い。
日本の太いうどんと、イカ・エビ・豚肉・チンゲン菜等を入れて炒め、オイスターソースや甜麺醤等で味付けしたモノ。
色はかなり黒っぽいが、食べてみると意外なほど薄味
(甘味少々、しょっぱみ僅か)

…これ、うんめぇぇぇぇぇ~~~~っ

すっかり気に入ってしまったぞ

中国・福建省の家庭料理っぽいので、店によって具や味付けは異なるようだ。
(さすがにコレは、日本ではお目に掛かれないなぁ…)

東南アジアの料理って、美味しいなぁ~

かなり満足して家に戻った。

…さ、外も真っ暗だし、寝ますかのぉ~。

オラは、今夜はSくんと一緒に寝ることになった。
CさんはJさんと。
(…う、羨ましい(笑))

S君の部屋に行く。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その88・クアラルンプール・お盆の墓参り-8818
(1996年撮影)
男2人でセミダブルベッドかよぉぉぉぉぉーーーーっ(笑)

…まぁ、タダで泊めてくれるんだ、仕方ナイ。
(しかも全てタダ飯だったしぃ~)

…んぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その89」はこちらーっ!

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2015年10月 1日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その87:シンガポール・街歩きと夜行列車~

前回「その86」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

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1996年8月22日(木):晴れ ときどき くもり

Singapore:シンガポール →

今日は10時半に起きて支度をする。

今夜から26日まで、マレーシアのクアラルンプール(以下「KL」)へプチ旅行に行くのだ
…「プチ」といっても、パスポートの要る国際旅行だが。

11:45頃、お宿をチェックアウト。
シンガポールに戻って来たら、またココに泊まるつもりだけど~

地下鉄に乗って「オーチャード」駅で降りる。
Cさんのオフィスに行き、KL旅行に必要ナイ荷物を預かってもらう。

その間にCさんが「あたしが働いているところを撮ってよ」と言うので、1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8701
(1996年撮影)
普段は受付にいないのだが、社名の入ったカンバンがあるからね

ニコニコしながら「頭良さそうに見えるでしょ~」だって。(笑)
(このお方は、マレー語・英語・広東語・北京語・日本語の5つが喋れるのだ

これで、リュック1個の身軽なカラダになった。

とりあえず、昼食を一緒に食べに行くことに。
(Cさんはまだ仕事中なので)

昼食を食べながら、今夜の駅での待ち合わせ時間を22時と決める。
列車は22:30発だ。
マレー鉄道の駅は、街の地下鉄駅から歩いて数分の所にあるので、それほど慌てる必要はナイ。

昼食後、バイバイキンして自由行動に。
昨日は天気が良くなくて途中で市内観光を止めてしまったので、今日はそのつづきだ

…ってなワケで、昨日行けなかったブギスの「リトルインディア」に行ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8702
(1996年撮影)
インドだよねぇ~~~

エリアは狭いが、中身は濃厚だ

アップで1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8703
(1996年撮影)
もうインドに行かなくてもイイかもぉ~(笑)

本物のインドは、行くのに「一大決心」と「屈強な体力と精神力と胃腸力」が必要なので、ココでイイや。

リトルインディアの周辺はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8704
(1996年撮影)
カラフルぅ~~~~~

左右の道がメインストリート「Serangoon Road(セラングーン通り)」で、その両側の細い路地にお店がいっぱいある。

ちなみに、今立っている場所は「Buffalo Road(バッファロー通り)」の入口。

正面に見える横道「Campbell Lane(キャンベル横丁)」の入口に立つ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8705
(1996年撮影)
建物等の景色は中国風だが、街の香りはまさにインド

香辛料の香りがプンプンだ

余談だが、この周辺は2015年の今でもあまり変わっていないようだ
(グーグルストリートビューを観て、ついニヤけてしまった…

さて、次に行こう。

…と、その前に。

日本へ帰るための、成田までの飛行機を予約しに行かねば

ブギス」駅から地下鉄に乗って、2つ目の「ラッフルズプレイス」駅で降りる。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8706
(1996年撮影)
大都会ぃぃぃぃぃ~~~~~

先日にユナイテッド航空のカウンターを下調べしておいたから、移動は楽勝ッス

カウンターで、1年オープンで買った「シンガポール→成田」の航空券を見せ、予約をしてもらう。
8月28日(水)7:30発の「UA890」便の予約が取れた。

思っていたよりも直近の日の便が取れたのでビックリ
(2週間後くらいまでは覚悟していたので…)

コレでもう自宅までの足は確保出来たので、移動に関してはなぁ~~~んの心配もナ~イ

残りのマレーシアとシンガポールを楽しもう

先日Cさんと歩いたお洒落スポットを、明るい時に観てみようと再び行ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8707
(1996年撮影)
ボートキー」の、本来のお姿だ

夜と昼では、やっぱ雰囲気がかなり違うね~。
ボートキー」と「クラークキー」の両方を歩く。

そんな中、川沿いにステキなお方がいた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8708
(1996年撮影)
…た、たくましい

ぷりちーなのに、この安定感

この鳥の銅像(彫刻)は有名らしく、みんな写真を撮っている。
作者は「Fernando Botero(フェルナンド・ボテロ)」と言い、コロンビアの巨匠だそうで。
作品名は「Bird(鳥)」。

余談だが、この右に見える白いビルは、東京都庁によく似たデザインだ。
このビルも、日本のあの巨匠がデザインしたらしい。
(外観は、この数回後の日記に出て来るよん)

では、次の目的地へ。

ココで地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8709
(1996年当時の地図を撮影)
シンガポールの半分くらいの範囲だ。

…ブギス駅
…オーチャード駅
…ラッフルズプレイス駅
…チャイニーズガーデン駅
…マレー鉄道のシンガポール駅
…国境の橋(コーズウェイ)

上辺の濃い目の緑色の部分は、マレーシアだ。

水上にある青い点線が国境。

再び地下鉄に乗り、少し離れた「Chinese Garden(チャイニーズガーデン)」駅で降りる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8710
(1996年撮影)
ちうごくぅぅぅぅ~~~~~

駅名と同じく、ホームの屋根も中国風にデザインされている。

特に急ぐ必要もナイので、のんびり待って列車を撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8711
(1996年撮影)
…やっぱり、どう見ても丸ノ内線だよねぇ~。 

後楽園(こうらくえん)」駅の近くと言えば誤魔化せる…か(笑)

さて、ココには駅名の通り「裕華園(ユーファユァン)」と言う中国庭園がある。
そして、同じ敷地内に「星和園(せいわえん)」と言う日本庭園まであるのだ
(「」はシンガポール(星加坡)、「」は日本の意味)
入場料はS$4.5(330円)。

まずは「星和園」に入ってみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8712
(1996年撮影)
雅(みやび)どすぇ~~~~~

ちゃんと日本人が設計しているので、おかしな所はどこにもナイ。
ただ、気候が「熱帯」なので、それのみ違和感があるが…

2015年現在の東京も、ヒートアイランドで「もはや熱帯地域」だから、変わらナイか。(笑)

なんか、「真夏の新宿御苑(しんじゅくぎょえん)」というカンジがしてきた。
じっくり観るほどまだジャパンには飢えてナイので、裕華園に行こう

が見えてきた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8713
(1996年撮影)
こっちのほうがイイねぇ~~~~

外国まで観に来た」という実感がある。(笑)

進んで行くと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8714
(1996年撮影)
カンフーの老師が出て来そう(笑) 

ちうごく本土で観て以来、3か月ぶりだろうか…

足元をやたら動く存在がいたので、観てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8715
(1996年撮影)
…むっ君だ

おそらく、日本にもいるムクドリでしょう。

もう1枚撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8716
(1996年撮影)
鳥を撮るのは難しい…

何とな~く南国の鳥っぽいのだが、詳しくナイので全く判らん…
九官鳥やオウムの仲間なのかなぁ…

さらに進むと、こんな景色が見えてきた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8717
(1996年撮影)
ぺいちーーーーーーーーーーん

