鉄道模型

2011年9月22日 (木)

HOゲージ日記 ~「“緑色之路”中国鉄路YW22型」の巻~

今回も数少ない「HOゲージ」なんぞを…
(各写真はクリックすると拡大されるッス)

01
これは中国鉄路の旧型客車「YW22型」で、2等寝台(硬臥)車だ。
日本風にいえば「B寝台」で、「スハネ」「マハネ」ってなカンジ

YW」という形式名は、「硬臥(こうが)」という字の発音「Ying Wo」から取っている。
「硬(Ying)」…2等、「軟(Ruan)」…1等で、「臥(Wo)」…寝台車、「座(Zuo)」…座席車だ。
(1等座席車なら「軟座」で「RZ」となる)
現在は変更があったらしく、この法則の限りではナイ。

外国型はHOゲージで集めていた。(Nゲージのほうが高かったので…)
主にドイツ型車両がメインで、少しだけ中国型も持っていた。

昔はたくさん持っていたのだが、Bトレを始めてからはHO・Nゲージともに大半を売却処分してしまった。
で、手元に残った(残した)僅かな車両のうちの1両がコレだ

メーカー名は「百萬城」という。
おそらく、香港経由で作られた会社。場所は上海にあると思う。
「百萬(百万)」を広東語で発音すると「バックマン」。
…そう、あのアメリカのメーカー「Bachmann」だ

バックマン、昔はヘッポコなクォリティーで、いかにも「幼児向け玩具」といった品々だったのだが、今や安価で精密な模型を作るメーカーへと変身
欧米型車両のほか、アジア型にも進出してきて、海外車両好きにはうれしいメーカーだ

余談だが、北京語(標準語)だと「百万」は「バイワン」と読む。
メーカーのロゴも、「百万」を蒸気機関車風にデザインした、カッチョエェものになっている。
日本のロゴは英文ばかりで独自性がナイ。ハッキリ言って「ダサい」。
西洋人には「オリエントなもの」のほうがウケるのに…

なんでこんな車両を持っているかというと…
現在、当ブログで連載している「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」中に、実際に乗ったからだ。
それ以外にも何度か乗っている。

初めての海外旅行はドイツだった。
その時に乗ったひこーきが、香港の「キャセイパシフィック航空」。
なので、いったん香港の空港でフランクフルト行きに乗り換えた。

香港の着陸時に「あの夜景」を見てしまってから、すっかり香港にもハマッてしまった
それ以来、香港を拠点に「ちうごく大陸」へと進出するように…。

んで、当時当たり前に走っていた「深緑色の列車」が、この「22型」だったというワケ。
02
当時の「深緑黄色(クリーム)の帯」というのは、共産(社会)主義国では一般的な色だった。
中国、ソ連、北朝鮮、東欧……
そんな「禁断の国の車両」車両を見ると、日本人にとってはドキドキするぢゃない?(笑)

しかも、車内は「昭和30年代」テイストで溢れてるし
当時の日本では消えてしまったものが、まだたくさん走っていた。(SLも)
03
もうすっかり「メロメロパ~ンチ」モノだ。

帰国後かなり経ってから、銀座の「天○堂」が「百萬城」とコラボして、日本でちうごく型を販売し始めた。
なので、いそいそと出掛けて迷わず購入
他にも数種類買ったのだが、デザイン的に自分の乗った車両のイメージとは違っていたので、売却してしまった。
(この22型客車は製造期間が長かったので、様々なバージョン違いが存在する)
この車両は気に入ったデザインだったので、手元に残しておいたというワケ。

車端部はこんなカンジ。
04
屋根が高く、ゴツいカンジ。

ちうごくの客車は、東北地方の「マイナス40℃」から、砂漠の「50℃」までの気温に耐えられるように作られているので、かなり頑丈だ。
それゆえ、ゴツいのだ。

では、細部を見てみよう。
05
車体端部の標記類だ。

硬臥車 YING WO CHE」と、車両の種類が書かれている。
日本風に言えば「B寝台車 B SHIN DAI SHA」と書いてある。

その右横の「YW22B 665087」は、形式名と車両番号。
「YW22B」が形式名。
日本風にすると「スハネ22のB番台」ってなカンジかな。
「B」は恐らく「第2次設計型」というようなニュアンスだろう…。

ドアの裾に書かれているのは「厳禁敲撃」。
「敲」も「撃」も「叩く」という意味。
なので「ドアを叩くの厳禁」というコト。

反対側の車端部も。
06
こちらも一緒だが、裾に「120Km/h」と、最高速度が書いてある。

では、車内の様子をば。
07
ちょっと見えにくいが、中には寝台が表現されている。
通路側から見た寝台だ。ハシゴなども見えるね

ちなみに、窓は二重窓。
なので、いくつかの窓は、内側の窓が少し開けてある状態を再現してある。

…ナゼかって?

