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2011年7月

2011年7月28日 (木)

実物日記 ~「オレンジの101系」その1~

今回も昔の写真だよん
武蔵野を走るオレンジの101系」なんぞを…。
撮影年月日はバラバラ。しかも貰いモノや買った写真も混ざっている。

著作権うんぬんで引っ掛かるようだったらご指摘願いたい。
(時効・・・ってあるのかな?:笑)

でゎ、スタート
全ての写真はクリックすると拡大されるッス

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まずはこの1枚から。
101
新宿(しんじゅく)」駅にて。
まだ後ろがサッパリしてるねぇ~。

典型的な快速高尾(たかお)」行きの姿だ。
ちなみに、先頭車はパンタ部分の屋根が低い「800番台」だ。

お次は…
102
かなり見えにくいが、武蔵野線の101系1000番台だ。

駅は…「南浦和(みなみうらわ)」とかなのかぁ~?

では、また移動して…
103
青梅線「奥多摩(おくたま)」駅で昼寝中の、特別快速「おくたま」号
(現在の「ホリデー快速」)

当時は「おくたま号」と「みたけ号」が2本ずつ走っていた。
夕方都心に帰るまで、奥多摩・古里(こり)・拝島(はいじま)駅などで昼寝していた。
ちなみに、101系なので7両編成だ。

後ろの貨物列車、機関車がEF64の0番台

同じく…
104
武蔵五日市(むさしいつかいち」駅にて。

これも特別快速「あきがわ」号だ。
こっちは3両編成。

3両なので、1番線にも難なく停まっている。
こちらの日記を参照されたし。

後ろのバスは「西東京バス」。
デザインは今もほとんど変わっていない。(現在は塗装変更中だが…)

余談だが、「おくたま号」と「あきがわ号」のヘッドマークのサイズは違うからね
「あきがわ」号は通常の「特別快速」と同じサイズ、「おくたま」「みたけ」号は一回り小さいサイズだ。
HOゲージ用にヘッドマークを手書きで書いていたときに発見(笑)

最初の新宿駅の写真とこれら特別快速の列車は、「武蔵小金井(むさしこがねい)電車区」所属の編成が使われている。
正面左上にある小窓に表示されている列車番号の末尾が「」なのがそれだ。
(「A」三鷹電車区:「H」武蔵小金井電車区:「T」豊田電車区:「E」武蔵野線用)

んで、その「H」の編成には、前述したパンタ部分の屋根が低い「800番台」がいた。
800番台は武蔵小金井区だけのオリジナルと言っても良いほどのレアものだ。

800番台は、高尾から先の「甲府(こうふ)」方面に臨時列車で走るために作られた。
高尾から先は、明治時代に掘られたトンネルのため断面が小さく、普通の屋根の電車では不具合が出てしまうのだ。
なので、屋根の一部をペッタンコに凹ませていたのだ。
旧型国電や101・115・165系などに800番台が存在する。
現在はいろいろ改良されたため、中央線対応のパンタを装着すれば走れるようになっている。

まぁ、よーするに、武蔵小金井区の編成は、通常の「東京~高尾」間以外の臨時列車にたくさん使われていたということ
なので、趣味的には三鷹や豊田の編成はほとんど「面白味」がなかった。

そんな800番台も終焉のときを迎えた。
勤めを終え、車庫の端っこで真っ白に燃え尽きた姿をば…。
105
「あしたのジョー」ばりに燃え尽きてるゼ…。
走行中の列車から撮影。
正面とドアの上にステッカーを貼っていた跡があるねぇ…
どこか別(違う色)の路線に出稼ぎに行ってたっけ

もう1枚。
106
800番台のパンタ屋根部分を激写
パンタの下にある、シマシマ部分はファンデリア(換気装置)吸気口だ。

この部分だけ扇風機ではなく、換気装置が付いていた。
(天井が低いので、扇風機が付けられなかった)

…ま、こんなカンジで、「おれんぢの101系」を追ってみた。
いかがッスか?

でゎまたん

つづき「その2」はこちらーっ!!

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 おまけ 

各色の車両の日記はこれらをクリック

あおココをクリック
うぐいす色ココをクリック
きいろココをクリック
オレンジ色…(103系・201系)該当の形式名をクリック
灰色ココをクリック

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2011年7月25日 (月)

実物日記 ~「一枚の写真から・西武新宿線中井駅」2011~

今回は公私共々バタバタしているのでサックリと。

今日はこの1枚の写真をご覧頂こう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
西武新宿線中井駅とレッドアロー号2011-1001
西武新宿線「中井(なかい)」駅での1コマ。

駅を通過する下り特急列車。

西武線事情に詳しくない方が見たら何でもナイ写真なのだが、コレには結構意味がある。

この駅の中線は各駅停車の追越し用にある。
大体午前は上り線用、午後は下り線用として用いる。

…で、これは夕方の出来事。

中線は、ホームに各停がいるときにしか使わない。
急行や特急等は、通常はホームのある線を通過する。

なのに、ナゼこのとっきうは…
生まれて今まで見たことがナイ。

ココ最近から、毎日何回かだけ見られるフシギな光景。

詳しい正解を知っている方、コメント願います
(おおよその理由は聞いているが、それが正解かどうかが判らない…

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 おまけ 

最近、新宿線の新宿~東村山間にも、3000系の6両固定編成が各停で走っている。
初めて見た時はちょっとビックリ
震災の節電ダイヤの影響か

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2011年7月21日 (木)

実物日記 ~「奥多摩の103系」1986~

今回は昔の写真だよん

奥多摩を走るオレンジの103系」なんぞを…。
以前、日記に書いた「奥多摩の貨物列車1986」と同じ日の撮影で、たぶん1986年

では、スタート

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国鉄「青梅(おうめ)」線を、学校の仲間達と撮影しに行く事になった。
いろいろ撮ってみよう」という事になり、終点の「奥多摩(おくたま)」駅から山を下りつつ途中下車して撮影した。

最初に、奥多摩駅がどれだけ秘境にあるのかというと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1001
(2023年のグーグルマップより)
の位置ね

…立川駅
…拝島駅
…青梅駅
…宮ノ平駅
…御嶽駅
…川井駅
…古里駅
…鳩ノ巣駅
…白丸駅
…奥多摩駅

青梅線は「立川(たちかわ)」駅()から奥多摩駅()までを走っている。
途中の「拝島(はいじま)」駅()では、八高線と西武拝島線が接続し、五日市線が分岐する。
米軍の「横田基地(よこたきち)」も、拝島駅のすぐ近くにあり、貨物線も分岐している。
青梅(おうめ)」駅()が住宅地と山間部の境目で、多くの列車が青梅駅止まりとなる。

青梅線を走る車両は、電車は主に「103」系で、中央線から乗り入れる車両は時代によって「101」系・「201」系・「E233」系と変化している。
貨物列車は、EF64形1000番台が引く石灰石列車がメインで、他に米軍用のジェット燃料等の石油タンク列車がEF65形等で運転されている。

では、電車に乗って移動しよう。

今回は判りやすくするために、奥多摩駅から山を下って来るという設定でお話しを進めよう

まずは、奥多摩駅から電車に乗り込み、お隣の「白丸(しろまる)」駅()で下車。

ホーム横の踏切から、奥多摩行きの列車を撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1002
模型っぽいぃぃぃぃぃ~~~~~~っ

白丸駅の奥は、ホームに接してすぐトンネルがあり、左右は斜面になっている。
そこにある僅かなスペースに、何とか駅が造られた感じ。
鉄道模型のジオラマっぽくもある。

この見えている範囲が駅周辺の全てと言っても過言ではない。
もちろん無人駅だ。

雰囲気的に、宮城県(仙台)の仙石線の駅のようにも見える。

この立っている地点(踏切)から、180度振り返ってみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1003
トンネルぅぅぅぅぅぅ~~~~~~っ

またもや、すぐトンネルだ。

線路またいで、もう1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1004
冷房車ぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

この当時の青梅線用103系は、冷房車がまだ半分程度しかいなかった。
これらの3枚に写っている編成は冷房車だ。

では、お隣の「鳩ノ巣(はとのす)」駅()に移動しよう。

鳩ノ巣駅に着いて、やって来た貨物列車を、ホーム上の跨線橋から撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1005
長ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~いっ

奥多摩行きの石灰石貨物列車(空車返送)だ。
機関車のEF64形1000番台は、まだニューフェイスだった時期だ。

EF64形1000番台は、当時は都心西部ではこの青梅線南武線でしか走っていなかった。
ほとんどが上越線で活躍していて、「上野(うえの)」駅や「隅田川(すみだがわ)」駅に客車か貨車を牽いてやって来る程度だった。
中央線もEF64形が走っていたが、全て0番台だったので、何故ここだけ1000番台が来ているのか不思議でしょうがなかった。
当時の奥多摩の貨物列車は、群馬県の「高崎機関区」の受け持ちだったので、こうなったと思われる。

貨車は黒くて短い「ホキ34200」形で、通称「黒ホキ」と呼ばれている。
車体に黄色い帯が巻かれていて、パッと見だと「北海道内専用車」にも見える。
実際は(本州内では)「制限速度65Km」という意味。

運用区間は、「奥多摩」駅~「水江町(みずえちょう)」駅間だ。
水江町駅は、現JR川崎貨物駅の近くにある。
(羽田空港に近い)

黒ホッキーの長大編成(16両ほど)も懐かしい…

この103系は、非冷房車だね。
でも、無線アンテナが付いているので、国鉄末期の頃の光景という事が判る

さらに移動しよう。

電車に乗って「古里(こり)」駅()に到着。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1006
ひろびろぉぉぉぉぉぉ~~~~~~ぅ