全体的に、北京(Beijing)の「北海公園」や「頤和園(いわえん)」に似せた光景になっている。

またまた進むと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8718
(1996年撮影)
たいぺーーーーーーーーーーい

ココは台北(Taipei)の「中正紀念堂」っぽいね…。

…まぁ、こんなカンジで静かな庭園を楽しんだ。
(暑いケド

さて、今のうちに夕飯を食べておきますか。

地下鉄に乗ってブギス駅まで戻る。
やはり、慣れた場所で食べるのが確実で安心なのでね
(特に今夜は長距離移動するしぃ~)

ご飯を食べつつ、21時くらいまで暇つぶしをすることに…。
さすがにご飯を数時間も食べられナイので、ブギス内をうろうろ。

すると、地下にゲームセンター「ナムコランド」があるではないかっ
ココで、滅多にしないTVゲームをする。

いろいろ見ていたら、懐かしい「ラリーX」というゲーム機があった。
超~久々にやってみよっと

懐かしのBGMを聴きながら、「ほれほれほれ」とジョイスティックを操作して遊ぶ。
数分して、車がクラッシュしたので一息つこうを目線を動かしたら…

…後ろにギャラリーが出来ちょるぅぅぅぅ~~~っ

シンガポール人にとってもこのゲームは珍しかったようで、いつの間にかゲーマーが集まって来て見られていたようだ。
ギャラリーの視線を感じるようになったら急に緊張してしまい、ほどなくゲームオーバー
みんなも「あれ急に何だよ…」というような顔をして散って行った。

…あー、ビックリした。(笑)

やはり、暇つぶしにはコインゲームに限る。
のんびり、チビチビとコインを使って遊ぶ。
儲ける気はナイ(換金も出来ナイしね)ので、そこそこで切り上げる。

さて、地下鉄に乗って移動しよう。

マレー鉄道の「Singapore(シンガポール)」駅は、地下鉄の「Tanjong Pagar(タンジョン・パガー)」駅の近くにある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8719
(1996年当時の地図を撮影)
歩いて数分の近距離にある。

…地下鉄 ラッフルズプレイス駅
…地下鉄 タンジョン・パガー駅
…マレー鉄道 シンガポール駅

シンガポール駅も、正式にはタンジョン・パガー駅と呼ばれているようだ。

地下鉄を降りて、てこてこ歩いて、数分で到着。

駅舎はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8720
(2000年撮影)
くらしっくーーーーーーーっ

これは4年後に撮ったモノ。

Cさんが地元(マレーシア)の知り合いと結婚することになって、結婚式に呼ばれた時に撮った。
この時は国境通過のシステムが変更されていて、いろいろメンド臭かったなぁ…
そんな想い出の詰まったこの駅も、2011年に廃止されてしまった。

…ハナシを1996年に戻そう。

駅舎に入る。

…あれ日本人が多いなぁ~。

海外の夜行列車旅も人気だしねぇ~。

…それにしてもクソ暑い。
クーラー様などはナイようだ。

さすが北緯1度
夜であっても容赦なく蒸し暑い。

駅舎の中はこんなカンジ。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8721
(1996年撮影)
小さいながらも、歴史感あふれる内装になっている。

少しして、Cさんもやって来た。
列車に乗り込む前に、駅の写真を撮っておこう

ホームはこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8722
(1996年撮影)
対向式ホームが1対、線路が3本の、こぢんまりした駅だ。

手前の線路には、機関車を前後に付け替えるための「機回し」用のポイントがある。
それ故、客車は前(奥)のほうに停まっているのだ。

客車の少し手前のホーム上には詰所があり、ココでシンガポールとマレーシアの入出国審査が行われる。

マレー鉄道はマレーシアの所有なので、実質ココが国境なのだ

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他国に外国の鉄道がそのまま敷設されているというのも珍しい。
歴史的な流れでこうなったのだが、問題点も多かった。
結局、シンガポール国内の路線は大半が廃止・撤去された。

廃止前に、国境付近に「Woodland(ウッドランド)」という駅が出来て、全ての機能はそこに移管された。

2000年の移動時は過渡期だったので、入出国の手続きが変則的になっていて、みんな混乱していた。
シンガポール駅で先にマレーシアの入国審査を済ませてから列車に乗り、すぐにウッドランド駅で一旦降ろされてシンガポールの出国審査を行うという逆の手順だった。

しかも、マレーシア入国のスタンプが押されないため、マレーシア出国時には乗った列車の切符を見せて「シンガポールから列車で入国した」と言わないと、密入国扱いされてしまう可能性もあった。
オラも、出国時に係官のおねいさんに「あなた、どこからマレーシアに来たの」と足止めを食らてしまった…
パスポートのページを何度もめくって調べているおねいさんの横で、男性の係官が「列車で来るとスタンプ押さないんだよ」と言ってくれたおかげで、ほどなく出国出来た

2015年の今は、マレーシア側の駅も含めて、入出国の方法がもっと変わっているようだ。

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夜の写真だと解りにくいので、明るい時のおさしんをば。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8723
(2000年撮影)
左右どちらのホームもほぼ同じ造りの、至ってシンプルな駅だ。

改札が開始されているので、荷物を持って移動開始
詰所で切符とパスポートを見せて、出入国審査を受ける。  
あっけなくマレーシアに入国出来たようだ。

列車はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8724
(1996年撮影)
ディーゼル機関車が寝台客車を牽く、一般的なスタイル。

屋根が三角形なのでゴツく感じる…

客車はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8725
(1996年撮影)
ステンレス製で、パッと見だと日本製っぽい。

窓下の帯は、マレーシアの国旗の色と同じになっている。
編成は、電源車・座席車・寝台車・食堂車があるようだ。
日本の昔の「ブルートレイン」(20系)と近い内容。

寝台車の車内はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8726
(2000年撮影)
懐かしい~~ねぇ~~~

ベッドの向きがレールと同じ、「プルマン方式」というスタイル。
日本だと、583系電車や14(24)客車のA寝台車(オロネ14)がこのタイプ。

特に583系電車などの、昭和40年代前後の国鉄車両に似たような内装に仕上がっているので、ますます日本製っぽい。

車端部に製造メーカーのプレートがあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8727
(2000年撮影)
ひょんでーーーーーーーーーっ

…やはりそうか。

韓国の「現代(ヒョンデ)」製だったか。
(「現代」は、韓国語では「ヒュンダイ」ではなく「ヒョンデ현대)」と読む)

どうりでソックリなワケだ。
韓国製」というモノ達は、ほとんどが日本製にソックリなのだ。

一部の車両の台車は、日本の超スタンダードなカタチである「DT21(TR64)」(101系や113系等の台車)にソックリだ。
(正確には、「北斗星」等の寝台車の電源車「カニ24」で使用されている「TR66」と言うべきか)

…コレって、ライセンス生産なのか
はたまた、台車だけ日本製なのか…

22時半、発車時間となり、列車は静かに動き出した。
ディーゼル機関車って、ショックなく動き出すから好きなんだよね~

…とにかく、自分の寝台に落ち着くことに。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8728
(1996年撮影)
下段なだけあって、居住性は良い

Cさんもご機嫌のようだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その87・シンガポール・街歩きと夜行列車-8729
(1996年撮影)
夜行列車旅って楽しいよねぇ~~~

ただ、指定された寝台が車両のイチバンはじっこだったので、通路のドアが開く度にキーキーとうるさい。
ドアの一部が壁に擦れているようだ。

しかも、走り出したら線路の揺れが半端ナイので、連結器等の「ガッチョンガッチョン」という音もなかなかのモノだ…

暗闇(森の中)をしばらく走ったあと、視界の広い場所に出た。
国境の橋「コーズウェイ」がある川(海)の上だ。

鉄橋を渡るとすぐに、マレーシアの「Johor Bahru(ジョホールバル)」という街に停車。
もう入国審査も済んでいるので、この駅では何もナシ。

確かこの当時、「ジョホールバル」と言えば「オカマちゃんの街」として世界的に有名だった。

夜、美女に声掛けられたら、ホントに女かどうかよ~~~く確認しな」とも言われていた。

そんなんで、ちょっとドキドキしながら外を観ていたら、列車はさっさと走り出してしまった。(笑)
(ホームにオカマちゃんがいるワケがナイ)

…さ、外も真っ暗だし、寝ますかのぉ~。

…んぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その88」はこちらーっ!

