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2011年8月

2011年8月29日 (月)

実物日記 ~「郵便電車って知ってるか~い?」1980's ~

今回も、古いもらいモノの写真だす

学生時代に後輩からもらった写真が出て来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7001
ゆうびんでぇ~~~~っす

品鶴(ひんかく)線「蛇窪(へびくぼ)信号所」を、「大崎(おおさき)」駅方面に進む郵便電車

今ドキの言い方だと、「横須賀線から湘南新宿ラインが分岐する所」だ。
写真奥に真っ直ぐ行けば品川・東京駅方面、電車が進んでいる方向に行けば大崎・新宿方面。
(この先で立体交差する)

品鶴」線とは、「川」~「見」間の貨物線の俗称。
正式な書類上では「東海道本線」の複々線の一部で、名称はナイ。

「蛇窪信号所」も、現在では「大崎駅の構内」という扱いで、書類上の名称はすでにナイ。
だが、今でも運転上の重要地点なので、通称では呼ばれ続けている。

この郵便電車は、当時では定番の列車。
おてまみや郵便小包等を運ぶ専用車両だけで編成されている。

クモユ141・クモユニ143・クモニ83形等が連結されていて、東北・高崎線方面に走っていた。
(「ユ」は郵便のユ、「ニ」は荷物のニ)

この日の編成は「モユ141クモユニ143クモユニ143モユ141」。

真ん中の赤いクモユニ143は、静岡の身延線から新潟の長岡へ異動して間もない頃(1985年)だ。
(この後、になり、さらに1986年に千葉の幕張へ異動し、賀色になる)

この列車(長岡車)の運用区間は、「新潟←→横浜羽沢(よこはまはざわ)・隅田川(すみだがわ)」。

電車の上を横切る鉄橋は、東急大井町線で、その上の高架線は東海道新幹線だ。

ちなみに、ポイントの設置されている角度も、現在とは異なっている。
横須賀線列車の品鶴線への移転により線形が改良され、品川方面は直線にされた。
この当時は、どちらの分岐へも交通量が同じくらいだったので、Y字ポイントでの分岐になっていた。
(ココを走る定期旅客列車は存在しなかった)

このすぐ手前にある踏切から、後ろに振り返ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7002
あまり面白味のナイ光景だ。(笑)

この編成は、「モユ141クモユニ143モニ83モユ141」。
1両だけ旧型の吊り掛け電車だ

字幕は「郵便」。

そうそう、「郵便車」というのは「国鉄」の車両ではなく、所有は「郵政省」(今の「JP」)なのだ。

つまり、「国鉄」車両ぢゃナイのに、堂々と全国の国鉄線上を走れる車両だったのだ。
「私鉄」車両ぢゃぁ、こうはいかない…。

郵便車(クモユ・オユ・スユ・キユ)の車体には、どこにも「日本国有鉄道」の文字(銘板)はナイ。
郵政省」の3文字だけだ
(クモユニ・スユニ等の、荷物室もある車両は国鉄の所有)

余談だが、電車の横に写っているポイントは、今はナイ。
SLを含め、展望車(マイテ)などが連結されていた昔の豪華特急列車の、編成全体を方向転換するための渡り線だったのだ。
(東京→大崎→蛇窪→東京)

さて、この郵便電車は、新宿を経由して新潟方面へと向かう。

その新宿駅で撮影した写真があった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7003
新宿駅2番線(現8番線)に停車中の郵便電車。

ホームでこの電車の写真を撮っている学生が多いって~ことは、郵便列車が最末期の頃(1986年)だろう…。
昔は、高田馬場駅で西武新宿線ホームからよく見たなぁ…

さぁて、ところ変わって。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7004
青いッス

飯田線「飯島(いいじま)」駅に停車中の「クモユニ147」。

駒ヶ根(こまがね)」駅から4つ目の駅だ。

下り列車交換中に自分で撮ったモノ。
中央線との接続駅「辰野(たつの)」駅を4:43(確か)に発車する一番電車で、東海道線と接する「豊橋(とよはし)」駅行きという、全線走破列車。
クモユニ147が出たばっかりの、ピッカピカの新車の時だったので、1983年だと思う。

編成は「クモユニ147クモハ119クハ118」。
当時は超カッチョエェ~編成だったぁ…。
(この後、途中区間だけ119系があと2両増結されて、5両編成になった)

ちなみに、クモユニ147のモーターは101系と同じMT46。
クモハ119は103系と同じMT55。

なので、トンネル等に入ると、101系と103系のモーター音がシンクロして、ダブルで聴こえて来て楽しかった
全国でもココだけだったろう……たぶん。

新車だったせいか、まだ前面の字幕は装備されていなかった…。
積荷は、新聞や小包・生花等だった。

この電車が、終点の豊橋駅に到着した。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7005
7時間の鈍行旅。

正直、疲れた…。

でも景色は最高に良かったぞ

また、折り返し11:55発の「辰野」行きとして帰って行く。
この編成、1日で1往復しか出来ないっしょ
往復で15時間くらい掛かるんだから…

…ま、こんなカンジぃ~~

昔の電車は楽しかったぁ~~

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2011年8月25日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その21:烏魯木斉・ウイグル人街を歩く~

前回「その20」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

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1996年6月9日(日):晴れ

烏魯木斉(ウールームーチー:Wulumuqi)

今朝は、早くに同室のパキ君がチェックアウトしてしまったらしく、目覚めたら3人に戻っていた。
なので、気楽に昼までゴロゴロ。

ようやっと起きて、昨日行ったウイグル人街のバザール「ニ道橋(にどうきょう:アールタオチァオ)」へ、仲間の1人と一緒に行くことにした。

ここで、ウルムチ市街の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その38・ウルムチの地図-3808
(1996年当時の地図を撮影)
中央を上下に走る大きな道路は、まだ工事中だった…。

.ウルムチ駅
.新疆飯店
.二道橋市場(バザール)
.自治区政府幹部招待所(トルディーさんが紹介してくれた宿)
.テングリモスク(南門モスク)
.漢民族の繁華街
.紅山地区(旅行社・郵便局)

からへ行くよん

お宿を出て、左側の道「銭塘江路(せんとうこうろ)」を東へ歩く。
かなり広い道で、車の交通量も多い。

今回は、1996年当時の写真が皆無なので、2006年に再訪した時の写真で補足して行く。
写真の下に、1996年当時との違いを書いておくよん。

左側の細い横道を見る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2101
(2006年撮影:当時とあまり変わらず)
緑がいっぱい

どの横道も緑に囲まれていて、快適そうだ

10分ほど歩くと、さらに大きな道に出た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2102
(2006年撮影:当時とまるで違う)
デカ過ぎるぅぅぅぅぅ~~~~っ

河灘南路」と言う、南北に走る大幹線だ。(地図の白い太線)

拡張工事中らしく、何もナイだだっ広い道を横切る。
2006年の同じ道を見て愕然とした…。周囲の景色も全く違う

また8分くらい歩くと、お目当てのバザールがある「解放南路」の交差点に到着。
ここを左折すると、賑やかな光景が眼に飛び込んで来る

ほどなく、バザールの入口に到着。(地図の

まずは、バザールの路地に入り込んでみる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2103
(2006年撮影:当時と同じ)
らおぱいーーーーーーーーーっ

入口の屋根に掛かっているカンバンで、「ニ道橋老牌市場」と書かれている。

その下には…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2104
(2006年撮影:当時とあまり変わらず)
バザールでござーーーーーーるっ

ご覧のように、香辛料や日用品、名産の絨毯と、色々なモノが売られている。
まさに「バザール」だ

奥のほうも見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2105
(2006年撮影:奥が行き止まりになってしまった)
奥の細道ぃぃぃぃ~~~~~っ

細い道が奥へと続いている。

この道を歩きながら右に曲がると、開けた空間に出た。
(確か。もう記憶が曖昧になっている…)

ここでみんな食事をしている。

よし、オラ達もカバブを食~べよっと

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 おまけ 

一旦、道路まで戻って、付近の建物をご紹介しよう。
1996年には無かった建物ばっかりなので、あえて「おまけコーナー」でご案内する。

まずは…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2106
(2006年撮影)
バザールの対面にある路地。

ここも、色々なモノが売られている。

ちょうど結婚式の車が通過中。
左の花で飾られた車には、新郎新婦が乗っているのだろう…

右の茶色いビルは「国際大バザール」と言う、新しい巨大ショッピングモールだ

その中は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2107
(2006年撮影)
しゃれおつぅぅぅぅ~~~~っ

