探検日記 ~「今や伝説の短絡線・代田連絡線」2024夏~
(前回「一枚の写真から・都会の小さな楽園。東京・世田谷代田2024夏」からのつづきーっ!)
今回はお盆休みなので、久々にちゃんとした日記を書こう。(笑)
前回では、東京都世田谷区にある小田急線「世田谷代田(せたがやだいた)」駅上の、小さな癒し空間をご紹介した。
今回は、そのすぐそばを走っていた「今や伝説と化した臨時の短絡線」をご紹介しよう★
では、スタート★
オラは、いつもは世田谷区内の北東部に当たる「北沢地区」を、毎日うろうろしている。
そんな中で、とある公園(代沢せせらぎ公園)に1つの案内板(地図)があるのを発見した★
それは、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
文化地図ぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~っ★
北沢地区の、文化人等の住居跡を記した地図だ。
歴史や文学が好きな人には、非常に嬉しい案内板だ★
「下北沢(しもきたざわ)」駅を起点に、2つの散策コースが設定されている。
さすが世田谷区、数々の著名人が住んでいたんだねぇ…
今でも超有名な芸能人等がたくさん住んでいるけど、どこに住んでいるかは教えなぁ~い★
(毎日うろついていると大体判るのよ。工事現場のすぐ横だったりするからね)
そんな中、地図上に鉄ちゃんには見逃す事の出来ない、超重要な記述があった
アップで見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
伝説の路線~~~~~~~~~~~っ★
何とっ!僅か数年しか存在しなかった伝説の短絡線「代田連絡線(だいたれんらくせん)」が描かれているではないかっ!!
…これは珍しい
今まで代田連絡線がちゃんと描かれた地図はほとんど存在せず、「幻の線路」となっていたのだ。
見付けちゃったからにゃぁ~、撮るしかないわね
炎天下のクソ暑い中、スマホを取り出して地図を撮影。
後は現地を調べてみるだけだ♪
…なぁ~んてね★
実は、この連絡線の場所は、半年間も毎日常駐していたエリアなのだ。
なので、この地図を見た瞬間に、どこの家の所を通っていたかが瞬時に解った
あまりにいつも居た場所なので、写真すら撮った事が無いエリアだよ。(笑)
顔見知りになった住人さんも多い♪
…で、今回は日記を書く時間も出来たので、この線路跡をご紹介してみようと思った訳★
では、この代田連絡線の解説をしよう♪
★場所はどこ?
現在の小田急線「世田谷代田」駅と京王井の頭線「新代田(しんだいた)」駅の間。
造られた当時は、世田谷代田は「世田谷中原(せたがやなかはら)」駅、新代田は「代田二丁目(だいたにちょうめ)」駅と名乗っていた。
(現在の代田2丁目は全く違う場所にあり、世田谷代田駅の南側の一帯なので、むしろ世田谷代田駅が代田二丁目駅を名乗ってもいいくらい。(笑))
★何の目的で造られたか?
小田急線の車両を井の頭線に送り込むため。
★何でそうしたのか?
第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)5月25日の早朝に、米軍の空襲によって、井の頭線の「永福町(えいふくちょう)」駅にあった車庫が大打撃を受けた。
井の頭線在籍の全31両中の、24両もが被災したそうで。
それで、急遽小田急線から車両が送り込まれる事となった。
軍隊も応援に来て、1ヶ月弱の短期間で完成したとの事。
戦争中なので民間の土地を強制的に接収して、焼け残った民家も取り壊しての、突貫工事だったらしい★
(土地は戦後に返還されている)
★何で小田急線からなの?
戦時中は、政府の政策によって、小田急も京王も京急も、全て東急電鉄に合併されていた。
なので、同じ会社どうしで線路の幅と架線電圧が同じ事から、小田急線から送り込まれた。
(京王の本線は、線路の幅が路面電車と同じで広い)
…と言うか、東急合併前は、井の頭線は小田急の路線だった。
(現在の京王電鉄となったのは、戦後の分割後)
余談だが、改良(地下化)される前の地上時代の下北沢駅には、小田急線と井の頭線の間に中間改札は無かった。
なので、どの改札口から入っても、どちらの列車にも乗る事が出来た。
現在、改札前に水色とピンクでしつこく「小田急線はこちら」「井の頭線はこちら」と大きく書かれているのは、その名残りだ★
★いつまであったの?