だって、建て付けが悪いので、一度開けると二度と閉まらない窓が多かったからだ
春~秋はイイが、冬はたまったモンぢゃナイ! まぢ死ぬでー。

逆に、どうやっても外側の窓が開かない車両もあった。
夏の砂漠地帯でアレはキツい… (もち非冷房)

車体を分解しようと思っても、勝手がよく解らない(壊したくない)ので、実車の写真をご覧いただこう。
08
このようになっている。

寝台は3段。
最上段はかなり上にあり、寝相の悪い人にはかなり危険。
保護棒らしきものは気休め程度に付いている。(当然、付いていない車両も多い)
網棚のもっと上部に、かすかに上段の寝台が見える。

中段の寝台は折りたためる。
…も、寝台の空間は高いため、折りたたまなくても余裕で下段に座れる。

余談だが、網棚の下には1本の棒がある。
ココに全員、自分のタオルをぶら下げて干しているのだ。
しかも、干し方にも決まり(?)があるらしく、すべて同じたたみ方(4つ折り)で干されている。
これは「ちうごく人の常識(マナー)」なのだろう…。
テキトーにぶら下げておいたら、車掌さんにキレイに折りたたまれて、気が付いたら周りと同化していた。(笑)

反対のサイドから車内を。
09
寝台側から見た様子。

特に面白味はナイ。
だが、実車と比べると、良く出来ているのが判る

台車をアップで。
10
これは近鉄の台車(近畿車輛:KD51)に近いカンジだね。
オシ17の「TR53A」台車もこんなカンジ。

ユーラシア大陸では標準的なカタチのようだ。
あちこちの国で、同じような台車を大量に見かける。

もう片方の台車を。
11
こちらには「車軸発電機」が付けられている。

車内の照明にしか電力を使わないので、この程度の小型発電機で充分なのだ。
日本の旧客もそうだった。
現在のちうごくの客車は、日本と同じように「発電車」(日本で言う「カニ(電源車)」)を端っこに連結している。

…ま、こんなカンジっす。
「改革開放」時代の、まだゆったりとした時間の流れが残っていた頃の、良き車両の物語。

最後に…
12
出来ることなら、もう一度この寝台車で旅がしたい…。

再見(ツァイ チェン)

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2011年8月15日 (月)

HOゲージ日記 ~「やっぱ“でーべー”っしょ♪」の巻~

今回は当ブログ初の「HOゲージ」なんぞを…
(一部の写真はクリックすると拡大されるよん)

501
これはドイツ鉄道(DB)の客車で、1・2等合造車だ。
日本風にいえば「オロハ」「スロハ」ってなカンジ

外国型はHOゲージで集めていた。(Nゲージのほうが高かったので…)
主に型車両がメインで、少しだけも持っていた。

昔はたくさん持っていたのだが、Bトレを始めてからはHO・Nゲージともに大半を売却処分してしまった。
で、手元に残った(残した)僅かな車両のうちの1両がコレだ
502
メーカー名は「ザクセンモデレ」(ザクセンモデル)という。
旧東ドイツにある(あった)会社で、欧州模型メーカーの激しい統廃合の中で、どうにか残っていたブランドだ。
もうあるかどうかは判らない…

なんでこんな車両を持っているかというと…
現在、当ブログで連載している「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」中に、実際に乗ったからだ。
(しかも1等車だぉ)

私は大のDB(でーべー)好き
本物のDB車両達が見たくて、初めての海外旅行はドイツに行ったほどだ。
しかも、元「東ドイツ」の車両ときたら、これは「アタリ」以外の何ものでもナイ

帰国後、いそいそと銀座の「天○堂」に向かい、迷わず購入
その後、一年ほど中古で売りに出したものの、買い手がつかずに手元に戻って来た。
これは「ずっと保存しておきなすぁい」というお告げだったのだろう………か?

車端部はこんなカンジ。
503
屋根が「三角おむすび」みたいな、まぁるい形をしている。

欧州の客車は、ほとんどの車両の両端部にテールライトが付いている。
なので、この車両も「オロハ」とでも言うべきか。

色は、江ノ電のような配色。
これは、昔の東ドイツ国鉄(DR)では標準的な塗り分け。
東西ドイツが統一された後でも、しばらくはこの色のまま走っていた。
504
(1996年7月11日撮影)
…ね。そうでしょ

前後の車両の塗色(白&)は、当時の新色(急行・近郊列車用)。
JRの信州に近いね。

ちなみにこの駅は、ドイツ・デンマーク国境のドイツ側の駅「Puttgarden:プットガルテン」だ。
ホームの奥はすぐ港になっていて、フェリーが直に接岸できる。

この列車もフェリーに乗って、デンマークからやって来た。(始発は「コペンハーゲン」駅)
505
こんな風に、お船の中に留められて、どんぶらこっこと…。

列車の乗客は船内にも遊びにいけるが、自分の座席は車両の中。
つまり、乗車したまま乗船するのだ

いくら1等車とはいえ、景色はトラックの側面のみ。
照明は申し訳程度。(船から電源をもらってるため)
クーラーはナイ。だって非冷房車だもん。

日本でも青函連絡船がこのような車両航送をしていたが、乗客は船室に座らせたとか…。
(戦後すぐの頃の、お偉いさん(進駐軍)しか乗れないような列車だった)