このように、かなりシャレていて、とてもウルムチにいるとは思えない…。

観光客をターゲットにしているので、ウイグル楽器や雑貨類が多い。

さらにその対面、つまり、先ほどの古いバザール(老牌)の右隣には…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2108
(2006年撮影)
どっしり

ご覧のような、ショッピングモール「ニ道橋市場」が建っている。
上階は映画館になっているようだ。

こちらは少し古いが、1996年当時には無かったような…。
確か、この場所に屋台がたくさんあって、ここでカバブを食べたと思う。

国際大バザール」が出来てからは、存在感が無くなった感じ。
どちらかと言えば、地元の人が買いに来るような、生活感あふれるバザールだ。

 おまけ ここまで 

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さてさて。

呼び込まれたお店の席に座って、カバブを注文する。
1本1元(13.5円)。

敦煌の倍額だが、都会なので仕方がナイ…。

ビールも頼む。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2109
(2006年撮影)
にう~~~~~~~~~っ

新疆ビール(New Beer)」と言い、1本3.5元
味はとても良い

…あれムスリムは酒を飲まないんだよなぁ…。

お店の人も漢民族だし、ま、いっか

さらに「涼麺(リャンミェン)」も頼む(1杯3元)。
涼麺は、辛味・酸味・油分が混ざった、何とも言えない味…。
よくかき混ぜて食べないと、あまり美味しくナイ。

お店のオバサンに、高価なカバブを勧められた。
1本7元もするゼイタク品だ

大きめの肉の塊の周りに、脂身が付いている。
羊の卵巣なのかなぁ…。
オバサンの身振り手振りで、何となくそれっぽいというのだけ理解した。
味はバツグンに美味い

ここで、隣に広東人の2人が座った。

片方は「池乃めだか」氏によく似た、小柄のオッサンだ
(まぢで似ている…

ちょっと広東語で話し掛けたら、ビックリして向こうからも話し掛けてきた。
カバブ2本とビールをもらった。

ありがとう」と喜んでいたら、めだか氏が帰った後に、彼らの食べた分が一部上乗せされて請求された。
計算してみると、お互いにチャラで、損も得もしていないのだが、何か腑に落ちない…。

お店のオバサンも「あなた達、ちゃんと相談してそう決めたんでしょ」と言う。

確かに、めだか氏が何かゴニョゴニョ言っていたなぁ…
オバサンは広東語が解らないから、我々の会話は聞いていなかったのだ。
同じ中国人(漢民族)でも、言葉(方言)が違えば全く会話が出来ない。

…まぁ、ダマされてはいないので、素直にお店を出る。

解放南路をそのまま北上する。

またもや女性の大群に遭遇。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2110
(2006年撮影:当時とほぼ一緒)
相変わらず、やかましい…

この建物は有名なのだろう。
毎日、大勢の女性が詰め掛けている。

女性のファッションは、派手な色が多い。

では、ウイグル男子のオシャレとゎ…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2111
(2006年撮影:当時のまま)
カァ~~~ッチョエェ~~~(笑)

短髪・ヒゲ・襟のあるシャツ・スラックス・革靴」が、彼らの必須アイテムだ
彼らのジーンズやTシャツ姿は、まず見かけない。
(「アメリカ文化だから」と、嫌がっている人が多いとのこと)

さらに北上する。

小さいお店がたくさん並んでいて、歩いているだけでも楽しい
カセットテープ屋さん(まだCDではナイ)からウイグル音楽が流れて来て、雰囲気バツグン

途中からは、食べ物の露店が多くなった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2112
(2006年撮影:道が近代化された以外は、雰囲気は当時に近い)
何だこれはーーーーっ

路上でナンを売っている。

ナンはウイグル人の必須アイテムだ。
一見軟らかそうだけど、とてつもなく硬い
お湯やお茶に浸して食べるのが、一般的。

交差点に来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2113
(2006年撮影:当時と同じ)
にぎやかぁ~~~~~~っ

龍泉街(龍泉路)」との交差点。(地図のの間の丁字路)

このビルの中には、卸売り問屋みたいな店がたくさん入っている。
衣類や日用品がたくさんあった。
(ムスリム系だよ)

時々、背が高いロシア人とすれ違う。
出稼ぎや貿易で来ているとのこと。
(写真中央の男性もロシア人)

やっぱり、ロシア系はカッコイイ&キレイだ

ウイグル人街」のカンバンを発見
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2114
(2006年撮影:当時は無かったよなぁ…)
これってさぁ…

1996年当時はこの辺一帯が全て「ウイグル人街」だったから、こんなカンバンは無かった…はず。

またもやナン売りを発見。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2115
(2006年撮影:当時と同じ)
何でかなぁ…

隣で必ず青菜を売っているんだよねぇ…。

交差点の対面は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2116
(2006年撮影:当時、ビルは無かった。)
どいた、どいたぁぁぁぁぁーーーーーっ

ちょうどハミ瓜を積んだリアカーを押しているオジサンがいたので、急いで撮影

ウイグルと言えば「ハミ瓜」でしょう

スイカとメロンの中間的な味と食感。
安くてとても美味い

右の女性も美人だねぇ~ 

途中で大道芸に遭遇
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2117
(2006年撮影:当時は無い)
よいしょっと

少年達が、一生懸命に技を披露している。
時々段取りを間違えて、兄貴分(左の赤い彼)に怒られているのが、また面白い

周りのみんなも、笑いながら観ている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2118
(2006年撮影)
…それにしても、どうだいこの民族の多様っぷり。

パッと見でも、5つの民族がいるような感じだ
漢民族は2人だけ。
言っておくけど、ここ「中国」だからね

もう少し北上しよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2119
(2006年撮影:雰囲気は変わらず)
どこを見ても赤い色が眼に留まる。

少数民族的にも好きな色なのだろうか…

…お、何かデカいモスクが見えて来たぞ(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2120
(2006年撮影:当時のまま)
てんぐりぃぃぃぃぃ~~~~~っ

テングリモスク」と言い、通称「南門モスク」とも呼ばれる。
街の中心にあるモスクだ。

名前の通り、目の前に「南門(ナンメン)」というミニ広場(交差点)がある。

昨日は、ここの中国銀行まで両替に来た。

今日は、もっと北上しよう。
道はここから「解放北路」と名を変える。

この先は漢民族の多い、近代的都市の雰囲気となる。
看板も漢字が多いし、みんなも中国語(標準語)を話している。

高層ビルも多い。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その21・烏魯木斉・ウイグル人街を歩く-2121
(2006年撮影:当時と激変)
だいとかいぃぃぃぃぃーーーーっ

これは「中山路」との交差点。(地図の

まるで上海とかと変わらないや…。
1996年当時から高層ビルが多かったけど、何だこの激変振りゎ…。たった10年間だぞ!?

この辺は興味が湧かないので、もうお宿に戻ることにした。

帰りは、違うルートの「黒龍江路」(西行)→「長江路」(南下)で帰った。
(地図のから左に行き、の中間の交差点を曲がって下に進んだ)
こちらの景色は、住宅ばかりで面白味ナシ。

お宿に到着。(地図の

歩き疲れたぁ…。

とりあえずシャワーを浴びることに。

生き返るぅ~ 

そして、ベッドでダラダラ…。

明日は早いので、今夜はもう寝よ~っと

おやすみんみ~~~~ん

つづき「その22」はこちらーっ!

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2011年8月22日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その20:吐魯番から烏魯木斉へ~

前回「その19」からのつづきーっ!
その1「香港」その10「広州」その20「ウルムチ」その30「北京」
その40「ウーメオ」その50「ミュンヘン」その60「セルベール」
その70「アテネ」その80「イスタンブール」その90「クアラルンプール」

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

街の地図こちらをクリック

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1996年6月8日(土):晴れ

 → (吐魯番(とるふぁん:Tulufan)) → 烏魯木斉(ウールームーチー:Wulumuqi)

今日は車掌によって起こされる。

…んまだ終点ぢゃナイぞ??