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2015年9月24日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その86:シンガポール・街歩き~

前回「その85」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

日本帰国は8月28日。残り一週間っ

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1996年8月21日(水):くもり ときどき 雨

Singapore:シンガポール

今日は11時に起床。
…ホントは早く目覚めていたのだけど、外を見たら雨だったのでベッドでグダグダ…。

雨が止んだので、支度をして12時過ぎに外出。

ブギスに行って、西友(西武系のスーパー:当時)の地下で「雲呑麺(わんたんみん)」を食べる。(S$3:220円)
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その86・シンガポール・街歩き-8601
(2005年撮影)
コレは香港で撮ったモノだが、ほぼ同じ

今日はお宿の近場を歩いて回ろう

今まで素通りしてしまっていた場所も、ゆっくり観るのだ

地上に出て、すぐそばにある「アラブストリート」に向かって歩き出す。

目の前に大きな建物があった。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その86・シンガポール・街歩き-8602
(1996年撮影)
モスクだね。

このモスクはかなり質素な外観。
今まで観て来たイスタンブールのモスク達と比べると大違いだ

そしてアラブストリートに到着。

…あれアラブはどこ

周囲は工事中ばかりで、お店も少ないし、生活のニオイがしない
お店があっても、どう見ても「チャイナタウン」の雰囲気しかしない。
(じゅうたんとか売っているんだけどね…

ガイドブックにも「シンガポールは大規模に再開発しているので、今まであった古い街がどんどん無くなっているので注意」と書かれている。
…どうやら、アラブストリートは間に合わなかったようだ。

…あぁ、ガックリ。

すっかり幻滅してしまったので、コレまた近くにある「リトルインディア」に行こうと歩き出す。

…あ、雨だ。

雨の中を観光するのはイヤだったので、再びブギスに戻って「西友」と「パルコ」を見物。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その86・シンガポール・街歩き-8603
(1996年撮影)
今日は1人だから、ゆっくり観られる~

中に「紀伊国屋(きのくにや)書店」があったので、久々に日本語の本を立ち読み。

…立ち疲れちゃった。

お宿に戻ろう。
結局、部屋でまたゴロゴロ。

1時間半後、Cさんに会うために地下鉄の「Newton(ニュートン)」駅へ行く。
(「オーチャード」駅の1つ先)

Cさんと会ってハナシをしていたら「ホーカーズに行こう」と言われた。
ココには大きな屋外ホーカーズ(屋台村)があるそうな。

ニュートンホーカーセンター」に到着。
観光客が多いね~

ココで少し早目の夕飯を食べることに。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その86・シンガポール・街歩き-8604
(1996年撮影)
マレーシア&シンガポール料理をたくさん食べられてご満悦のオラ

ココで食べたものは…

・Mutabak
・サテ
・ミー・ゴレン

Mutabak」とは、インドのお好み焼っぽいモノ(ほぐした牛肉(鶏肉)・卵・キャベツ入り)を折りたたんで、カレーソースを付けて食べるモノ。
お好み焼というよりも、もっと薄い、ちうごくの「焼餅(シャオピン)」や「葱餅(ツォンピン)」に近いかなぁ…

サテ」はご存知、マレー風の焼き鳥(羊)で、甘味噌をつけて食べる。
付け合わせの「Ketupat」(炊いたもち米をガッツリと四角く固めたモノ)が、まいう~だった

ミー・ゴレン」は、マレー風焼きそば
ミーが「」でゴレンが「炒める」の意味。
ココのは、麺が細いのと太いの(きしめん並みの「(ホー)」という名前)の混合で、具はモヤシ・あさり・エビ・白きくらげだった。
味付けは、オイスターソースに醤油・甜麺醤(ティェンミェンジァン)等が少し入っているカンジ。

ちなみに、「ナシ・ゴレン」はナシが「ご飯」なので「炒飯」という意味になる。

地元のCさんがいるので、安心していろんな種類の料理が食べられる
ありがたや…。

どれも美味。

やっぱり食はアジアに限るっ

ココで、明晩のマレーシアへ行く夜行列車の切符をもらう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その86・シンガポール・街歩き-8605
(1996年当時のモノを撮影)
Kuala Lumpur(クアラルンプール)」行きの夜行寝台列車だ。

そうそう、クアラルンプールは、こちらでは略して「K.L.」と呼ばれている。
ニューヨーク(NY)」や「ロサンジェルス(LA)」を真似しているとか
なので、以降は「KL」と書くよん。

2等寝台車(下段)でS$40(2960円)。
シンガ22:30発で、KLには6:05着だ。

この区間、シンガポールに来た時に乗ったひこーきの所要時間は、わずか40分ほど。
料金は判らナイが、この比ではナイだろう…。

この切符、「シンガポール(Singapole)」の表示が、マレー語の「Singapura(シンガプーラ)」になっている。
マレー鉄道(KTM)の切符なので、当然マレー語なのだろう。

さて、明日の夜からマレーシア小旅行というワケなので、今日は早めにお宿に戻って洗濯をせねばっ

Cさんもいろいろと準備するとのことで、今夜はサックリと帰ることに。
地下鉄に乗ってお宿まで戻り、さっさとお洗濯。
ついでに、自分のカラダもお洗濯ぅ~~~~

明日はチェックアウトなので、荷物をまとめる。
移動しやすいように、2つに分けておこう。

…さて、準備が整った

んぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その87」はこちらーっ!

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2015年9月21日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その85:シンガポール・セントーサ島~

前回「その84」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

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1996年8月20日(火):晴れ

Singapore:シンガポール

今日は10時に起床。

すぐに支度をして、オーチャード駅近くにあるCさんの会社に行く。

オーチャード駅の上はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8501
(1996年撮影)
道路が密林だ(笑)

シンガポールの道路は熱帯の樹木がたくさん植えられている。

そして、道の上に見えるゲートらしき標識があるっしょ。
コレは、交通渋滞を減らして環境を保護するために、指定されたナンバーの車しか入れナイ区域の入口を示している。
時間や曜日によって規制の対象が変わるらしい…。

海外ではときどき見かけるシステムだね

Cさんの会社に着き、Cさんから「セントーサ島」の割引チケットを売ってもらう。

セントーサ島」はココにある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8502
(2015年のグーグルマップより)
シンガポールの中央下にある、小さな島だ。

この島は全体がリゾート地になっていて、いろいろな娯楽施設がある。
東京で言うと「ネズミーリゾート」「葛西臨海公園(水族館)」「夢の島熱帯植物園」「若洲キャンプ場(ゴルフ場)」が、全て1つになったような場所。

割引チケットには「入島料」「ロープウェイ」「蝋人形館」「水族館」が料金が含まれていて、全部でS$25(1850円)だった。

Cさんに「観終わったら電話するよ」と伝え、島に向かう。
すぐ近くからバスが出ているとのこと。

バス停に行き、143番のバスに乗る。(S$1:74円)
そして、海沿いの「世界貿易センター」付近で下車。
すぐ横のビルから島へ行くロープウェイが出ているので、乗り場へ向かう。

ロープウェイはこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8503
(1996年撮影)
コレが海の上を通って、島につながっているのだ

香港の海洋公園も同じカンジだったなぁ…

のんびりとロープウェイに乗る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8504
(1996年撮影)
シンガの街がよく見える

奥のビル群は、ラッフルズプレイス付近のオフィス街だろう。

手前の海には、コンテナヤードが広がっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8505
(1996年撮影)
キリンさんがいっぱぁぁぁ~~~~~~い

