(前回「その42」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら)
このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
注:文中の地名・名称等にふり仮名がないものは、前回までの日記を参照されたし。
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1996年7月12日(金):晴れ ときどき くもり
Berlin(ベルリン) →
おはよう★
今日はお宿でモーニング★

簡単な朝食だけど美味しい♪
欧州のパン・バター・チーズって、日本のと味が違うような…
こちらのほうが「コクがある」感じぃ~~~。
一通り腹に詰めた後は、部屋でのんびり。
このホテル(ペンション)の部屋は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
至ってシンプルな造り。
料金と設備のバランスが良くないけど、東西統一後の復興整備中のベルリンでは仕方がナイ…
(宿泊費に「復興税」がタップリ含まれている)
さて、今は地球のどこにいるのかと言うと…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2019年のグーグルマップより)
■だよん★
ついに欧州の中央部にたどり着いた★
今までは●のルートでアジアの香港(右側)から列車でやって来た。

右端の●ウルムチから左斜め上の●ノヴォシビルスクまではこんなに近いのに、わざわざ極東の北京まで一度戻っているというこの酔狂さ。
我々の最終目的地は、ポルトガルのリスボア近郊にあるロカ岬だ。(地図の★)
この岬は、ユーラシア大陸最西端で、今回の旅にふさわしいゴールと言えよう。
…ホントは、リスボアのお宿でおばちゃんに「ロカ岬に行ってきなよ♪」と言われて初めて知ったのだけど~★
ちなみに、★からの帰路は▲のトルコのイスタンブールまで列車とお船で移動した。

▲からは、ひこーきでシンガポールへひとっ飛び★
次に、ドイツの地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2019年のグーグルマップより)
四角い国ぃぃぃぃ~~~~っ★
ドイツは、南北800Km・東西600Kmほどの大きさで、日本で言うと東京・札幌・大阪を四角く囲んだ面積に近い。
お隣のフランスは一回り大きく、スペインとは同じくらいだ。
今いるのは■のベルリンで、ドイツの首都だ。
ちなみに、東西統一される前は、西ドイツ側は◆のボンに首都を置いていた。
(東ドイツはベルリン)
余談だが、国の位置に対して首都がミョーに東の端っこある気がするよね?
これは、第二次世界大戦前はもっと東にも国土があったけど、敗戦でソビエトに国土を奪われ、ポーランドの国全体を西にズラしてソビエトの領土を広げたためだ。
今日からしばらくは、ドイツ国内を巡って行くよん。
(オラがどうしてもドイツに来たかったのだ★
)
さて、出掛けよう。
観光も兼ねて、今夜の夜行列車の指定券を取りに行かねば。
宿代を浮かすために、今夜は列車で寝ることにした。
我々が持っている「ユーレイルパス」は欧州内乗り放題なので、これを上手く使って宿代を節約するのだ。
この技は結構使われているので、夜行列車は座席を予約しておいたほうが良い。
それに、今は夏休みのシーズンだし、今日は週末なので、学生達も大勢乗って来るからね★
12時になったのでチェックアウト。
荷物を持って、最寄りの「Witzleben(ヴィッツレーベン)」駅へ行く。
とりあえずは、大きな駅の「Berlin Zoo(ベルリン・ツォー)」駅まで行こう。
ベルリンの鉄道路線図は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
複雑ぅぅぅぅぅーーーーーーっ★
まぁ、東京や大阪のほうがもっと複雑なので、数回乗れば大雑把に理解出来るだろう…
今いるのが、左端の濃いオレンジ「U2」と青緑「RB12・RB18」と茶色「S45・S46」の線が交差している所。
…で、目的地はオレンジを右に5つ進んだ大きな乗換駅の「Zoologischer Garten」だ。
「Zoo(ツォー)」と言う名のとおり、ここには動物園がある。
…あ、「U2」の地下鉄(Uバーン)だと乗り換えなしで行けるぢゃん★
昨日は、近郊電車(Sバーン)の紫「S75」または青「S3」から茶色「S45・S46」に乗り換えて来たので、今日は地下鉄で行こう♪
昨日と言えば、スウェーデンから来て到着した「Berlin-Lichtenberg(ベルリン・リヒテンベルク)」駅は、中央ちょい右の太い5色の線から紫「S7・S75」とオレンジ「S5」が分岐した2つ目にある。
(茶色「U5」と交差している所)
ちなみに、この地図の裏面は、もっと広域の郊外電車の路線図になっていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
大都市ぃぃぃぃぃ~~~~っ★
各方向に路線が伸びているねぇ~。
こちらの面は使用しなかったので、参考までにどーぞ★
(こういう路線図が好きな鉄ちゃんも多いのでね
)
さぁ、ツォー駅に着いたぞ。
DB(ドイツ鉄道)の駅舎の窓口に行って、夜行列車の予約をする。
切符はすぐに取れた♪
欧州はインターネットが発達しているから、楽でいいねえ~。
1ヶ月前の、中国で手売りの指定券を入手した苦労とは大違いだ★
予約した列車の指定券は、これ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
あむすてぇぇぇぇ~~~~っ★
オランダの「Amsterdam CS(アムステルダム中央)」駅行きの、急行列車だ★
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★ おまけ ★
ここで、切符の読み方を解説をしよう。
まずは、中央の青い枠内から。
青い文字はドイツ語・フランス語・英語の順で書いてあり、印字の横に絵文字(ピクトグラム)も表示されているので、多言語の欧州内のみんなが解りやすいようになっている。