車掌に「吐魯番(トゥールーファン:ウイグル語では「トゥルパン」)」駅で降りるものと思われていたからだ。
まだ眠いよぉ~。
朝早いぢゃナイかぁ…。

でも、昨日のバスで一緒だった29歳の彼はここで下車するとのことなので、お別れの挨拶に部屋にやって来た。
なので、ちょうど良かったのかもしれない…

列車は吐魯番駅に到着した。
我々はこのまま終点の「烏魯木斉(ウールームーチー)」駅まで乗車する。

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 おまけ 

いきなり「おまけコーナー」で何だが(笑)、このシリーズではよくトルファンの画像を流用している。
2006年7月に、35日間に亘るシルクロード一人旅を行った。
その時の画像を使用して、1996年当時に撮れなかった画像の代わりとして補っているのだ。
(1996年はアナログカメラだったので、撮れる枚数に制限があったのだ…

トルファンもすごい魅力的な所なので、1996年には寄ってナイのだが、ちょっとご紹介したい。

トルファンは、盆地にあるオアシス都市。
昼夜・夏冬の気温の差が激しく、雨がほとんど降らない。
1年に3日も降ればイイ」と言われているくらいだ。
あまりに暑いので、昔は「火州」と呼ばれていた。

街中は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2001
(2006年撮影)
道路上にあるのは「ぶどう棚」だ。

実際に、とても美味しいブドウがなっていて、つまみ食いも出来る
トルファンは、ブドウの一大産地だ。

こんなオアシス都市も、一歩外に出れば過酷な環境が待っている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2002
(2006年撮影)
燃えてるぜっ

これは「火焔山(かえんざん)」と呼ばれる場所。
日本でも「西遊記(芭蕉扇)」や「ドラゴンボール(牛魔王のフライパン山)」で有名だ

あまりに暑すぎて草も生えない。

熱気のゆらめきが、まるで火焔(炎のゆらめき)のように見えることから、この名が付いた。
実際、燃えていても何のフシギもナイ。

それだけ暑い。…いや、熱い

前回の日記の道路は、この写真を撮った位置から左を見た道だ。

火焔山からさらに進むと、こんな景色が待っている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2003
(2006年撮影)
いやぁ~、「ここ、火星?」ってなくらいの岩砂漠。

緑色はどこにも無い。

さらに…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2004
(2006年撮影)
ゼッタイ地球ぢゃぁ無ぇ…ここ。

外は暑いけど湿気がナイので、車の中はエアコン無しでも充分。
エアコンを付けると、かえって具合が悪くなる。

…まぁ、ほんの40℃ちょいくらいだしぃ~

トルファンからしばらく離れた所に、湖がある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2005
(2006年撮影)
艾丁(アイティン)」と言う塩湖だ。 (_´д`) アイティ~ン

ここは何気に海抜マイナス154mで、世界第2位の低地だ

本来ならば、周囲一帯は水没するくらいの水があるハズ。
(「」と言うよりも「」に近いだろう)
だけど、あまりの乾燥地帯のために、水が干上がってしまったのだ

写真の中心に見える、白っぽい帯状の地面は「湖面」だ。
水中の塩分が表面で固まっているので、白く見える。

見た目は水分が無く歩けそうなのだが、数メートルも進むと、突然ぬかるみに腰まで突っ込む

…そう、地面の下には水分がまだあるのだ。

なので、何も知らないではしゃいでいる観光客をよくダマす、「悪~いウイグル人ガイド」(笑)がいる。
オラはTVで知っていたので、ダマされなかった。
ガイド氏(タクシーの運ちゃん)は、つまらなそうにしていた

ちなみに、ここは物音が一切しない

車の音も、飛行機の音も、鳥の音も、虫の音も…
一瞬、「耳が聴こえなくなったか」くらいの錯覚を覚える。

聴こえるのは、自分の心臓と呼吸の音、湖面の土が乾いて割れる「パキッ」という小さな音だけ。

こんなフシギな場所が、地球上にあるんだ…

最後に、もう1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2006
(2006年撮影)
街の外れにあるモスク(礼拝所)の「蘇公塔(スーコンター)」。

もうこの一帯はイスラーム文化圏だ。
民族も、ムスリム(イスラム教徒)のウイグル族が多い。
仏教徒(漢民族)は、そんなにいない。

ここは死ぬほど暑かった…。
(建物までは日陰がナイ。)

誰も歩いてナイでしょ だって、死んじゃうから

道路に生卵を割ると、卵焼きが出来るよ~♪」と地元の民はみんな言う。
確かに、これなら焼ける…。

道路(アスファルト)の表面は80℃以上だろう。
間違っても裸足で歩くなよっ!」とも言っていた。
即ヤケドだ

他にも魅力的な場所がたくさんのトルファン、一度行ってみることを強くオススメする。

でも、「暑さ対策」だけはナメて掛からないように

いつかトルファンの日記を、このブログに書くか…
追記2006年のトルファン日記シリーズを書いたのでこちらをクリックして読んでね

 おまけ ここまで 

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列車は吐魯番駅を出発した。

海面以下の盆地のため、ここからはずっと上り坂だ。
列車の速度は、みるみる遅くなる。
ウルムチまでは183Kmの旅。

岩砂漠の中をゆっくり登り、やがて列車は終点の烏魯木斉駅に近付いた。
突然、目の前に巨大な都市が見えてくる。

ウルムチは「新疆(しんきょう)ウイグル自治区」の区都。
石油資源等も豊富なので、北京から2800Kmも離れた辺境の地に、一大都市が築かれつつある。
ウルムチも開発の手が入り始めた。

ちなみに、ウルムチは世界(ユーラシア大陸)で最も内陸にある都市だ。

つまり、「海から世界一遠い都市」なのだ

列車はゆっくりと烏魯木斉駅に到着した。
ホームに降り、改札へと向かう。

駅舎を出て、振り返る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2007
(2006年撮影)
にぎやかぁ~~~~~~~っ

これは2006年の写真なので駅舎やバスが近代的だけど、駅前の雰囲気はあまり変わらず。

駅名もそうだが、新疆ウイグル自治区に入ると、漢字の他にウイグル語で書かれた看板や標識がたくさん目に入る。
駅舎の中央上部に赤く漢字で「烏魯木斉」と書かれた左隣に書かれている、ゴニョゴニョした文字「ئۈرۈمچى」がウイグル語(アラビア文字)だ。
どちらも「ウルムチ」と書かれていて、読んだら一緒だ
(アラビア文字は右から読む

さぁ、いよいよ「中央アジア」に来たゾ

わくわく 

早速、宿を探さねばならない。

ガイドブックを眺めると、「駅からすぐの交差点に安宿がある」と書いてある。
とりあえず、そこへ行くことに。

駅前の林(公園)をぐるっと迂回し、大きい道路に出る。

すると、目の前に大きいロータリー交差点があり、お目当ての安宿(ホテル)が「どでーん」と建っている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2008
(2006年撮影)
ち、近い…

これも2006年の写真なので、高架道路が出来て見えづらくなっているが、正面の青い看板のビルが、その安宿だ。
この場所から後ろに振り返ると、木々を挟んで駅がある。

お宿に到着。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2009
(2006年撮影)
新疆飯店(シンチアン ファンティエン)」と言う。

見た目は立派だなぁ…。

右隣にはレストラン(北京ダック屋)や雑貨の売店もある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2010
(2006年撮影)
えー、結構高いんぢゃナイの

とりあえず、フロントに行って、安い部屋の交渉をする。
3人部屋が無かったので、4人部屋に泊ることにした。
1人1泊30元(400円)。
まぁ、イイんでない

部屋に行こうとしたら、ロビーで漢民族の美女英語で声を掛けられる。
1階にある旅行社のおねぃさんだそうだ

そのままロビーの奥にあるオフィスへ拉致される。(笑)

オマエら、美女の誘惑に弱過ぎぃ~
…って、オラもか

おねぃさん曰く、「ヘヴンレイクに行かない」。
ヘヴンレイク、つまり「天池(てんち:ティェンチー)」と言う、絶景の湖のことだ。

予備知識が無かったので、天池はまったくのルート外だったのだが、お店のパンフやポスターを見ているうちに、何かムラムラと…。
結局、キレイなポスターと美女の笑顔に負けて、天池ツアーに申し込んだ。(笑)

バカだねぇ…

2泊3日で250元だそうだ。
辺境の地にしては高いが、容易に再訪出来る場所ではナイ

ここは金額を無視してでも行ってみましょ

ちなみに、天池はここにあるそうな。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2011
(2019年のグーグルマップより)
山の中ぁ~~~~

…ウルムチ駅
…天池

旅行社から解放されたので、部屋に行き、昼寝をする。
今朝は早く起こされちゃったからねぇ…。

このお宿の中は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2012
(2006年撮影)
廊下を挟んで左右に部屋がある。

その途中に、共同の(お湯がたまにしか出ない)シャワー給湯室と(暗くて臭い)トイレがある。
…あ、グレードの良い部屋は、ちゃんと一般的に室内に風呂とトイレがあるからね~。