こんな面白い体験をしたら、やっぱ記念に欲しくなるよねぇ~

では、細部を見てみよう。
506
車体中央部の標記類だ。

欧州の車両は、1等座席部分には、窓上に黄色山吹色のラインが引かれている。
この車両は約半分が1等座席なので、窓上のラインも途中までまで引かれている。
(この当時の欧州人がJR東日本のE751系を見たら、全車両1等車だと思ってしまう。まぢで。)
ちなみに、2つ上の実車の写真と見比べて欲しい。
模型では窓5個分、つまり半分が1等の標記になってるのだが、実車は窓4個分が1等室だ。
なので、この模型は「間違ってるぅ~~っ」というワケ

中央の「DB」マークは「ドイツ鉄道Deutsche Bahn:ドイチェ バーン)」の意味。

ちなみに、1994年までは同じ「DB」でも意味が違った。
ドイツ連邦鉄道Deutsche Bundesbahn:ドイチェ ブンデスバーン)」だった。
「西ドイツの国鉄」という意味。ドイツ統一前の名称。

「東ドイツの国鉄」は「DR」と言った。
ドイツ国有鉄道Deutsche Reichsbahn:ドイチェ ライヒスバーン)」だった。

1990年の国家の統合を受け、1994年に鉄道も統合・民営化された。

…ってなワケで、この車両(実車)も、撮影する2年前まではこんなおデヴな「DB」という文字ではなく、
ひょろ長くて細い「DR」という文字が書かれていた。

DBマークの下の長~い数字は、車両番号だ。
欧州の車両は「UIC番号」という規則で車番を標記するように決められている。

51 80 30-40 539-4

この区切られた数字ごとにすべて意味がある。(後述)

ドイツ国内では、UICの数字の下に小さく書かれている「ABom222.1」という形式名で呼ばれている。
日本風に言えば「オロハフ222の100番台」といったニュアンスだ

それ以外の、車体の裾に書かれた文字・記号類は、車体の長さ・重さや最高速度、所属区、航送出来るかどうかなどが記されている。
ちなみに、この車両の長さは26.4m。最高速度は140Km。(特急形客車は250Kmくらい)

実写の標記も見てみよう。
507
模型とほぼ同じ。

…ってか、

51 80 30-40 512-1

って、模型と27番しか違っていない
…兄弟だ。

よく見ると、51 80 の「8」と最後の「1」が書き換えられた跡がある。
これはドイツ統一によって、「国番号」が変わったため。

西ドイツ(DB)は「80」、東ドイツ(DR)は「50」だった。
今のドイツも「80」なので、50 → 80 に変わったワケ。
(現在の50番は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」)

最後の「1」は車両番号チェック用の数字。
複雑な計算式の結果に出てくる1桁の数字が書いてある。
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余談だが、このUIC番号は世界規格だ。
当然、日本の番号もある

日本(JR)は「42」が割り振られている。

なので、試しに「オハ14 101」をUIC番号で標記してみると…

50 42 29-29 101-9

ってなカンジになる
(日欧で車両の区分けの概念が違うので、完全にこの数字にはならない。あくまでも例えだ)

もし、日本の車両が欧州まで乗り入れることになったら、車体にはこのようなUIC番号を書かねばならない。
(逆に、日本に来たオリエント急行には、「シナ」などと標記が書かれたままだった。)

-----------------------
…あぁ、ハナシが逸れまくった

さて、続きをば。
508
1等車側のデッキ付近。

1等の「」と、「 喫煙」「 禁煙」の両室があることが標記されている。
白い小窓は「おトイレ様」だ

台車をアップで。
509
これは近鉄の台車(近畿車輛:KD51)に近いカンジだね。
オシ17の「TR53A」台車もこんなカンジ。
それを横に「びろ~~ん」と伸ばしたみたいな

ドイツには「ミンデンドイツ式」という有名な台車もある。
日本でもこのミンデン台車を履いた車両はたくさんいた
新幹線0系や東武8000系、営団地下鉄5000系や小田急NSE(3100形)などなど…

子供の頃は「民電ドイツ」だと思っていた。
だって、私鉄(民鉄電車)しか履いていない台車だったからね(笑)
新幹線の台車は、スカートで見えなかったしぃ。
(ホントの「ミンデン」は地名だよん)

次に室内を見てみよう
510
ご覧のように、車内は全部コンパートメントになっている。

実車はこのとおり。
511
廊下のドアから手前が1等室。奥が2等室。

この車両では、1・2等での大きな差は、座席数以外はあまり無かった。
一般的には、1等が6人個室・2等が8人個室だったり、全部6人個室でも座席のグレードが違ってたり…といったカンジだ。

まぁ、この時代でも「 古参 」の部類に入る車両だったからねぇ…
旧西ドイツ側の「近代的でおされな車両」とは比較にならない。

では客室(コンパートメント)側を。
512
模型ではどちらも6人掛けになっている。
たしか、実車は2等室が8人掛けだったと思う。
(…あまり2等室側は見なかったため、記憶にナイ…)

模型にはナイが、実車にあったレアなモノを
513
なんと「DR」のくず物いれだぁ

ここだけ東ドイツのニオイがプンプンしていた

東ドイツ、この6年前(1990年)までは、うかがい知ることの出来ない共産主義国だったからね。
今の北朝鮮のように…。
うかつに入国しようものなら、生きて帰って来れる保証はほとんど無かったし。