ここには貨物の引込み線がある関係上、中線があり広々している。
この中線は、平日は貨物列車が、休日は特別快速「おくたま」号がよく停まっていた。
今も、休日はホリデー快速が停まっている…よね

余談だが、青梅~奥多摩間では、唯一この駅だけ上下列車が同時進入出来るのだ。
他の駅は、どちらかの列車が先に駅に停車してポイントが切り替わるまで、後から来た列車が本線上で待たされる。
2011年の今では、どうだか解らない…。

ここでは下車せずに、そのまま移動。

お隣の「川井(かわい)」駅()で下車して、有名な撮影スポットへ…

列車がやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1007
優美な曲線~~~~~~~~~~~っ

川井駅は地形の険しい場所に位置していて、駅の横にあるコンクリートアーチ橋が特徴だ。
この写真では、駅のホームは列車の4両目付近にある。

写真に写っている奴は、仲間だ。(笑)

こいつが邪魔なので、ちょっと違ったアングルで
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1008
スッキリぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ

うん、こっちのほうがスッキリしている

そういえば、電柱も邪魔だったねぇ~。

この橋のたもとにある踏切を撮影。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1009
どいなかぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

う~ん、ローカル

東京都でも、こんなのどかな場所があるのだ

もう1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1010
良いねぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~っ

警報機無しの踏切が良い

103系のドア窓に貼ってある白いステッカーは、「冬季はこのドアは開きません」という内容だったと思う。
車内保温のため、青梅駅~奥多摩駅間は、4両のうち中間2両だけのドアしか開かなかった記憶が…。

では、川井駅のホームに行ってみよう。

列車が来たぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1011
急カーブぅぅぅぅぅぅ~~~~~~っ

これは、103系の非冷房車の編成だね。
この川井駅はかなりカーブしている為、線路に傾斜(カント)を付けているので、車体も少し傾いている。

列車のヘッドライトが原形
しかも、行き先の字幕が廃車になった101系から流用した物なので、左右の幅が狭くて奥の蛍光灯が見えてしまっている。
(101系を淘汰する為に、京浜東北線や常磐線等から移転して来た車両が該当する)

列車が停まった。

目の前の車両は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1012
おぉ、いぇい

おぉ103系でも3000番台ではないかっ!!
(車番は「サハ103-3003」だね)

ドアの銀色の取っ手が特徴で、半自動ドア(開けるのは手動で、閉めるのは自動)の名残りだ。

この車両、元は仙石線で走っていた茶色い旧型国電「72」系だったのだ。
そのうちの4両編成4本が、近代化の為に103系と同じ車体に載せ替えられて「72系970番台」と名乗って、仙台地区で活躍していた。

ところが、何を思ったのか「オラ、東京サ行くだ」と言い出し、16両全車が突如東京にやって来た

しかも、足回りを103系用の物と交換してパワーアップされ、名前も「103系3000番台」と、ナウいヤングになった(←死語1)
ナウでオシャレなファッションタウン「原宿(はらじゅく)」を走る山手線と同じ「ウグイス色(黄緑色)」の服を着て、全開バリバリご機嫌だね(←死語2)

さぁ、これでバッチリ
ノリノリにカッコつけて上京して来たぞ(←死語3)

…だが、東京の世間の風は厳しく、イナカ者(物)の3000番台には都会暮らしが馴染めなかった。

ドアに取っ手が付いる為に、近郊型の「115」系と同様にドアが完全に開かなかったのが、都会人のセンスに合わなかったらしい…。
一番大事な「おしゃれポイント」を見逃していたようだ
なので、「都会の田舎」こと、埼玉県の「川越線」で細々と働き出した。

しかし、当時の川越線は3両編成で充分だった。
なので、上京時に中間の1両(「サハ103形3000番台」)が外され、「オレンジ色」の服を着て、これまた「東京の秘境」の青梅・奥多摩地区にリストラされたと言う訳。
こちらは、暖房能力が「都会育ちのモヤシっ子」の純正103系よりも強かったため、冬場は結構人気者だったとか。

台枠はモハ72形、車内は103系風、台車は101系の中古品(DT21T)という、とっても「ちゃんぷる~」な車両だ

その後、オレンジ色のサハ4両は川越線に異動し、昔の兄弟達と合流した。

再び仲良く以前の4両編成に組み直され、しかも冷房化されて「大宮(おおみや)」駅~「八王子(はちおうじ)」駅間(川越線と八高線)で働き出した。
サハにとっては、ウグイス色に着替えても、拝島駅からは離れられなかった運命だったようだ。

…横田基地にパツキンのチャンネー(金髪の姉ちゃん(彼女))でも居たか(←死語4)

…話が逸れたね。元に戻そう。(笑)

他のサハ103形3000番台も撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1013
兄弟ぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ

こちらは「サハ103-3004」で、さっきの「サハ103-3003」とは兄弟だ。

でも、兄弟でも違いはあるのだ

ドアの取っ手をよく見て欲しい。
兄のサハ103-3003とは形状が違うのだ。
これも、仙石線時代の名残り。

この兄弟の屋根も、古里駅で撮っておいた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1014
茶色っぽいぃぃぃぃぃ~~~~~~っ

元々は電動車の「モハ72」形だったので、屋根にパンタグラフ台がある。
写真では判り難いが、奥側の部分に丸い通風器(ベンチレーター)が1つ無いのが見て取れる。
(純正のサハ103形は7個で、モハ103形は6個
屋根の色も、純正103系よりは茶色っぽかったので、判別は容易に出来た

さて、列車に乗って青梅駅()に移動しよう。

青梅駅に着いたぞ~。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1015
おぉ、いぇい

これぞ「青梅線の103系」だっ

ヘッドライトが原形で、行先字幕が101系の中古品の「クモハ103」形だ。

…これは良い

右横の留置線にも103系がいたので、撮ってみた。
(…って言うか、103系しかいないんだから

まずは、これ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1016
くもひゃぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

運転台付きでモーターが付いた先頭車「クモハ103」形で、ほぼオリジナル(原形)の姿だ。
青梅線では、立川駅寄りに連結されている。

続いて…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1017
もひゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

クモハ103形のお隣りにつながっている「モハ102」形だ。
この編成では、クモハ103とモハ102でペアになっていて、切り離して運転する事は出来ない。
(103系は、モハ103とモハ102の中間車ペアも存在する。こちらが一般的)

これもオリジナルの姿だ。

今どきの学生諸君、NゲージのKATO製品でしか見た事ないだろ。

さらに3両目は……
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1018
さひゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

先程のサハ103形3000番台だ。

台車は、101系の廃車発生品である「DT21T」を履いている。
(「DT21」からモーターを取り外した台車)
さすがに、旧型国電の板バネ台車(DT13)は流用出来ないからねぇ~

ドアの取っ手の外に、非冷房車ながら窓がユニットサッシなのも、識別のポイント。
さらに、屋根にパンタグラフ台があって茶色っぽいので、識別は容易に出来る。

最後の4両目は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1019
くひゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

運転台付きでモーター無しの先頭車「クハ103」形だ。

103系では基本中の基本の形式で、仙台から下関まで、本州のほとんどでこのお顔を見る事が出来る。

…と言っても、青梅線のクハ103形はあなどれない。

クハはクハでも「500番台」と「900番台」がたんくさんいるからだ

500番台は、京浜東北線からクモハ103形とペアでやって来た「偶数向き専用」車。
(逆向きにして運転する事が出来ない。必ずクモハと背中合わせで連結される)
900番台は、山手線からやって来た最初期の試作車で、僅か4両のみの存在。

ここに写っているのは、900番台だ

量産型(0番台)との見た目の差異はほとん無く、車体中央下部の形式番号を見なければ判別出来ない。

つまり、この編成は「クモハ+モハ(原形車)」+「サハ3000番台(旧型国電からの改造車)」+「クハ900番台(試作車)」という、マニアにとっては夢のような美味しい編成なのだ
青梅線内では何編成かいたので、それほど特別な存在ではなかった。

さて、青梅駅からお隣への「東青梅(ひがしおうめ)」駅へ移動しよう。

すぐに着いたぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1020
急に都会的ぃぃぃぃぃ~~~~~~っ

青梅線は、立川駅からこの東青梅駅までが複線で、沿線には都市近郊の住宅地が広がっている。
ホームを出たらすぐに単線になるので、下り列車は大抵この駅で待たされる。

これは、その待ち時間に立川行き列車を撮ったものだ。

この頃は、立川発の列車が4・6・8・10両編成の4種類あって、ホームの端で待っていると大変な目にあった方も多くいた。
(昔は編成両数の案内なんて無かったからねぇ…)
奥多摩行きは大抵4両。
武蔵五日市行きは、4両または6両。
それ以外は「賭け」で待っているしかなかった。(笑)
(昔は3・4・5・6・7・8・10両編成の7種があった)

里に戻って来た。

では、最後に…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京・国鉄青梅線「奥多摩の103系1986」-1021
懐かしやぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ

地上駅時代の、五日市線「武蔵五日市(むさしいつかいち)」駅に停車中の、冷房車編成。
(青梅線と五日市線の列車は共通運用で、どちらにも使われる)

まだ高架化工事が始まっていない、昔ながらの光景だ。
高架完成後は、この当時の面影は一切残っていない。
(このホーム部分は、現在は駅前広場になっている)

もっと昔には、この左側には車庫(東ムイ)があったそうな。
旧型客車やディ-ゼルカーがいたそうで…
奥のお山には支線(貨物線)があり、「大久野(おおくの)」と「武蔵岩井(むさしいわい)」と言う2駅もあったそうな。