廊下に置いてある白いツボは「タンつぼ」だ。
日本では病院以外は絶滅してしまった、貴重なアイテムだ

ひたすら真っ直ぐで長い廊下だ…。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2013
(2006年撮影)
外の明かりがマヴスィぜ

何となく病院っぽい造り…。 

部屋の中は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2014
(2006年撮影)
必要最低限のものは揃っている。

この写真は2人部屋だけど、4人部屋も基本的には同じ。

TVはチャンネルも多く、意外と楽しめる
冷蔵庫とクーラーはナイ。
まだ「モノを冷やす」という習慣がナイからだ。

イスもあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2015
(2006年撮影)
悪くないですな

床にある魔法瓶にはお湯が入っている。
なので、いつでもお茶を飲むことが出来る
カップラーメンも食べられるので、嬉しいアイテムだ
(お湯は自分で給湯室に行って汲んで来る)

ベッドは、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2016
(2006年撮影)
サッパリ

シーツはマメに洗濯されているので、多少のシミ・汚れはあれど、至って清潔

ただ、「虫さん」には要注意。

ちなみに、ここのお宿は電話にも要注意。
2回泊って、2回とも攻撃を受けた。
(深夜の娼婦電話攻撃&電話機内に乾いた○ッキーがギッシリ詰まっていた)

窓からの景色は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2017
(1996年撮影)
ひろびろぉぉぉ~~~~~ぅ

道路の突き当たりの木々の奥にチラッと見える建物が、烏魯木斉駅。

市街地は右斜め後ろ側だ。
(つまり背中の方ね)

ちなみに、この10年後の景色はこうだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2018
(2006年撮影)
きんだいかーーーーーーーっ

高架道路が出来、ビルが林立し、すっかり雰囲気が変わっている。

駅舎も立派なビルに建て替えられているし…。
左の白いビルだけが当時のままか。

さて、昼寝もしたので、おそとに出るか

お金が減った(ツアー代が払えない)ので、近くの銀行で両替しようとしたら「ここでは出来ないので南門の中国銀行に行ってくれ」と言われた。
なので、「南門(ナンメン)」と言う所にある中国銀行へ行くことにした。
(オラ、この時に「門 men」の発音をマスターした。中国語の「e」は、口を横に開けて「」に近い発音をする)

地図を見ながらテキトーにテコテコ歩く。

みなさんも一緒に地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その38・ウルムチの地図-3808
(1996年当時の地図を撮影)
中央を上下に走る大きな道路は、まだ工事中だった…。

.ウルムチ駅
.新疆飯店
.二道橋市場(バザール)
.自治区政府幹部招待所(トルディーさんが紹介してくれた宿)
.テングリモスク(南門モスク)
.漢民族の繁華街
.紅山地区(旅行社・郵便局)

からへ行くよん

都会なので人が多い。
久々の人の波で、ちょっと具合が…
東京育ちのオラなのに

途中で、ウイグル人街みたいな一角に出た。(地図ののエリア)

ここは特に賑やかだ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2019
(2006年撮影)
色の洪水…

女性用の衣類や雑貨等の店舗が入っている、雑居ビルらしい。

それにしても、色々な顔立ちの人がいる。
漢民族系・モンゴル系・ロシア系・トルコ系…

ホントに中国国内かここ。

そして、特に言えることは「美人が多い」ということ。

色々な民族の血が混ざった結果か、中央アジアから東欧には絶世の美女が多い。
それも、日本人にはゼッタイにいないような美女度だ。
碧眼(緑の眼)の美女」だっているよ

比較的多く見られる顔立ちは「広末涼子」タイプ。
結構あちこちにヒロスエはいる。(笑)
ヒロスエも、こちらでは「フツーの女子」だ。

ちなみに、このお店の前では、中国語は一切聞こえて来ない。
全てウイグル語やカザフ語等の、少数民族の言葉だ。

銀行に到着。(地図ののすぐそば)

地方では、両替出来る銀行が少なくて難儀する…。

ここで2万円を両替。

中国の地方の街では、高額紙幣(100元・50元)が使えない所が多い。
物価が激安」、「おつりを持っていない」、「銀行にくずしに行かなければならなく不便」、「月収が100元程度」が主な理由。
なので、5・10・20元札を多めにもらう。
2011年の今では、こんなことはナイ)

2万円分(1480元)って~ことは、ウルムチの人の「年収」分を、今持っているということだ

なので、すぐさま慎重に帰宅の途につく。(笑)

お宿に戻り、旅行社でツアー代金を支払う。
これで少し安心

部屋に戻り、みんなでしゃべる。

そして、17時頃に隣のレストランで夕食を摂る。
薄めの味でGood
最近、地域柄か、濃い味付けばっかりだったので…。

満足して部屋に戻ると、「部屋にもう1人泊りに来る」とのこと。

そっか、4人部屋だしねぇ…

そして、その人はやって来た。
痩せていて背の高い、パキスタン人(らしい)だった。

…何かお互いに落ち着かない。

言葉も通じないしぃ~。
(彼は英語が話せなかった)

へっぽこシャワーを浴びて、少し寝る……も、21時頃に目覚めてしまった。

外の売店にジュースを買いに行く。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その20・吐魯番から烏魯木斉へ-2020
(2002年撮影)
ちえんりぃーーーーーーぱおっ

健力宝(チエンリーパオ)」と言う、中国ではメジャーなスポーツドリンク。
オレンジ味に炭酸が入っていて、「薄めのファンタオレンジ」といった感じで、ヒジョーに美味しい
(この後、すっかり健力宝にハマる

まだ日暮れ時なので、また少ししゃべりますか…

ちなみに、今日の日没は北京時間22時
新疆ウイグル自治区の時間(新疆時間)だと20時
2時間の時差がある。
(国家は認めていなく、非公式)

眠くなってきた…

おやすみんみ~~~~ん

…ってか、夜中に大声で電話しているパキ君、ウルセーぞっ!!
(今思えば、娼婦攻撃を食らっていたのかも…

つづき「その21」はこちらーっ!

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2011年8月18日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その19:敦煌・柳園駅からウルムチへ~

前回「その18」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

街の地図こちらをクリック

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1996年6月7日(金):晴れ ときどき くもり

敦煌(とんこう:Dunhuang) → 柳園(りゅうえん:Liuyuan) →

今日はやっと敦煌を抜け出せる日だ

10:30頃に牛肉麺を食べに行き、11:30にお宿をチェックアウト。
そして、目の前にあるバスターミナルへ移動。

待合室に行くと、西安で「エジプトに向かう」と言っていた日本人男女と三たび会った。
このシルクロードの観光ルートは、移動の方法・目的地がある程度限られるので、顔見知りと遭遇する確率が結構高い。

今から向かう、最寄り駅の「柳園(りゅうえん)」駅は、ここにある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・敦煌と柳園駅の地図-1619
(2019年のグーグルマップより)
だよん

が、今いる敦煌市街。
また、砂漠を突っ切る128Kmの移動だ(地図のの道)

そして「第17次」のマイクロバスに乗り、12:30頃に出発。
今回は荷物をしっかり抱いて、車内に持ち込む。
運転士の「上に載せろー」も無視して…

これが後に好結果を生む。

ドアのすぐ隣の1人席に座った。
ドアを挟んで、目の前には「いかにもイナカ者」といった感じの男女がこっちを向いて(後ろ向きに)座っている。
座席がいっぱいなので、助手席のすぐ後ろの床の出っ張りに座っているのだ。

付近の農民だろうか。
20代前半であろうその2人、どうやら新婚さんのようだ。
互いの言葉数は少ないが、いかにも仲睦まじそうで、見ているこっちまでほのぼのしてくる
いいなぁ~、理想的な夫婦だね

車内は結構ギュウギュウに座っていて、荷物も多いので、足も満足に動かせない。

バスは緑の街を抜けた。

再見敦煌。我希望再来敦煌。

そして、赤褐色の砂漠へと進む。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1901
(2006年にトルファンで撮影)
何も無いぃぃぃぃぃ~~~~っ

これはトルファンで撮ったものだけど、ほぼこんなイメージだ。

バスの前から見える景色は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1902
(2006年にトルファンで撮影)
まっすぐーーーーーーーーっ

これもトルファンで撮った、イメージ画像。

すれ違うのは大型トラックとバスが大半。
道路沿いには、所々にポツンと建物が建っている。

…人が住んでいるの

バスは快調に砂漠の一本道を走る。

途中までは快適な旅だったが、思わぬアクシデントが発生!!

