(前回「その41」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら)
このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
注:文中の地名・名称等にふり仮名がないものは、前回までの日記を参照されたし。
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1996年7月11日(木):くもり 一時 雨
→ København(コペンハーゲン) → Berlin(ベルリン)
昨夜22時半にスウェーデンの首都にある「ストックホルム中央」駅を発車した夜行列車は、一路デンマークの首都「コペンハーゲン」に向かって走っている。
列車は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時のパンフを撮影)
青と赤ぁぁぁぁ~~~~~★
夜行列車なので、さすがに自分では列車全体は撮れないッス。
おはよう★
明け方に目が覚めると、走っている音がしていなくてとても静かだった。
隣に同じ客車がいたので、「駅に停まっているのかな?」と思って二度寝しようと思ったけど、停まっているのに揺れている。
「何だ?何だ??」と思って、起き上がる。
落ち着いて状況を調べると…
確かに車両は揺れているんだけど、鉄道車両にはあり得ない、ゆ~っくりとした上下の揺れ方だ。
これは…と思い、客車のデッキに行ってみる。
…おっ、外に出られるみたいだ★
デッキの扉にはカギが掛かっていないので、車外に出られる。
薄暗いデッキのドアを開けると、そこには明るい外の空間が待っていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
うわああぁぁぁぁ~~~~~っ★
何とっ!お船の中にいたのだっ★
列車ごとフェリーに乗っているらしい。
どうりで、船のような揺れ方をすると思った…
急いで自席に戻ってカメラを取り出す。
そして、いそいそと船内探検★
まずは、自分の車両の周りを撮影。(上の写真ね)
そして、広い場所へ移動すると…
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(1996年撮影)
確かにお船の中だ★
隣のトラックには人がいないな…
自動車の乗客は、船室に移動しているようだ。
列車内の乗客は、客車内に座っているシステムっぽい。
日本では、青函連絡船(戦後頃まで)以外に、定期列車をそのまま船に載せてしまうことはやっていなかったと思う。
デンマークの周辺は島だらけで、陸地がつながっていない。
なので、このような方法で頻繁に列車が運ばれている。
…どうやら、今いる海がスウェーデンとデンマークの国境のようだ。
スウェーデン側の街は「Helsingborg(ヘルシングボリ)」と言うらしい。
寝ている間に、スウェーデンを出国しちゃったのねぇぇぇぇ~~~~っ★
╋━
それほど長くない時間でお船が対岸に到着し、列車はデンマークに入国した。╋━
車内では何の検査もなく、車両はそのままフツーに船から出され、元の列車に仕立て直されて出発した。
ここからは、ずっと地上を走る。
解りにくいので、地図をご覧いただこう。
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(1996年当時の地図を撮影)
島だらけぇぇぇぇぇ~~~~っ★
●…ストックホルム(スウェーデンの首都)
▲…コペンハーゲン(デンマークの首都)
■…ベルリン(ドイツの首都)
●…列車での移動ルート
●…フェリーに列車を載せる区間
★…海峡の橋
今は▲の上の●にいるよん。
右上の●が、昨日いた「Stockholm(ストックホルム)」ね。
そこから、太く黒い線を描いたルートで南下して来ていて、●が列車の経由地。
今日は、最終的には右下の「■Berlin(ベルリン)」まで移動する。
●から■までの距離は、約850Kmほど。
今乗っている列車は「▲København(コペンハーゲン)」止まりなので、もう1回乗り換える。
★の海峡は長い鉄橋で越えて、●の間の海(どちらも国境)は、列車ごとフェリーに載せられて移動。