正式な手続きで入国しないと、入国時に射殺されるパターンがほとんどかなぁ…。
まぁ、誰も望んで入国なんかしなかったケドね。
不法出国は「無条件で即射殺」だった。
それで多くの人が命を落とした。「ベルリンの壁」の悲劇がその代表だ。

だから、旧東側のエリアにいる時は、何気にドキドキしながら乗ってたのだよ。
この車両は特に「東ドイツそのもの」だったし。
(「ホントに統一されて自由になったのか?」と。この直前に、モスクワで警官に詰所まで連行されたからね…)

…ま、そんな激動の時代の、良き車両の物語。

最後に…
514
旧東側の風景は、手付かずだったので美しかった…。

あうふ びーだーぜーん(Auf Wiedersehen)

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2011年3月28日 (月)

ジオラマ日記 ~「TOMYTEC“集合住宅A”をいぢる」の巻~

今回はジオラマ用のストラクチャー(建物)なんぞを…。

久々にストラクチャーを買った。
01
TOMYTEC(トミーテック)」の「集合住宅A」というものだ。

前から気になっていた。
昭和中期の昔に作られた、当時にしては「モダ~ン」なデザインの建物。

さっそく箱を開けてみた。
02
ご覧の通り、半完成状態で入っていた。

説明書はバラバラの図だったのだが、文中にも「一部組み上がってるかもよぉ~」と書いてあった。
…お、ラッキー

屋根かぶせれば、もう完成ぢゃん

20秒で完成させ(笑)、完成写真を撮ってみた。
03
イイねぇ~♪

ぢゃぁ~、ちょっとグレードアップしてみよう!

…よし出来た
(画像をクリックすると拡大するよん)
04
…あれ?何かリアル。

ま、いいっか

家の玄関のほうも見てみよう。
05
屋根が大きいね。

へぇ~、左右非対称なんだ…。

こっちから見た光景もグレードアップしてみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)06
どぉ?

汚し具合(ウェザリング)が上手でしょ?

玄関をアップで見よう。
07
ドア周りが良く出来ているね

これもいぢったぞ
08
リアルでしょ?

この部屋は「もう住んでいない空き家」という設定にして、ドアを板で塞いでみた。

側面のテラス風な部分をアップで見てみよう。
09
ココは別パーツになってるので、上手く組み合わないや…。

でも、イイや。

グレードアップしてみよう。
10
むりやり接着したので、矢印の部分を境に左右で傾いちゃった。

ま、しょうがナイね。
木で誤魔化しておこうっと

気に入ったので、いっぱい並べてみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
11
いいカンジだねぇ~♪

やっぱ、駐車場もナイとね。

住宅の周囲に道路も作ったぞ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
12
バス停も置いてみた。

100円ミニバス(コミュニティーバス)が走っているという設定。
バスには「すぎ丸くん」なんて愛称でも付けてみよう

手前のゴミ網が雰囲気出てるでしょ
みかんの木も植えてみた。

家の周囲はで囲んでみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
13
こんな家があったら理想だよね~

…久々にイイもの作った

(おしまい)

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★ おまけ 

本当は東京の杉並区にある「阿佐ヶ谷(あさがや)住宅」というところだ。
実際に、この家がモデルになっている。

地下鉄丸ノ内線南阿佐ヶ谷(みなみあさがや)」駅(杉並区役所)から南へ徒歩3分ほど。
桜に囲まれた「善福寺(ぜんぷくじ)川」沿いにある。

周囲は花見の名所でもあるのだ。 
(画像をクリックすると拡大するよん)
14
むかし、オラはこの近くに6年ほど住んでいて、毎日通勤でこの住宅の敷地内を通過していた。
緑がいっぱいあって、静かですごくイイ空間だ。
オラのかなりのお気に入りスポットである。(今でもたまにチャリで訪れる)

そんなある朝、カメラを持った数人が、この家をバシャバシャと撮影している姿があった。
「そろそろ建て替えで壊すから、関係者みたいな人が記念に撮ってるのだろう」と思っていた。

だが、その数ヵ月後に模型屋の店頭でとんでもナイ箱を発見した。
…そう、紛れもナイ「1/150の阿佐ヶ谷住宅」だったのだ。

いやぁ~、ビックリ。

もうすぐ建て替えで全部壊されてしまうので、見たい方はお早めにぃ~
(地上6階・地下1階の高層住宅になるそうだ。)

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余談だが、この住宅の隣に、ある小さな工場がある。
そこでは何と、鉄道用の標識(勾配標やキロポストなど)を作っているのだ!
フツーの住宅地のブロック塀に、いきなり新品のキロポストが何本も建っていたりする。(笑)

むかし見たときには「ほくほく線用」と書かれていた。
結構あちこちに納品していると思われる。

もうすぐ桜の時期なので、花見がてらに探してみればぁ~?
(あえて場所と会社名は教えなーーい

つづき「タウンショップ1」はこちらーっ!