…まぁ、こんな感じで、奥多摩の「オレンジの103系」を追ってみた。

いかがでしょうか

では、またぁ~

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 おまけ1 

同じ奥多摩で撮った他の日記もあるので、併せてご覧頂きたい。
時代の変化を比べてみるのも面白いよん

1986年:石灰石貨物列車(こちらをクリック

1986年:拝島駅(こちらをクリック

1995年:地上時代の武蔵五日市駅(こちらをクリック

2008年:201系(こちらをクリック

2010年:E233系(こちらをクリック

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 おまけ2 

各色の車両の日記は、これらをクリック

あおここをクリック
うぐいす色ここをクリック
きいろここをクリック
オレンジ色…(101系・201系)該当の形式名をクリック
灰色ここをクリック

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2011年7月18日 (月)

旅日記 ~「成田スカイアクセス」2011~

今回は1年ぶりに、千葉県の主「京成電鉄」のおハナシを…

やっぱ、イマドキの京成といえば、コレだろう
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1001
エーーーーーーーース

世界的に超有名なファッションデザイナー「山本寛斎(やまもとかんさい)」氏のデザインによる特急列車「スカイライナー」。
初代(AE形)はもとより、2代目(AE100)の存在をもあっけなく忘れさせる(笑)強烈なインパクト。

…カ~ッチョエェのぉ~

この新型特急の形式名は「AE」(Airport Expressの略と思われ)。

…そう、初代と同じ名前なのだ。

だから、列車名「スカイライナー」としては3代目。
形式名「AE」としては2代目というコト

今まで京成には「これだっ」というお気に入り車両はいなかったのだが、コレは文句なく気に入った

さて、今回は、そんなカッチョえぇスカイライナーに「追い越されてみよう」作戦を取った。
時は2011年5月30日
ちうごくの「西安」旅行の帰りに乗ってみた。

乗ったのはスカイライナーではなく、「アクセス特急」。
特別料金不要の、一般通勤型車両の特急列車だ。

このスカイライナーとアクセス特急は、「成田スカイアクセス線」という路線を経由する。
京成本線よりも真っ直ぐに走る、都心⇔成田空港の最短路線

まずは、帰国後の入国審査を済ませ、京成の「空港第2ビル(くうこうだいにびる)」駅のホームに立つ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1002
帰って来たよぉ~~ん[ ● ]

ちょうど「アクセス特急」が来るタイミングだったので、それに乗ることに。

その少し前に、下りのスカイライナーがやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1003
カッチョエェのお~

色が良い。

…それにしても、「これでもかっ」っていうくらい車体が垂直だなや
大抵の特急車は、車体側面も少しは丸みを帯びてるのだが。

列車は速度を上げながら走り去ってゆく。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1004
観光」というより「ビジネス」なシーンに似合う車両だね

本線経由の「特急」をやり過ごし、後からやって来た「アクセス特急」に乗り込む。
荷物が大きいけど、周りのみんなも同じなのでモウマンタイ(無問題)。

列車は出発した。

この新線区間は時速120Kmで走るので期待していたのだが、すぐにノッチオフ(惰行)。

…あ、あれぇ

フツーの速度で走り、ほどなく停車してしまった。

…信号場だ。

ここで下り列車と交換待ち。

単線なので仕方がナイ。

ほどなく、下り列車がやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1005
ひこーーーーーき

向こうもこちらと同じ「3000形」(通称:3050形)だ。
青いラインと、ひこーきのマークがポイント。

ちなみに、座席の模様もこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1006
ご覧の通り、ひこーき模様だ

だが、擦れに弱いのか、ひこーきの羽が消えかかってるモノばっかりだ。

…縁起の悪い。(笑)

…お、向こうが先に動き出した。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1007
後から来て先に行くとゎ…

まぁ、「空港速達輸送」が使命なので文句は言えない。

さぁ、高速運転だっ

と思ったら、ほどなく最初の停車駅「成田湯川(なりたゆかわ)」の停車準備に…。

…ぜ~んぜん速くねぇぢゃん。

成田湯川駅に到着。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1008
けいえす~~~~~~ぅ

この駅は京成電鉄の管轄。
(京成は駅番号がKSで始まる)
スカイアクセス線は、両端が京成、真ん中が北総鉄道の管轄になっている。
(かなり複雑な運営方式なので、詳細は書けへんで~)

この駅で、列車はスカイライナーに追い越される。

しばし停車するので、いそいそと列車の最後部へ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1009
上野(うえの)」行きだよ~~ん。

昼間は「羽田空港(はねだくうこう)」行きなのだが、朝夕は上野発着になる。

お顔の下半分も撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1010
う~ん、軽く「下ぶくれ」でチョットぷりちー

赤いひこーきの絵がイイね

側面の行き先表示器も…
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1011
オレンジ色がアクセス特急のカラー。

ホームはこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1012
ラララむじんく~~~~~ん

まだ出来たばっかりの駅なので、人がいない。
アクセス特急以外は停車する列車はナイ。(普通列車は走っていない)

…それにしても寒い。

周りは未開の野っ原と山なので、風が強い。

ちなみに、この駅のすぐ近くをJR成田線が横切っている。
成田線には今のところ駅はナイ。
(成田線の最寄駅までは、それほど離れていない)

構内はこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1013
新しくてキレイやのぉ~

真ん中に通過線2本を備えた、相対式ホーム2面4線の構成。

…何とな~く、新幹線の駅っぽい。
(線路の幅のせいだろうか

空港方面を見る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1014
せんろがいっぱーーーーい

でも、ここから空港方面は単線になっている。
都心方面は複線だ。

単線なので、上りホームからも空港方面へ出られるように、信号機がついている(右のヤツ)。
その信号機の下の標識を見て欲しい。

AE 160
特急 120

…そう、スカイライナーはこの区間を時速160Kmで走るのだぁ~

なので、「追い越されて」みたかったというワケ
お目当てのAE様は奥からいらっしゃる。

ほどなく、ライトが見えた……と思ったら、
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1015
もう来たーーーーっ!!

ち、チョー速えぇ…

120Km160Kmって、ぜ~んぜん違うねぇ~っ

あっという間に通過していった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
京成・成田スカイアクセス2011-1016
あたふた、あたふたっ

オラのへっぽこデジカメでは、この2枚を撮るので限界だった…。

…確かに速い。

だが、新幹線をイメージしてしまうと、さほど速く感じナイ。

やっぱ、ホームに車両がいないときに通過シーンを見ないと
今度は、ココを目的地にして来てみよっと

この後、アクセス特急は本来の120Km運転で快適に走行。
かなり早く「日暮里(にっぽり)」駅に到着出来ましたとさ

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 おまけ ★

・今回乗った感想

1.上りのアクセス特急はさほど速くない。
  →成田空港~成田湯川間の待避時間が長い。

2.成田空港の両駅で、20分くらいの間に来ない限り、すぐに来た本線経由の特急に乗ったほうが都心に早く着く。
  →アクセス特急の本数がメッチャ少ない。

3.スカイライナーは無条件で速い。本線特急の6割くらいの所要時間だ。しかも快適。
  →トイレでふんばっていたら着いちゃうぞ。

4.日中の日暮里駅にはアクセス特急は来ない。
  しかも、成田空港行きが来ても、「快速」だったりする。(途中から各停になる)
  大きい荷物持っていると乗り換えも出来なく、ちょっと不便。
  →明らかにスカイライナーに乗せようとしている。

5.でも、何だかんだ言っても、JRよりは速くて安い

…ってなカンジぃ~

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2011年7月14日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その18:敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺~

前回「その17」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

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1996年6月4日(火):晴れ

敦煌(とんこう:Dunhuang)

今日は、朝食(兼昼食)を隣のホテルの入口にある小さなお店で食べる。
お店のカンバンには(確か)「正宗 蘭州牛肉麺館」と書いてあった。

そう、牛肉ラーメン店だ。

ラーメンは漢字で「拉麺」と書く。
「拉」とは「引っ張る」と言う意味。(「拉致」とかもそうだね)
その名の通り、「」を「」してくれるのだ

早速、牛肉麺を注文。

店のオニイサンが麺を「」し始めた
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その18・敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺-1801
(2006年にトルファンで撮影)
びよぉぉぉぉぉ~~~~ん

これはトルファンで撮ったものだけど、イメージは一緒。

…んで、その麺を茹でて具を載せてやって来たのが、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その18・敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺-1802
(2007年に桂林で撮影)
美味そぉぉぉぉぉ~~~~う

これは桂林で撮ったものだけど、これもほぼ一緒。

スープは、日本の醤油ラーメンに少しラー油が入ったような味。
そこに(少しの)牛肉と香菜(ぱくちー:シャンツァイ)とネギが載っている。

日本人の口にヒジョーに合う、美味な逸品
蘭州牛肉麺」と書いてあれば、どこの店でもほぼこの仕様だ。

敦煌では1杯2元(27円)だった。

麺と一緒に「ナン」も注文する。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その18・敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺-1803
(2006年にカシュガルで撮影)
えんばーーーーーーーーん

これもカシュガルで撮ったものだけど、イメージは同様。

ピザやピタパンのような形の、硬めでパサパサしたパンで、中に黄色っぽい香辛料が入っていた。
水分がナイと食べづらいけど、味はGood

大きさは直径20cmくらいで、厚さは1cm強ほど。
1枚5角(0.5元:7円)というリーズナブル価格だ

麺とナンで合計2.5元、日本円にして34円でおなか満足。

イイねぇ~

その後、N氏と一緒に「敦煌市博物館」に行く。

地図で見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その38・敦煌の地図-3807
(1996年当時の地図を撮影)
だよん

