(前回「その24」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら)
このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。
注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ★
ふり仮名がないものは、前回までの日記を参照されたし。
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1996年6月13日(木):晴れ
烏魯木斉(ウールームーチー:Wulumuqi)
おはよぉ~~~~う…
今日はえらい疲労のため、一日中部屋にいることにした。
さすがに、昨日までの硬い寝床と雨に濡れたらねぇ…
昼飯と夕飯を、近くの食堂で摂る。
昼食は1人で…
・蛋炒飯(たまごチャーハン)
・青椒肉絲(チンジャオロースー)
・木須肉(ムースーロー:豚肉・卵・きくらげの炒め物)
の3品を。
夕食は3人で…
・清湯牛肉麺(澄んだスープの牛肉麺)
・狗不理包子(“カオプーリー”という有名店の肉まん(ショーロンポー))
・柿子炒蛋(トマトと卵の炒め物)
を食べた。
帰り道、露店で絵葉書を買った。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
ぜっけぇぇぇぇ~~~~~~いっ
新疆(しんきょう)ウイグル自治区の景勝地を撮影したもので、18元。
10枚入りだったので、10人に手紙を出すことにした。
さらに、宿の前でアイスを買った。
「香酥糕(シャンスーカオ)」という名前で、バニラっぽい味で美味♪

仲間の1人が、オラが美味そうに食べているのを見て、同じモノを買おうとした。
…んで、「そのアイスの名前は何て言うの?」と訊いてきたので、「シャンスーカオ」と答えた。
すると、「えっ?チャンスカードが入ってるの?」と一言。
…ぅぉぉぉぉおおおお~~~~~いっ!!

その後、お宿に戻って手紙を書いていたら、トルディーさんがやって来た。
しばし、みんなでハナシをする。
23時半頃、トルディーさん帰宅。
(こちらは時差の関係で日没が遅いので、日本の感覚的には20時くらい)
さて、寝るとするか…。
おやすみんみ~~~~ん♪

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1996年6月14日(金):くもり のち 雨
烏魯木斉(ウールームーチー:Wulumuqi)
…おっ、おっ、おはようっ!!
今日はものすごい腹痛で目覚める。
…と言うか、起こされた。

トイレに行ったら、お腹のものが全て出てしまった。
もうピーピー状態…。
胸もムカついていた。
仲間の1人も起きて、トイレに入る。
…おいおい、吐いていやがるよ

残りの1人も「具合悪りぃ……」と、ベッドで安静状態。
…どうやら全員「食あたり」っぽい。
いや、間違いナイ。
とりあえず、みんな出すもの出し切った後、ベッドに寝ながら会議を始める。
昨日までにみんなが食べた食材を、消去法で洗い出す。
すると、どうやら昨夜の「トマトと卵の炒め物」の卵が原因っぽい。
こちらには「冷蔵庫に保管する」という習慣がナイ。
…って言うか、冷蔵庫がナイ。
食べた量に比例して、3人とも症状の重さが違う。
「嘔吐>下痢>腹痛」で、オラは真ん中の下痢症状止まりだった。
これは、ほぼ卵で間違いナイだろう…。
天池の疲労で体力(免疫力)が下がっていたからなぁ~。
そんな訳で、今日は博物館へ見学に行く予定だったのを急遽中止。
楽しい3人部屋が、そのまま「病室」へと変化した★
3人とも寝返りも打てずに、ずっと天井を見たまま仰向けに寝ている。
ちょっとでも胴体(胃腸)をひねると、即トイレ行きだ。
うかつには動かせない。
天井では、扇風機がプルプルと回っている。
それを見続けるしかない3人。
…まるで「生まれたての赤ん坊」のようだ。
時折、蚊の鳴くような声で「...ぉ~ぃ、生きてるかぁ~...」と横から聞こえてくる。
それに反応して2人が「生きてるよぉ~...」と上を向いたまま返答する。

参ったなぁ…。
完全に想定外のハプニング発生。
数日後には列車で移動だ。
切符も、旅行社に取得を依頼してある。
…どうしよう。
昼過ぎになって、何とか起き上がれるようになったので、様子見も兼ねて手紙を出しに行くことにした。
重たいカラダを引きずって、中心部の「中山路」にある郵便局まで行く。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2006年撮影)
郵便局はこの周辺にある。
手紙を見せたら「国際郵便は、紅山の郵便局に行ってくれ」と言われてしまった。
紅山は町の北端だ。
キツイなぁ…。
ここで街の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の地図を撮影)
中央を上下に走る大きな道路は、まだ工事中だった…。
➊.ウルムチ駅
➋.新疆飯店
➌.二道橋市場(バザール)
➍.自治区政府幹部招待所(トルディーさんが紹介してくれた宿)
➎.テングリモスク(南門モスク)
➏.漢民族の繁華街
➐.紅山地区(旅行社・郵便局)
今は、❹から❻まで何とかたどり着いたところで、❼へ行けと言われた状態。
フラフラと歩いて行くも、途中で限界に達したので、近くにあった高級ホテル「ホリデーイン・ウルムチ」に入る。
そこのレセプション(フロント)で、ムリヤリ手紙を預けてしまった。
「何号室に泊まっているの?」と聞かれたので「泊まっていない」と言ったら断られそうになったが、オラがヘタって困った顔をしていたのを見た受付嬢、何と手紙を預かってくれた。
オラが外国人だというのもあったのだろう…。
「謝謝!」とお礼を言って、ホテルを出る。
…もう限界だ。