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2010年10月18日 (月)

趣味誌日記 ~「人気列車で行こう」創刊号~

えー、今回は当ブログではかなり異色の日記を…

01

先日の2010年10月7日、小学館から「人気列車で行こう」という鉄道マガジンが創刊された。
小学館にしては異色の、鉄道誌業界では久々の新規創刊

しかも、お値段なんと「290えーん」

…こ、こりゎ安い(創刊号のみ)

早速、中を読んでみる。
今回は「」の特集だ。

記事はマニアも納得の内容だが、しっかりと、お子様や女性にも楽しめる、ヒジョーにバランスの良いマガジンだ。
読んでると旅に出たくなるくらいだ。
鉄道マガジン」と名乗っているが、旅先の見所の紹介や移動中の「お食事」(駅弁、食堂車)などの情報も充実している。

読んだ感想は「ちゃんと鉄道を解ってる人が書いた&編集した紀行本」というカンジ。
「鉄道ジャーナル」ほど専門(マニア)化していないのが、読みやすい
写真もキレイだしぃ~。

おまけに、創刊号と2号にはペーパークラフトも付いてくる
創刊号は「C62 2号機」。2号は「0系」新幹線。

知り合いの美女が「組み立てるーっ!」と早速組み立ててみた
02
サイズ的には、ほぼHOスケール(1/80)。

新車のようにテカテカしているのもカッコイイ
…残念ながら、テンダー(石炭を積む後ろの部分)は付属していない。orz

では、細部をなめまわしてみよう。(笑)
03
デフの「つばめ」マークもしっかりと再現
シリンダーまわりが「へにょれ~」としているのは、私には見えない。
(みんなでいぢりまくったからなぁ…)

お顔も見てみよう。
04
…まずは横顔をチラ見で

こんだけアップで見てれば、気分は「梅小路機関区

次に、運転台まわりを…
05
なかなかどーして

KATOのNゲージみたいに、運転台と従台車のスキ間がスッカスカなんてことはナイ。(笑)

ちなみにこの車輪、しっかりと裏側の印刷もされたパーツもあって、表裏2枚貼り合せて作るようになっている。
…こ、凝り過ぎ

美女が「ヒーヒー」吼えながら組み立ててたのは、このせいか…

背面から運転台を…
06
なんと、しっかりと火室まわりも表現されている!!

お子様が泣いて喜びそうな「くおりてぃー」だ
(元々は昭和47年の「小学5年生」の付録だったらしい。それの復刻版だそうで)

美女は泣いてイヤがってたけどぉ。(笑)
(特に画面下部の連結器の折り曲げに…)

では、最後に正面からのお顔を…
07
ペーパーとは思えないくらいに、しっかりとしたプロポーション。

…コレが290円だぜっ どうよ

あと、別売でバインダーもあるんだよねぇ~。
08
ミトーカ氏(水戸岡氏)デザインのカッチョイイ逸品

小耳に挟んだのだが、何でも、これと同じデザインの「クリアーファイル」ももらえるとか。
でもこれは大型書店でしか配ってナイらしい…orz

…仕方ナイ、もう1冊買いに、神保町か新宿辺りの大書店に走るとするか。(笑)~
絶対に「レアアイテム」になること間違いナイだろうし

次の「0系」もたのしみだなぁ~~~

久々にオモシロイ本、見ぃつけたぁ

この本のシリーズについての詳細は→こちらをクリック

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2009年9月 3日 (木)

Nゲージ日記 ~「手軽に再現!中国鉄路」の巻~

今回は私のコレクションの中でも「究極の一品」という「お宝」をご紹介しよう☆
01_3
これは中国鉄路(国鉄)の「東風」型ディーゼル機関車と「22系」客車だ。
かなりシブい路線(趣味)だと言わざるを得ない。(謎)

分かりやすくイメージしていただこう。
02_2
どぉ?(笑)
時代的に古い形式の部類に入るので、こんなコラボがお似合いかも。

なんでこんな車両を作ったかというと…

初めての海外旅行がドイツだった。
その時に香港の空港で乗り換えた。
香港の夜景があまりにキレイだったので、2回目の旅行は香港にした。
すっかり香港にハマって何度も通ううちに、「大陸」という存在に興味が湧き出した。
香港は東京都の半分しかない、狭い区域だったのでね。
当時の香港は「究極の資本主義」でイギリス領、それと小川を挟んで隣り合ってる広大な「社会主義国」の中国…
魅力は充分にあった。

で、大陸に行くようになり、移動で列車にも乗った。
日本だと昭和30年代のような車両たちが走るその雰囲気にすっかり魅了され、中国鉄路好きになった☆
すでに日本では失われてしまった鉄道の風景が、中国にはまだたくさん残っていたからだ。

今や中国でも高速列車が頻繁に走るようになったが、まだまだ地方ではこんなローカル列車がフツーに走っているのだ。
都会でも、普通列車(一日数往復しかナイが)などはこのタイプが多い。

HO車両でも持っていたのだが、敢えてNゲージで再現してみた。
まだどこからも製品化されてナイからだ☆

では、機関車から見ていこう♪
まずはオレンジ色のほうから。
03_2
これは「東風4型(DF4)」という機関車。
今では旧型の部類に入るが、一大勢力を誇っていた「標準型」とも言える形式だ。
日本で言えば「DD51」のような存在。

次に白&紺色のほうを。
04_2
こちらは「東風11型(DF11)」という機関車。
少し前まで一大勢力を誇っていた「新標準型」とも言える形式だ。
日本で言うと…いないな。(笑)
強いて言えば「DF200」のような存在かなぁ…?