つまり、ベルリンまではお船に2回乗るということだ★
路線図だと解りにくいので、ちゃんとした地図で改めてご覧いただこう。
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(2019年のグーグルマップより)
うん、見やすい♪
デンマークは、海だらけっしょ。
しかも、国土は九州くらいの大きさしかナイ。
(実はその他に「グリーンランド」という超広大な土地(日本の5.7倍もある世界最大の島)があるけど、北極圏なので沿岸部にしか住めない)
列車は数時間走り、朝7時半頃に「コペンハーゲン中央」駅に到着した。(地図の▲)
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(1996年撮影)
う~~~~ん、赤い★
駅の柱も客車も、全て赤い。
赤い客車は、デンマーク国鉄(DSB)の車両だ。
ちょうどオラの後ろに隠れてしまったが、車体に自転車のマークが描いてあり、その部分には自転車が積み込める。
欧州ではごくフツーのサービスで、休日のツーリングに最適だ★
駅舎は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
う~~ん、ぷりち~~
正方形をベースにデザインされているね~★
さて、ここからはドイツのベルリンへ向かうので、乗り換えだ。
乗り換え時間は、約2時間。
その間に駅のトイレに行こうとしたら、何と有料のチップ制★
デンマークのお金を持っていないので、入れない…
朝ご飯も買えない、ジュースも買えない…
両替するほど滞在するわけでもなく、……いや、そもそもまだ銀行が開いていない。
とりあえず、駅舎内のベンチに座って歯磨きをするも、洗面台や掃除用の排水口もない。
水回りは全て有料トイレの中…
仕方なく、ごく少量の水で口をゆすいでティッシュに出して、ごみ箱に捨ててしまった。
もうこれしか方法がナイ…
小さな国ごとにお金を両替するというのは不便だ…
(今なら「ユーロ」という統一通貨があるけどねぇ~。この頃はまだ無かった)
何も出来ないので、3人でおとなしくホームで待つことに。
駅周辺を1時間くらい散歩する気力すら失せた…
ホームのベンチで座っていると、目の前に特急列車がやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
てれびくぅーーーーーーーーん★
…これだっ!本物だっ!!
この車両、「テレビ列車」というようなあだ名が付いている。
ご覧のとおり、お顔が何となくテレビっぽい。
お顔のフチの黒い部分は、ゴムで出来ている。
なので、列車を増結する時は、このお顔のゴムどうしが「ぶちぅ~~~~~★
」とくっつく。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
…ほらね★
かなり濃厚な「ちう」だ。
こうすれば隙間が一切開かないので、安全だね★
しかも、乗り心地を良くする連結部分のクッションの役目も果たしている。
さらに、お顔の運転席部分は内側に折りたためるのだ★
ゴムの内側の運転席部分が、部屋のドアのようにまるまる側面に寄せることが出来て、ぽっかり空いたスペースは隣の車両への通路となる。
日本の国鉄(JR)も似たような構造の車両があるけど、こちらは真ん中の細い通路部分のみ折りたためるようになっているだけで、運転席は移動しない。
お顔ごと折りたたんでしまうほどの「粋」さはナイ★
さて、次に乗る列車は、9:05発の「ハンブルク・ベルリン」行き国際特急だ。
(国際特急は「EC(ユーロシティ)」と呼ばれている)
ドイツ国内で、ハンブルク行きとベルリン行きに分割する。
我々は、もちろんベルリン行き車両に乗車。
列車がやって来たので、今度は堂々と1等車に乗り込む。
車両の外観は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
でーーーーーあーーーーーる★
旧東ドイツ国鉄(DR)の車両だっ★
色的には「江ノ電」に似た感じかな。
ドイツ国家は1990年10月3日に東西統一されたけど、鉄道等のインフラは「ある日を境に一気に…」ということは出来にくい。
