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2014年9月 8日 (月)

旅日記 ~「水色の新人 飯田線1983」~

前回「飯田線2014 その2」からのつづきーっ!

今回は、初めて飯田線を訪れた時の写真をば

1983年、父親と一緒に「信州ワイド周遊券」で飯田線走破の旅に出た。

信州ワイド周遊券」とは、長野県内が乗り降り自由特急自由席まで乗れる切符。
長野県までは、決められた数ルートの中から選んで移動する。
その移動中は、急行自由席までは追加料金ナシで乗れた。
日本全国に同じような周遊券があった。
国鉄時代の超~便利な切符だった…

新宿(しんじゅく)」駅から夜行急行「アルプス」号で出発。
当時は、ハイシーズンには新宿駅から中央線の夜行列車が10分おきに出るという、「山男列車」全盛期だった

お子様のオラ、山男達と一緒に乗り込み少々ハイテンション
いつもアルプス車内ではなかなか寝付けなかったなぁ…

早朝4時頃、途中の「辰野(たつの)」駅で急行アルプスから降りる。
ココで飯田線の普通列車に乗り換えだ。
まだ日は出ていない…。

飯田線の朝一番列車は、辰野駅を4時40分過ぎに出る「豊橋(とよはし)」駅行き。
全線走破の長距離列車だ。
豊橋まで約7時間掛かる。(11時半頃着だったような…)

飯田線のホームに行くと、列車は停まっているがまだ電気がついていない。
しばらくして車掌さんが乗り込み、パンタグラフが上がって電気が入った。
乗ってイイですよ」と言われて車内に入る。
座席を確保したので、あとはのんびり

ホーム上ではモーターカーがけたたましく往復している。
この列車の先頭に荷物と新聞を積み込んでいるのだ。

今回の列車は、1983年当時はまだ新車だった「119系」という車両。
3両編成だが、先頭の1両は郵便荷物車クモユニ147」だ

水色車体に白い帯の、さわやかな色をしていた。
初めて見た時から、オラは一目ぼれだった

客を乗せたまま、運転前の起動試験を行う。
車掌さんのアナウンスの後、電車が数mほど前後に移動。
チェックもOK
後は発車を待つのみ

列車は白み始めた空の中を走り出した。
ほどなく、空も明るくなった。

しばらく走って、「伊那市(いなし)」駅で列車交換待ちのために小休止している時に1枚パチリ
(画像をクリックすると拡大するよん)
飯田線1983-501
カァ~~~~チョエェ~~~~~

今まで「飯田線」と言えば「戦前・戦後の旧型国電の宝庫」と言われたくらい、床が木の超~古い車両しか走っていなかった。
唯一、新宿や長野から乗り入れる急行列車だけが快適な車両だったのだ…。
それが、一気に新車を導入するとは…

当時の国鉄の慣例では、新車を都心に入れて、そのお古を地方に回すのがほとんどだったのに。
飯田線の特殊な路線事情により、専用車が設計・製造されたワケ。
それゆえ、この119系は全国でも飯田線にしかいなかった
(JR化後は静岡地区でも一時期使用された)

見た目は斬新だが、足回りは都会の電車「103系」と全く一緒。
なので、走ると山手線大阪環状線と同じ音がする。
国鉄らしい「部品共通化」車両だ

そうそう、先頭の郵便荷物車「クモユニ147」のお姿も。

飯島(いいじま)」駅で1枚
(画像をクリックすると拡大するよん)
飯田線1983-502
いぃやっほぉ~~~~~ぅ

コレこそ、新車中の新車
まだ出来立てのホヤホヤだ

側面の大きな手動ドアから、荷物や新聞・郵便を積み下ろしする。
客室はナイ。

この車両も、新車だが足回りは中央線の古い「101系」と全く一緒。
なので、走ると中央線関西線と同じ音がする。

この3両編成、動き出すと101系と103系のモーター音が同時に聴こえて来る
電車のモーター音好きには堪らない、かなりレアな編成なのだ

この当時にはクーラー様などというゼイタク品は付いていなかったので、窓を全開にして音と風を楽しんだ
トンネルの中の冷風とモーター音はサイコーだった

駅に着く度に、荷物室から生花等が積み降ろしされるのを見ているのも楽しかった
短い停車時間に終わらせないとイケナイので、係員さんはタイヘンそうだった…

途中の駅(失念)で、後ろに2両増結されて5両編成になった。
コレもどこの駅だか覚えていないのだが、ホームが4両分しかナイ駅で列車交換をした。
5両編成なので、当然1両ハミ出す。
先頭が郵便荷物車なので、至極当然にハミ出ることに…

だが、そのままハミ出ると本線上に出てしまい、対向列車とぶつかってしまう

どうしたかと言うと、ホームの先にある、非常時に本線上に飛び出さない用に設置された数十mの待避線(安全側線)に1両ハミ出させて停車。
列車交換後、1両分バックし、最後尾の1両を後ろにある待避線にハミ出させる。
そしてポイントを切り換えて、やっとこさ本線上に出発する…という、今ではそうそう見れナイのどかな運転方法をしていた。

東京でも滅多に見られない光景なので、ドキドキしながら見ていたなぁ…

後ろの2両は途中の駅で切り離されてしまったようだ。
確か、気が付いたら3両編成に戻っていた記憶が…。

そんなお子様のオラをさらに驚かせたのが、次の1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
飯田線1983-503
かもつーーーーーーーーーっ

大嵐(おおぞれ)」駅で対向列車を待っていたら、トンネルの中から突然電気機関車が現れた
慌てて撮ったので、傾いている次第。(笑)