それでは模型のほうへ。
05_2
タネ車は何と、日本の機関車「DF200」だ☆
意外なタネ車に、見た人はみんな驚く。

そりゃそうだ、自分だってコレから改造できるとは思っていなかったんだから。(笑)

ま、今回は「あくまでイメージ重視」なので、細部は当然実車と合っているわけがナイ。
「色と表情」で、雰囲気を楽しもうというコンセプトで制作したのだから。

さぁ、側面を見比べてみよう♪
06_2
07_3
08_3
色と、中間台車付近と屋根中央部の改造部分がDF200と違っている。

中間台車を撤去し、そこに「DE10」の燃料タンクを接着。
実車は中間台車が無く、動力台車は3軸なのだが、コレだけでも雰囲気は充分出てる♪

下回りはグレーに塗装し、車輪を赤く塗り、タイヤのフチは白く塗った。
コレは中国の機関車の標準の塗装である。
逆に言えば、このように車輪を塗っておけば、SLなどでも中国風になるというコト☆
まぁ、ユーラシア大陸の機関車はこの塗装が多いからね♪「大陸標準」とでも言うべきか。

続いて屋根を…
09_2
実車の屋根がのっぺりとした一直線なので、中央のファンを取り外し、手元にあった電車用の「AU75」クーラーを接着。
偶然高さも大きさも揃ったので、ちとビックリ。(笑)

あとは、「屋根上のモールドをぼやかす」という意味合いも込めて、スエード調のスプレーで塗装。
実車は鉄板の上に直接塗ったようなツルツルしたカンジなのだが、そこはテキトー☆(笑)

では、カンジンの「お顔」を見てみよう♪
10
左から、「DF200」「東風4型」「東風11型」だ。
作られた年代が違うので、11型のほうがイマドキのお顔をしている。

ココも雰囲気重視の改造に留めてある。

まずはヘッドライト。
DF200にはナイこのライト。今回の改造の最大の場所といっても過言ではナイ☆
一体どうやったのかって?

…答えは、「EF58のヘッドライトを移植した」であ~る♪

要らないKATOのゴハチのボディを複数持ってたので、切り出してDF200のおデコに穴開けて接着した次第。
隙間埋めをそれほどしてなかったのだが、塗料がボッテリしてるので隠してくれた。ラッキー♪

ちなみに、このヘッドライトは光るでぇ~♪
元のライト部分と同じ位置に来るので、EF58用のレンズを削ってはめれば、元からあったかのように光ってくれるッス☆
このおデコのレンズは、内側に緑色のマジックで色を付けておくと、リアルに光りまっせ!

窓周りは、色を塗った薄い紙を切って、両面テープで上から貼っただけ。(笑)
これだけでも充分雰囲気は出るよねぇ~~♪
ココがみんなの「ビックリ改造ポイント」だ☆

あとはスカート回りを実車と同じように塗装した。
11型の赤白のシマシマはチト手間だったが…

あ、11型のナンバープレートを赤く塗るのを忘れずに!
(…って、誰も改造しないか。(笑))

窓回りのアップをご覧いただこう。
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チョット4型がボケてしまったが…
ちなみに、4型の運転台窓はこんなにカッコ良くナイからね!
もっと野暮ったい、いかにも「ちうごく」といったクォリティーだから。(笑)

車体全体の塗装は、ベースの色を塗った後、マスキングを含めて友人に依頼。
当時はこんなにキレイに塗り分ける技術…というか自信が無かったからね☆

4型は朱色5号と小田急アイボリー。
11型は小田急アイボリーと近鉄ダークブルー。
どちらもアイボリーを先に塗った。
すべてGMカラーを使用。

これで機関車は出来上がりぃ~~♪
もうDF200には見えないだろう☆

さぁ、お次は客車の番だっ!
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こちらは共産圏ではよく見る塗色だ。
決して「トワイライトエクスプレス」や「サロンカーなにわ」ではナイ。(笑)

ま、アチラ(中国)も東風4D型の機関車に485系と同じような塗装をしているからねぇ~☆
イメージ的にはキハ183のようなカンジかな。角ばった正面の機関車なので。
お互い様だなや♪

この客車は、中国の標準型である「22系」をイメージ。
日本で言えば「43系」にあたり、昔のスタンダードタイプだ。
なので、タネ車もスハ43にした。

実車はこんなカンジである。
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窓が2重窓のゴツい仕様で、建て付けが悪いのが多く、開かなかったり、閉まらなかったり、内側だけ開いて外側はピクリとも開かなかったり…と多種多様だ♪
砂漠の炎天下で開かないのと、酷寒地で閉まらないのだけはカンベンして欲しい…

座席車・寝台車・食堂車・荷物車など、一通りの車種は揃っている。
まさに日本の旧客と同じだ☆

写真は2等座席車。アチラでは「硬座車(YZ)」といい、日本で言う「ハザ」だ。

では次は1等車を…
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アチラでは「軟座車(RZ)」といい、日本の「ロザ」だ。
「スロ54」などの「特ロ」に近いかな…