少し砂利の多い所を走っていたら、大型トラックとすれ違った瞬間に「ビシッ」という音と共に、一瞬にしてフロントガラスが真っ白になった。
トラックのタイヤが小石をはねたらしく、それがこのバスのフロントガラスを直撃したのだ。

フロントガラスはヒビだらけ

前が僅かしか見えない。

普通ならすぐ停車して対処するのに、何を考えているのか(何も考えていないのか)、運ちゃんは減速することなくそのまま走り続ける
車内のみんなも「アイヤー!」的な顔でフロントガラスを見つめている。
だが、運ちゃんも、隣の車掌(ヤンキー風おばさん)も平気な顔をしてそのまま座っているので、車内のみんなもまた元の雰囲気に戻った。

しばらくそのまま時速80Kmくらいで走り続けて、10分ほど経った頃だろうか。
ミシミシミシ……」というニブい音がしだした。

……まさかっ」と思ったのとほぼ同時に、それは起こった。

何と、フロントガラスが粉々に砕け散って、車内に降り込んで来たのだ 

その一瞬前に、オラは顔を抱いてたバッグの中に埋めた。
なので、顔面は助かった。
腕は少し切れていたけど…。

前の新婚2人も、慌てて上着で頭を覆ってうずくまった。
ダンナがすぐに奥さんを上着で守ってあげていたのは賞賛に値する。

カッコイイぜ

さすがにバスは停車した。

運ちゃんと車掌がフロントガラスを完全に外しに掛かった。
よく見ると、2人とも顔が血だらけだ。
そりゃそうだ。
サングラスをしていたので、目だけは無事だったが…。
運ちゃんは首・足・手首からも血を流している
(飛散防止ガラスなんて、この時代の中国のマイクロバスにある訳がナイ)

オラが座っていた、車体中央付近まで破片が飛んで来た。
顔を埋めていたために、破片が首筋に入ってしまった。
一旦外に出て、服を払う。
腕に小さな破片が1コ刺さった以外は無事だった

ガラスを除去した後、バスは発車。

だが、すぐに近くにあった建物の前でまた停車。
運ちゃんと車掌だけその建物に入って行く。

しばらくしたら、応急手当をして戻って来た。

…おいおい、乗客放ったらかしかよ

またバスは走り始める。

今度は速度を落とし気味で、60Kmくらいで慎重に走っている。
…も、またすぐに80Kmくらいに戻った。

懲りてない(学習能力ない)ね、この運ちゃん。(笑)

今度は前から、砂混じりの熱風が容赦なく車内に入って来る。
乗客全員が、まるで扇風機の前で「あっぷあっぷ」している赤ちゃんのようだ。(笑)
顔を上げていると、呼吸がキツい…。

またもやバスは停車。

今度はガソリンスタンドで給油とのこと。

乗客を乗せたまま、エンジンを掛けたまま、給油開始

…もう、どうにでもしてくれ。

そして発車。

ほどなく、柳園のバスターミナルに、何とか無事に到着した。(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1903
(1996年撮影)
ハイ、見事にフロントガラスが無いッス

ちなみに、オラが座っていたのは、左の助手席の後ろにチョコッと見える席だ。

バスを降りた後、たまたま同乗していた日本人男性に話し掛けた。
(バスの後ろに写っている、水色のシャツの彼)
柳園」駅の軟席待合室(と言っても、場末のスナックのホールを仮使用しているものだが)に移動し、さらにハナシをする。
彼は29歳で、シルクロードを一周して香港に行き、さらに東南アジア・インドへと旅するそうだ

今から向かう「烏魯木斉(ウルムチ)」は、ここにある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・中国中央部の地図-1606
(2019年のグーグルマップより)
だよん

ただいま、からへ来たところ。

もうアジア大陸の中央部だ。
あと200Kmも北に行けば、モンゴルとの国境だね

列車の到着時刻が近付いた。

駅員に誘導されてホームに向かう。

お目当ての、第97次特快ウルムチ行き列車がやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1904
(1996年撮影)
カァ~~~~チョエェ~~~~~ぃ

機関車は「東風4型」の重連で、客車はまたもや深緑色の旧型「22型」だ

左奥には、石油タンク貨車も見えるねぇ…。

柳園駅に限らず、中国の地方駅の雰囲気はどこも似ている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1905
(2002年に北京郊外で撮影)
…ね、かなり似ているでしょ

…あ、線路やホームに近所の農民が歩いているのは「デフォルト(基本)」だから気にしないで

もういっちょ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1906
(2002年に北京郊外で撮影)
…まぁ、大体どこもこんな感じ。

昔の日本もそうだったけど、何でオッサン達は線路の上(真ん中)を歩くのだろう…
付近にまともな道が無いのは解るけど、せめて線路の脇とかを歩けば事故は起きないのにね。

あと、石油タンク貨車の写真も。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1907
(2002年に北京郊外で撮影)
アブラ垂れ垂れぇぇぇぇぇ~~~~~~っ

上の客車と同じ駅で撮影。

柳園より西にある「新疆(しんきょう)ウイグル自治区」には、油田が多く存在する。
なので、この路線(蘭新線と言う)にはたくさんの石油タンク列車が走っているのだ。
どの貨車も、アブラ垂れ垂れだ

この柳園駅の周りにも、石油か石炭の採掘場があるようだ。

列車に乗り込む。

柳園始発なのか、寝台車はガラガラだ。

車掌に切符を見せたら、バラバラになっていた我々3人の席を、同じ個室に収まるように変更してくれた。
15・16・21番 → 21・22・24番へと。

ナイス計らい

19時頃に柳園駅を発車。

発車後、さっきの彼の他に、もう1人の日本人男性と知り合った。
なので、3人で食堂車に行くことに…
(ウチの仲間2人は「ビンボーなので部屋にいる」とのこと

3人で夕飯を食べる。

・ナスと肉の炒め物
・ニラと肉の炒め物
・砿泉ビール

今回は、なかなかの味
やはり、コックによってかなり味にバラつきがあるようだ…。

ちなみに、食堂車の厨房は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その19・敦煌・柳園駅からウルムチへ-1908
(2006年に北京の鉄道博物館で撮影)
コンロは石炭なので火力が強い

ハナシをしていると、どうやらもう1人の男性も1人旅で、パキスタン方面を目指しているらしい。
見た目は小柄で若いのだが、実年齢は40代前半!
隣のテーブルにいた、デップリとして貫禄のある中国人男性も驚いていた。
オレとほぼ同い年かよーーーっ」って

その彼、話が進んで行くと、何かオカシイ…

どうやら、インド近辺で「おタバコ」の吸い過ぎによって、アタマがオカシくなられたらしい。

勝手にパスポートのビザを手書きで書き換えて、中国の公安に捕まったり。
誰も読めないような小さい字で、メモ帳にビッシリと書き込んであったり。
一年の半分は小笠原諸島でボケーっと過ごしていたり…
(彼曰く、「もう親に渡す分の金は稼いだ」そうだ。)

日本から陸路でインドまで行くのに、トートバッグ1個くらいの荷物しか持たずに移動している。
そこら辺のスーパーに買い物に行くかのようだ。

終始ニコニコしながらアヤシゲなハナシをしている彼を見て、我々2人は「…この人ヤヴァい。」と目配せする。
でも、特にこちらにも害は無い(ハナシは面白い)ので、フツーに接していた。
こんなキミョーなハナシ、そうそう聞けるもんぢゃナイ

食後、バスにいた方の彼と2人で部屋に戻り、部屋にいた仲間と一緒に4人でハナシをした。
しばらくして解散し、寝る準備をする。

やっと日も暮れた。
日没時間がどんどん遅くなっている…。
夏至に近付き、北京から遠ざかっているので)

今夜は星がとってもキレイだ
雲も無く、空気が乾燥しているので、遮る物が何もナイ。

さぁ~て、今日も寝るぞ。
…って、日が変わってAM1時だけどぉ。

おやすみんみ~~~~ん

つづき「その20」はこちらーっ!