さすが「世界の貿易港」と言われるだけのコトはある。
世界中のお荷物(コンテナ)がココを経由するのだ。
それ故、シンガポールは小国ながらも繁栄しているのだ

リゾート島の真横には相応しくない景色だけど…

さて、セントーサ島に着いたぞ

まずは島の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8506
(1996年当時の地図を撮影)
大きさは東京ネズミーリゾートくらいだろうか…

オレンジ色の・・・がロープウェイ。
島の半分を1周している黒い線が、モノレール。(線上の●は駅)
赤いが観光スポット。

島へのアクセスは、ロープウェイ道路橋ボート(海上の---点線)がある。

島内の道は、フツーの一般道と同じで、車やトラック等も走っている。
(島の手前にゲートがあるので、業務用やホテルの宿泊客とかの車だろう…)

ちなみに、セントーサ島の右上に見える小さな島が、さっきのキリンさん島

さて、遊ぼう

地図に書いてある番号順に行くとメチャクチャになるので、近くにあるスポットから順々に観て行くことにした。
まずは目の前の■11ネイチャーウォーク」の「ドラゴントレイル」に行ってみよう。
(現在地は■3だよ)

モノレールは無料とのことだが、最初は歩いて行こう

地図を見ながら進む。
…も、のっけから道を間違えたようで、どんどん密林の中へと入ってしまった。

おいおい、ネイチャー過ぎるぞ。

当然、人もいない。
あれれれ」と思いながら、もう一度戻って探し直す。

無事に、ちゃんとしたルートに戻れたようだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8507
(1996年撮影)
人がいるーーーーーっ(笑)

いきなり無人の密林で焦ったよ…
平日のせいか、人が少ない。

ドラゴン様も拝めたので、次のスポットへ。

坂を下りると、目の前にビーチが見えて来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8508
(1996年撮影)
なんかスゲェーーーーーぞ

ココは「シロソビーチ」と言い、地図だと左の■13の間にある海岸線だ。
(今いる場所はの辺り)

こんな「いかにも南国のビーチ」に来たのは初めてだったので、超~浮かれ気分でビーチを歩く。
(あぁ、コレで隣に美女がいれば…

砂浜はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8509
(1996年撮影)
景色がポスターだぁぁぁぁーーーーっ

日本のお店で売っているポスターそのものの世界
もう東京湾の海岸なんて行けナイぜ…
だが、沖の景色はコンテナ埠頭ばっかりで、コレは東京湾のほうがキレイかもれない。

しばしまったり。

さて、次へ行こう。

テコテコ歩いていると、頭上から機械音が聴こえて来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8510
(1996年撮影)
もれのぉ~~~~~るぅ~~

モノレールだ。
意外とぷりちーな外観なのね

今日はラッキーなのか、晴天なのでクッソ暑くてグッタリ。
モノレールに乗って移動したいが、観たいスポットが駅の中間ばっかりなんだよねぇ…
(でもオラ「」だから、後でゼッタイに乗るからね

次の目的地、■19アンダーウォーターワールド(熱帯海洋水族館)」に着いたぞ
割引で買ったチケットを出して中に入る。

涼しぃ~~~~~~~ん

ココで少しのんびりしよう。(笑)

人気のスポットらしく、人も多い。
特にキッズが多いね。

いろいろな生き物を観ながら進んでいると、キミョーな光景に出会った。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8511
(1996年撮影)
…こ、怖い。

写真がブレブレで申し訳ナイが、大きなイカ達がぢ~~~っとこちらを見つめたまま動かナイのだ。

しばらく見つめ合ってしまった(笑)

…そっか、イカ達は足のほうが「正面」なんだね。

またミョーなのがいた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8512
(1996年撮影)
タツノオトシゴの仲間か

…コレもピンぼけだ。
当時のへっぽこアナログカメラでは仕方ナイね…。

少し進んだら、イチバン人気のスポットに来たようだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8513
(1996年撮影)
とんねるぅぅぅぅ~~~~っ

アンダーウォーター」の名の通り、水中トンネルになっている。
当時としては、世界的にもまだ珍しい存在だったと思う。

みんな写真を撮りまくり

見上げてみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8514
(1996年撮影)
いろいろなお魚がた~~くさん泳いでいた

誰かに「写真撮って」と言われたので、撮ってあげた。

そして、オラもお願いして撮ってもらった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8515
(1996年撮影)
…何とな~く記念になったような。

さて、次に行こう。

次は■13イメージ・オブ・シンガポール(蝋人形館)」にしよう。
ちょうどどちらもモノレールの駅前なので、2駅分乗ってみることにした

短い車体がいっぱいつながった、ヘビのような体をクネクネさせながらのんびり進む。
クーラーはナイが、風が気持ち良い

途中の■7シロソ砦」は人気がナイらしく、この後も通ったが誰1人見掛けなかった…。

では、蝋人形館に入ってみよう。
割引チケットを出して中に入る。

いろいろな有名人等が展示してあって、そのソックリさにビックリ。
(中には少々残念なのもあったが…

この暑い熱帯地域に溶けやすい蝋人形とは…
さぞや管理は大変なのだろう。

いろいろ楽しく見て回ったが、ココから先は笑いながら見られるコーナーではナイ雰囲気が漂って来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8516
(1996年撮影)
戦争ーーーーーぅ

かつて日本語で「昭南島(しょうなんとう)」と呼ばれていた、第2次世界大戦前後の歴史を展示してあるのだ。

右の世界地図の赤い部分が、かつて日本が占領した地域だ。
日本人ながら「あまりにも手を広げ過ぎだろう…」というのが正直な感想。
いかに無謀な事をしていたかが解る。

このスポットの事は日本語のガイドブックにも書いてあったが、あえて観てみたかったので入ってみた。
楽しむリゾート地になんでこんなモノが…」「この場所には相応しくナイ」などの意見もあるが、コレがシンガポールの歴史だ

のっけから日本人には息苦しい雰囲気。
解説文もしっかりと日本語が併記されている。
だが、日本国内では教えてくれないことが書いてあるのも事実。
しっかり読んでおこう。

日本が戦争を始めてから負けて降伏する場面までが、順番にリアルに再現されている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8517
(1996年撮影)
こういうのは、むしろ日本に造るべきでは…

かなりのリアルさに見入ってしまう。

その途中には…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8518
(1996年撮影)
昭和天皇の「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」の原文だ。

そして日本が負けた。

戦勝国と条約を結び、主要な人物は裁判にかけられる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8519
(1996年撮影)
表情もリアルだ。

決して感情的にならずに、淡々と展示・解説されているのが印象に残った。
憎んでいる」というよりも「人々が忘れないように知っておいて欲しい」というカンジが強かった。

こういうのは、日本人として国内外の視点から観ておくべきだと思う。
(このリゾート地にあるというのは別にして)

勉強になったが、気重い一角を通り過ぎた。

さぁ、またリゾートを再開しよう

外に出て、森の中をテコテコ歩いていると、突然視界に…
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8520
(1996年撮影)
んまぁ!ライオンっ

巨大なマーライオンが現れたっ(地図の■9

予想していなかったのでビックリ
何てぇ~~デカいんだ。

…ってか、マーライオンって、海辺にちっこくポツンと建っていたよねぇ。

2代目登場かぇ

さて、近くにある■20ボルケーノランド(火山ランド)」に着いた。
ココは別料金だったが、S$10(740円)払って入ってみた。

メインの火山風の展示はイマイチだったが、アトラクションが良かった。
アフリカ風の衣装を着た3人が、風船割りやバンブーダンス等を、おもしろ楽しく演じてくれた

余談だが、この時初めて「火山」を英語で「ボルケーノ」と言うのを知った。
やはり、外国語って、現地で必要に迫られると覚えるね

次に行ってみよう

コレまた近くの■1アジアンビレッジ(アジア村)」へ。
アジア各地のイナカの雰囲気が出ていてイイのだが、人がいないせいかイマイチ。
(…ってか、寂しい…

歩き疲れたので、モノレールに乗ってみることにした。
タダだし、1周しちゃお~~っと

のんびりモノレールに乗る。
景色をまったりと眺める。

途中でお猿達がレールの上を歩いていて、しばし足止めをくらう。 
南国らしいアクシデントだ

再び無人の寂しい「シロソ砦」を車窓から観て、乗った駅で下車。
お腹も空いたので、■16フードセンター」に行こう

フードセンターはさすがリゾート地だけあって、色々な種類の食べ物があった。
でも、お値段もリゾート地だけあって…(以下略)
(何を食べたか覚えていない。食べてナイかもしれない…

■1の右横に「Enchanted Grove of Tembusu(テンブスの不思議の森)」というのがあった。
テンブス」とはシンガポールを代表する木で、高さは40mにもなるそうだ

気になったので見てみると…

…ど、どこ?