一応、クーラーなんぞ付いている車両もいる。
クーラーは数種類あったが、日本の「AU75」にそっくりなのを搭載している車両もあった。
まさにこの写真がそれに近い。
模型もAU75を載せといた♪

お次は食堂車。
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アチラでは「餐車(CA)」という。
今でも食堂車はバリバリの現役だ。
なにせ2泊3日の長距離運用(3000Km級)なんて当たり前の、広大な国だからねぇ~☆

こちらもアッサリと、「マシ35」にクーラー載っけて完成♪

あとは、列車のはじっこに欠かせない荷物車も用意しないと…
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ハイ、「マニ60」でーっす♪(笑)
アチラでは「行李車(XL)」という。
ちなみに、「行李(こうり)」は「荷物」のコト。日本語にもあるよね、「柳行李(やなぎごうり)」とか。
(オジィやオバァに聞いてみよう!)

ココまでの客車、全車共通の改造方法は…
1.車体に緑2号(湘南色の緑)を塗る。
2.黄色い帯をシルとヘッダー部分に貼る。
3.台車を「オシ17」のモノに交換する。
4.窓サッシを銀色に塗る。
…の4点だ。

これだけで、かなり共産圏の客車っぽくなる。
(「どう見てもトワイライトExp.だぁ~!」とか言わないのぉ~☆)

オマケでこんなのも作ってみた☆
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「マイテ」でーーーっす!
(「どう見てもサロンカーなにわだぁ~!」とか言わないのぉ~☆)

実際には存在しないが、似たようなのが中国東北部にいたことが、後になって判明。
あながち「ウソ客」ではなかったようだ。(笑)

ちなみに、似たような展望車はコレ。
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どぉ?似てる?

さて、こうやって「ノリ」だけで作った「ちうごく」の列車、いかがかな?
20両近くつないで、「前進型」風のSLなどで砂漠や草原のモジュールなどを走らせてみると画になりまっせ!

私はコレでシルクロードを旅しました。
そんなロマンをアナタにも…☆
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2009年7月20日 (月)

Nゲージ日記 ~「ちっこい直流機:ED64?」の巻~

今回は前世紀(笑)に作った骨董品を…
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えー、見てのとおりである。(笑)

昔からNゲージを走らせてて思った。
「機関車がデカいんだよなぁ…」と。
特にカーブ部分を通過するときのバランスが不自然で美しくない。

そりゃそうだ、例えばR1000mmのゆったりした曲線線路でも、実物に直すとR150m。
京急の品川駅にある八ッ山鉄橋手前の急カーブや、京急蒲田駅の空港線の急カーブがほぼ同じ。
あのカーブにEF級の電気機関車が通る…考えただけでも無理があろう。
R282mmなら実物はR42m。これぢゃ箱根登山線かナロー線路だよ、もう…。

で、たまたまKATOのED75を譲り受ける機会があったので、よろこんで貰った。
当時は東北本線に少し興味があった程度なので、私的には使い道はあまりなかった。
でも、ED75のぷりちーさには昔から好感を持っていた。

そんなカンジで眺めることしばし…

「…あ、青く塗ったらちっこい直流機になるなぁ♪」と。

結局、いつものイキオイで塗り替えてしまったワケなんだなぁ、これが☆
今考えると、これが私のBトレ趣味のハシリかもしれない…。
「ちっちゃいものクラブ」好きだし。(笑)

早速、他の直流機と比較してみよう。
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左からEF65・改造車・EF64だ。

カタチからして、ED60~62に近く、雰囲気はEF64に近い。
なので、名付けるとしたら…「ED64」ってトコか。

まぁ、「飯田線や大糸線に新型直流機が新製配置されてたら…」ってイメージで見てくだされ。

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ベース車はKATOのED75。
屋根以外は単純に塗り替えただけ。
色も標準の「青15号」+「クリーム1号」(つまりスカ色)だ。
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前面の銀色帯は残した。
そのほうが「ED61の後継機」というイメージがするのでネ♪

屋根は直流機っぽく改造した。
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単純にEF65のモニター類を移植しただけ。
当時、パーツはバラ売りしてたので、ボディーを買うことなく、安価にいくらでも手に入った。

黒い屋根パーツの表面を平らに削ったあと、グレー(ねずみ色1号)で塗り、モニターを接着。
避雷器と無線アンテナ(当時最新!(笑))もモニター横に接着。

今まで写真を見て気づかれた方もいると思うが…
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そう、この機関車は「お召し塗装」になっている。
ちょうどEF6477号機のお召し列車が走ったのを見て、す~っかり「メロメロパンチ☆」をくらった私、迷うことなくデコってしまった次第。(笑)
なので、装飾方法(色)もEF6477号機そのものになっている。(帯はバランス上、省略)

こんな「お気楽」で完成させた機関車、たまに見せるとウケが良かった。
当時はTOMIX製のED61とEF64しかなかった時代だったので…。

で、こうしてローカル線風ミニモジュールを走らせると、バランス取れて画になるんだなぁ、これが♪
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…でも今はBトレで実現してるけどネ~☆(笑)

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2009年7月 9日 (木)