お宿はね。

博物館は、街の中心部に程近い「東大街陽関東路」の道路沿いにある。

余談だが、敦煌の街の道路名は、1996年当時と現在とでは全く変わってしまったようだ。
1996年当時の地図と、2006年の地図では、同じ道路名は1コもナイ…。
なので、道路名を書く時は、新旧両方とも書くねん旧称現在名

博物館の中に入ったら、グーゼン、日本人のお年寄りの団体と遭遇した。
宮崎から来たそうで。
さりげなく後ろを付いて行き、ちゃっかり日本語の解説を盗み聴き(笑)

一通り見たので、お宿に戻る。

夕方まで部屋でまったりし、友誼飯館へ夕飯を食べに行く。
その後21時頃、またもやカバブをかましに、市場巷の夜市へみんなで繰り出す。(地図の

23時頃まで大盛り上がり
1人20本は食べたなぁ…(笑)

今夜のカバブは、
・少林寺のカンフー映画に出て来そうな坊主頭のオジサン
・ピアノを弾くかのように物静かに淡々とカバブを焼く、芸術家風のオニイサン

の2店にロックオン。

どちらも独特の味で、甲乙つけ難い…。
両方のお店にガンガン注文をする。

片方の店が焼いているうちに、もう片方の店のカバブを食べまくる…という、待ち時間の少ない効率のイイ食べ方を開発していた。(笑)

昨日のリベンジ」とばかりに、今夜もワインを1本買ってみた
今回はみんなで慎重に選んだよ~。

少々高いけど、ラベルなどがしっかりしている中国ワインを購入。
名前は「長城白葡萄酒」(「万里の長城印の白ぶどう酒」という意味)。

味はまぁまぁ。

一応、国際的には許されるレベルだ
(中国ではブランドのワインだ)

今夜もしっかり酔った
お宿に戻って寝るよーーーーっ

おやすみんみ~~~~ん

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1996年6月5日(水):晴れ

敦煌(とんこう:Dunhuang)

今日は8時頃に、N氏西安に向けて空港へと旅立って行った…。
(空港は12Kmほど離れたところにある。当時は超贅沢な移動手段だった)

そして、K氏も昼近くに柳園駅へとバスで旅立って行った…。
次の目的地は「吐魯番(とるふぁん:トゥールーファン)」だそうだ。

あらら、急に寂しくなっちゃったねぇ…
何か「取り残された」気分。
我々も早く敦煌を脱出せねば…。

11:40頃に外へ出る。
CITS(中国旅行社)に列車の切符の確認を取りに行く。(地図の

…も、途中でCITSの人に遭遇し、呼び止められる。
まぁ、宿からCITSまで100m位しか離れてナイが。

彼曰く「6月7日の切符なら取れそうだ」とのこと。
さらに「6月”でイイんだよな」と聞いてくる。
オラが渡したメモには「5月7日」と書いていたらしい。

…ヤヴァい。もう「日にち」どころか「」までも判らなくなっている…。

彼は「じゃぁ、6日10時に切符を持ってホテルに行くよ」と言い、そのまま街に消えていった…。

敦煌のCITSで列車の切符を注文するということは、担当の人が毎日「柳園」駅の窓口まで行ってやりとりしているということ。
毎日あの砂漠の130Kmを往復してだ……相当な苦労だ。

もし旅行社に頼まなかったら、自分自身で柳園駅まで切符を買いに行かねばならない。
…それは無理だ。
往復6時間も掛けて行ったのに、窓口であっさり「没有(メイヨウ:無い)」と言われた日には…。

インターネットのナイ時代&地方の、汗と苦労の物語

その後、また隣の牛肉麺屋さんに行って、牛肉麺を食べる。
この店のメニューを見ると…

・牛肉麺 2元
・加肉麺 4元 (牛肉大盛り麺)
・醤牛肉 20元 (牛肉のみの単品)
・ナン 5角(0.5元)

のみだ。
今度は「加肉麺」を食べてやろうっと

またお宿に戻り、しばしの休憩。

暑い地では、日中はあまり無理をしないのが正解。

再度、街に出る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その18・敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺-1804
(1996年撮影)
テコテコ街歩きぃぃぃ~~~

中心地へ行き、博物館(地図の)の前を歩いていたら、偶然、西安の「勝利飯店」で目の前の部屋に泊っていた日本人男女2人組に出会った。
あの、レストランで「そろばん」で盛り上っていた時にいた2人組だ。

しばしハナシをして、お互いに情報交換する。
その場で「では~」と言って別れ、再び散歩開始。

ふと街外れに行ってみたくなり、そのまま歩き続ける。
ほどなく街の端っこに到着。
そこにはが流れていた。
(どこかは失念。おそらく西(左)の大きな川沿いかなぁ…)
…も、乾季なのか、川に水はナイ

あれぇ~~~、ちょっとガッカリ。

仕方ナイので、そのままお宿に戻る。(地図の

その後、風味餐館で夕食を摂る。
酸奶(スァンナイ:ヨーグルトのこと)」がサイコーに美味かった
この当時では、中国のこんな僻地でヨーグルトが食べられるのは、ヒジョーに珍しかった。
(市民に「食品を冷やす」という概念がナイので…
1個1.5元

さぁ、もう今日はのんびりしよう
シャワーを浴び、部屋でガイドブックを読みまくって、今日はおしまい。

おやすみんみ~~~~ん

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1996年6月6日(木):晴れ

敦煌(とんこう:Dunhuang)

今日は10時にCITSの人と会う。
予約していた切符が無事取れたので、しっかりと頂く 

柳園駅7日18:54発「烏魯木斉(ウルムチ)」行き97次列車 8号車(軟臥)15・16・21番だ。

列車費は3人で594元。
それに諸々の経費・税金が加わり、合計では830元(11,200円)だった。
1人当たり3740円ほど。
まぁ、敦煌から脱出出来るうえにA寝台個室に乗れるのなら安いもんだ

いやぁ~、これでホッとした

安心したので、景気付けに牛肉麺屋で「加肉麺」を注文する。
お店のオニイチャンも「えっ」という顔をして、すぐにニコニコしながら麺を「」し始めた

来た来た
たしかに、肉がたくさん入っていてGood
オニイチャンも「美味いか」と聞く。
もちろん「美味い」と答える。

満足の後、お宿に戻る。
しばらくボーッとして過ごし、外出することに。

今度は街の北半分にあるメインストリート「北大街沙州北路」を歩いてみる。(地図のの左にある縦の大通り
…も、学校と工場しかないっぽい。
すぐに小学校からキッズが大群で出て来たので、それ以上進むのを諦めた。

いったん中心地のロータリー交差点に戻って、「東大街陽関東路」をまっすぐ歩く。
敦煌賓館」を過ぎると、もう街の端っこだ。(地図のの右の小さな橋)

この先は、まっすぐな並木道になっている。
その並木道の手前には、小さな川(用水路)が流れている。

ここの流量はかなりあり、乾燥しきった砂漠の中にいるとは思えないほどだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その18・敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺-1805
(2006年にトルファンで撮影)
うるおいぃぃぃぃぃ~~~っ

これはトルファンで撮ったものだけど、イメージ的には同じだ。

帰国後に地図を見ると、川の上流にダムがあって、そこからこの用水路に水を流しているようだ。
なので、川の本流に水が無かったという訳っぽい。

橋の手前で小川からさらに用水路が分岐していて、並木道に沿って流れている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その18・敦煌・街歩きと蘭州牛肉麺-1806
(2006年にトルファンで撮影)
いやし~~~~~~~っ

これもトルファンで撮影したもので、イメージはかなり近い。

水があると、何だかホッとするね
キレイな景色だ…

ここで引き返す。

博物館の前まで戻って来た時に、歩道上に「注意と警告」のカンバンがあるのが目に留まった。
何だろう…」と思って近付いて見てみると…

何と、そこには交通事故に対する注意と警告のための写真が、たくさん貼られていたのだ。
当然、「恐怖を煽る」狙いもあるので、無謀な運転・乗車等をして(死亡)事故を起こした人達の無残な姿がボカシもなしにそのまま写っている。
腿の骨が出ている人、あばら骨が見えている人、顔の1/3が剥がれている人などなど…
もちろん、写真に老若男女の区別はナイ。

以前からウワサでは聞いていたが、そうか、これがそうなのか…。

この当時の中国では、いくら言っても言うことを聞かないので、このように「結果論」で示さないと誰もルールを守らなかったのだ。

確かに、トラックに10人以上乗ってスピード出したら、こうなるわなぁ…

その後、このような看板を見た外国人観光客がショックを受ける例が頻発したので、だんだん見られなくなった次第。

ホントに交通事故には気を付けよう。

ちょっと現実に引き戻された感を味わいながら、おとなし~くお宿に帰還。(笑)
気を取り直して、風味餐館に行く。

今回は…
・フレンチトースト
・ヨーグルト
・カレー麺

を注文。

ちょっと洋風なモノも食べたくなったのさぁ~
(もう1ヶ月も中国圏にいるからねぇ…)
けっこう栄養もあり、なかなかGood

いやぁ~、今日も楽しかった

さぁ~て、明日はいよいよ敦煌を離れる日だ。
夜更かししないで早く寝よっと。

おやすみんみ~~~~ん

つづき「その19」はこちらーっ!