なので、しばらくは旧東ドイツの車両がそのままの姿で走っているという訳。
旧西ドイツ側の人々から見れば「東ドイツの残骸の忌まわしいもの」かもしれないけど、外国の「鉄ちゃん」から見れば、今や何の恐れもなく安心して乗れる旧共産圏の「ありがたい車両」だ★
車内に入り、1等コンパートメント(個室)に入る。
この車両は、1等と2等の合造車で、1等6人個室が4室、2等8人個室が6室ある。
※詳細を知りたい方は、こちらの模型の日記もご参照くだされ。
(この車両に乗った後に、同じモノのを探して買ったッス♪
)
車内の通路部分は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
手前の4室が1等部分で、仕切りドアの向こうが2等室だ。
座席に座る。
設備が古いとはいえ、さすがそこは欧州の1等室。
座席はかなりゆったりしている♪
窓の下にある、くず物入れを見てみると…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
ここにも、でーーーあーーーるっ★
旧東ドイツ国鉄の略称「DR」(デーアール:ドイツ国有鉄道)の文字が★
旧西ドイツ国鉄は「DB」(デーベー:ドイツ連邦鉄道)と言い、東西統一により新たに民営の「DB」(ドイツ鉄道)となった。
略称は以前の「DB」と同じだけど、マークの形は少し変化している。
もう存在しない、謎と恐怖に包まれていた国の車両に乗っていると思うと、ゾクゾク・ワクワクする★

初めて好きになった外国の鉄道がドイツだったので、なおさらだ。
編成内の他の2等車両は、旧西側の車両だったり、改修(レベルアップ)工事をした旧東側の車両だったり…とさまざま。
車両の色も新旧混ざっていて、ちょうど過渡期のようだ。
白地に窓周りが水色の車両が、新色ッス。
列車は静かに発車。
結構な速度で快調に走っている。
欧州の鉄道は乗り心地のレベルが高いねぇ~~~~★
在来線でも、日本の新幹線並みの乗り心地が味わえる。
まぁ、土地の広さと地盤の固さと線路の幅と車両の長さと重さが違うからねぇ~。
単純には比較出来ないッス。
(欧州の車両の長さは日本の新幹線より長くて、幅はJR在来線とほぼ一緒)
列車は、またもや海峡部分に来た。
だけど、今度はそのまま走っている。
車窓の先を見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
おぉ!大きな鉄橋だっ★
ここは鉄橋で一気に渡るようだ。(地図の★)
この橋の名前は「Storstrømsbroen(ストアストレム橋)」と言うそうな。
2車線の道路と単線の線路が並んでいる。
デンマークは、瀬戸内海のように小さな島が点在しているので、部分的には鉄橋が架けれらている。
やはり、フェリーで車両を航送していたのでは時間が掛かるため、高速化も含めて鉄橋を建設しているそうだ。
ちなみに、今乗っている列車のルートは「渡り鳥コース」と呼ばれている。
ちょうど実際の渡り鳥と同じルートだったことから、名付けられたそうで。
お天気がイマイチだったので、橋の上からの景色は拝めなかった…
橋を渡り切って快調にスッ飛ばしていると、列車は「Rødby(ロービュ)」駅に停まった。(地図の★の左下にある●)
ここからは、またフェリーに載せられるそうな。
しかも、デンマーク側の国境駅だ。
今回は、北欧4ヶ国から出るので、しっかりと出入国審査が行われるようだ。
すぐに係員が乗り込んで来て、出国審査が始まった。
…と言っても、手続きは超カンタン。
パスポートを見せて、「日本人か?」「Yes♪」「OK★」くらいで済む。(笑)
日本の国力と礼儀正しさの効果はスゴい…★
これで北欧ともお別れ。
いよいよドイツに入国かぁ…★
車内で座っていると、列車が動き出した。
いったんフェリーまで行ったと思ったら、また戻って来てしまった。
「あれれ??
」と思っていたら、どうやら列車をフェリー内の留置線に押し込んでは数両ずつ切り離して戻り、また別の留置線に押し込んで行く…の繰り返しをしているっぽい。
3回目だろうか、やっと我々の車両がフェリーに押し込められる番となった。
しかも、何と先頭だぜぇ~~~~~い!!