…え、コレ?

…ち、小さい。

ハイ、おしまい。(笑)

次へ行こう。

■10の「Musical Fountain(噴水ショー)」に行く。
ココは1~2時間おきくらいにショーをやるそうで。
夜のショーがキレイでイイよ」と言われていたので、日が暮れるまで待つことに。

19:20ミュージックショーと、19:50マーライオンショーを観ることにした。
それまで、他の場所をウロウロして時間を潰す。

こんな場所もあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8521
(1996年撮影)
セントーサ島の玄関口のようだ。

いくつか入口があるので、そのうちの1つだろう…。
シンガポールの国旗がたくさん掲げられているが、風がナイのでしんなり…

…なんか、今頃になって「ちゃんとした入口」を観た気がする。

だんだん日が暮れて来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8522
(1996年撮影)
通路もライトアップされてイイカンジぃ~~~

みんなもぞろぞろ噴水に向かって歩いている。
早く行かないとイイ場所が取れナイかな

噴水の広場は、思ったよりも大きかった。
余裕で席を確保。

夕暮れの中、噴水ショーが始まった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8523
(1996年撮影)
マーライオン、怖い…。(笑)

噴水はコンピューター制御されていて、水が生き物のように飛び回るのが面白い。
(2015年の現在では当たり前のコトだが、当時は珍しかった
ミュージックショー自体は、個人的にはイマイチだった…。

そして、一旦休憩。
次のマーライオンショーまで少し時間がある。

後ろを振り返ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8524
(1996年撮影)
光の道ぃ~~~~

どこぞのネズミーランドのように、お城っぽい建物が建っていて、広場がキレイに整備されている。

ほどなく、マーライオンショーが始まった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8525
(1996年撮影)
く、暗くて何も映らない…

もう暗いし、なかなかタイミングが合わず、上手く写真が撮れナイ…
撮影を諦めて、肉眼で楽しむことにした。

そしたら最後にっ!!
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その85・シンガポール・セントーサ島-8526
(1996年撮影)
ビーーーーーーーーーーーーームっ

何とっマー様からビームがぐゎっ

…コレにはさすがにビックリした

とんでもなく進化していやがるぜ、2代目は…

さぁ、これでショーはおしまい。
最後のサプライズに満足して、帰ることにした。
もう20時だ。

途中の電話ボックスで、Cさんに電話をする。
明日18時に「Newton(ニュートン)」駅で待ち合わせの約束をする。

お帰りは、ロープウェイぢゃなくてお船にしよう
(ロープウェイの運転は終わっていたかもしれない…)
■6まで歩き、対岸へ行くお船の乗り場へ行く。

料金はS$0.8(60円)だったので、2ドル札を出す。
すると、おつりが1.4ドル帰って来た。

ラッキーーーーーーーーっ

…ハッ

…昨日の「縁起の良い黒い蝶」の効果って、コレだったのか
15円分のご利益しか無かったのか…

お船に乗ったら、あっけなく対岸の世界貿易センターに着いた。
香港のスターフェリーの比ではナイ。

ココからまたバスに乗って市内へ戻る。(S$1:74円)
65番のバスで、お宿の1区画隣の道まで戻って来れた。
コレは楽だ

いやぁ~、楽しかったぁ~

でも、とても暑い1日だった…
1日中晴れていたのは初めてだ

お宿に戻り、フロントで明日の宿代を払う。
そして部屋に戻り、隙を見計らってシャワーを浴びながら洗濯をする。

さぁ、今日こそは早く寝るぞ」と思いながら、日記を付けているのであった…。

んぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その86」はこちらーっ!

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2015年9月14日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その84:シンガポール・お洒落にデート~

前回「その83」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

日本ご帰還まで、残り10日

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1996年8月19日(月):くもり のち 雨

Singapore:シンガポール

今朝は、ほとんど眠れず朝になってしまった。
ずっと続いている腹痛が原因。

とりあえず温かいモノだけは食べておかないと。
…ってなワケで、8時にマルちゃんの「緑の大だぬき」を食べる。
(体調不良時の和食は助かるぅ~

これだけでは足りなかったので、8時半にフロントへ行き、無料の朝食をもらう。

・パン3枚
・ゆで卵2個

…コレって「配給」でゎ

部屋に戻って、コレらをモグモグ。

食べたら眠くなったので、少し寝ることに。

昼に起きて、シンガポールの友達(職場)に電話をするも、「外出中で留守」だって。
仕方ナイ、また電話しよう。

その間に、外に出て近くの店で両替をする。
すぐに戻って、部屋でゴロゴロ。

14時半頃、再度電話をしてみる。

…おぉ本人が出たっ(笑)

久しぶり~~

友達もお宿まで2度ほど来ていたらしいのだが、逆にオラが不在で会えなかったそうだ。
ずっと行き違いだったのね…。

とりあえず、夜に会うことにした。
17:45に「Orchard(オーチャード)」駅の改札右側にある電話ボックス前で待ち合わせ。
職場がこの駅の近くらしい。

…やっと会えるぜ~ぃ。

16時半過ぎに、支度をして宿を出る。

まずは地下鉄(MRT)に乗らねば。
お宿の近くにある駅は「Dhoby Ghaut(ドビーゴート)」と言う。

シンガポールの地下鉄車両はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その84・シンガポール・お洒落にデート-8401
(1996年撮影)
…丸ノ内線?

事実、日本製で、走行機器も東京メトロ丸ノ内線の車両(02系)と同じようだ。
乗ってみたら、走行音も同じだった。

この地下鉄、開通してからまだ8年しか経っていないらしく、設備も車両もすごくキレイだ
街の中心は地下を走っているが、少し離れるとほとんどが高架区間になる。

目的のオーチャード駅までは、ほんの2駅
歩いて行けなくもナイが、熱帯地域だし腹痛もあるので止めておいた。

わずか数分でオーチャード駅に到着。

ここで地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その84・シンガポール・お洒落にデート-8402
(1996年当時の地図を撮影)
今日移動するのは、この範囲内だよん

…お宿
…ドビーゴート駅
…オーチャード駅
…ブギス駅
…ラッフルズプレイス駅
…ボートキー
…クラークキー

地上に出て、少しメインストリートを歩いてみようと進みだす。

メインストリートの「オーチャード通り」はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その84・シンガポール・お洒落にデート-8403
(1996年撮影)
コレはお隣の駅(サマーセット駅)の地上だが、まぁ似たようなフンイキっす。

歩きだしてほどなく、交差点の歩道上で…

あれ~困ったなぁ… どっちだろう え~~っと…

という、声だけでテンパッているのが解る日本語が、横から聞こえて来た。
見ると、日本人女性が1人で道に迷っているようだ。

声を掛けようか考えたが、数歩歩いて様子を見ようとしていたら、向こうから声を掛けて来た。

エクスキューズミー、マンダリンホテ~ル

指で「どっちの方向」というジェスチャーをしながら、焦ったカンジの英語で尋ねてきた。
オラが立ち止まって女性の顔を見ると、再び英語で同じことを言った。

オラがニッコリ微笑みながら「日本語でどうぞ」と言うと、キョトンとしている。
もう一度ゆっくり「私、日本人ですから、日本語でどうぞ」と言ったら、ビックリしながら「 あの、あの、マンダリンホテルはどっちですか」と言ってきた。

