実物日記 ~「オレンジの101系」その2~
今回も昔の写真だよん★
「武蔵野を走る最後の101系」なんぞを…。
撮影年月日は1985年4月29日。しかもすべて後輩からの貰いモノ写真だ。
(笑)
でゎ、スタート★
(全ての写真はクリックすると拡大されるッス)
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中央線快速から101系が引退するのを記念して走った臨時列車の姿だ。
大勢の人が撮影しているのが見える。
ホームは当時の2番線。2011年でいうと8番線だ。
1・2番線は長距離列車(あずさ・アルプス等)用ホームで、ココに通勤電車が停まることは少なかった。
右隣は貨物用の中線。
EF60や65などが、ワム80000を40両引っ張って来て休む場所。
ココで20両に分割して、「飯田町(いいだまち)」駅まで走っていた。
飯田町駅は、「飯田橋(いいだばし)」駅の東南側に隣接していた貨物駅だ。
現在のJR貨物本社ビルの位置にあった。
この界隈は出版社が多いので、静岡や東北・北海道などから印刷用の紙を運んでいた。
ヘッドマークのアップを…
「さようなら 101 東京西局 1985.4.29」と書いてある。
ヘッドマークの周囲の銀色モールは、直前に追加で付けられたそうで。
その辺の裏話が「鉄道ピクトリアル」に書かれたいた…ハズ。★
確かに、この方がアクセントがあるよね。
では、さよなら列車全体を見てみよう。
3番線から「代々木(よよぎ)」駅方向を見た様子。
当時の「定番撮影スポット」だ♪
列車番号(91H)から判るように、武蔵小金井区所属の編成だ。
(所属の詳細は、前回の日記を参照されたし)
基本編成のみの使用なので、7両編成。
しっかし、橋上駅舎の左側には何にもナイ。
空しか見えない…。
このホームの後ろ側は、広大な貨物ヤードだったのだ。
(高島屋のビルの部分も含めてネ)
列車をアップで。
先頭車は「クモハ100」。
それも、パンタ部分の屋根が低い「800番台」車だ。
みんな窓全開にしてるね。
今の時代だと、こんなに開いたら窓から落ちるヤツとかいるんだろうなぁ…。
オシリの車両も…
コチラは「クモハ101」。
青梅街道のガード下に位置するので、上が暗い…。
このように、「カメラ小僧」がわんさかいる。
ほとんどが小学生~中学生だろう…。
当時はまだ「撮り鉄」というコトバは無かったよなぁ…。
もちろん、「ケータイ撮り」なんて存在するワケがナイ★
余談だが、行き先字幕の文字をよく見て欲しい。
先頭車両の字幕は「TAKAO」と書いてあるのだが、
最後尾のこの車両は「TA KA O」となっている。
…何気に、字幕にも制作時期によって差異(バージョン)があるのだ★
では、車体側面をば…。
電車区の職員さんが書いたのだろうか?
ステッカーではナイと思う。
窓の中心部の下にあったそうな。
あ、「惜別」の「惜」の字は気にしないよーに♪
右下の「西ムコ」とは、「東京西鉄道管理局 武蔵小金井(ムサシコガネイ)電車区(駅)」の意味。
「東ヤテ」「千ケヨ」「八ミツ」など、通勤電車の側面の隅っこに小さく書かれているナゾの暗号文字は、すべてそういう意味だ。
「モハ100-35」
後ろから2両目のパンタつき車両だ。
こちらは低い屋根(800番台)ではナイね。
この編成では、高尾から先の山梨県方面に進むことは出来ない。
でも、最末期なので、もうその必要性も無くなっていたから、これでも良いのだ★
さて、最後に1枚。
高尾駅を折り返し出発して、まもなく新宿駅に戻るぞ…という状態の、さよなら列車。
奥の線路上に見える三角屋根は、「東中野(ひがしなかの)」駅だ。
新宿駅はこの奥。各停だとあと2駅だ。
ココは「桜と菜の花」で有名な撮影場所。
4月29日では、どちらの花も終わってしまってるね…
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…ま、こんなカンジで、「おれんぢの101系」を追ってみた。
いかがッスか?
でゎでゎん♪![]()
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