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2011年7月11日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その17:敦煌・莫高窟と鳴沙山~

前回「その16」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

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1996年6月2日(日):晴れ

敦煌(とんこう:Dunhuang)

今日は昼頃に、お宿の斜め前の「風味餐館」で「麻婆豆腐」を食べる。
日本人好みの味で美味しい

その後、13時頃にお宿の2つ隣の部屋に滞在していた日本人青年と一緒に「莫高窟(ばっこうくつ:モーカオクー)」へ行くことに…。
莫高窟」とは敦煌の最大の見所で、崖の壁面に洞窟を掘り、その中で僧侶が修行をしていた場所(寺院)。
みんなここを観に敦煌へ来ているようなものだ

たまたま知り合ったこの日本人青年、何とマットレスを持って旅をしていると言う。
何で~」と訊いたら、彼が一言。

そこに寝なさい

いきなり部屋からマットレスを持って来て、階段の踊り場に敷きだした。
仲間の1人がマットレスに寝る。

すると、それは始まった…

イテテテテテーーーーーッ!!
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1701
(1996年撮影)
…そう、彼は「さすらいのカイロプラクター」だったのだ

カイロプラクティック(整体術)の勉強をしながら、アジア(インド・パキスタン方面)を旅しているそうで。
我々3人とも施術されることに…。

彼(N氏)はオラの背中から肩を触るなり、「重いバッグを持ってず~っと歩いてきたみたいだから、けっこう骨がズレているねぇ~」と一言。
…確かに、この数日は移動ばっかりだったので、いつも荷物が肩に食い込んでいたよなぁ。
腕を上げると、ほんの少し痛い。

さらに背中の骨を触って、「ホラ、軟骨が少しはみ出ている」と言って、オラの肩を抱きながら一ひねり。
ボキボキッ」という音と共に、オラの肩のニブい痛みは治まった

わ~ぉ 肩が楽ッス

N氏「これでまたしばらくは、旅が出来そうだね~」と一言。

…うれしいッス助かったッス♪♪

3人とも一通り施術を受け、すっかり健康体になった
みんなでお礼を言うも「イイよ、イイよ」と涼しい顔。

…カ~ッチョエェ~

まぁ、そんなんで、一緒に莫高窟に行くことになったという訳。

莫高窟に行くには、バスに乗らないといけない。
距離は片道27Kmほど。
チャリとかでも行けなくはナイが、そこには「」が待っている。(笑)

地図で見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その38・敦煌の地図-3807
(1996年当時の地図を撮影)
ハミ出ちょるぅぅぅぅぅ~~~~っ

このように、莫高窟は地図に載らないくらいの、右下のはるか先の荒野にある。
がお宿)

これでは何が何だか解らないので、広域の衛星写真をば。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1702
(2019年のグーグルマップより)
莫高窟はにある。

…お宿
…莫高窟
…鳴沙山と月牙泉

この荒野の中を、ケチッてチャリで行ってみようと思う

莫高窟行きのバスは、街中の至る所で客引きをしている。

マイクロバスの窓やドアから、車掌が拡声器で「莫高窟~莫高窟~」と叫んでいるのですぐ解る。
バスは満員になり次第、街を離れて莫高窟へと走り出すシステム。
なので、混んでいるバスに乗ったほうが出発が早い
料金は、往復で10元(135円)。

バスは緑の森を抜け、褐色の砂漠の中をひた走る。 
やがて、いきなり砂漠の中に山が見えてくる。
そこが莫高窟だ。

バスを降りて入口へ向かう。
まずは、チケットを買う。
甲票:80元」と書いてあり、「乙票」は15元ほどだ。

…さて、どうしよう。

甲票(つまり外国人料金)はベラボーに高いが、「ここはケチらないほうが絶対にイイ!」とガイドブックには書いてある。

なので、相談の結果、素直に甲票を買った。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1703
(1996年当時の実物を撮影)
チケットも豪華ぁぁぁぁ~~~~

次に、あまりの暑さに缶ビールを買う。(笑)

14:30から入れるということなので、ビールを飲みながら待つ。
見学にはガイドが付くので、順番待ちだそうだ。

しばらくして、入口にいたままモタモタしていたら、我々のチケットを見た係員が「招待所へ行きな」と言った。
なので、みんなで招待所へ行く。

招待所でチケットを見せる。
すると「日本人か」と聞かれたので、「そうだ」と答える。
そしたら「ここにいて待ってろ」と言われた。

それから5分ほど待っただろうか、「ガイドが戻って来たから出発するぞ」と係員に言われたので、慌てて席を立つ。
我々4人だけでガイド(若い男性)を1人付けてくれた。

しばらく無言で歩く。
どうせガイド付けてくれたって、ちうごく語で話されても解んねーよなぁ」と、酔っぱらい4人はグダグダ言い始める。(笑)

窟の入口に到着。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1704
(1996年撮影)
思いのほか、門が小さい…

ここで、ガイド氏が口を開いた。

…おぅ、ぢーざす!

何と、流暢な日本語ではナイか…

みんなちゃんと説明を聴きだす。
何だよ、ガイド氏も早く日本語で喋りかけてくれよぉ…。

それぞれの窟の鍵を開けて、1つ1つ説明してくれる。

この莫高窟のような石窟寺院は、西域の各地にある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1705
(2006年にトルファンで撮影)
せっくつぅぅぅぅぅ~~~~

これはトルファンにある「ベゼクリク千仏洞」だけど、イメージ的には莫高窟も似たようなものだ。

それぞれの窟で、それぞれの僧侶が黙々と修行をしていたのだ。(ー人ー)

窟の中には、すばらしい仏教壁画や仏像がある。
酔っ払っているのが恥ずかしくなるくらいの素晴らしさだ

解説を聞きながら、荘厳な小世界を真面目な気持ちで観て行く。
1300年も前からある窟もあるそうで…。

仏像は特に素晴らしく、大仏・寝仏などなど…。
言葉では言い表せないくらいだ。

いやぁ~、やっぱり人は欲に溺れてはイケナイねっ(ー人ー)色即是空~

…と、素直にそう思った。(笑)

窟のいくつかは特別なものもあり、別料金で見せてくれるとのこと。
でもビンボーなので、「見ないでいいです」とガイド氏に告げた。

一通り見たので、入口前に戻る。

すると、奥のほうに「乙票」で入っている人達の姿が見えた。

そっか、やっぱり中国人民は「15元分」しか見せてくれないんだ

全然立派でない、どちらかというとボロくてチャチい窟しか案内されないのだ。
見学ルートも全く違う。

ガイドブックの言うことを信じて「甲票」を買って大正解

ちょっと休憩して、16時にバスに戻る。
そして敦煌の街まで帰還。
ここで莫高窟ツアーは解散だ。

宿に戻ったら、もう1人の日本人青年(K氏)と知り合った。
なので、みんなで夕飯を食べに行くことに…。

宿のすぐ近く(市場巷:市場路)に夜市がある。(地図の
そこには道端で「シシカバブ(ケバブ:羊肉の串焼き)」を焼いている露店がたくさん並んでいる。

酒屋の前に陣取り、酒屋のオッチャンにテーブルとイスを出してもらう。
当然、酒はこの店から「大量に」買ってあげた
(当時の中国では、ビールを「冷やす」という概念があまりなかったので、何とか少しでも温度の低いビールを探して買いまくった

さて、カバブはどこのにしよっか…

とりあえず、いろいろな人から買ってみよう!

…ってな感じで、周囲の露店から20本単位(笑)で買ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1706
(2006年にトルファンで撮影)
うっまそぉぉぉぉ~~~~う

これはトルファンので肉が大振りだけど、イメージとしては同じだ。

鉄串(チャリのスポークもあった)に小さい羊肉が8個くらい刺さっている。
そこに、いかにも西域らしい香辛料がたくさん掛かっている。
店ごとに味が違うので、食べ比べてみると面白い
味は言うことナシ

ビールが進む、進む…

ちなみに、肉は1本5角(0.5元:7円)、肝は1本1元が相場。

結局、5人でカバブを120本も食べてしまった
120本でも60元(800円)ちょっとだから、ワリカンにすると激安

いやぁ~、食った飲んだ酔った

周囲のお店のオジサン達も、たくさん売れたので満足顔だ。
みんな満足

23時頃、気持ちよ~くお宿に戻る。
ここで今日はみんな解散~~~っ

また明日ね~~ん

おやすみんみ~~~~ん

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1996年6月3日(月):晴れ

敦煌(とんこう:Dunhuang)

今日は10時頃に起きて、11時くらいに風味餐館で朝食。

肉絲炒麺(ロースーチャオミェン)」を食べる。
日本語では「豚肉の細切り焼きそば」という意味なのだが、実際に出て来たのは和風な「焼きうどん」だった
でも、これはこれで美味い

…何でここはちうごくなのに、どれも味付けが日本料理に近いのや(笑)

その後、街中にある「CITS(中国旅行社)」に行く。(地図の
西安での教訓から、今回から早めに列車の切符を予約することにした。

とりあえず、希望の日にちの列車をいくつか選んで予約をした。
5日にまた来い」と言われて、店を後にする。

そして、のんびりタイム

1人で昨夜の夜市の道(市場巷)へ行くことにした。(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1707
(1996年撮影)
にぎやかぁ~~~~~

夜とは違って、昼は「自由市場」になっていた。

衣料・靴・時計・香辛料…色々なモノが売られている。
一通り観て回る。

結構楽しい

自分にとっては、初めてのイスラーム文化
見るもの・聴こえるもの全てが新鮮な刺激となってカラダに入って来る

敦煌は、民族的には大半が漢民族系なのだが、生活様式はイスラーム式の住民も多い。

街は小さいので、あっという間に見終わってしまった。

…まぁ、お宿に戻るか。

お宿に戻ってちょっとしたら、N氏が西瓜を買って来た

早速みんなで食べることに…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1708
(1996年撮影)
まいぅ………あれ

砂漠のオアシスで食べる西瓜もナカナカのもの…と言いたかったけど、まだ熟れてなかったらしく、そんなに甘くなかった…。

男5人でスイーツにガッカリしているという画も、落ち着いて考えてみると、チト怖い。(笑)