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2011年8月15日 (月)

HOゲージ日記 ~「やっぱ“でーべー”っしょ♪」の巻~

今回は当ブログ初の「HOゲージ」なんぞを…
(一部の写真はクリックすると拡大されるよん)

501
これはドイツ鉄道(DB)の客車で、1・2等合造車だ。
日本風にいえば「オロハ」「スロハ」ってなカンジ

外国型はHOゲージで集めていた。(Nゲージのほうが高かったので…)
主に型車両がメインで、少しだけも持っていた。

昔はたくさん持っていたのだが、Bトレを始めてからはHO・Nゲージともに大半を売却処分してしまった。
で、手元に残った(残した)僅かな車両のうちの1両がコレだ
502
メーカー名は「ザクセンモデレ」(ザクセンモデル)という。
旧東ドイツにある(あった)会社で、欧州模型メーカーの激しい統廃合の中で、どうにか残っていたブランドだ。
もうあるかどうかは判らない…

なんでこんな車両を持っているかというと…
現在、当ブログで連載している「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」中に、実際に乗ったからだ。
(しかも1等車だぉ)

私は大のDB(でーべー)好き
本物のDB車両達が見たくて、初めての海外旅行はドイツに行ったほどだ。
しかも、元「東ドイツ」の車両ときたら、これは「アタリ」以外の何ものでもナイ

帰国後、いそいそと銀座の「天○堂」に向かい、迷わず購入
その後、一年ほど中古で売りに出したものの、買い手がつかずに手元に戻って来た。
これは「ずっと保存しておきなすぁい」というお告げだったのだろう………か?

車端部はこんなカンジ。
503
屋根が「三角おむすび」みたいな、まぁるい形をしている。

欧州の客車は、ほとんどの車両の両端部にテールライトが付いている。
なので、この車両も「オロハ」とでも言うべきか。

色は、江ノ電のような配色。
これは、昔の東ドイツ国鉄(DR)では標準的な塗り分け。
東西ドイツが統一された後でも、しばらくはこの色のまま走っていた。
504
(1996年7月11日撮影)
…ね。そうでしょ

前後の車両の塗色(白&)は、当時の新色(急行・近郊列車用)。
JRの信州に近いね。

ちなみにこの駅は、ドイツ・デンマーク国境のドイツ側の駅「Puttgarden:プットガルテン」だ。
ホームの奥はすぐ港になっていて、フェリーが直に接岸できる。

この列車もフェリーに乗って、デンマークからやって来た。(始発は「コペンハーゲン」駅)
505
こんな風に、お船の中に留められて、どんぶらこっこと…。

列車の乗客は船内にも遊びにいけるが、自分の座席は車両の中。
つまり、乗車したまま乗船するのだ

いくら1等車とはいえ、景色はトラックの側面のみ。
照明は申し訳程度。(船から電源をもらってるため)
クーラーはナイ。だって非冷房車だもん。

日本でも青函連絡船がこのような車両航送をしていたが、乗客は船室に座らせたとか…。
(戦後すぐの頃の、お偉いさん(進駐軍)しか乗れないような列車だった)

こんな面白い体験をしたら、やっぱ記念に欲しくなるよねぇ~

では、細部を見てみよう。
506
車体中央部の標記類だ。

欧州の車両は、1等座席部分には、窓上に黄色山吹色のラインが引かれている。
この車両は約半分が1等座席なので、窓上のラインも途中までまで引かれている。
(この当時の欧州人がJR東日本のE751系を見たら、全車両1等車だと思ってしまう。まぢで。)
ちなみに、2つ上の実車の写真と見比べて欲しい。
模型では窓5個分、つまり半分が1等の標記になってるのだが、実車は窓4個分が1等室だ。
なので、この模型は「間違ってるぅ~~っ」というワケ

中央の「DB」マークは「ドイツ鉄道Deutsche Bahn:ドイチェ バーン)」の意味。

ちなみに、1994年までは同じ「DB」でも意味が違った。
ドイツ連邦鉄道Deutsche Bundesbahn:ドイチェ ブンデスバーン)」だった。
「西ドイツの国鉄」という意味。ドイツ統一前の名称。

「東ドイツの国鉄」は「DR」と言った。
ドイツ国有鉄道Deutsche Reichsbahn:ドイチェ ライヒスバーン)」だった。

1990年の国家の統合を受け、1994年に鉄道も統合・民営化された。

…ってなワケで、この車両(実車)も、撮影する2年前まではこんなおデヴな「DB」という文字ではなく、
ひょろ長くて細い「DR」という文字が書かれていた。

DBマークの下の長~い数字は、車両番号だ。
欧州の車両は「UIC番号」という規則で車番を標記するように決められている。

51 80 30-40 539-4

この区切られた数字ごとにすべて意味がある。(後述)

ドイツ国内では、UICの数字の下に小さく書かれている「ABom222.1」という形式名で呼ばれている。
日本風に言えば「オロハフ222の100番台」といったニュアンスだ

それ以外の、車体の裾に書かれた文字・記号類は、車体の長さ・重さや最高速度、所属区、航送出来るかどうかなどが記されている。
ちなみに、この車両の長さは26.4m。最高速度は140Km。(特急形客車は250Kmくらい)

実写の標記も見てみよう。
507
模型とほぼ同じ。

…ってか、

51 80 30-40 512-1

って、模型と27番しか違っていない
…兄弟だ。

よく見ると、51 80 の「8」と最後の「1」が書き換えられた跡がある。
これはドイツ統一によって、「国番号」が変わったため。

西ドイツ(DB)は「80」、東ドイツ(DR)は「50」だった。
今のドイツも「80」なので、50 → 80 に変わったワケ。
(現在の50番は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」)

最後の「1」は車両番号チェック用の数字。
複雑な計算式の結果に出てくる1桁の数字が書いてある。
-----------------------

余談だが、このUIC番号は世界規格だ。
当然、日本の番号もある

日本(JR)は「42」が割り振られている。

なので、試しに「オハ14 101」をUIC番号で標記してみると…

50 42 29-29 101-9

ってなカンジになる
(日欧で車両の区分けの概念が違うので、完全にこの数字にはならない。あくまでも例えだ)

もし、日本の車両が欧州まで乗り入れることになったら、車体にはこのようなUIC番号を書かねばならない。
(逆に、日本に来たオリエント急行には、「シナ」などと標記が書かれたままだった。)

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…あぁ、ハナシが逸れまくった

さて、続きをば。
508
1等車側のデッキ付近。

1等の「」と、「 喫煙」「 禁煙」の両室があることが標記されている。
白い小窓は「おトイレ様」だ

台車をアップで。
509
これは近鉄の台車(近畿車輛:KD51)に近いカンジだね。
オシ17の「TR53A」台車もこんなカンジ。
それを横に「びろ~~ん」と伸ばしたみたいな

ドイツには「ミンデンドイツ式」という有名な台車もある。
日本でもこのミンデン台車を履いた車両はたくさんいた
新幹線0系や東武8000系、営団地下鉄5000系や小田急NSE(3100形)などなど…

子供の頃は「民電ドイツ」だと思っていた。
だって、私鉄(民鉄電車)しか履いていない台車だったからね(笑)
新幹線の台車は、スカートで見えなかったしぃ。
(ホントの「ミンデン」は地名だよん)

次に室内を見てみよう
510
ご覧のように、車内は全部コンパートメントになっている。

実車はこのとおり。
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廊下のドアから手前が1等室。奥が2等室。

この車両では、1・2等での大きな差は、座席数以外はあまり無かった。
一般的には、1等が6人個室・2等が8人個室だったり、全部6人個室でも座席のグレードが違ってたり…といったカンジだ。

まぁ、この時代でも「 古参 」の部類に入る車両だったからねぇ…
旧西ドイツ側の「近代的でおされな車両」とは比較にならない。

では客室(コンパートメント)側を。
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模型ではどちらも6人掛けになっている。
たしか、実車は2等室が8人掛けだったと思う。
(…あまり2等室側は見なかったため、記憶にナイ…)

模型にはナイが、実車にあったレアなモノを
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なんと「DR」のくず物いれだぁ

ここだけ東ドイツのニオイがプンプンしていた

東ドイツ、この6年前(1990年)までは、うかがい知ることの出来ない共産主義国だったからね。
今の北朝鮮のように…。
うかつに入国しようものなら、生きて帰って来れる保証はほとんど無かったし。

正式な手続きで入国しないと、入国時に射殺されるパターンがほとんどかなぁ…。
まぁ、誰も望んで入国なんかしなかったケドね。
不法出国は「無条件で即射殺」だった。
それで多くの人が命を落とした。「ベルリンの壁」の悲劇がその代表だ。

だから、旧東側のエリアにいる時は、何気にドキドキしながら乗ってたのだよ。
この車両は特に「東ドイツそのもの」だったし。
(「ホントに統一されて自由になったのか?」と。この直前に、モスクワで警官に詰所まで連行されたからね…)

…ま、そんな激動の時代の、良き車両の物語。

最後に…
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旧東側の風景は、手付かずだったので美しかった…。

あうふ びーだーぜーん(Auf Wiedersehen)

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2011年8月11日 (木)

お知らせ ~「特攻野郎Bチーム・公開展示・運転会」2011夏~

私が所属しているBトレ集団「特攻野郎Bチーム」の夏の公開展示・運転会を開催いたします!
(…って、開催日、すでに夏終わってなくね?
みなさん、ぜひご来場いただき、我々自慢のBトレやジオラマたちをご覧になってください
このブログ「のんびり行こうぜ。」に載せた私の改造車両たちも、出来るだけ展示いたします。
電力需給などの状況により、展示時間・内容を変更する場合もあります

今回のテーマは「動かそう!日本
レイアウトでの車両走行に力を入れる予定です

日時:2011年9月17日~9月19日
場所:ホビーセンターカトー東京店3F ミーティングルーム

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入り口は↑ココだよ!