地図を持っていたので場所を教えてあげると、女性はやっとホッとした顔になった。
ちょうど同じ方向だったので、一緒に歩き出す。

そして、「日本人だって思わなかった~。もうこっちは長いんですか~」と訊いて来た。
オラが「いえ、シンガポールに来たのは4日前です。しかも初めて」と返すと、またもやビックリ顔

えーーっ 色も黒いし、そんな格好で落ち着き払って歩いていたから、こっちに住んでいる人かと思ったー なんでそんなに落ち着いているんですか~

…う~~~ん、どう返答しよう。

Tシャツ・よれたチノパン・サンダル・コンビニ袋」……確かに「観光客」のカッコではナイな。(笑)
自分でも笑えてしまった。

もう旅して長いですからねぇ~

どれくらい

4ヶ月

えーーーーっ

…といった会話をしたと思う。
幸い、お探しのホテルはすぐ近くだったので、その女性は笑顔でホテルへ戻って行った。
楽しい観光を~~

イキナリの日本語で、こちらの脳ミソもモードを切り替えるのにてこずった…

プチ人助けも済み、商店街をブラブラ。
帰宅ラッシュ時なので、人の数も多い。

待ち合わせの場所に行き、しばし待つ。
予定より10分ほど過ぎた、18時少し前に友達がやって来た。

久しぶりぃ~~ 元気ぃ~~~

…やっと会えた。あぁ、長かった。
(ケータイやスマホがある現在なら、こんな手間など掛からなかったのにね)

この時点で、イスタンブールからの一人旅が終~了~。
また仲間との楽しい日々が始まる
(この友達、以降は「Cさん」と呼ぶことにする)

さて、どこに行こうかと相談する。
そしたら「ブギスに行こう」と言われた。

初めての地なので、郷に入れば大人しく従うのが良い。
言われたままに、地下鉄で移動開始

お宿を挟んで反対側にある駅、「Bugis(ブギス)」に到着。(地図の
ここにはおされなショッピングモールがあるそうな。

行ってみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その84・シンガポール・お洒落にデート-8404
(1996年撮影)
パルコ」ぢゃねーーーーーーーかっ(笑)

外国に来てまで、地元と同じ西武系列店かよ…

パルコ」の他には「ブギス村」というのがあるそーな。
…ってか、ブギス村の中にパルコがあるのかな
(よく意識していなかった…

ハナシをしながらいろいろ眺め、地下のフードコート(ホーカーズ)で夕飯を食べることに。

・鶏肉撈麺(茹でたラー麺に、鶏肉と茹で菜っ葉を載せて、オイスターソースをかけたもの)

…香港以来の懐かしい味だ

オラ、この「撈麺(ろうみん)」が大好きなのよ
麺とオイスターソースがあればすぐ出来る
(スープはナイ。チャーハンみたいに別途スープを出してくれる店もある)

夕方まで最悪だったお腹は、だんだん良くなって来た。
コレも、一人旅のストレスが減ったおかげかな

食事が済んだら「次はラッフルズプレイス駅に移動しよ~う」とのこと。
ココよりももっとおされスポットがあるそうだ

…コレって「デートコース」ぢゃねーのか

地下道を歩いている時に、Cさんが「ガム食べる」と言って、スッとガムを手渡してきた。
うん」と言って受け取ると、とっさに小さな声で「すぐにしまって。そして口はモグモグさせないでね」と真顔で言う。
なんで」と聞くと「シンガポールはガム禁止なの。売っていないし、持っているのが見つかったら罰金だよ」とな。

…そう、シンガポールは規則(法律)がキビシイので有名なのだ。

なんでガム持ってるの」と聞くと、「マレーシアで買って来た」だって。
…ってなワケで、こっそりガムをモグモグ。

もちろん、捨てる時もバレないように要注意だ
(ガムは「吐き捨て等で道が汚れる」という点で禁止なのだ)

地下鉄に乗る。

Cさんが、さっきのつづきとばかりに解説をする。
ほら、地下鉄内は「●●禁止」ばっかりでしょ」と一言。

…確かに、禁止事項が掛かれたステッカーがタップリと貼ってある。
中には、日本の感覚では「…こんな事まで」というのもある。
(「隣の車両へ不必要に移動したら罰金」とか「ドリアン持ち込み禁止」とか)

街の中でも、「小鳥(野鳥)に餌をあげたら罰金」等いっぱいある。

ココでCさんが一言。

Singapore is FINE country」(シンガポール イズ ファイン カントリー)

この英文には2つの意味がある。

・シンガポールは素晴らしい国だ。
・シンガポールは
罰金の国だ。

素晴らしい」も「罰金」も、英語では「Fine」と書くのだ。
もし「FINE $5000」と書いてあったら、「罰金5000ドル」という意味。

コレは世界的に有名で、この文と禁止事項の標識達が描かれた、ブラックジョーク的なおみやげ用Tシャツもたくさん売られている。

ラッフルズプレイス駅に到着した。(地図の
ここは、東京で言うと「丸の内」と「青山」が一緒になったようなカンジだろうか…

駅の上はこんなに大都会だ。
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その84・シンガポール・お洒落にデート-8405
(1996年撮影)
正面の白い建物が地下鉄入口。

今は夜、しかも雨なので、ビル群はあまり見えナイ。

駅の入口にあるカンバンに、大きな黒い蝶が止まっていた。
最初は「黒いガムテープが貼ってあるのかな」と思ったほどデカかった。
Cさんに言うと、「コレは縁起がイイんですよ」とのこと。

…キレイな(景観にキビシイ)シンガポールの街に、まさかガムテープが貼りっ放しなんてあるワケないよなぁ~。

何かラッキーな事が起きるかな(笑)

ちなみに、周囲にいる鳥たちも、熱帯のためか日本の鳥と違って色がハデだし鳴き声も違う。
オウムのようなカンジの鳥なのかなぁ~~

雨降る大都会を歩き、すぐ近くにあるシンガポール川沿いの「Boat Quay(ボートキー)」というおされストリートを歩きながら見学。(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その84・シンガポール・お洒落にデート-8406
(1996年撮影)
夜はライトがキレイよん

ず~~っと奥まで川沿いにお店が並んでいて、バーなどもあっていろいろ楽しめる。
川の対岸にも「Clarke Quay(クラークキー)」という同じようなストリートがある。(地図の
(こちらは短い)

このエリアは、ヴェネツィアにも横浜にも似た光景だ

クラークキーでお茶を飲み、お宿に戻ることに。
雨も降っているし、時間も遅くなって人も減ってきたからねぇ~。

ラッフルズプレイス駅からドビーゴート駅まで戻る。
ココでCさんと明日の約束をしてバイバイキンし、1人お宿へご帰還。

…今日も疲れたね~。

さぁ、シャワーを浴びよう

…って、何ぢゃいこりゃぁぁぁぁ~~~っ

シャワー(トイレ)の下水管が詰まったらしく、タイヘンな事になっていた。

(その後、直ったのでシャワーを浴びたと思う)

では、日記を付けて、今日もおやすみんみ~~~ん

つづき「その85」はこちらーっ!