この機関車「ED62」も、飯田線の脆弱な線路規格に合わせて専用に改造されたモノ。
末期は大糸線にもいたよん

徹夜明けでさすがに眠くて、寝たり起きたりの繰り返し。
なので、天竜峡の素晴らしい景色は記憶に残っていなかった。

朝からもう4時間も電車に乗っているのに、女子高生達が「おはよぉ~」と言って乗り込んでくる。
時計を見ると、まだ8時半過ぎ…

…飯田線の朝は長い。(笑)

ほどなく、列車は大きめな駅に到着した。
中部天竜(ちゅうぶてんりゅう)」駅という、この周辺の拠点駅だ。
駅構内には留置線もある。

走っている車内から留置線を眺めてみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
飯田線1983-504
ゲタでーーーーーーーーーーーーん

コレが昭和初期の古老達のお姿だっ
みんなが下駄を履いて生活していた時代の電車なので、「ゲタ電」と呼ばれている。

この時はもう引退し、通常は走っていなかった。
ギリギリ間に合わなかった…

駅のホームにこんな横断幕が張ってあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
飯田線1983-505
そっか、さよなら運転をしてくれるんだね

この当時はそれほど魅力を感じなかった。
大人のマニア達は半狂乱で追っかけしていたのにねぇ~。
だって、地元の西武線にも同じような車両が走っていたから
わざわざ伊那まで来る必要が無かった。

完全に寝落ちして、ハッと目が覚めたら暑かった。(笑)
昼に近いのだが、まだ列車は走っている。
…でも車内が今までと違って混んでいる。
そろそろ終点は近い。

景色がだんだん都会になって来た。
長野の農村からスタートしたオラの目には、豊橋の街が超~大都会に見える

そして名鉄線と合流し、ほどなく終点豊橋駅に到着ぅ~
(画像をクリックすると拡大するよん)
飯田線1983-506
いやぁ~~~~~~~、疲れた

お子様にはチトキツい旅だったかな~
でも、いっぱい電車に乗れたので超満足

さぁ、東京に戻ろう
この周遊券で豊橋に来たら、もう東海道線で戻る道しか選択がナイ。

いったん駅前に出て昼食を摂ってから帰ったのだが、ほとんど記憶に残っていない…
帰りの電車も、在来線だったのか、新幹線に乗ったのかも覚えていない。
(おそらく在来線のハズ…

また乗りに来よう」と思っていたのだが、まさか次回が31年後になろうとゎ…
(その間、ホントに飯田線走破してナイよななんか記憶が…

水色電車の119系達も、2012年に引退してしまった。
コレらは完全に想い出となってしまったのぉ…。(しみぢみ)

3回目も31年後……んなワケ無いっ

(おしまーーい!)

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コメント

子供の頃の楽しい想い出は美しいですね
次の31年後… 点滴打ってでも行くんやでぇ~
 

投稿: ヨメ | 2014年9月 8日 (月) 09時12分

★ ヨメちゃん

ほな、ぎょーさん打って行きまっせ~~~ぇ

投稿: まりりん | 2014年9月 8日 (月) 09時31分

まりちゃん、素晴らしい体験、思い出じゃん、としても今になって飯田線の発見!ばかり、

昭和38年水窪まで行った時は沿線は木が小さくて景色が良かった☆15年後天竜峡まで行った時は沿線の樹々が生い茂ってて景色あまり見えなかったよ、

投稿: おっかさんbell | 2014年9月 8日 (月) 11時42分

★ おっかさま

飯田線、途中下車は豊川だけなので、まだまだこれからッス

樹木の生長、↓東京でも同じでっせ
https://marilyns-room.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/tokyo1960s-9683.html

投稿: まりりん | 2014年9月 8日 (月) 20時23分

31年後は同行できそうもないので5年以内にお願いしたい。
伊那1号はちょっと窮屈な感じでしたよ。今は車両変わったかな?
イベントやったときは大嵐駅で伊那1号を特別停車してもらいました。
トロッコ列車はなくなったんだねえ。あれに乗りたかったさー

投稿: ばんび | 2014年9月 9日 (火) 09時43分

★ ばんびさん

出頭命令があればいつでも参上いたしまふ 

投稿: まりりん | 2014年9月 9日 (火) 11時42分

まりちゃん、こんにちはぁ~♫ (◎´∀`)ノ

今回の記事。
とっても詳しく書いてるんだけど記憶だけで記事書いたの?
だとしたら よぉ~~く覚えてたんだね♬
パンタグラフが上がって電気が入る様子って観てみたい!!
おもしろそう~~♫ ( ´艸`)
荷物車の荷物の積み降ろしの様子も興味あるよぉ♫
子供の頃に乗って。また大人になってからも乗って。
その時その時に観る違いなんかもあるよね…。
この間飯田線に乗ったでしょ?
子供の頃に乗ったことを
思い出したりしてたのかな?

それと展示会の方もたくさん見に来てもらえると良いね✿
また日記で作品紹介してね♬

投稿: ひめ子 | 2014年9月11日 (木) 16時25分

★ ひめぽ

さすがに記憶も薄れてきたよ…
10年前だったらもっとハッキリ覚えていたかもしれない。

今の飯田線、貨物列車も荷物電車も走っていない。
車両的には、なぁ~~~んにも楽しくナイよ。

豊川~豊橋間は、1983年当時は「やっと終点だ」しか感じてなかったと思う。
そんな事を思い出しながら、乗り心地が格段に良くなった車両に時代の差を感じてた…

パンタが上がる姿、早朝に松山駅とかに行けば見れるでしょう

投稿: まりりん | 2014年9月11日 (木) 19時53分

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