赤い京急の旧型車が目印

地下鉄大江戸線「落合南長崎(おちあいみなみながさき)」駅から徒歩5分くらいです。

詳細はこちらをクリック!

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以下は2011年春の展示会の様子です。
Img110401
↑入り口部分には過去の展示会の映像を大画面で放映!

Img110405
↑「第2回ワンジオコンペ」開催
メンバーみんなでミニジオラマを競作しました。

Img110406
↑来場者のみなさまに投票していただきました。

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↑優勝作品:Nakanaka氏の「銚子電鉄外川駅
(「第3回ワンジオコンペ」は秋(11月頃)に開催するよ!)

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↑会場奥には「ペーパークラフト展示コーナー」を設置。
かなり車種が増えました。何気に人気あります

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↑前回イチオシの名作「ゆいレール」。めんそ~れ

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↑家族でじっくり見学。
全体的に、女性のほうが熱心に見ています。

Img110416 
↑・・・なんだコレゎ?!
最年少メンバー(中1)の作品。その名も「VFO」

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↑「地元」というコトで、お約束の西武新宿線を…

みんな来てねーっ!!

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2011年8月 8日 (月)

Bトレ日記 ~「おされなチョコ電:モハ72970」の巻~

…さぁ、いよいよBトレ改造車両ネタが無くなって来た。
これからはペースがグンと落ちるよん。
今のうちに言っておこっと(笑)

さて、今回は、旧型国電の異端児「モハ72970」の出番だ
901
どうだい、カッコイイだろう

この車両は「モハ72970」という。
モハ72の「970」番台のトップナンバー車で、試作車の1両だ。

旧国の車号は、0番から始まるのだ。(モハ72000みたいに)
新型は1番からだよね。(モハ101-1のように)

一見「茶色い103系」に見えるが、実はそれを狙って作られた。

今までの茶色い車両(旧型国電)は、オレンジ色の101系ウグイス色の103系などが出て来たら、とってもボロッちく見え出した。
事実、戦争を経験した車両も少なくない。
なので、「せめて車体だけでも今ドキのカッチョエェものにしてやんべぇ~」と、「ゲタ電」ことモハ72の車体を載せ替えた。
その第1号が、このモハ72970だ。

モハ72971~72980(試作量産車)は、ウグイス(のちにスカイブルー)色で仙石線にデビューした。
これらの車両はのちに下回りも近代化され、なんと103系の一員に組み込まれ(3000番台)、川越八高青梅線で活躍という、数奇な一生を送った。

モハ72970は試作車ゆえ、鶴見線で細々と余生(8年間のみ)を過ごしましたとさ。
ちゃんちゃん

ちなみに、スカ色115系タイプの車体に載せ替えた車両もいた。
こちらは「モハ62・クハ66」という名前で、身延線で働いていた。

どちらも少数しかいなかったのは、改造費に対してのメリットが無かったからだ。
車体は新車でも下回りは旧型車だったので、全般検査の周期が短いまま(2年:新性能車の半分)だったのだ。
結局、素直に103系・115系を新製した方が、トータルでは安上がりという結果になった…。

では、Bトレを見ていこう。
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鶴見線で「もそもそ」と走っていたときの姿。

このように、3両編成で、前後の先頭車は旧型のままだ。
…そりゃそうだ。
だって改造車は東京には1両しかいないんだからね…。
(あとは全車、仙台さぁ~)

このモハ72970、実は、デビュー当時はこんな色だった。
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…そう、オレンジ色でデビューしたのだ
わずか2年間だけの姿。

雑誌には、まさにこんな編成で写真に写っていた。

では、車両の詳細を…
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詳細も何も、解説するところはほとんどナイ(笑)

左がオリジナルの「モハ103」の車体。
窓がユニットサッシの冷房車だ。

その車体を一部加工する。
はじっこの窓の上にある行き先表示窓を削るのだ
カッターなどで、窓周りのHゴムをそっと削り取っていく。
うまく削れたら、車体を「ぶどう色2号」に塗り替え。
GMのスプレーで、プシュッとな

乾いたら、窓周りのHゴムに「ねずみ色1号」を筆塗り。
この時代の車両たちは「灰色9号」でも可。

屋根は、モハ103の非冷房車のモノを使用。
パンタは旧型車標準の「PS13」だ。
台車は「DT20」を履かせた。

オレンジ色時代を再現するなら…
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左のサハ103-3000と同じにすれば良い。
元を辿れば、両者は「兄弟」だからね
(サハ103-3000は、元はモハ72971~のモハだった)

これで解説は終わりだ
説明するよりも、写真を見てもらったほうが早いくらいだ。

これだけでは味気ナイので、チョット遊んでみた
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実際に101系と並んだのは短かったと思うが…

いかにも鶴見線といった組み合わせだ

風景の中に置いてみた。
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う~ん、ビミョー・・・(笑)
「鶴見線」って解るかなぁ~?

まぁ、「昔にこんな車両がいた」ということだけ解っていただければそれで良し

ほなまたぁ~

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2011年8月 4日 (木)

実物日記 ~「きいろいでんしゃ」~

今回も昔の写真だよん

黄色い通勤型電車」なんぞを…。
撮影年月日はバラバラ。
しかも貰いモノ写真も混ざっている。

通勤型電車シリーズ、しばらく忘れていた…(笑)
この黄色い電車で、当シリーズも「6こんーと」だっ

でゎ、スタート

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まずはこの1枚から。
(画像をクリックすると拡大するよん)
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総武線「錦糸町(きんしちょう)」駅にて。

駅に到着した各停「津田沼(つだぬま)」行き。

典型的な101系の姿だ。
運転席上の屋根に無線アンテナが付いているから、国鉄末期の姿だね

お次は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
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同じく「錦糸町」駅。

駅を出発した101系「千葉(ちば)」行きだ。
これは確か1985年くらいに撮影されたモノ。
無線アンテナがまだナイね。

では、移動して…
(画像をクリックすると拡大するよん)
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秋葉原(あきはばら)」駅での1コマ。

101系「津田沼」行きが出発したところだ。
この場所の光景は、今でもさほど変わっていないのでは…?

かなり移動して…
(画像をクリックすると拡大するよん)
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鶴見線「弁天橋(べんてんばし)」電車区にて。

101系と並ぶ古老は「クモハ12」。
まだ窓枠に保護棒などが追加されていない、オリジナルな姿だ。

101系の行き先字幕の「弁天橋」に英文表記がナイのがチト違和感…。
(表示が下にズレてるだけ?)

JR化後すぐの頃の写真だろう…。
公開展示会か何かのときのモノだと思われる。
(昔はフラッと現地に行って、職員さんに頼めばすぐ見せてくれたのになぁ…)

鶴見線からチト移動。
(画像をクリックすると拡大するよん)
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南武線「府中本町(ふちゅうほんまち)」駅を発車する、101系「立川(たちかわ)」行き。

武蔵野線のホームから撮影。

この編成は冷房車だ。
101系の冷房車は、中央線快速用にわずかに改造されたのみの、レアな存在
晩年は、黄色くなって南武線に異動。
南武線名物となり、多摩川沿いをのんびりと走っていた。

南武線は6両編成なのだが、101系冷房車は6両全てに冷房が付いていない場合もあった。
片側3両のみ」というのもよく見かけた。
103系にはそのような編成はいなかった。

もう1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
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同じく「府中本町」駅で、101系の「立川」行き。