しばらく部屋でハナシをした後、食事しに行くことになった。
風味餐館の3軒ほど横にある「友誼飯館(ゆうぎはんかん)」に行く。

ここもかなり美味で、お店のおじさんも親切だ

また宿で、まったりタイム。

21時頃か、N氏だったかな
ここの宿でチャリンコ貸してくれるから、みんなで出掛けない」と言ってきた。

…面白そうなので、早速借りることに

お宿の門の近くにいたおじさんに話しをして、チャリンコを5台貸してもらう。

オラのは、前輪のブレーキが外れていた。
みんなのは、ちゃんと前後のブレーキが効いている…。

一言言ったら、オヤジ曰く、「後ろが効くからイイだろ

…あ、そ。

さらにオヤジ曰く、「オマエのはベルも付いてるし、カゴまであるんだ他のにはナイんだぞ。これでチャラだ

…お、そう来たか。(笑)

確かに、カゴ付きは便利だ。
なので、文句は言わないことにした。

…だって「ちうごく」だもん

チャリは上海製だったので、勝手に「上海2号」と呼ぶことにした。
他のみんなのは、ブレーキ完備・ベル&カゴ無しの「上海1号」だ

さぁ出発ぅ

目的地は「鳴沙山(めいさざん)」
街から南に5Kmほどの所にあるお山だ。(地図の・衛星写真の

夕暮れの砂漠の中を、みんなでチャリチャリと進む。
景色も雄大で、チョー気持ちイイ

20分くらいで、お山の入口に到着。

駐車場にチャリを置き、チケットを買って中に入る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1709
(1996年当時の実物を撮影)
おされなチケットぉぉぉぉ~~~~

砂山の手前に「月牙泉(げつがせん)」と言う小さな湖があって、それも観光名所だ。
でも、今は日も暮れて良く見えないので、パス

余談だが、このチケットの裏面はこうなっていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1710
(1996年当時の実物を撮影)
しぃーーーーーふーーーーーーぅ

この「康師傅(カンシーフー)」と言うのはカップ麺のメーカー名で、中国では知らない人はいない。
日本で言う「日清」や「マルちゃん」的存在。
(「師傅」で「マスター」と言う意味。日本的に言えば「康シェフ」か…な

このカップ麺に、列車内でどれだけ助けられたか&笑い話が作られたか…
中国で列車の旅をしたことがある方なら、共感していただけるはず~~~
(笑い話は「その27」を読んでね

さぁ、今から後ろの山に登るぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1711
(1996年撮影)
気合い充分っ

…あぁ、でもこれぢゃぁ、何だかよく解らないねぇ~。

では、明るい時の写真をば。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1712
(2006年にトルファンで撮影)
は~い、そうでーす砂漠の砂山でぇーーーーっす

これはトルファンで撮った砂漠だけど、見た目は大体同じ。

今からみんなで砂山に登って夜景を観るのだ

山に向かって歩き出すと、近くにいたオジサンが声を掛けてきた。

ラクダに乗らないかい

う~ん、乗ってみたいけど、お金がナイ。
なので「間に合ってま~~す」と明るくお返事。(笑)

さぁ、山の裾まで来たぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1713
(2006年にトルファンで撮影)
これもトルファンのだけど、ほぼ同じ。

一歩踏み出す。

ズブズブと音を立てて足が埋まってゆく。

急いで反対の足を前に出す。

ズブブブブ……

また埋まってゆく。

そうやって左右の足を急いで前に出す。
…も、カラダがなかなか上に上がっていかない。

…そりゃぁそうだ。

だって、サンダルで砂漠の砂山に登っているんだから。(笑)

でも、そこはみんな若者。
元気に気合いで登り通した

山頂に到着~
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1714
(2006年にトルファンで撮影)
ちかれたび~~~~~ぃ

実際は日も暮れたので、こんな風には見えナイが。
イメージ画像」ということで。(笑)

いやぁ~、スゲー疲れた。

早速、山頂でビールでカンパイ

うめぇ~~~

しばし山頂からの景色を楽しむ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1715
(1996年撮影)
周囲に明かりはナイ。

遠くにやたら明るい施設があるのが見える。
工場か石油の採掘場か

…あ、空港

あれも、実際は何十Kmも離れているんだろうなぁ…
それほど周囲に明かりはナイ。

やがて完全に日が沈み、星が見え始めた。
さらに、月が昇って来た。

…で、でけぇ。

ここで月明かりのもと、1本のワインを取り出す。
そして、みんなで再度カンパイ

…ま、まぢぃ。

何てぇマズさだ。(笑)
薄いぶどうジュースに、砂糖を大量に入れたような味。

さすがにみんなもKO負け。
なので、この銘酒はお山に捧げることにした。
みんなで厳かに献酒の儀式を執り行った。(ー人ー)

さぁ、お口直しに「まほうのみず」だっ
再び缶ビールをプシュッと開けて、カンパ~~イ

…う、うめぇ

重い荷物を背負って登った甲斐があったッス
(だから足が砂に沈み込んだんだよん)

裸足になったり、寝っ転がったりして、夜空を堪能。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1716
(1996年撮影)
す~~~っかり出来上がった、野生児5人。

1時間以上はいただろうか。
満足したので下山することに。

今度は、黙っていても勝手に足が下ってくれる。
前に転ばないように、ズリズリと歩く(滑る)。

下山したら24時頃だった。
すぐ近くに月牙泉があるのだが、もう真っ暗だし深夜だ。
なので、そのままお宿に戻ることに…。

暗い一本道をチャリチャリこいでると、途中にきらびやかな建物が目に入った。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その17・敦煌・莫高窟と鳴沙山-1717
(1996年撮影)
すごいキレイなホテルだ

ちょっと寄ることにした。

チャリを停めて中に入る。
すると、レストランが開いていて、何と「飲茶(やむちゃ)」が出来るとのこと。

こんな西域の砂漠の中で、広東料理が食べられるとゎ…

広東夜茶」と書かれた看板がある。
そう、広東人は夜にもお茶と点心で「夜食」を摂る習慣があるのだ。

お店に入って飲茶をする。
そしたら、店員さんがやって来てハナシをしだした。

何でも、まだ出来て1年経ってナイとのこと。(95年9月完成)
どおりで、こんなピカピカなんだ
しかも、香港資本の建物だそうで。

ちょっと広東語で話したら、ビックリして喜んでくれた
すこしオマケしてもらえたぞ

…さすがにもうお腹いっぱい。

飲めない、食えない、そして眠い。

お店を出て、またチャリチャリお宿に戻る。
結局、お宿に着いたのは1時過ぎになってしまった。

まぁ、こんなイナカなので、アブナイ人に会うわけでもなく。
…って~か、人がいない。(笑)

さぁ、寝るぞ、寝るぞ

おやすみんみ~~~~ん

つづき「その18」はこちらーっ!

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2011年7月 7日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その16:玉石のΩカーブを越えて敦煌へ~

前回「その15:西安・大慈恩寺と大雁塔」からのつづきーっ!
「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

さぁ、いよいよシルクロードの中央部「西域」に突入だっ

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは日本語読み、カタカナは北京語(普通話)読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

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1996年5月31日(金):晴れ

→(第143次直快)→

昨夜の「西安(シーアン)」駅を21:40に出発した第143次直快庫尓勒(こるら:クーアールルー)」行き列車は、順調に闇夜を走る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1601
(1996年撮影)
軟臥(A寝台)個室の旅は快適だ

旧型客車とはいえ、一通りの設備は整っている。
日本の旧客寝台車(ロネ)も、こんな感じだったのだろうか…

今回の貧乏旅では初の優等車両で、ちょっとウキウキ
3人で話しをして、くつろぐ。
周囲のおじさん・おばさんからの質問攻めもなく、リラックス出来る。

列車は進むも、外の景色は真っ暗だ。
なので、しばらくしたら寝てしまったようだ。
後は記憶にない…。

おやすみんみ~~~~ん

ZZZZzzzz....

おはよう

目が覚めると明るかった。
カーテンを開け、外を見る。

…おぉ!景色が一変している

列車は「黄土高原(こうどこうげん)」の中にいた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1602
(2002年に北京郊外で撮影)
これは北京で撮ったものだけど、イメージ的にはこんな感じ。

周囲は険しい岩山ばかりだ。
昔は「黄土高原」という名前の通りの緑豊かな地帯だったのだが、山肌の全てを畑にしてしまった結果、肥沃な土が全て流出して今や悲惨な姿を晒している。
木も生えない、段々状になったハゲ山。
まるでテトリスのブロックのようだ…。
毛沢東(もうたくとう)」時代の「大躍進運動」による、負の遺産だ。

日本にも飛んで来る「黄砂(こうさ)」は、この辺の土が強風で舞い上がったものだ。

列車は、平原や(死の)渓谷みたいな所を、代わる代わる通り抜ける。
景色的には「ワイルド」ではあるが、「美しい」ものではない。

途中、いくつもの駅を通過する。

中国のローカル駅は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1603
(2002年に北京郊外の清河駅で撮影)
これは北京近郊の清河駅で撮ったものだけど、どこも大体同じ雰囲気。

駅舎は小ぢんまりとしていて、ホームに屋根は無い。
…で、駅舎の近くのホーム上に「お立ち台」があって、列車が通過する時は駅員が立つ。
たとえどんな辺境の地の駅でもだ。
砂漠でも高山でも大平原でも…。
もちろん、何時でも。

ホーム上は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1604
(2002年に北京郊外の沙河駅で撮影)
ホームには小さな駅名板があり、次駅とその距離が書いてある。

左のブロックの建物はトイレだ。
もちろん、個室などと言う仕切りは無い。
(…あ、「男界」と「女界」は、しっかり分かれているで~)