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2015年9月10日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その83:シンガポール・街歩き~

前回「その82」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
その57」からは、その帰路の、ポルトガル→イタリア→ギリシャ→トルコと、シンガポール⇔マレーシアの鉄道旅。

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1996年8月16日(金):くもり ときどき 雨

Singapore:シンガポール

今日は雷雨で目が覚める。

そして昼近くにベッドから出て、部屋替えをしてもらうためにフロントに行く。
5階の7号室に移動~。
エアコン・朝食付きで1泊S$30(約2200円)とのこと。
S$5安くなった

今度の部屋は2周りくらい狭くて、ベッドも1周り小さい。
でも1人だと、まだ部屋が大きいカンジ…

さて、お昼を食べに行こう

お宿の外に出る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8301
(1996年撮影)
まだ雨が少し残っていて、ジメっとしている。

エアコン付きの部屋にして正解だ

歩いていると、近くのビルの1階に屋台村(「Hawkers(ホーカーズ)」と言う)があるのをハッケ~ン
ホーカーズは、シンガポールではどこにでもある一般的なモノで、「大衆フードコート」的なカンジ。

とりあえず、探検も兼ねて入ってみよう

麺屋さんで「水餃麺(水餃子麺)」を注文する。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8302
(2013年香港で撮影)
コレは香港で撮ったワンタン麺だが、見た目はほぼ同じカンジ。

お値段はS$2.5(185円)。
お味のほうは、本場香港には劣るが、まぁまぁの味
コスパ的にはモウマンタイ(無問題)

さて、付近をお散歩しますかいのぉ~

まずは、有名な建物へ行くことに。
距離はそれほど離れていない。

中国人がいる所って、何でどこに行っても同じフンイキになってしまうのだろう…

香港にかなり似たカンジがする。
言葉も、普通話(北京語)・広東語・福建語がフツーに通じるしぃ~
(日常的には、英語・マレー語・中国語の3つを使う)

テコテコ歩いていると、何やらハデな建物が…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8303
(1996年撮影)
…何だ、これ

かなりハデだねぇ…

近寄ってよく見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8304
(1996年撮影)
ひんどぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~ぅ

インドのヒンドゥー教の寺院だ

目の前の国旗こそシンガポールだが、この空間だけは完全にインドだ
当然、インド人がたくさん来ている。

シンガポールは狭いながらも多民族国家なので、色々な建物があるのだ
今回の旅ではインドをスルーしてしまったので、これはナイスな建物を観られてラッキーっ

そして、ほどなく最初の目的地に到着~
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8305
(1996年撮影)
らっほーーーーーーーーーーーっ

超~有名な、あの「Raffles Hotel(ラッフルズホテル)」だっ

シンガポールに観光に来たら、ほぼ全員がここに来るくらいの観光スポット。
チョット中へ入ってみよう

サンダルだけど、ダイジョーヴかなぁ…

超高級ホテルだが、ロビーくらいまではサンダルでもOKのようだ。
2階にあるインフォメーションで、シンガポールの地図パンフレットをもらう。

館内は日本人団体客が多かった…

まずは地図がGET出来たので、今後の作戦を練るべく、お宿に戻ろう。
…ずっと歩いていたら暑くてヘタりそうだしぃ~。

ここで、その地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8306
(1996年当時の地図を撮影)
横幅が大体2Kmくらいッス。

…お宿 (LEE BOADING HOUSE)
…ラッフルズホテル
…ラッフルズシティ (ショッピングセンター)
…戦争記念公園 (日本占領時期死難人民記念碑)
…マーライオン (オリジナルの小さい方)
…ラッフルズプレイス駅 (ユナイテッド航空カウンター)

全て歩いて回れる範囲なので、最初はこんなモン
(お宿とラッフルズホテルの距離は600mほど)

日本製のガイドブック「地球の歩き方」に載っていた観光スポットの位置案内が、実際の場所とはだいぶ違っているのが判った。
これで迷うことナシ
(この当時はGPSやネットなんて満足にナイ時代だからねぇ~。ガイドブックの情報間違いは多かった

お宿に戻った。

この時だったか
香港にいるお姉様(この旅の最初に会った、オラの広東語教室のご学友)にFAXを送った。

目的は、シンガポールで働いている友達(マレー華僑)と会うために、オラがいるお宿の連絡先を伝えてもらうためだ。
すぐ近くにいるんだろうけど、いったん香港を経由しないと居場所(連絡先)が判らない…
(国際電話が出来るケータイなぞ、まだ満足にナイ時代だ…

これで、後は連絡が来る(または本人が来る)のを待つのみ

シンガポールでの目的の1つには、実は「マレーシア人の友達に会う」というのもあるのだ

前に「マレーシアに連れて行ってあげる」とも言われていた。
会うのは2年ぶりかな…

部屋に入って、ベッドに転がったら……そのまま昼寝。
目が覚めたので、日本から持って来た短波ラジオで、NHKラジオ(国際版)を聴く。

…実は、今までもお宿でちょくちょく聴いていたのだ
コレが唯一の日本語の情報源だったのでね

…そっか、日本は今「お盆休み」なんだ 

19時頃、お腹が空いたので夕飯を食べに出掛ける。
近くのホーカーズに行ったら「準備中」。

…この時間に営業していないとは、おかしくね
もしかして「閉店」しているとか

なので、道を逆向きに進んで店を探すことに。
お宿を通り過ぎ、山側のほうに歩いて行ったら、ビルの1階にホーカーズがあった。

なので、ココに入って今宵の「でぃなー」を注文。

・ナスの辛い炒め物
・もやしと厚揚げの辛い炒め物
・ごはん
・カレーのような何か(カレーもどき)
・コーラ

これでS$3.6(270円)だから、まぁ安い。

お味の方は…

……まずい。(ーー;)

ホントにちうごく人が作っているのか

こんなにマズい中華料理は韓国以来だ
(韓国庶民にとっての中華料理は、日本人と中国人が見たら誰もが驚くほどかけ離れている

…コレでは一日が締まらない。

お宿に戻って、お口直しにポテトチップをポリポリ

またもや少し寝て、再び起きる。

この5階は、インド人の家族がずっと滞在している(もはや住んでいる)らしく、8室あるうちの5室がこの家族だ。
なので、チビッ子は廊下を大声で走ったりして、チョットうるさい。
(キッズが寝てしまえば静かなのだが…)

そんな状況の中、今夜も日記を書いている。

んぢゃ、おやすみぃ~

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1996年8月17日(土):くもり ときどき 晴れ

Singapore:シンガポール

昨日寝過ぎたせいか、全然眠れなかった。
結局、明け方少し前に寝たと思う。
まだカラダが「イスタンブール時間」で動いているようだ…

そして11時に起きて、フロントに行って今夜の宿代を払う。
(このお宿も日払い方式だよん

少しして、1階に降りて雑貨屋で昼食を買う。

・明星海鮮ラーメン
・ココナッツパン
・りんごジュース

ラーメンは、日本のブランドだからと食べてみたが、イマイチだった…。

食べ終わったら、またベッドでゴロゴロ。
何かお腹もゴロゴロ…

…昨日の夕飯で飲んだコーラの氷のせいか油のせいか唐辛子のせいか

そのせいもあって、昨夜は眠れなかったのだ

…ってなワケで、今日は外出を控えることにした。
気が付いたらまた寝ていた

18時頃、NHKラジオを聴きながら、夕食の事を考える。

ラジオのニュースでは「日本は暑い日がつづいてまっせ~」と全世界に発信していた。
日本の音」を紹介するコーナーでは、「セミの鳴き声と風鈴」「お祭りの音」等、日本ならではの夏の音が流されていた。
それを聞いた途端、ムショーに日本が恋しくなった…。

…そうだ 日本、行こう。

特に「お祭りの音」が決定打となり、オラは日本に帰る決心をした。
明日にでも、ひこーき会社のカウンターの場所を確認しに行こう。
(カラダが弱るとココロも弱るなぁ…

…そっか、普段の生活で聴こえてくる音って、日本にしかない音もたくさんあったんだ。

長期間海外に来て、初めて「本当の日本を知った」気分になった。

19時になったので、近くのホーカーズに行くが、またもや「準備中」…
昼間か深夜のみの営業なのかココは…

体調のせいもあって、歩き回るのもメンド臭かったので、結局お宿の1階の雑貨屋で夕飯を買う。

・明星カレーチキンラーメン
・うぐいすあんパン
・ダイエットペプシコーラ
・ポテトチップ

部屋に戻って食べる。
(お湯はフロント脇にポットがあるので、そこで注ぐ)

…おっ、このラーメンは美味いね

だが、コーラが激マズだったーーーっ

甘味が無い上に後味も無く、今までで最低な味だ。
…コレがシンガポール人の味覚にマッチしているのだろうか

民族が違えば味覚も違う。

そんな言葉をカラダで覚えた瞬間だった…。
(まだシンガポールでちゃんとした美味しい料理を食べていない…

友達からも連絡が来ナイし、今日は早めに寝ますか。

トイレが空いている瞬間を見計らって、シャワーを浴びてシャツの洗濯もする。

トイレとシャワーは同じ空間にあり、東洋式の便器(和式のような出っ張りもナイ平面なモノ)のすぐ斜め上辺りに手洗い器とシャワーのノズルがあるカンジ。
アジアの家では大抵このような仕様になっていて、日本人が見たら抵抗を感じる人も多いだろう。(特に女性)