「3 Sitzplätze」は「座席3人分」で、「BERLIN ZOO → AMSTERD CS」は「ベルリン・ツォー駅からアムステルダム中央駅まで」という意味。
その下に「12.07」と書いてあるのは「7月12日」で、「23:55」は発車時間で、「340」は列車番号で「D340列車」という意味。
左下の「Abteilwagen」は「コンパートメント(個室)車」で、「Nichtraucher」は「禁煙」という意味。
初めてドイツに来た時にすぐに覚えたのが、この「Nichtraucher(ニヒトラウハー)」という単語だった。
これを言えないと、喫煙車に座らされてしまうのでね。
「Nicht(ニヒト)」で「禁止」という意味なので、覚えておくと便利♪
中央下の「Kl. Cl. 2」は「2等車」で、「
175」は「175号車」、「Mitte Milieu 24」は「真ん中の24番席」、「Gang Couloir 22 21」は「廊下側の22・21番席」という意味。
黒い文字の上段(MitteとGang)はドイツ語で、下段(MilieuとCouloir)はフランス語だ。
最下段の「Res-Entgelt」は「支払い」で、左端に「DM3.00」と書かれている。
我々はユーレイルパスを持っているから座席指定のみの切符なので、3DM(240円)と安い。
(DMは「ドイツマルク」の記号。1996年はまだ「ユーロ」に統一されていない時代)
そして最後に、右上はこの切符の発行駅「Berlin Zoologischer Garten」と発行日「1996年7月12日」が書かれている。
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さぁ、これで移動の足が確保出来たので、夜まで自由行動にしよう★
まずは、駅のコインロッカーに荷物を預ける。
ロッカーの場所はかなり広い。
余りに広いので、迷わないようにしよう…
そして、最初は3人で有名な「ブランデンブルク門」に行くことにした。
Sバーンに乗って「Unter den Linden(ウンター・デン・リンデン)」駅で降りる。
(路線図の中央の、ピンク「S1」と緑「S2・S25」が4色の線と交差する1個下の駅)
ちなみに、ウンターは「下」、リンデンは「菩提樹(ぼだいじゅ)」、つまり「菩提樹の下」駅という意味だよん。
全然関係ないけど、あの有名な音楽家「J.S.Bach(バッハ)」の「Bach」の意味は「小川」なのだ。
なので、「J.S.Bach」さんは「ヨハン・シュトラウス・小川」さんなのよ
地上に出ると、すぐそばにブランデンブルク門があった。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
おぉ、いぇい★
これが、あの歴史的大イベントの現場かぁ~~~っ★