天気も良くナイので、そそくさとお宿に戻る。(地図の❹)
(…と言っても、ズルズル体を引きずるような状態だけど)
ベッドに寝っ転がり、今後の最終目的地「東南アジア」のガイドブックを読む。
…おっ、思った以上に体力の快復が早い♪
これなら何とかなるかも…。
宿の売店でジュースとソーセージを買い、部屋で食べる。
どちらも胃腸に優しいモノだ。
まだ油物は止めておこう…。
(でも、ここは“ちうごく”だしなぁ…
)
う~ん、とりあえず、寝よう。(笑)
おやすみんみ~~~~ん…。

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1996年6月15日(土):くもり 一時 雨
烏魯木斉(ウールームーチー:Wulumuqi)
今日はお腹の調子がちょっと良くなって来たので、午後から外出。
(3人のうち、2人は行動出来るくらいにまでは快復。
もう1人は、嘔吐は止まったが、今度は下痢ピーと格闘中
)
昨日と同じ「中山路」まで行く。(地図の❻)
今日はさらに北上してみよう。
ここから先は初めてだ。
ものすごい都会なのだが、売っている物の種類は少ない。
北京や上海等の沿岸部に比べれば、まだまだこれからの開発都市だからね。
昨日は行けなかった博物館に行くことにした。
中山路の辺りから「7」番のバスに乗って、博物館の前で下車。(地図の❼のさらに左上)
入口に立つ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
どどぉーーーーーーん!
広大な敷地の中央に、立派な建物がある。
「新疆維吾尓自治区博物館(しんきょうウイグルじちく はくぶつかん)」だ。
チケット(上の写真)を買って、中に入る。
お1人様15元(200円)。
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★ おまけ ★
余談だが、2006年に再訪したら、全面改築されてキレイになっていた
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2006年撮影)
あおびかりぃぃぃぃ~~~~っ★
何となく以前のイメージは残してある感じ。
ゲート横のカンバンは、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2006年撮影)
たっぴつぅぅぅぅぅ~~~~~っ★
ウイグル語と中国語で書かれた立派なモノだ。
博物館の名称は変わってナイね。
1996年当時は、博物館の中は撮影していなかったので、替わりにこれを。
(当時は「撮影禁止」だったような…
)
中央のドーム状部分は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2006年撮影)
ぴかりんこぉぉぉぉ~~~~ぅ★
まだ新しいのでピッカピカだ

中央には、ウルムチの市街地の模型が展示してある。
★ おまけ ここまで ★
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さて、建物の中に入ろう。
新しくはないが、建物は意外にデカく、展示物もかなり多い。
この地域の少数民族達の歴史や風俗等の展示も多く、興味は尽きない♪
特別展示のコーナーも入って観ていたようだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
たてひざぁぁぁぁ~~~~っ★
チケットには「歴史文物陳列」と書かれていて、別料金で5元だ。
(…あれ?記憶にナイ。
)
もっと観ていたかったのだけど、体力がまだ復活していないので、立ち疲れを感じ始めた。
大事をとって、早めに切り上げることにした。
また来ればイイしぃ~~♪
(…と思って2006年に来たら、全部改装されてしまっていたというオチ★
)
博物館を出て、バスに乗ってお宿に戻った。(地図の❹)
しばしの休憩タ~イム♪
体力も少し復活したので、列車の切符を旅行社に取りに行くことにした。
最初に泊まった「新疆飯店」の1階にある「天馬旅行社」だ。(地図の❷)
(ウルムチ到着初日に「天池」ツアーを申し込んだ所)
移動中に雨が降ってきたけど、すぐに止んでくれた。
ラッキー

5日ぶりの新疆飯店。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(2006年撮影)
見た目は立派なんだけどねぇ~~
旅行社に到着したら、あの漢民族の
美人おねぃさん
は不在だった。
ロビーで待っていたら、彼女の「弟」と名乗る青年が現れた。
たぶん、本当の姉弟だろう。
どことなく似ているような…。
(でも「一人っ子政策」でなかったっけ?ちうごくってば…
)
しばらく彼とハナシをする。
日本のタレントにすごく興味があるらしく、いろいろ訊かれた。
知識もものすごい。
我々3人よりもたくさん知っている。
…一体どこで情報を仕入れたんだ?東京から4500Kmも離れたこの地で。
(※1996年当時は、満足な情報通信網など無かった。ましてやインターネット環境など…)
しばらくして、美女姉も戻って来た。
別件で外出していたらしい。
ここで、頼んでいた列車の切符をもらう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
なつかしの硬券ーーーーーーっ★
「烏魯木斉(ウルムチ)」駅発、「鄭州(ていしゅう)」駅経由の「北京西(ぺきんにし)」駅行きだ。
走行距離3768Kmの、中国で第2位の長距離列車だ。
(1位は「上海⇔ウルムチ」4077Km)
この切符は、日本で言う「乗車券」+「特急(自由席)券」。
なので、特急(特快)の普通座席(硬座)の運賃しか書いていない。
片道204元(2750円)。
3768Kmも乗って3000円以下とは……安いっ★
(日本のJRだと、約3万円)
切符に押された青いスタンプは、列車名と発車時間だ。
上が「70次」、下が「18:20開」と書かれている。
裏も見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
ものくろぉーーーーーーぅ★
中央下部には発行駅の「烏魯木斉站(ウルムチ駅)」、右横には下車駅の「北京西」が書かれている。
この小さな切符1枚が、当時の一般市民の「約1ヶ月分の収入
」に相当する。