Nゲージ日記 ~「なんちゃってオリエント急行:オシ17」の巻~

今回は、むかし(2001~02年頃)作ったオリエント急行風食堂車を…
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日本を走った「オリエント急行88」、あれを見て以来、リバロッシ製のオリエント急行の客車が欲しくなった。
だが、高価&品薄で入手しにくい……あっけなく断念。orz

で、長い年月が経った、ある今世紀初頭。(←大げさな…)

ふとKATOから発売された10系客車シリーズを見て思った。
「あ、これで“なんちゃってオリエント急行”作ったらどうなるかな…?」と。

で、またイキオイで作ってしまったワケだよ、はっはっは☆(笑)
…やれやれ。┐(;′~`)┌

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タネ車はKATOオシ17。
単純にバディの塗り替えのみだ。
学生当時、バイト中にまわりの「悪いオトナ」達にさんざんオリエント急行だのワゴン・リ客車だのを毎日(笑)見せ付けられた私、すっかり欧州車両通と化してしまった。

なので、この車両を塗ろうと思ったときに「紺色ではなく茶色に塗ろう」と決めた。
実物の茶色の食堂車がシックでキレイだったからだ。
個人的には衝撃を受けた色合いだ。

塗料はGMスプレーの「クリーム10号(小田急アイボリー)」とグンゼの「ウッドブラウン」を使用。
フツーにブラウンを塗り、マスキングしてクリームを塗った。

中央のエンブレムはKATO製の北斗星用インレタでごまかした。(笑)
いまや貴重なインレタだ。もう増備は出来ないか…
(今のほうがインレタ作りやすいだろっ!)

妻板の塗り分けはこのとおり。
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いたってシンプルだ。
さて、気になる金帯は「レトラライン」の金色を使用。
セロテープのように引っ張り出して貼るだけのカンタンなものだ。
画材屋さんなどで売っていて、帯の幅の種類も多い。

余談だが、これの白色と黄色は道路のラインの表現に最適だ。
曲げながら貼ることも出来るのでネ☆

でもココでは真っ直ぐに貼ろうね~♪(笑)
今回は、他の日本型客車(10系や24系)に併結する前提だったので、幕・腰・裾の3本のみと、あっさりと仕上がるように貼った。
何だが小田急の百貨店完成記念塗装車にも似たカンジになっちゃったね。(笑)

ちなみに、金帯を貼らないと…
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…なんか「ゴージャスさ」がナイ。
日本の「当たり前の客車」になってしまう。
スイスの「ユングフラウ鉄道」にも似てるなぁ…
ちなみに、本物のオリエント急行はこちらをご覧いただきたい。

オシ17は台車がドイツ風のゴツいモノなので、なおさら欧州風になって「良い♪」とご満悦だった。
この車両、2002年12月に某メーカーのHPの改造車両コーナーに掲載された。

あれ以来、ずっと眠っていたのだが、ココのところ何やらオリエント急行ブームだ。
なので、ひさびさに紫外線に当ててみたワケ。(笑)

チョット撮影したらまた長い眠りにつくだろう。
「眠り姫」…ではナイな。ただの「居眠りオヤジ」…か。(笑)

また眠る前に、本場のアルプスを走ってる「幻影」を、見させて・あ・げ・る☆
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2009年6月 8日 (月)

Nゲージ日記 ~「事実は模型よりも奇なり」の巻~

今回は手持ち少ないNゲージのハナシを。

かなり以前(10年くらい昔)、手持ちの余剰のKATO製103系で、こんなのを作ってみた。
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そう、「なんちゃって西武(初代)401系」だ。
一応、実物の追番にしてある。
401系と451系の「合いの子」的なスタイルだ。
「451系の4ドア版」というのが解りやすいね♪

これが誕生したワケ…
それは、GMキット西武451系の戸袋窓の表現が好きではなかったので、103系を西武風に塗ってみたという次第。
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意外とウケも良かった。
フリーながらも、リアルっぽくする「ツボ」は押さえてあったためか。

クモハの屋根以外は一切加工していない。
台車は、KATOにはTR11の動力台車枠の製品が存在しないので、旧型電車の80系用DT20を「仕方なく」使用した。
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屋根は、クモハは前後を入れ替えてはめ直しただけ。
ガーラントベンチレーターは、1号お召し用。中間の大きいタイプ2個は、EF58用のを使用した。
クハは、無線アンテナ以外はオリジナルのままだ。
屋根は試験的な意味も込めて、スエード調のスプレーで塗装してある。

正面はそのまま。
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もともと西武451系は国鉄101系のデザインを真似ているので、違和感はまるでナイ☆
行き先には拝島と多摩湖を入れてみた。
やはり支線での2連運用が似合うだろう…。

で、この車両たち、しばらく放置されて眠っていたのだが、つい先日、あるニュースが飛び込んで来た。
私はそれを見て「……あ。」状態。

まさか、↓こんなのが…。
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秩父鉄道1000系(元国鉄101系)だ。
旧型車の塗装をこの形式に「復刻」として塗ったのだ☆
この形式にはこの塗装車はいなかった。譲渡直後は黄色に茶帯で登場した。
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1003
どう見てもソックリだろう。(笑)

事実は模型よりも奇なり。

…ネタ、パクられた。(笑)

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