これは、旧西ドイツ側から旧東ドイツ側を見たもので、門の向こう(東ドイツ側)は大々的に整備中だ。
クレーンがたくさん見えるね。
(2013年の現在は、整備されて広場になっている)
ちなみに、オラが立っている場所が、あの「ベルリンの壁」があった場所で、オラの手前側が旧西ベルリン。
壁があった場所には、その印が道路にず~っと埋め込まれていた。
この場所の印は車道上にあるために直接見ることが出来ないけど、少し移動すれば歩道上にも印があるよん。
門に近寄ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
ついに来たッス★
これは、門をくぐって東側から見た状態。
ここから東ドイツ国民が笑顔で出て来たニュースは衝撃的だった…
(わずか5・6年前までは、日本人等の資本主義国の人間がこの位置に立つことは、ほぼ不可能だったのだ)
門の上の銅像をアップで。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
う~~~ん、ドイチュラント★
間違いなく、オラは今ドイツの首都ベルリンにいる。
激しく感動★
ちなみに、ドイツの国名はドイツ語だと「Deutschland(ドイチュラント)」と言う。
「ジャーマン」や「ゲルマン」は、別の言語での呼び方だよん。
オラのへっぽこアナログコンパクトカメラではキレイに撮れないので、ここで買った絵葉書でブランデンブルク門を再度ご覧いただこう。
まずは、これ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
キレイだねぇぇぇぇ~~~~っ
夕焼けのグラデーションが何とも
銅像のアップもあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
カァ~~ッチョエェ~~~~~ぃ★
やっぱりプロの写真は違うねっ★
ここで1人と別れて、2人で行動開始。
お次の目的の「ベルリンの壁」を観に行くことにした。
まずは、この周辺の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の地図を撮影)
かなり複雑ぅぅぅぅ~~~っ★
細い路地がいくつもあるので、かなり複雑な街になっている。
今いるブランデンブルク門は★だよん★
(★から右側が、旧東ベルリン)
ベルリンの壁は、「壊された」とは言え、まだまだ多くが残っていた。(地図の赤白のシマシマ模様の部分)
一部は、記念に残しておくために保存されている。
周囲を歩いていると、突然壁に出会える。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
延々と続く「悲劇の国境」。
今オラが立っているのは、旧西ベルリン側だ。
壁にはいろいろな落書きやメッセージが書かれている。
当時の西側住民が書いたモノや、最近書かれたモノもある。
当時は東側に落書き出来る訳がないので、東側に書いてあったら新しいモノだ。
年代ごとに東側の兵士に射殺された人数が書いてある壁もあった。
これが一番悲しかった。
壁が崩壊するわずか数ヶ月前にも犠牲者がいたのだ。
「あと数ヶ月耐えていれば…」と思わずにはいられない。
ここで、ベルリンの壁の位置について説明しておこう。
前回の「その42」でも説明したけど、検索等でこのページに来た方の為にもう一度しておく。
詳細は以下に書いたので、興味がある方はお読みください★
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★ おまけ ★
まずは、古い地図をご覧あれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(帝国書院の高等社会科地図帳(1987年版)P58を撮影)
これがドイツ東西統一前の、悲劇の都市ベルリンだ。
赤い壁で囲まれた「西ベルリン」と書かれているエリアが、資本主義国(英・仏・米)の西ドイツの管轄地で、それ以外の周囲は社会・共産主義国の東ドイツ領だった。
つまり、西ベルリンは西ドイツの「飛び地」で、本土とはかなり距離が離れている。
何でこうなったかと言うと、第二次世界大戦で日本とドイツが敗戦国となった時に、ドイツは4ヶ国(英・仏・米・ソ)で分割統治されることになった。
そのため、首都のベルリンも4分割され、各国が管理し始めた。
すると、資本主義3ヶ国の管理する西ベルリンとソビエトの管理する東ベルリンとの経済格差が大きく開きはじめた。
社会主義国は、構造や思想もかなり違う。
そこで、資本主義3ヶ国とソビエトとの溝が深まり、ドイツ内のそれぞれの管理区域を「西ドイツ」「東ドイツ」と言う別の国にしてしまった。
ここでソビエト側に不都合な事が生じた。
ソビエトが支配する共産主義の管轄内に、西側への「抜け道」が出来てしまったからだ。
ベルリン市内へ行って西ベルリンのエリアに入れれば、列車や飛行機で自由な世界へ脱出することが可能だったのである。
(列車は東側領内は無停車で、厳戒態勢で監視された)
なので、東ドイツ国民を西ベルリンとの行き来をさせないようにするため、突然予告なしにこの地図の赤い壁「ベルリンの壁」が出来てしまった次第。
境界線上に位置する物は、地下鉄も家の窓も、全て塞がれた。