さらにもう1枚手渡された。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
していけぇーーーーーーーん★
左上に「硬臥票(下)」と書かれている。
これは日本で言う「B寝台(下段)」の寝台指定席券だ。
乗車券同様に、始発・終着駅名が書かれ、列車名・発車時間が押されている。
寝台料金は196元(2650円)で、これも安い。
裏側も見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
何やらピンクの紙が貼られている。
そこには…
「烏站 硬臥乗車証」
「70次 5車 下鋪 17号」
「6月 16日」
と書かれている。
この意味は…
「烏魯木斉(ウルムチ)駅 B寝台乗車証」
「第70列車 5号車 下段 17番寝台」
「6月16日発」
ということ。
このペラ紙がちぎれると乗れナイので、慎重に扱うように注意された★
ピンクの紙の下には…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
書き込めぇぇぇぇ~~~~~っ★
「下車 無効」
「第... ... ...号車」
「第... ... ...番寝台」
「ウルムチ駅」
と書かれている。
ここに書き込む代わりに、ピンクの紙を貼ったようだ。
(余談だが、このピンク色って当時のトイレットペーパーと同じ色なんだよねぇ…
)
結局、北京西駅までの料金は、1人400元(5400円)。
あと、これに諸々の税金や設備ごとの割り増し料金が少し加算される。
今回の旅としては、かなりの手痛い出費だ。

(日本の物価から考えれば、この移動距離でこの値段は激安なのだが…)
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この切符、「あれ?」と気が付かれた方もいらっしゃるのでは?
そう、我々は香港からポルトガルを目指して西に移動中だ。
そして今は、ユーラシア大陸の本当の中心「ウルムチ」にいる。
つまり、大陸の半分まで到達したわけだ。
…んで、今手にした切符は東端の「北京」行き。
…あれぇ~、思いっきり方向が逆やんけ。
…って言うか、ふりだしに戻ってるぢゃん
事実、この切符を依頼する時にも、旅行社の人とこんなやりとりがあった。
「ウルムチの後はどこに行くんだ~い?」
「北京だよ」
「それで北京から日本に帰るんだ~♪」
「ううん、北京からモスクワに行く」
「モ、モスクワ~っ!?」
「うん」
「…おいおい、ここはウルムチだぞ!オマエ達はもう半分も来てるんだぞ!」
「うん」
「ウルムチからだって、カザフスタン経由でモスクワ行きの列車の切符取れるんだぞ、そうすればすぐ着くじゃないか!ここからモスクワまでは近いんだぞ」
地図で見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)

(1996年当時の実物を撮影)
❸ウルムチから左の赤い路線を進んで❼モスクワへ行くルートが最短なのだ★
「知ってるよ」
「じゃぁ、何でわざわざ北京になんて戻るんだい!?」
「シベリア特急に乗りたいからだよ」
(❸から右の赤い★の路線を進んで❼へ行くルート)
「……そっか。」
「…そう。」
「それで、最終的にはどこまで行くんだい?」
「ポルトガルだよ」
「へぇ~~~っ!すごいねぇ~っ!」
…という訳で、北京行きの切符を手に入れたのだった。
これだけはオラの譲れないイベントだった。
シベリア特急に乗るために、この旅に出たのだから…

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さて、これでウルムチから移動する準備が整った。
お宿に戻ろうとすると、美女姉が「もう1人の彼はどうしたの?」と訊いてきた。
そう、ここには3人のうち、軽症の2人がやって来たのだった。
「彼は吐いてお腹壊して寝ているよ」と言ったら、ものすごく心配していた。

…ヤツと彼女の関係、なぁ~んかアヤシイ...★

ヤツはこの美女に一目ぼれだしぃ~。
お宿には徒歩で戻ることにした。
それほど距離もナイのでね♪
お宿の近くの食堂で夕飯を摂る。
・紅焼茄子(ナス・ピーマン・トマトのケチャップ風炒め)
・ごはん
移動の前日なので、大事を取って無難で控えめなメニューに。
しっかり火が入っていることを確認しながら食べる。
久々の白飯は美味かったぁ~~~♪

そして部屋に戻り、そのままゴロンと寝ることに。
明日からは、いよいよ北京に移動だぞ

では、おやすみんみ~~~~ん♪


(つづき「その26」はこちらーっ!)
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