ラッキーーーっ★

後ろから機関車に押され、列車はゆっくりとフェリー内へと向かう。

こんなチャンスは滅多にナイので、車両のデッキに移動して見学することにした。
超~~特等席★
さっきまで気が付かなかったけど、目の前に今まで見たことも無いフシギな線路が…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
3つに分かれてるぅ~~~~★
何と、ここで線路を小さく3つに分岐させて、船内で大きく左右に振り分けるという作戦だ。
つまり、線路が3本僅かずつズレて重なっている状態。
もっと船に近い所で分岐させてもイイのに、ナゼこの地点で?
積雪の関係で?塩害の関係で??メンテナンスの関係で???
こんな特殊な線路、初めて見た…
世界でもそう無いね★
いやぁ~~、スゴく良いモノを見させてもらったよ
最高の「デンマークみやげ」だ★
そして、車両は船内のイチバン左奥へ押し込められ、固定された。
客車単体で留置されると徐々にブレーキが利かなってくるため、チェーン等でしっかりと船体に固定される。
機関車が切り離されたら室内が真っ暗になったけど、すぐに船から電源をつないでもらったため、照明だけはボンヤリと点く状態になった。
とりあえずの電源なので、空調等の大電力を消費する機器は動かないようだ。
一応「一等船室」なんだけどねぇ~。
…って言うか、実はこの車両自体にクーラーが無いのだ★
(東ドイツ製だからねぇ~
)
このまま車内にいてもイイし、船内に行くこともOKだそうだ。
薄暗い部屋に閉じ込められているのもイヤなので、船室探検に出掛けることにした♪
階段を上って、デッキ(甲板)にも行ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
う~~~ん、船旅★
あとはお天気さえ良ければ…。

お船は出航した。

距離は19Kmで、45分の航海だそうな。
船室は明るく快適な空間で、テレビの他にも時間を潰せる(と言っては語弊がある?)モノが充実している。
「国際航路」なので中はすべて「免税」で、免税店では酒・タバコがかなり売れていた。

(欧州は税金が高いので、タバコ等は贅沢品)
しかし、船室には我々が座れる座席はナイ…。
なので、我が1等船室に戻ると…
そこには、テレビも無く薄暗くて空調の効かない、淀んだ狭い空間が待っていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
…せ、狭い。
景色を観ようにも、隣には大きなベンツ君(トラック)が鎮座している。
そして、前方には桟板が、これから観に行く「ベルリンの壁」のように自由を奪っている。
仕方なく、車両の下周り(機器類)を見学。
ん~~、ドイツ車はいい♪
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★ おまけ ★
ここで、乗った車両の「鉄っちゃん的な」詳細を解説しよう。
ちょいとマニアックよん。
まずは、側面のベンツ君との隙間に入り込んで…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
文字がいっぱぁーーーーーい★
この、車体の横に書かれた文字で、この子の全てのことが判る。
この数字や記号は、世界共通の国際規格(UIC)で、主に欧州各国の車両が使用している。
(日本のJR東日本でも使えるけど、国際直通列車が無いのでまだ採用していない)
まずは、赤い文字で堂々と書かれている「DB」のマーク。
これは「ドイツ鉄道」のロゴで、国際規格とは関係ない。
次に、その下の数字の列「5180 30-40 512-1」。
これが、この子の車体番号(本名)だ。
「5180」の「51」は、「お船で運べる一般型客車だよ」という意味。
「5180」の「80」が国番号で、ドイツは「80」が割り振られている。
(ちなみに、日本のJR東日本は「42」だよん)
この子は、生まれが旧東ドイツ国鉄なので、生まれた当時は「80」ではなく「50」だった。
(東ドイツの国番号は「50」だった)
でも、東西統一で東ドイツは西ドイツに吸収されて消滅してしまったため、この子の国籍は「ドイツ」となった。
なので、よ~~く見ると「5180」の「8」を書き換えた跡がある。
オシリの「1」も書き換えた跡があるっしょ。
これは、「5180 30-40 512」という数字が間違って書かれていないかをチェックするためのもので、特殊な計算式で1桁の数字が算出される。