突然離れ離れになってしまった家族や恋人達が続出。
壁まで行けば遠くから顔を見ることは出来ただろうが、話しをすることは当然出来ない…
もし、東側の人が挙動不審な動作をすれば、東側の兵士によって「即射殺」だ。
そして、アメリカ等がソ連への見せつけの意味等も込めて、西ベルリンに「これでもか」と生活物資を大量に供給。
よって、東ベルリンはだんだん貧しくなっていき、制限・監視だらけの東ベルリン(東ドイツ)に比べて、西ベルリンだけは豊かで自由な生活が送れた。
その後、東ドイツの恐怖政治と抑圧に耐えられなくなった市民達が、この壁を越えて「自由で楽しい豊かなエリア」に逃げようと試みた。
その度に、見つかった市民は東ドイツ側の兵士によって射殺されるという悲劇が繰り返されてきた。
(西ベルリンへ入れれば、飛行機で欧米各国へ行くことが出来た)
1989年11月に、市民デモ等で切羽詰まっていた東ドイツ首脳陣の単純なミスによって壁の通り抜けが自由になる法案がわずか数日で可決・施行され、1989年11月9日にベルリンの壁のゲート(国境)が開かれて市民が一気に西ベルリンに流れ込んだ結果、東ドイツという国はあっけなく崩壊してしまったという訳。
(その数ヶ月前までの書記長は若手部下の周到な作戦にハマって失脚し、すでにソビエト政府にも見放されていたようだ)
その後、1990年10月3日に、崩壊した東ドイツが西ドイツに吸収合併される形でドイツは急速に東西統一され、現在に至るという訳。
この歴史の流れを知っておかないと、ドイツ、特にベルリンという場所の事がよく理解出来ない。
もし、日本も分割統治されていたら、関東以北の東日本がソビエトの管轄になって、東京の23区内がベルリンと同じように分割管理されていたかもしれない。
そして、人々は西日本へ脱出しようと試みて……というような歴史になっていた可能性も否定出来ない。
(実際、ソビエトが北海道の半分近くを分割統治したいと言ったそうだけど、米大統領がこれを拒否したらしい)
日本が占領していた朝鮮半島は、みなさんもご承知のとおり、アメリカとソビエトで分割統治され、現在の韓国と北朝鮮になっている。
日本が今の状態でいられるのは、奇跡に近いのだ。
(ほとんどは米国の思惑で決められた)
このように、べルリンは欧州最大の華やかな都市でもあるけど、悲しい都市でもあるのだ。
わずか6年前までの出来事だ。
★ おまけ ここまで ★
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その「壁」と「ベルリン」を象徴する組み合わせを撮ってみたのが、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
これぞベルリン。
戦後の悲劇をずっと見て来たSバーン車両と壁。
戦前から走っている古老の車両達は、さぞや気持ちは複雑だろう…
今見えている車両は比較的新しいタイプで、復興に併せてキレイな最新型車両も続々投入され始めていた。
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※追記(2019年6月)
この写真を撮った場所を特定すべく、2019年6月にグーグルマップで細かく調べていたら…
何と!この1996年当時のままの部分をハッケーーーン★
どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2019年のグーグルストリートビューより)
残ってるぅぅぅぅぅぅーーーーーっ★
高架下に描かれた落書きが、何と今でも残っていたのだっ★
(街の地図の▼)
「WER」や❤等が全く一緒でしょ!
撮影は2009年10月となっているので、少なくとも13年間はこのまま残っていたことになる。
線路周りはだいぶ近代化されたけど、高架下のレンガ壁等は当時のままだね♪
でも、壁は撤去されていて、モダンな大きなビルが建っていた。
グーグルストリートビューで確認したら、この▼のエリアの壁は、ほんの一部しか残っていなかった。
街の地図の中央上部にあるシマシマ部分の壁は、今でもしっかり残っているようだ。
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「もう少し歩いてみよう」と2人で歩いていると、広い場所に出た。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
おぉ、長いっ★
ここはかなりリアルに壁が残っているねぇ…
ワザと残している場所っぽい。
(2019年6月の時点でこの場所は特定出来なかった。もう無くなっている可能性大)
手前が西側だとしたら、壁の後ろのアパートは東側なので、やはり壁の面には窓がナイね。
このアパートの住民は、どういう心境で生活していたんだろう…
わずか6年前までの出来事だからね…
さて、しんみりした気分はここまで★
いったん、さっきの「ブランデンブルク門」に戻ろう♪
門に戻ると、周りに青空市場が出ているのを見つけた。
昔にオラを虜にしたイイ香りがするので、その方向に歩いて行くと…
当然、「ヴルスト(ソーセージ)」様と「おビール」様が売っていないワケがナイ★(笑)
鉄板の上でジュージュー言いながら、オラに食べられるのを待っている