しかも、お湯が出ればまだイイほう
東南アジアでは水だけの場合もかなりある。
シャワーの代わりに水槽があって、手桶ですくって体に掛ける方式も一般的だ。

ココはお湯が出るので助かるぅ~~~~
あぁ、サッパリした

そして部屋に戻って、日記を書きながらゴロゴロ。

んぢゃ、おやすみぃ~

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1996年8月18日(日):晴れ のち くもり ときどき 雨

Singapore:シンガポール

今日は天気が良いので、昼から外出しよう

まずは近場の観光をば

スタートする前に、近くのホーカーズで「魚圓麺(魚円麺:魚のすり身団子麺)」を食べる。
見た目は水餃麺と似たカンジで、あっさり味で結構美味い
日本のあっさり塩ラーメンに、おでんの「つみれ」を入れたようなモノ。

まずはラッフルズホテルに行こう。
今日はちゃんと靴を履いて来たから、中が観られるぞ 

そして、ほどなく到着。(地図の青い●
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8307
(1996年撮影)
日本人は、入口で制止される事もなく、ほぼフリーパスで中に入れる(ありがたや)

ロビーに入り、中を見学する。
西洋人観光客が館内を歩いているので、それに沿って後をくっついて行ってみる。

見晴らしがイイ場所に出た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8308
(1996年撮影)
南国の高級ホテルだねぇ~~~~

ヤシの木が情緒タップリ

下に降りて行くと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8309
(1996年撮影)
…中庭かな

とても静かな雰囲気で、狭いながらも落ち着いた空間になっていた。

…イギリス人が好きそうな空間だ

宿泊客ではナイし、ラウンジを利用する潤沢な金もナイ。
なので、リッチな日本人団体の横をすり抜けて、次の目的地へ…

道を曲がって、の方へ向かって歩くと、ほどなく到着した。(地図のオレンジ色の●
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8310
(1996年撮影)
まぁ!らいよぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~ん

コレぞ、シンガポールの象徴「Merlion(マーライオン)」様だっ

後ろに道路橋が建設されているため、ガイドブックと違って海が見えなくなってしまったが、まぁイイだろう。

オリジナルのマーライオンって、案外ちっこいんだね
(お札やチョコではよく見ているが…)

近くにいた観光客にお願いして、撮ってもらった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8311
(1996年撮影)
曇ってきたから、ライオンさんが背景に溶け込んでしまった…

…コレでは工事現場を記念撮影しただけではナイか。(笑)

…ま、目的は果たせたので、次に行こう。

次の目的地は観光ではナ~イ。
大事なご用事の下調べなのだ

海沿いにもう少し進むと、近代的なビルが林立するビジネス街に着いた。(地図の緑色の●
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8312
(1996年撮影)
おっされぇぇぇぇぇぇ~~~~~~っ

東京よりも数倍カッチョエェ~~~~

ココは香港ではなく、「Raffles Place(ラッフルズプレイス)」という地下鉄駅の真上だ。
このビジネス街に、オラが日本へお帰りの時に乗るひこーきの会社「ユナイテッド航空」のカウンターがあるのだ。
まだ帰りの便は予約しない(帰る日を決めていない)ので、場所だけを確認しに来た次第

カウンターは、駅6番出口の近く、「Hong Leong ビル」にあった

これでとりあえず今日の目的が完了した

さて、また歩いて戻りますか…
今来た道をテコテコ歩き、ラッフルズホテルの近くまで来た。

行きには通り過ぎてしまった公園を見ることに。(地図の紫色の●
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8313
(1996年撮影)
慰霊碑だ

ここは「戦争記念公園」と言う、第二次世界大戦で日本が占領した時の事を記念しておくために造られたようだ。

写真の碑は「日本占領時期死難人民記念碑」と言う。

東南アジアに来れば、必ずこのような記念碑がある。
日本人は目を背けずに、客観的な視点でしっかり見ておくべきだと思う。

過去をいつまでも引きずらなくてもイイが、「こういう歴史があった」という事は忘れずにおこう。
アジア全体の未来を築くのにも必要だ。

このすぐそばには、巨大な塔が…
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8314
(1996年撮影)
これも記念の塔だ。

2本に見えるが、後ろにも2本あって全部で4本伸びている。
マレー・中国・インド・ユーラシア人の意味があるそうだ。

その足元には…
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その83・シンガポール・街歩き-8315
(1996年撮影)
おそらく、骨壺であろう。

中国国内でもそうだったが、このような施設を見る時は、周りの人が「あなたは日本人でしょココの意味が解っていますか?それでも見学しますか」と訊いてくる。
もちろん、「理解しているし、見学したい」と答える。

そうすると、現地の人も納得して、感情的にならずにちゃんと見せてくれる。
むしろ「もっと知って欲しい」と積極的に見せてくれる。
お年寄り達は、若い日本人には「もう昔の事だ。若いあなた達には何の罪もナイ。若い者同士仲良くやってくれ」とも言ってくれる。

コレが小さな「相互理解」の第1歩かな…と思っている。

物事は、いろんな角度から公平に見るべきだ。

…さて、気持ちを切り替えて、次へ行こう。

お隣の建物が「Raffles City(ラッフルズシティ)」と言うショッピングセンターなので、スーパーマーケットを探しに入ってみることに。(地図の茶色の●

…おっ、「そごう」があるぢゃん

早速覗いてみよう
東南アジアには「そごう」があちこちにあって、助かるねぇ~
(2000年前後(バブル期)は、海外の日系デパートが多かった)

…何か変なのハッケーーーーーーン

パッと見、フツーのスーパーファミコンなのだが、中身のCPUは何と「64Bit
こんなの日本ぢゃ売ってねーよ
…ってか、日本のより性能が良い。(笑)
(日本のオリジナル製品は「32Bit」)

いろいろ観たいが、とにかく地下のスーパーへ行こう。

おぉ、いぇい

さすが日系のデパートだけあって、和食がズラ~~~っと並んでいる

目移りするぅ~~~~~

その中でも寿司に惹かれたが、1個がS$0.5~2(37~150円)で、他の地元食品との物価の差を考えると高いので止めた。
結局、カップ麺等を買い、お宿に戻ることに…。

お宿に戻って、17時頃に香港のお姉様へ電話をした。
何と、シンガポールにいる友達と連絡がついていて、友達が宿まで来てくれたそうだ

…あぁ、出掛けなければ良かった。

結局、明日オラが友達の職場へ電話するということになった。
コレで最後の難問が解決するかも

余談だが、シンガポールのテレフォンカードはかなり分厚い。
カード電卓くらいの厚みがあった…

気分が軽くなったので、夕飯にしますかのぉ~~~

今夜は「豪華でぃなー」だぞ

・中華三昧「担々麺」
・イチゴ

…スゴいだろ。(笑)

イチゴはヘルシンキで食べた以来だ
チト硬いが、味はまぁまぁ。

担々麺は、さすが日本製。

超~~まいう~~~~~

…ナゼにちゃんとした料理を食べナイのかって
それはね、まだお腹の調子が良くなってナイからだよぉ~~ん

さて、シャワーを浴びますか。
ついでに洗濯もしよう

トイレ(シャワー)が空いている隙を見て、サッと占有。
そそくさとシャワーを浴びながら洗濯をして、部屋に戻る。

ベッドでゴロゴロしていたら、少し寝てしまった。
目が覚めたら24時くらいだったので、いったん起きて日記を書くことに。

お宿の7階に無料の紅茶沸かし器(電気ポットだったと思う)があるので、紅茶を淹れる。
部屋に戻って、紅茶を飲みながら日記を書いている今日この頃…。

んぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その84」はこちらーっ!

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