「8」を書き換えた影響で、ここも変更されたッス。
その下に書いてある、アルファベットの「ABom222.1」は形式名で、国ごとに違う場合もある。
「A」が1等で「B」が2等を意味している。
この子は1・2等の合造車なので、「AB」となっている次第。
「om」にも意味があるけど、長くなるので省略。
「222.1」は日本で言う「形式」と「番台」で、この子をJR風に呼ぶとすれば「マロハ222形100番台」となるであろう…。
ちなみに、上の「5180 30-40」の「30」が、「1・2等合造車」の意味だよん。
裾に書かれている文字や記号は、その他の色々な意味を持っている。
「ABom」の下に書かれている「39t 44t」は、おそらく体重で、空腹時と満腹時だと思う。

左奥の文字は、所属のエリアや駅名などが書かれていて、この子はベルリンっ子だね。
見える範囲には書いていないけど、車体の長さは26.4m。
日本の新幹線は25mで在来線は20mなので、日本の感覚からすれば結構長い。
この他はあまりにマニアックな内容になるので、省略★
(詳細を知りたい方はこちらをクリック
)
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近くにいる、他の車両の中も見てみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
おぉ!自転車が積んであるっ★
国境を越えてキャンプしに行くようだ。
イイなぁ~~~~。
この車両は内装がキレイだから、旧西ドイツの車両だな…
しばらく「列車の船旅」を楽しんでいたら、お船はドイツ側の街「Puttgarden(プットガルテン)」駅に到着した。(地図の一番下の●)
港に着いたら、そのまますぐ入国審査で、係員がやって来た。
我々を見て、パスポートをチラッと見て…
「日本人か?」
「Ja!」(ヤー!:ドイツ語のYes!)
「OK★」
車両の壁にパスポートを付けて、入国スタンプをバン!バン!バンッ
(↑かなりのパゥヲー★
)
「ダンケシェーン♪
」(ありがとう)
「ビッテシェーン♪
」(どういたしまして)
…ってなスピードで終了★
さすが、「日・独・伊 三国同盟」のパゥヲーはスゴい。
戦後何十年も経っても、良くも悪くもこの効果はこれ以降の各地でホントに感じた…
これでドイツに入国っ★
以前は空港で入国したので、入国スタンプを押されなかった。
欧州ではよくある事のようで、日本帰国後に空港の税関で「どこに行って来たの?
」と訊かれた人も多かったとか。
今回は、しっかりとスタンプが押されたぞ★
全員の審査が済むと、列車は連結作業に入る。
デンマークの時とは逆の順序で列車が引き出され、元の編成に組み上がって行く。
今度は一番先にお船から出されたので、ホームに降りてのんびりする時間が出来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
すぐ奥がフェリーの桟橋だ。
ホームとフェリー乗り場は跨線橋でつながっているようだね。
しばしまったり。
ここで、初めて編成を外から眺めてみると…

…あれ?我々の「1等車」だけが古い。(笑)
他の車両は、全て白い新色の更新工事済みの車両だ。
この一等車だけ古いのかぁ~。
…ま、いっか★
古くても、日本の車両とは比べ物にならないくらいに乗り心地は良いのでね♪
列車が元通りに組み上がったので、いよいよ出発★
列車は静かに動き出した。
さすがドイツ、乗り心地は大したものだ。
高速でもほとんど揺れなく、まさに日本の新幹線状態。
(1996年当時の鉄道は、総合的に見るとドイツが世界最先端だった)
途中の「Lübeck(リューベック)」駅で、ハンブルク行きの客車を切り離した。(地図の●の左下にある●)
ハンブルクは、ここからあと少しの距離にある。
我々のベルリン行きの編成には、別の車両をくっつけた。
列車は、一路ベルリンへ向かって走り出した。
線路はローカルな非電化の単線だけど、かなりな高速でスッ飛ばす。
日本では体験出来ない感覚ぅぅぅ~~~~★
(現在なら「ほくほく線」やJR北海道の特急があるけど、1996年当時の感覚だと「単線の北陸本線」っぽいかな…
)
そして、18時ちょっと前に、ついに「Berlin-Lichtenberg(ベルリン・リヒテンベルク)」駅に到着した。(地図の■)
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
着いたぁーーーーーーーーっ★
べるりん なう!!どいちゅらんと なう!!!!