いそいそと買い込み、その場で立ち食い。

…あぁ、ドイチュラント
ココロもカラダも生き返った★

やっぱり、本場のモノは超~美味しい~♪
ドイツのビールは、日本で言う「キリン一番搾り」や「サッポロ黒ラベル」のような、全国統一ブランドのモノは存在しないので、その土地にはその土地の「地ビール」しかナイのだ。
…これは困った。
行った先々で、全て味見しないとイケナイではないかっ★


…あぁ、困った。どうしよう
腹も満たされたので、市場を見物することに。
どうやら、このエリアは「フリーマーケット」っぽい。
そんな中、さっきの「壁」をお土産で売っていた。
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(1997年頃の実物を撮影)
ホントに本物かなぁ~~~?
一応、証明にならない「証明書」付きだ。(笑)
日付は「9.NOV.89」、つまりベルリンの壁が事実上崩壊した1989年11月9日だ。
これは、帰国後に近所の人からおみやげでもらったもので、この時は自分では買わなかった。
イメージとしては、こんな感じなのだろう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の絵葉書を撮影)
まさにこの場所でベルリンの壁を破壊している状況だ★
この場所って、オラが記念撮影した場所のすぐ左横の位置だね。
壁を買わなかった代わりに、「おぉ!」というグッズが売っていたので、思わず買ってしまった。
どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
でぇーでぇーあぁーーーるっ★
「DDR(デーデーアール)」と書かれた新品のプレートだ。
これは、自分のクルマの前後に貼り付けて国籍を示すモノで、欧州ではほとんどのクルマが付けている。
(現在はナンバープレートの左側に、一緒に表示されている)
「DDR」は「東ドイツ」を表していて、「西ドイツ」や統一後の「ドイツ」は「D」の1文字だ。
(ちなみに、日本は「J」の1文字)
裏側は、こうなっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
プレス板~~~~~~っ★
金属の板をプレスしているので、重量感がある。
印刷された日付は「1990年2月」で、東ドイツ国家が崩壊する直前の製品だ。
なので、大量に在庫が余ったのだろう…
(崩壊は1990年10月3日)
さて、そろそろ17時だし、ツォー駅に戻るか…
来た時と同じく、すぐ目の前の「ウンター・デン・リンデン」駅からSバーンに乗る。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
これでベルリンの電車は乗り納めぇぇぇ~~~~★
初めてのベルリンは、いろいろ刺激的だった…
あちこちで大工事中なので、数年後には今見えている街並みがガラッと変わってしまうんだろうなぁ…
ツォー駅で下車し、近くの「ヨーロッパセンター」付近をうろつく。
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(1996年撮影)
第二次世界大戦中に爆撃されて破壊されたままの教会があった。
これは記念のためにこのまま残しておくそうだ。
違う角度で見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
屋根が全く無いね。
この前の広場で、中国人と思われる若い女性が「揚琴(ようきん)」で演奏していた。
心が久々にアジアに引き戻されたので、少し立ち止まって聴いていた。
西洋人達は関心が薄いようで、振り向きもせずに通り過ぎて行く…
その後も少しうろつき、ツォー駅に戻った。
ここで3人が合流し、駅のコインロッカーに向かう。
ロッカーから荷物を出していると、隣に西洋人の若いカップルがいた。
かわいい彼女が彼氏に何か言われて、ちょっともぢもぢしている…。