…気が付いたら、この列車の機関車は電気機関車になっていた。
最初からそうだったのかなぁ…

牽引機は、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1605
(2006年に北京で撮影)
おしょうさぁぁぁぁぁぁ~~~~ん

韶山(しょうざん)1」型と言い、記号で書くと「SS1」。
「SS」は、「韶山」の発音「シャオシャン」の頭文字を取ったものだ。

実際の牽引機は、塗色と側面のデザインが違う。
(これは北京の博物館にあった初期型だ)

列車は昼頃に「金昌(きんしょう)」と言う駅を出発した。
武威(ぶい)」と言う有名な都市の、すぐ西側にある。

実は、ここから最大のイベントが楽しめる区間に入る。

当時は全く知らなかったので、かなりビックリした

今はどこにいるのかと言うと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1606
(2019年のグーグルマップより)
だよぉぉぉぉ~~~~ん

我々はからまで乗車する。

この次の「玉石(ユィシー)」駅前後は険しい地形になり、高低差がかなりあるらしい。
なので、線路が「これでもかっ」と言うくらい、ク~ネクネ、く~ねくねしてしまうのだ。
Ω(オメガ)カーブ」なんて言うだけでは説明出来ないくらいにねっ
」「」「」「」の文字をつなげまくったみたいな。
それが何と2箇所も

詳細はグーグルマップで見てみよう
中国 金昌站」または「中国 玉石站」で検索すると出てくるよん。
金昌駅の場合は画面左上に、玉石駅の場合は左右両方にスライドさせていくと観られるッス。

列車は曲がりまくりながら坂を下ってゆく。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1607
(1996年撮影)
自分が乗った車両から撮った、自分の乗っている列車。

…つまり、こんなに曲がっているのだ
周りは荒涼とした景色が続く。

途中で、駅らしき所に停車。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1608
(1996年撮影)
何も無い~~~ホームも無い~~~

現在では、この地点に駅は無いことになっている。
時刻表にもグーグルマップ先生にも載っていない。

廃駅になったかそれとも信号所だったのか
1996年は単線だったけど、2011年の今は複線になっているのかな

ここは「玉石」駅の西側にある。
グーグルマップ先生で拡大してみると、かすかに痕跡が見える。

ちなみに、車両の右下の地上に書いてある白線間は「ホーム」だ。(笑)

さらに列車はく~ねくねと曲がる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1609
(1996年撮影)
…お、集落が見えてきた

このぐるぐるカーブ区間の中にも駅が2つほどある。
(駅間は非常に長いが)

更に進む。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1610
(1996年撮影)
…もう、どんだけ曲がっとんねん

…ってか、この列車、長くね!?

自分が乗っているのが7号車
…って~ことは、機関車を入れると18両編成って~ことか

ちなみに、このクネクネ区間では、後続列車や対向列車も見えちゃったりする。
同じように、ク~ネクネ走っているよん

…あっ、近くに人がいた
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1611
(1996年撮影)
ウシくんとロバさんだ

のどかな光景だ…

…こうして「く~ねくねショー」が終わり、列車は「張掖(ちょうえき)」駅に到着。
ここからは、また普通の平原の景色になる。
なので、室内でまったり。

夜になって、仲間と2人で隣の食堂車に行く。

・辣子炒肉(豚肉のとうがらし炒め)
・涼伴黄瓜
・ご飯 2杯

を注文する。

料理が来た

…えっ?

辣子炒肉は、豚肉の脂身が5・6切れしか入っていなく、あとはピーマンとうがらしのみ。
涼伴黄瓜は、読んで字のごとく「きゅうり」のキムチ和えみたいなものだった…。
(「黄瓜」になぜ気付かなかった
しかも、あまり美味くない。

とてもご飯が進むおかずではなかったが、無理やりご飯を腹に詰め込んだ。
これでしめて30元ほど。
(ご飯は1杯2元

…ちと高いなぁ。

この列車の料理は「はずれ」だった…。
少々ガッカリしながら部屋に戻る。

さぁて、寝るとするかなぁ…。

そうそう、西安の「ひげもぢゃ」氏からもらった「水のいらないシャンプー」を使ってみた
う~ん、ちゃんと「洗髪」出来ているのだろうか、これ…
効果あるのかな

…だからくれたのかっ

アイヤー……

仲間からもらった「ひげそり用ジェル」も、な~んかうまく機能しない…。
騙されたかっ!?

とにかく、おやすみんみ~~~~ん

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1996年6月1日(土):晴れ

→ 柳園(りゅうえん:Liuyuan) → 敦煌(とんこう:Dunhuang)

目が覚めたら「西域」だった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1612
(1996年撮影)
…どうだい、この何も無さ

まさに「西域」と呼ぶに相応しい、一面の乾いた世界の中を走っていた。
所々、緑の茂る土地を通過する。

写真を撮ろうと窓から身を乗り出したら、ちょうど窓の下に行き先表示板(サボ)があった。
…こ、こりゎ」と早速撮影開始。

…んで、撮った写真がこれだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1613
(1996年撮影)
…おいおい、「お持ち込み」かよっ!!(笑)

何気にこれ、すんごく重い。
車掌にバレないように、さっさと元に戻す。
この時に落っことしたら大変だ。
サボ君が砂漠の中で永遠に過ごす羽目になる…。

…おっ、どんどん乾いてきたぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1614
(1996年撮影)
いや~~、さ・ば・く

バダインジャラン砂漠」の端っこだそうな。
目に見える人工物は、目の前の電柱と電線しかない。

いよいよ列車は、我々の降りる駅「柳園(リウユアン)」に近付いてきた。

すると、景色が一変した。

周囲は一面の岩山だ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1615
(2006年にカシュガル郊外で撮影)
ゴツゴツぅぅぅぅ~~~~

これはもっと奥地の「喀什(かしゅがる)」の列車内で撮影したものだけど、こんな感じだった。

ひげもぢゃ氏が「テキサスに似ているよ」と言っていたのを思い出した…。
…確かに。
(オラ、テキサスに行ったことないけどぉ~~~

車内で最後のまったりタイムをしていると、ラブリー車掌嬢がやって来た。
降車駅が近付いた案内と、預けた切符を返してくれるためにだ。

その後、我々の部屋に入って来て、ちょこんと座った。
何だろう」と思っていたら、いろいろ英語で話してみたかったらしい。
外国人もまだ珍しいのだろう。
しかも、歳も近いしね。
彼女も勉強中なのだ

ラブリー英会話を楽しんでいたら、年配の上司の女性車掌が通り掛かって…
あんた何やってるの!さっさと仕事しなさいっ!
みたいにまくし立てた。
ラブリー車掌嬢、慌てて「ごめんなさいっ」と言って、職場に戻って行った。
去り際に、笑顔で「謝謝」と言い残して…

かぁ~~わぁ~~いぃ~~うぃ~~~

…ヤヴェ、この列車降りたくない

だが、無情にも列車は「柳園」駅に到着してしまった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1616
(2002年に北京で撮影)
ホームはこんな感じだ。

これは「北京北」駅で撮影。

実際の柳園駅は、これ。(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1617
(1996年撮影)
荒野の駅ーーーーーっ

目が覚めてからは、機関車がディーゼル機関車になっていた。

形式は「東風4」型で、記号では「DF4」だ。
この当時の一大勢力を誇った主要形式で、立ち位置的には日本の「DD51」に相当する。

電気式のディーゼル車で、エンジンの「ブリブリブリブリ…」と唸る大きい音が特徴。
なので、オラは親しみを込めて「ぶりぶりざえもん」と呼んでいる 

余談だが、この「柳園」駅は2000年~2006年の間は「敦煌」駅と呼ばれていた。
敦煌の最寄り駅としてのアピールで改名したのだが、本当の敦煌の市街地付近に新駅(新線)が出来たため、元に戻ったという訳。

ホームに降り立つ。

日差しがマヴスィ…

空が真っ青だ。
雲がほとんど無い。

ドアに車掌嬢が立っていた。
(ドアは手動なので)
笑顔で見送られる。

そして、列車が動き出した。

今度はこちらが笑顔で見送る番だ

謝謝再見~~~っ!!」と叫んだら、車掌嬢がビックリしながらも嬉しそうな笑顔で手を振ってくれた。
こちらも手を振り返す。

…あぁ、行っちまった。

旅に「一期一会」は付き物だ。

…さぁ、気を取り直して、敦煌に向かおう(地図の

駅前に出る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1618
(1996年撮影)
…と言っても、駅舎の建て替え工事が始まったばかりらしく、何も無かった。(笑)

右の瓦礫の山部分が駅舎のあった所で、奥に見える横に長~い屋根は、ホームの屋根だ。
左側の建物は、駅前のホテルらしきもの。
(これも使用中止みたいな感じだった)

ここから敦煌の街まではバスで向かう。

バスターミナルが、駅から徒歩数分の所にある。
そこまでテコテコ歩く。

駅で降りた乗客は、ほとんどが敦煌へ向かう。
バスターミナルの切符売り場で、敦煌までの切符を買う。
お値段は10元(135円)。

すぐ横のバス停車場に行くと、マイクロバスがたくさん停まっていた。  
その1台が準備をしていた。
運転士に切符を見せると「乗れ」と言う。

乗ろうとしたら「待て、荷物を屋根に載せろ」と言う。
車内は狭いので、大きい荷物は全部屋根に載せると言うのだ。
荷物を渡したら「1個5元だ」と言う。

…え~、金取るのぉ

みんな載せているので、しぶしぶ5元を渡す。

後で聞いたら1個3元なんだって

ぼったくられたっ

たかが2元(27円)」と思うなかれ。
2元あったら、この地域では牛肉ラーメンが1杯食べられるのだっ

そういやぁ、荷物を載せる時に周りに誰もいなかったよなぁ…。
そばに人民が1人でもいたら、3元と言われていたのにぃ
我々の荷物は、屋根にロープで縛り付けられた。

まぁ、とにかくバスは走り出した。
(次々に乗客を乗せ、満員になったら出発するというシステム)