初めての旧東ドイツ側の駅で、超~ドッキドキ★

やっと本当の首都に来ることが出来た♪
(西ドイツは、分断中は「ボン」に首都を置いていた)
さて、感動している場合ではナイ!銀行に急ぐのだーーーーっ!!!
大急ぎで駅前の銀行に駆け込む。

ギリギリセーフ★
ここで当面必要な金額を「ドイツマルク(DM)」に両替する。

(画像をクリックすると拡大するよん)

(1991年撮影)
上が切れちゃった…
この時のカメラは、ファインダーとレンズの位置の関係で、近寄って撮ろうとするとご覧のように映っている範囲がズレてしまうのだ。
なので、どのお札も表面側の上辺が欠けてしまっている次第…。
帰国して現像するまで、ちゃんと写っているかが判らないからねぇ…
左側は旧紙幣(100DM札と20DM札)で、右側は新札(100DM札と10DM札)だ。
東西統一によって、紙幣も新しくなった。
(上が表面で、下が裏面だよん)
ドイツは労働時間にキッチリしているので、休日や平日の時間外はお店が一切開いていない。
観光地ですら、営業していない。
これで安心
さぁ、今夜のお宿を捜そう★
今いるリヒテンベルク駅は、旧東ドイツ側のターミナル駅だ。
まずは、ベルリンの旧西ドイツ側の中心地の「Berlin-Zoo(ベルリン・ツォー)」駅へ移動しよう。
(この駅の正式名称は「Berlin Zoologischer Garten(ベルリン動物園)」と言う)
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★ おまけ ★
「…さっきから「西側」だの「東側」だの言っているけど、それって何??」とおっしゃる若い方々、ここで解説をしておこう。
まずは、古い地図をご覧あれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(帝国書院の高等社会科地図帳(1987年版)P58を撮影)
これがドイツ東西統一前の、悲劇の都市ベルリンだ。
赤い壁で囲まれた「西ベルリン」と書かれているエリアが、資本主義国(英・仏・米)の西ドイツの管轄地で、それ以外の周囲は社会・共産主義国の東ドイツ領だった。
つまり、西ベルリンは西ドイツの「飛び地」で、本土とはかなり距離が離れている。
何でこうなったかと言うと、第二次世界大戦で日本とドイツが敗戦国となった時に、ドイツは4ヶ国(英・仏・米・ソ)で分割統治されることになった。
そのため、首都のベルリンも4分割され、各国が管理し始めた。
すると、資本主義3ヶ国の管理する西ベルリンとソビエトの管理する東ベルリンとの経済格差が大きく開きはじめた。
社会主義国は、構造や思想もかなり違う。
そこで、資本主義3ヶ国とソビエトとの溝が深まり、ドイツ内のそれぞれの管理区域を「西ドイツ」「東ドイツ」と言う別の国にしてしまった。
ここでソビエト側に不都合な事が生じた。
ソビエトが支配する共産主義の管轄内に、西側への「抜け道」が出来てしまったからだ。
ベルリン市内へ行って西ベルリンのエリアに入れれば、列車や飛行機で自由な世界へ脱出することが可能だったのである。
(列車は東側領内は無停車で、厳戒態勢で監視された)
なので、東ドイツ国民を西ベルリンとの行き来をさせないようにするため、突然予告なしにこの地図の赤い壁「ベルリンの壁」が出来てしまった次第。
境界線上に位置する物は、地下鉄も家の窓も、全て塞がれた。
突然離れ離れになってしまった家族や恋人達が続出。
壁まで行けば遠くから顔を見ることは出来ただろうが、話しをすることは当然出来ない…
もし、東側の人が挙動不審な動作をすれば、東側の兵士によって「即射殺」だ。
そして、アメリカ等がソ連への見せつけの意味等も込めて、西ベルリンに「これでもか」と生活物資を大量に供給。
