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2011年8月29日 (月)

実物日記 ~「郵便電車って知ってるか~い?」1980's ~

今回も、古いもらいモノの写真だす

学生時代に後輩からもらった写真が出て来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7001
ゆうびんでぇ~~~~っす

品鶴(ひんかく)線「蛇窪(へびくぼ)信号所」を、「大崎(おおさき)」駅方面に進む郵便電車

今ドキの言い方だと、「横須賀線から湘南新宿ラインが分岐する所」だ。
写真奥に真っ直ぐ行けば品川・東京駅方面、電車が進んでいる方向に行けば大崎・新宿方面。
(この先で立体交差する)

品鶴」線とは、「川」~「見」間の貨物線の俗称。
正式な書類上では「東海道本線」の複々線の一部で、名称はナイ。

「蛇窪信号所」も、現在では「大崎駅の構内」という扱いで、書類上の名称はすでにナイ。
だが、今でも運転上の重要地点なので、通称では呼ばれ続けている。

この郵便電車は、当時では定番の列車。
おてまみや郵便小包等を運ぶ専用車両だけで編成されている。

クモユ141・クモユニ143・クモニ83形等が連結されていて、東北・高崎線方面に走っていた。
(「ユ」は郵便のユ、「ニ」は荷物のニ)

この日の編成は「モユ141クモユニ143クモユニ143モユ141」。

真ん中の赤いクモユニ143は、静岡の身延線から新潟の長岡へ異動して間もない頃(1985年)だ。
(この後、になり、さらに1986年に千葉の幕張へ異動し、賀色になる)

この列車(長岡車)の運用区間は、「新潟←→横浜羽沢(よこはまはざわ)・隅田川(すみだがわ)」。

電車の上を横切る鉄橋は、東急大井町線で、その上の高架線は東海道新幹線だ。

ちなみに、ポイントの設置されている角度も、現在とは異なっている。
横須賀線列車の品鶴線への移転により線形が改良され、品川方面は直線にされた。
この当時は、どちらの分岐へも交通量が同じくらいだったので、Y字ポイントでの分岐になっていた。
(ココを走る定期旅客列車は存在しなかった)

このすぐ手前にある踏切から、後ろに振り返ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7002
あまり面白味のナイ光景だ。(笑)

この編成は、「モユ141クモユニ143モニ83モユ141」。
1両だけ旧型の吊り掛け電車だ

字幕は「郵便」。

そうそう、「郵便車」というのは「国鉄」の車両ではなく、所有は「郵政省」(今の「JP」)なのだ。

つまり、「国鉄」車両ぢゃナイのに、堂々と全国の国鉄線上を走れる車両だったのだ。
「私鉄」車両ぢゃぁ、こうはいかない…。

郵便車(クモユ・オユ・スユ・キユ)の車体には、どこにも「日本国有鉄道」の文字(銘板)はナイ。
郵政省」の3文字だけだ
(クモユニ・スユニ等の、荷物室もある車両は国鉄の所有)

余談だが、電車の横に写っているポイントは、今はナイ。
SLを含め、展望車(マイテ)などが連結されていた昔の豪華特急列車の、編成全体を方向転換するための渡り線だったのだ。
(東京→大崎→蛇窪→東京)

さて、この郵便電車は、新宿を経由して新潟方面へと向かう。

その新宿駅で撮影した写真があった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7003
新宿駅2番線(現8番線)に停車中の郵便電車。

ホームでこの電車の写真を撮っている学生が多いって~ことは、郵便列車が最末期の頃(1986年)だろう…。
昔は、高田馬場駅で西武新宿線ホームからよく見たなぁ…

さぁて、ところ変わって。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7004
青いッス

飯田線「飯島(いいじま)」駅に停車中の「クモユニ147」。

駒ヶ根(こまがね)」駅から4つ目の駅だ。

下り列車交換中に自分で撮ったモノ。
中央線との接続駅「辰野(たつの)」駅を4:43(確か)に発車する一番電車で、東海道線と接する「豊橋(とよはし)」駅行きという、全線走破列車。
クモユニ147が出たばっかりの、ピッカピカの新車の時だったので、1983年だと思う。

編成は「クモユニ147クモハ119クハ118」。
当時は超カッチョエェ~編成だったぁ…。
(この後、途中区間だけ119系があと2両増結されて、5両編成になった)

ちなみに、クモユニ147のモーターは101系と同じMT46。
クモハ119は103系と同じMT55。

なので、トンネル等に入ると、101系と103系のモーター音がシンクロして、ダブルで聴こえて来て楽しかった
全国でもココだけだったろう……たぶん。

新車だったせいか、まだ前面の字幕は装備されていなかった…。
積荷は、新聞や小包・生花等だった。

この電車が、終点の豊橋駅に到着した。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄・郵便電車1980s-7005
7時間の鈍行旅。

正直、疲れた…。

でも景色は最高に良かったぞ

また、折り返し11:55発の「辰野」行きとして帰って行く。
この編成、1日で1往復しか出来ないっしょ
往復で15時間くらい掛かるんだから…

…ま、こんなカンジぃ~~

昔の電車は楽しかったぁ~~

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旅と鉄道(03関東)」カテゴリの記事

コメント

郵便輸送が廃止になったのが86年11月だったかな。
その年末から〒で短期間ながらバイトした時、「あぁ~~郵便列車で働きたい」と思った。
東海道や東北の長距離でも良いが、中央線のアレをはじめ鈍行に引っ付いている車内で郵便物の仕分け作業や小包の整理、消印作業から郵袋の出し入れまで今でもあればやりたい。マジで。

投稿: 二足 | 2011年8月30日 (火) 18時39分

オラもやってみたい。
…でも、見てた限りでは、居住性は良くなさそう。
クモユ141・143、オユ10あたりは良さそうだが。

あとは駅ごとに「時間との勝負」だなや

投稿: まりりん | 2011年8月30日 (火) 21時20分

こんにちは。
貴重なお写真、興味深く拝見しました。
私個人は、荷物電車や郵便車の現役の頃を知らないのですが、実際に活躍していた姿を見てみたかったと思います。今はいずれの車両も事業用車両の扱いになっているものが多いと思いますし、一部は旅客用の車両にも改造されたものと思います。
興味は尽きないのですが、吊り掛け駆動の車両は本当に見てみたかった車両の一つです。新性能車に今月されて走っていた姿を想像すると、今では考えられないですね。
身延線から転属したワインレッドの車両、飯田線のスカイブルーの車両ともに、当時に投入されていた電車と統一されたカラーになり、編成美も保たれたものと思います。
119系と組成された列車、車体の断面形状も揃っていて、美しいですね!
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

投稿: 風旅記 | 2016年4月26日 (火) 16時32分

★ 風旅記さん

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今や吊り掛け車両は、路面電車や江ノ電のような軽車両しか残っていませんね…

東海道線の川崎駅を爆走するクモユニ74を見たギリギリの世代なので、吊り掛け電車は「子供の頃の記憶」として残っています…

飯田線と身延線に登場したクモユニの新車たちは、当時はビックリしました。
あまりにキレイな存在でしたので…

父親を口説いて飯田線に乗って、今では良かったと思っています。

これからもよろしくお願いいたします

投稿: まりりん | 2016年4月26日 (火) 21時40分

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