辺りをキョロキョロ眺めたかと思うと、いきなりズボンを脱ぎ始めた★
おぉ!リアル金髪娘の純白おパンツ
どうやら、着替えたかったらしいけど更衣室がナイので、「ここで着替えちゃえよ!
」と彼氏に言われたらしい…
すぐ横にいた仲間の2人は、全く気付いていなかった。
オラは真正面からおパンツ様を拝んでしまった。
ありがたや、ありがたや★(ー人ー)
後で2人に話したら「何で言わないのぉ~!
」だって。
彼女の真横にいたから言えるわけ無ぇーだろ★
さて、ホームに向かおう。
我々の乗る列車が来る前に、目の前にやって来た列車達を撮影してみた。
まずは、向かいのホームの列車から。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
夜行寝台列車だ★
車体に「City Night Line(シティナイトライン)」と書いてあるので、新型の寝台車シリーズのようだ。
ドイツの列車の名前は、ナゼか英語が多い。
これは欧州圏共通で親しんでもらうためなのかな?
最近の車両でドイツ語の名前って…そういえばあまりナイなぁ~。
この寝台車のシリーズには、車体にこんな絵も描いてある。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
おぉ、いぇい★
これぞ「欧州」な雰囲気★
一発で「夜行列車」だって解るね♪
ちょっとしたら、別の列車がやって来た。
それを見て、オラ、思わずコーフン★
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
みとろーぱぁぁぁぁぁぁ~~★
この赤い車両、窓下に「MITROPA(ミトローパ)」と書かれているでしょ。
これは、戦前からあるドイツの寝台と食堂車を運営する会社の名前で、その会社が所有している車両は全てこのようなデザインになっている。
西側のミトローパは合併より消滅し、東側のはそのままの姿で残った。
それの東ドイツ側の寝台車両だ。
(隣の一般車両も東ドイツ型だ)
まさか、今でも見られたとは…★
鉄道誌と模型でしか見たことの無かった「MITROPA」の実物にお目に掛かれるなんて♪
ありがたや、ありがたや
(ー人ー)
「ミトローパ」の名前を、アップで撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
カァ~~ッチョエェ~~~ぃ★

文字の両脇にあるマークは、車輪の上に鷲(ワシ)が描かれたモノ。
でも、鷲は「ナチスドイツを髣髴させる」との理由で、「MITROPA」の「M」の文字に変更された。
2003年に旧東側の都市「Leipzig(ライプツィヒ)」を訪れた時だと思うけど、偶然こんなペーパーナプキンを手に入れた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(恐らく2003年当時の実物を撮影)
あぁ、ス・テ・キ
シンプルなのにカッチョエェ~~

さてさて。
我々の乗る「アムステルダム中央」駅行きの、夜行急行列車がやって来た。
車両は、ベルリンに来るときに乗ったのと同じ、旧東ドイツのシリーズのモノだ。
部屋はコンパートメント(個室)で、我々のほかにドイツ娘3人が同室となった。


話し掛けてくれたけど、ドイツ語なのでほんの一部しか解らなかった…
東ドイツの車両のため、設備は少し古い。
ベルリンにはまだ多くの東ドイツ車両が残っている。
(西側の都市からやって来る列車は、ハイレベルの最新型が多い)
おまけに、2等車なので椅子の奥行きが狭くて寝にくい。
それ以前に、「豆電球だけの薄暗い個室に、若くてかわいい金髪娘達と同室」だという事のほうが、なかなか寝付けない要因だけどぉ~★
ベルリンは美女が多い

そう言えば、ここのところ足の関節が痛い。
特に股関節が…。
よく考えたら、ずっと移動ばかりで、宿に連泊してゆっくり休んでいる「OFF日」がナイ…。
そろそろどこかの街で、の~んびり休みたいなぁ。
それぢゃ、おやすみんみ~~~~ん♪


(つづき「その44」はこちらーっ!)
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