こちらはJR化直後の1シーン。

おとなりの武蔵野線201系には、ヘッドマークが付いている。
JR東日本ダイヤ 3.13改正」と手書きで描かれている。
まだJRがビンボーだった時の力作だ

では、その武蔵野線を…
(画像をクリックすると拡大するよん)
307
府中本町」駅の引き上げ線で小休止中の103系。

えっ?「武蔵野線はオレンジ色だろ!」だって?
ハイ、ハイ。そうッス。

でも、この時は「国鉄最後の大規模車両転配属」だったと思う。
なので、日本全国規模で車両のやり取りがなされた。

首都圏と関西圏の通勤型電車も、かなり異動。
なので、各地でカラフルな編成が見られたというワケ。
(工場で塗り替えてから…というような時間の余裕が無かった)

103系は「4色編成」というのもあった
(「5色編成」は、イベント列車「おもしろ電車」のみ)

…っつーワケで、武蔵野線なのに、「先頭が黄色で中間がウグイス色」という編成がお目見えした次第。
この配色は、昔の「赤羽線」(今の埼京線「池袋~赤羽」間)でよく見られた。
なので、ヒジョーに懐かしい姿との再会でもあった

この逆の配色(先頭:緑、中間:黄色)は、しばらく総武線で走っていた。
こちらの日記をご参照あれ)

んで、この2色編成をもう1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
308
西船橋(にしふなばし)」駅に停車中の「府中本町」行き。

行き先字幕は「府中本町⇔西船橋」で、ほとんど固定されていた。

せっかく西船まで戻って来たのだから、また総武線に行こう
(画像をクリックすると拡大するよん)
309
再び「錦糸町」駅だよ~ん

103系「中野(なかの)」行き。
総武線の103系は、先頭車(クハ)の一部以外、ほぼ全てが冷房車で入線したので、夏の日には101系を見送って乗ったりしたものだ。
今と違ってそこらじゅうにクーラーがナイ時代、15分待ってでも冷房車に乗る価値はあった

103系の列車番号は「~~C」、101系は「~~B」「~~C」だった。
「B」は中野電車区、「C」は津田沼電車区の所属。
なので、ホームの柱に貼ってある駅員用の時刻表を見れば、冷房車の予測はある程度可能だった

黄色い201系がやって来るまでの、ささやかな攻略法だった…。
(懐かしいねぇ~

さて、中野方面に進んで…
310
千駄ヶ谷(せんだがや)」駅での1コマ。

走行中の中央線快速電車内から撮影。

手前の103系は「高運転台型」で、当時ピッカピカの新車だった
世に出たばっかりの時だったので、慌てて車内から撮影した記憶が…

奥の古い101系が、肩身狭そうなのは気のせいか?

さらに西に進もう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
311
五日市線「武蔵増戸(むさしますこ)」駅で交換中の103系。

南武線から直通して来た、夏の臨時列車だ。
前面の窓に「川崎⇔武蔵五日市」と手書きの紙が掲げられているね

オレンジの103系は非冷房車だ。
前面下部にルーバーがあるのがその証拠
前面の行き先字幕も、101系からの流用品だ。
(幕の幅が狭いので、裏の蛍光灯が丸見え

余談だが、南武線から青梅線に乗り入れる場合、当時の立川駅の配線の関係で、時刻表では「立川駅は通過」扱いとなっていた。
実際は、南武線ホームから青梅線への短絡線に入ることが出来なかったので、普段は石灰石貨物列車などが小休止している、ホームのナイ側線に入線し一旦停止。
そこで乗務員が交代し、青梅線に入っていったのだった。
ポイント1個増やすかホームを拡幅さえすれば、こんなヘンな現象は起きなかったのだが…。

最後に「大御所」を…
(画像をクリックすると拡大するよん)
312
新宿」駅9番線(現15番線)を発車する、201系「千葉」行き。

ハイ、よく見てね。
201系は201系でも「900番台」(試作車)だよ~~ん

オレンジ色のときはカッコ良かったのだが、黄色くなってからは途端に「地味な存在」になってしまい、魅力が薄れてしまった…。
挙句の果てには、試作車ゆえ、全車とも他編成の中間に押し込められて…
そのショックのせいか、最後には全身が青くなってしまったしぃ。(ド○えもんか?!)

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はーい、これで昔の通勤電車シリーズは、ほぼコンプリート
また何か発掘されたら、ご紹介するねん
(まだいくつかあったハズ。ネガを探せばね…)

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 おまけ 

各色の車両の日記はこれらをクリック

あおココをクリック
うぐいす色ココをクリック
オレンジ色…(101系・103系・201系)該当の形式名をクリック
灰色ココをクリック

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でゎまたん

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2011年8月 1日 (月)

実物日記 ~「オレンジの101系」その2~

前回「その1」のつづきーっ!

今回も昔の写真だよん
武蔵野を走る最後の101系」なんぞを…。
撮影年月日は1985年4月29日。しかもすべて後輩からの貰いモノ写真だ。(笑)

でゎ、スタート
全ての写真はクリックすると拡大されるッス

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まずはこの1枚から。
201
新宿(しんじゅく)」駅にて。

中央線快速から101系が引退するのを記念して走った臨時列車の姿だ。
大勢の人が撮影しているのが見える。

ホームは当時の2番線。2011年でいうと8番線だ。
1・2番線は長距離列車(あずさ・アルプス等)用ホームで、ココに通勤電車が停まることは少なかった。

右隣は貨物用の中線。
EF60や65などが、ワム80000を40両引っ張って来て休む場所。
ココで20両に分割して、「飯田町(いいだまち)」駅まで走っていた。
飯田町駅は、「飯田橋(いいだばし)」駅の東南側に隣接していた貨物駅だ。
現在のJR貨物本社ビルの位置にあった。
この界隈は出版社が多いので、静岡や東北・北海道などから印刷用の紙を運んでいた。

ヘッドマークのアップを…
202
「さようなら 101 東京西局 1985.4.29」と書いてある。

ヘッドマークの周囲の銀色モールは、直前に追加で付けられたそうで。
その辺の裏話が「鉄道ピクトリアル」に書かれたいた…ハズ。
確かに、この方がアクセントがあるよね。

では、さよなら列車全体を見てみよう。
203
3番線から「代々木(よよぎ)」駅方向を見た様子。
当時の「定番撮影スポット」だ

列車番号(91H)から判るように、武蔵小金井区所属の編成だ。
(所属の詳細は、前回の日記を参照されたし)
基本編成のみの使用なので、7両編成

しっかし、橋上駅舎の左側には何にもナイ。
空しか見えない…。
このホームの後ろ側は、広大な貨物ヤードだったのだ。
(高島屋のビルの部分も含めてネ)

列車をアップで。
204
先頭車は「クモハ100」。
それも、パンタ部分の屋根が低い「800番台」車だ。

みんな窓全開にしてるね。
今の時代だと、こんなに開いたら窓から落ちるヤツとかいるんだろうなぁ…。

オシリの車両も…
205
コチラは「クモハ101」。
青梅街道のガード下に位置するので、上が暗い…。

このように、「カメラ小僧」がわんさかいる。
ほとんどが小学生~中学生だろう…。

当時はまだ「撮り鉄」というコトバは無かったよなぁ…。
もちろん、「ケータイ撮り」なんて存在するワケがナイ

余談だが、行き先字幕の文字をよく見て欲しい。
先頭車両の字幕は「TAKAO」と書いてあるのだが、
最後尾のこの車両は「TA KA O」となっている。
…何気に、字幕にも制作時期によって差異(バージョン)があるのだ

では、車体側面をば…。
206
電車区の職員さんが書いたのだろうか?
ステッカーではナイと思う。
窓の中心部の下にあったそうな。

あ、「惜別」の「」の字は気にしないよーに

右下の「西ムコ」とは、「東京西鉄道管理局 武蔵小金井(サシガネイ)電車区(駅)」の意味。

東ヤテ」「千ケヨ」「八ミツ」など、通勤電車の側面の隅っこに小さく書かれているナゾの暗号文字は、すべてそういう意味だ。

もう1枚。
207
車体中央下部に書かれている、形式番号だ。

モハ100-35
後ろから2両目のパンタつき車両だ。
こちらは低い屋根(800番台)ではナイね。

この編成では、高尾から先の山梨県方面に進むことは出来ない。
でも、最末期なので、もうその必要性も無くなっていたから、これでも良いのだ

さて、最後に1枚。
208
高尾駅を折り返し出発して、まもなく新宿駅に戻るぞ…という状態の、さよなら列車。

奥の線路上に見える三角屋根は、「東中野(ひがしなかの)」駅だ。
新宿駅はこの奥。各停だとあと2駅だ。

ココは「」で有名な撮影場所。
4月29日では、どちらの花も終わってしまってるね…

-----------------------

…ま、こんなカンジで、「おれんぢの101系」を追ってみた。
いかがッスか?

でゎでゎん

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