よって、東ベルリンはだんだん貧しくなっていき、制限・監視だらけの東ベルリン(東ドイツ)に比べて、西ベルリンだけは豊かで自由な生活が送れた。
その後、東ドイツの恐怖政治と抑圧に耐えられなくなった市民達が、この壁を越えて「自由で楽しい豊かなエリア」に逃げようと試みた。
その度に、見つかった市民は東ドイツ側の兵士によって射殺されるという悲劇が繰り返されてきた。
(西ベルリンへ入れれば、飛行機で欧米各国へ行くことが出来た)
1989年11月に、市民デモ等で切羽詰まっていた東ドイツ首脳陣の単純なミスによって壁の通り抜けが自由になる法案がわずか数日で可決・施行され、1989年11月9日にベルリンの壁のゲート(国境)が開かれて市民が一気に西ベルリンに流れ込んだ結果、東ドイツという国はあっけなく崩壊してしまったという訳。
(その数ヶ月前までの書記長は若手部下の周到な作戦にハマって失脚し、すでにソビエト政府にも見放されていたようだ)
その後、1990年10月3日に、崩壊した東ドイツが西ドイツに吸収合併される形でドイツは急速に東西統一され、現在に至るという訳。
この歴史の流れを知っておかないと、ドイツ、特にベルリンという場所の事がよく理解出来ない。
もし、日本も分割統治されていたら、関東以北の東日本がソビエトの管轄になって、東京の23区内がベルリンと同じように分割管理されていたかもしれない。
そして、人々は西日本へ脱出しようと試みて……というような歴史になっていた可能性も否定出来ない。
(実際、ソビエトが北海道の半分近くを分割統治したいと言ったそうだけど、米大統領がこれを拒否したらしい)
日本が占領していた朝鮮半島は、みなさんもご承知のとおり、アメリカとソビエトで分割統治され、現在の韓国と北朝鮮になっている。
日本が今の状態でいられるのは、奇跡に近いのだ。
(ほとんどは米国の思惑で決められた)
このように、べルリンは欧州最大の華やかな都市でもあるけど、悲しい都市でもあるのだ。
わずか6年前までの出来事だ。
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では、移動しよう。
市内には「Sバーン(えすばーん:近郊鉄道)」と言う、日本の山手線等の通勤電車みたいな列車が走っている。
(「バーン(Bahn)」は線路や道路の意味で、地下鉄は「Uバーン(うーばーん)」と言う)
このSバーンは、ユーレイルパスが使えない。
(場所によっては使えるみたい。よく理解出来なかった…
)
なので、駅で切符を買う。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
ふぁうべーべーーーーっ★
切符の中央に書かれている「VBB(ファウベーベー)」のロゴは、「ベルリン=ブランデンブルク交通連合」という意味だそうな。
列車に乗るには、まずこの切符を、改札口っぽい所に置いてある時刻の刻印機に差し込む。
すると、ガチャン★という音と共に、切符に乗った駅と時刻が印字される。
(この切符は翌日に乗ったモノなので、1996年7月12日17時5分の刻印がされている)
ドイツの駅に改札は無い。
だからと言ってタダ乗りをしていると、突然の抜き打ち検査があって、切符を持っていない場合はものすごい罰金を払わされる。
なので、みんなは正しく切符を買って乗っている。
ここは「さすがドイツ人」と、感心してしまう…。
ベルリンのSバーンは、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の絵葉書を撮影)
シヴぅぅぅ~~~~い★
これは戦前から走っている、かなりの古老だ。