1945年6月頃(文献によって年月が違うものがあるので、定かではない)から1953年9月までとの事。
使用していたのは最初の数年間のようだ。
(京王1800形の新車搬入まで使っていたという記述がある)
これで解説はおしまい★
では、現在の代田連絡線の跡地を見て行こう♪
地図の下(世田谷代田駅)から上(新代田駅)へ向かって見て行こうね。
まず最初の、世田谷代田駅から。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2024年のグーグルストリートビューより)
今や温泉~~~~~~~~~~~~っ★
今立っている場所は、世田谷代田駅の真上に出来た遊歩道「下北線路街」だ。
この右斜め後ろには、小さな改札口(東口)がある。
正面の左右に見える和風な建物は「由縁別邸 代田(ゆえんべってい だいた)」と言う高級温泉旅館で、箱根から源泉を運んで来ている。
連絡線は、駅前ロータリーの環七通りと交差する部分(地上時代の踏切の少し先)で分岐して、この左側の建物辺りを走っていたものと思われる。
…あ、戦時中の資材不足の中での突貫工事なので、もちろん単線ね★
線路は、正面左側に見えるマンションの部分から、左に曲がり始めるようだ。
マンションの前に行ってみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2024年のグーグルストリートビューより)
痕跡無しぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ★
今や完全に痕跡は無い。
線路は、右の電柱の辺りから、正面の丁字路部分で左にカクッと曲がって進んでいるようだ。
正面の大きな木が稲荷神社で、地図を見ると、この手前を通過している。
余談だが、正面突き当りの白い建物の左横が、前回ご紹介した「白髭(しろひげ)のシュークリーム工房」だ。
その白い建物のすぐ右横の場所が、前回の日記の「癒しの空間」になっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
癒しの空間~~~~~~~~~~~っ★
この写真で言うと、正面の和風な建物の後ろを、連絡線が右奥へとカーブしている訳だ♪
では、進もう。
ここで道路はいったん下り坂となる(その先は上り坂)が、線路はそのままの高さで通っていたのではないかと思われる。
この谷っぽい地形は、現在ここを横切っている道路の為に切り下げられたものかもしれない。
(下北沢駅前(鎌倉通り)と環七をつなぐ、この辺りのメインの道路でもあるため)
この、交通量の多い道を横切って坂を上りきると、こんな住宅街になっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2024年のグーグルストリートビューより)
線路どこよぉぉぉぉぉぉ~~~~~っ★
何の変哲もない普通の住宅街だが、オラには超見慣れた場所だ。(笑)
この電柱の場所に立って警備(通行止め)した事が、何度もある。
地図を見ると、連絡線は左斜め後ろからやって来て、この黒い車から正面の白い家に進んでいる。
地図で言うと「代田連絡線跡」の「跡」の字と「戦時応急車両搬送線」の「搬」の字の間ね★
さらに進もう。
ここからは、連絡線は直線に近い形で進んでいる。
左に見える白い車の横にも真っ直ぐな道があるのだが、この部分だけ究極的に狭く、小型車以外は通り抜け出来ない。
そこを無理やり通ろうとする奴もいるようで、この一帯の家の車や壁には傷を付けられた跡が残っている。
どこにでも、悪い奴がいるもんだ…。
少し進むと、直線部分の中間地点に出る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2019年のグーグルストリートビューより)
まるで判らなぁぁぁぁぁ~~~~いっ★
…これ、連絡線があった事を知っている人じゃないと、全く判らないよね。
場所的には、地図の「戦時応急車両搬送線」の「戦」の字の所ね★
奥に進む道路の右側の家々が、連絡線の跡地と思われる。
家並みが奥で左にカーブしていて、地図の線路跡と同じ形になっているので、ほぼ間違いないだろう★
先ほどの写真もそうだけど、ここから右側は下り坂になっていて、この高さが小田急線と井の頭線を難なく結ぶのにちょうど良いようだ。
ちなみに、左側は上り坂になっている。
この日記を書くのに、「鉄道ピクトリアル」の2003年7月号「京王電鉄特集」(No.734)を参考にしたのだけど、そこの173ページに写っている1950年代の当時の写真、もしかしたらこの場所かもしれない。
…何か、直感で感じる。(笑)
余談だが、オラが警備員になって初めての世田谷区内の仕事(入社10日後)が、この十字路に立って右の下り坂を通行止めにする事だった。
なので、感慨深い場所でもある。(笑)
その後は、約半年間、この周囲を毎日うろうろしていた。
今の常駐現場の工事でも、この交差点のちょっと奥をやった。
久々に立って、懐かしかったねぇ~♪
2020年5月に仕事内容も地理も何も解らず緊張して立っていたこの場所に、今やこの辺の地理(特にトイレの場所(笑))に精通したリーダー(警備隊長)となって悠々と立っている事に、時の流れを感じる。(笑)
この辺ならば、「住んでるよ♪」とウソを付けるくらいに詳しいよん★
でも、まさかこの見慣れた場所に代田連絡線があるとは思いもしなかったねぇ~。
オラ程のヘビーな鉄ちゃんでも気付かないんだから、一般の方々はなおさらだよ★
先に進もう。
奥の突き当りに見えている家辺りで線路も左に緩くカーブしている。
この家の数軒後ろは、もう井の頭線の線路だ★
ちょうどこの位置の井の頭線は、この道路の高さと同じになっている。
(左から右への下り坂の途中の、ちょうど良い中間点だね)
最後は、井の頭線の新代田駅のホームから見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2024年のグーグルストリートビューより)
おそらくここぉぉぉぉぉ~~~~~ぅ★
上りホームから下北沢駅(渋谷)方面を見たところ。
線路の奥に見える電車の位置が、下北沢駅のホームね。
…で、連絡線の位置は、地図と写真の建物の関係からして、右手前のアパートと奥の白いマンションの間にある一軒家であろうと推測出来る。
「鉄道ピクトリアル」の当時の写真と見比べると、この2軒の一軒家が線路に対して斜めに建っている事と、連絡線の合流地点のカーブがかなり似ているのだ★
ちなみに、ホームの背中側の上空には環七通りが走っている。
…という事は、代田連絡線は「環七に対して半円状に造られていた」という事だ★
まぁ、当時は「環状七号線」という言葉(計画)すら無かったのではないかと思われるので、たまたまの偶然でしょう…。
おっしゃ!これで代田連絡線の探検は終~了~ぅ★
今や伝説の路線と化してしまったので、「みなさんもいかがぁ~?」とはお勧め出来ないけど(笑)、身近にある「隠れた廃線跡」を探してみるのも楽しいかもね
では、またぁ~♪
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