車内は白熱電球で、かなり味がある。
今どきの新車も走っていたけど、新し過ぎて何も興味が湧かなかった…。
DB(ドイツ鉄道)の長距離列車の横を複々線で並走して、こまめに停車しながら走っている。
東京の、山手線と東海道線と同じような感覚。
Sバーンは、日本のバスみたいに「系統番号」があって、我々は「S5」または「S75」に乗ればOKということが解った。
(路線図は次回でご紹介)
ツォー(動物園)駅までは12駅あるので、車窓からはちょっとしたベルリン市内観光が出来る★
途中の駅には東西統一時まで放置されていたものもあるため、それらの駅は修復が終わる(我々の訪れる1ヶ月前の1996年6月)まで通過していた。
時々、複々線ですれ違う長距離列車達にドッキドキ★
鉄道模型のカタログでしか見たことが無い車両達の「実物」が走っているからだ。
もう窓にへばりついて、外の景色にクギ付けぇぇぇぇぇ~~~~っ★
1人でコーフン状態。
しばらくして、ツォー駅に到着。
駅前をうろついていると、「ヨーロッパセンター」と言う建物の中にインフォメーションカウンターがあるのを発見★ 
ここでお宿の予約も出来るようだ。
中に入って、今夜のお宿を予約した。
3人1部屋で、1人当たり50DM(3900円:1DM≒78円)
さすが首都だけあって、少し高いね…。

首都復興の真っ最中なので、「復興税」も入っているようだ。
(ベルリンはパリと並ぶ、欧州1・2位の大都市だ)
カウンターでお宿の最寄り駅の説明を丁寧に受ける。
我々が日本人だと判ったら、急に懇切丁寧になった。
あまりに丁寧なので、少し恐縮ぅ~~~~★
そして、言われたとおりにSバーンに乗り込み、西に4つ進んだ「Witzleben(ヴィッツレーベン)」駅で下車。
お宿は、駅から徒歩3分ほどの場所にあるそうだ。
お宿の名は「PENSION MESSE」(ペンション・メッセ)。
フツーの街中の、ごくフツーの建物(隣どうしがくっついたビルみたいな建物)だ。
「MESSE」は、あの「幕張メッセ」と同じ「見本市」という意味なので、展示会場が近くにあるのかな?
建物の中に入って、フロントに行く。
案内された部屋は、3階の8号室。
部屋は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年撮影)
小ざっぱりぃぃぃぃぃ~~~~★
ドイツらしい、清潔だけど簡素で機能優先的な感じの部屋だ。
トイレはフロアで共同。
シャワーは各部屋にあるけど、隅の一角にただ半透明の仕切り版を立て掛けただけの、上から湯気ダダ漏れな屋根の無いユニットシャワーだ。
同室の人からは裸が丸見えだし、シャワーの湯気で部屋の天井が湿気だらけになる…
でも、それ以外はまぁイイ部屋だ♪
荷も下ろせて落ち着いたので、夕飯を食べに行くことに。
駅前までテコテコ歩いて行って、レストランに入る。
・チキンのマスタード焼き
・麺入りスープ
・Berliner Weiße(ベルリナー・ヴァイセ)
…を注文。
これで合計21DM(1640円)。
「Berliner Weiße」は、ベルリン名物の「ビールのカクテル」で、アルコール度数の低いビールにかき氷と同じようなシロップを入れたモノ。
モノによって、紅かったり、緑色だったりする。
さっぱりしていて、甘酸っぱくてとっても飲みやすく、まいう~~~♪
昨夜からろくな食事をしていなかったので、お腹も満足
心も満たされたので、お宿に戻って寝るとするか。
あー、今日は移動ばっかりで疲れた★
それぢゃ、おやすみんみ~~~~ん♪


(つづき「その43」はこちらーっ!)
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