この最寄り駅「柳園」から敦煌の街までの所要時間は、たったの「2時間半(笑)

そう、駅から街までは128Kmも離れているのだ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1619
(2019年のグーグルマップより)
…どこが「最寄り駅」だよ。

…柳園駅
…敦煌市街

日本の感覚で言えば、「沼津(ぬまづ)」駅や「甲府(こうふ)」駅を「東京の最寄り駅」と言っているようなものだ。

バスは駅前の集落を抜けると、すぐに砂漠の中へと入っていった。(地図のの道)

イメージ的には、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1620
(2006年にトルファンで撮影)
砂漠の中の一本道。

周りには何も無い。

本当に何も無い…。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1621
(2006年にトルファンで撮影)
オラ、間違えて月面に来ちゃった

太陽以外には、すごく薄っぺらい雲と、忘れた頃に生えている小さな木、そしてミニ竜巻
時折すれ違う車(トラック)と、道沿いに建っている建物がいくつか。

…生まれて初めて見る光景だ。

本やTVでは見ていたが、生の景色はぜ~んぜん違う
暑さ・匂い・車の振動・周囲の会話…
五感を通して刺激が入って来る。

…スゲェぜ、砂漠

だが、あまりにも変化しない風景とド直線のせいか、いつの間にか寝てしまった。
…で、気が付いたら、もう敦煌の街の入口まで来ていた。

目が覚めたらビックリ

また景色が一変していた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1622
(2006年にカシュガルで撮影)
…き、キレイだよぉ~~~~ん

今度は「これでもかっ!」と言うくらいの、緑のオアシス

オアシスの街の周囲は、砂漠の脅威から守るために木がたくさん植えられているのだ。
敦煌も他の街と同様、緑の森に囲まれている。

そんな事とはぜ~んぜん知らなかった当時のオラ、かなりのカルチャーショックを受けた。
まさかこんなに緑があったとは…。

オアシス」の本当の意味を実感

バスはこんな感じの道を進み、市街地へ入る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1623
(2006年にカシュガルで撮影)
緑道ぉぉぉぉ~~~~う

これはカシュガルの道だけど、同じような雰囲気だ。

市街地へ入ったぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1624
(1996年撮影)
…あれ街中は他のちうごくの都市とあまり変わらないや。

ちょっとガッカリ。

ちなみに、これが敦煌のメインストリート
街は小さいので、すぐに全部見て回れる。
ただクソ暑いので、1日で全部歩き回ったら確実に死ぬ
2011年の今は激変していて、こんな景色はもう見られないだろうなぁ…)

地図で見ると、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その38・敦煌の地図-3807
(1996年当時の地図を撮影)
ちっこいぃぃぃぃぃ~~~~っ

恐らく、街は2Km四方くらいではなかろうか

中央を横切る大通りと、縦2本の大通りがメインのようだ。
バスは北(地図だと上)からやって来たっぽい。

ほどなく、バスは街の南端にある、終点のバスターミナルに到着した。(地図の
荷物を屋根から降ろしてもらう。

アイヤー!砂だらけだ

敦煌のお宿は、ガイドブックを見てもう決めていた。

バスターミナルの目の前にある「飛天賓館(ひてんひんかん)」だ。(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1625
(1996年撮影)
…道に迷いようが無ぇ。(笑)

フロントで交渉。
3人部屋で60元
(1人20元:270円)
迷うことなく決める。

部屋もいい感じだぞ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1626
(1996年撮影)
20元で泊れるんだったら申し分ナイ

結構快適よん
(たしか3階だったような気が…)

さて、お宿も決まったし、移動で疲れたし…。
お腹も空いてきたなぁ~。

とりあえず、お宿の外へ出る。

ガイドブックと現地調査の結果、お宿の斜め前にある「風味餐館(ふうみさんかん)」に入る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その16・玉石のΩカーブを越えて敦煌へ-1627
(1996年撮影)
しゃれおつぅぅぅぅ~~~~

ここは外国人がよく利用するお店で、「料理も美味しいし種類が豊富」との情報。

入口にも、英語と日本語で店名が書かれている。
英語だと「Shirley's cafe」だって。
ぜ~んぜん名前が違うね。
Shirley(シャーリー)さんがやってるお店なのかな
日本語のは、漢字をそのまま日本語読みにしただけなのだが、こまか~い所は突っ込まないよーに(笑)

早速注文する。

・咖哩鶏飯(チキンカレー)
・茄子とマッシュルーム炒め

を頼む。
メニューも英語と日本語があるぞ
むしろ、中国語が…(笑)

料理が来た。

う、う、美味ぁ~~~~~~~~いっ!!!

すんごい美味だ
情報どおり。

少し西洋風の造りの店内で、軽井沢辺りにありそう
なので、味もそんなイメージを想像していただければ、ほぼ同じだろう。

お店の人と少し話しをする。
中国人とは思えないような物腰の軟らかさで、落ち着きがある。
間違いなく、外国で生活したことがある人だ。

かなり気に入ったので、仲間と話し合った結果、ここに通うことにした(笑)

宿に戻ってシャワーを浴び、本を読む。
ふと時計を見ると「21:30」。
でも、まだ外は明るい
ちょうどキレイな夕焼けの最中

22時を過ぎて、やっと暗くなった。
いよいよ「西域」に来たぞっって感じだ

中国の時間は全国的に「北京時間」に統一されている。
東部沿岸寄りの北京が基準なので、当然、西に行くほど時計の針と太陽の位置がズレてくる。
敦煌では、感覚的には「3時間ズレている」と感じた。

では、おやすみんみ~~~~ん

つづき「その17」はこちらーっ!

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2011年7月 4日 (月)

お知らせ ~「特攻野郎Bチーム・新メンバー募集中!」2011夏~

今回は「お知らせ」を…

オラが所属している「特攻野郎Bチーム」では、現在チームメイトを募集しています
(男女とも若干名)
(画像をクリックすると拡大するよん)
特攻野郎Bチーム「新メンバー募集中」2011夏-1001
みんな集まれぇぇぇぇぇ~~~~~っ

Bトレインとジオラマに興味のある、明るく元気な方を求めています
技術がなくても、メンバー(セミプロや元プロがいるよ)が親切・丁寧にお教えいたします。

積極的に活動すれば、テレビや雑誌にも紹介されたりしますよ
2009年は、日テレ「ズームイン!」で紹介されました。2011年は雑誌に掲載されます)

これは「ズームイン!」で放映された、実際の画像です。
(画像をクリックすると拡大するよん)
特攻野郎Bチーム「新メンバー募集中」2011夏-1002
全国放映ぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ

さらに…

過去に数回、各専門誌にも掲載されました。
(画像をクリックすると拡大するよん)
特攻野郎Bチーム「新メンバー募集中」2011夏-1003
おぉ、いぇい

あなたも一緒に、かわいいBトレで楽しんでみませんか
女性の方は、女性ならではの視点で、すばらしい作品を作ってみてください

参加の条件などは、下記をご覧ください。
早い者勝ちお待ちしておりまーすっ

--------------------------------------

 こんな方を募集中

★ 男子の部

・年齢 : 20代後半~30代
・居住地 : 不問
・職業 : 不問
・鉄道の知識 : なし~そこそこでもOK(危ないマニアはお断り)

★ 女子の部

・年齢 : 高校生以上
・居住地 : 不問
・職業 : 不問
・鉄道の知識 : 不要(普通はある訳ないよね…

・年数回のイベント(展示会・花見・BBQなど。主に東京近辺)に参加できる方
 (毎回参加ではなくてOKです)
・ジオラマ(箱庭)を作ってみたい♪という方、大歓迎
 (当チームには、いわゆる「電車マニア(オタク)」はいませんので、ご安心を
・材料などは、慣れるまではこちらでご用意します。
 ジオラマなどの保管場所もありますので、ご心配なく

・会費・規則・義務・強制等は一切ありません。(「クラブ」ではないので)
 自由で「ゆる~い」チームです。(笑)
 → 一応、ルールとして「必ず1個はジオラマを作る」だけがあります。
・ただし、チームの和を乱したり、身勝手でわがままな言動や批判的な発言をされる方は
 「ゴメンナサイ」です。(ジオラマ作る気が無い人も)
 あと、車両ばかり改造してニヤニヤしている方もお断りいたします。
 Bチームは「ジオラマ工作派」の特攻集団です。

・男子は、車を持っていて自分でジオラマを運搬できる方、かなり有力候補です
 酒も飲めて世間一般的なバカ話しできたら言うことなし
・女性は、素敵な笑顔があればモウマンタイ(無問題)

--------------------------------------

興味を持たれた方、参加されたい方は、この日記のコメント欄にご記入いただくか、Bチーム宛にメール(こちらをクリック)を送ってください。
展示会会場で、メンバーにお声をおかけくださってもOK
一度、チームのみんなとお話しして決めましょう

Bチームはジメッとした「鉄道クラブ」ではなくて「気の合う趣味仲間のチーム(寄り合い)」です。
普段は特に活動はしていません。
気が向いたときに(電車は関係なしで)仲間の誰かと温泉とかに遊びに行ったり…といった感じです。
なので、お気楽な気持ちでご参加ください。

待ってまぁ~~す

こんなのや…
(画像をクリックすると拡大するよん)
特攻野郎Bチーム「新メンバー募集中」2011夏-1004

こんなのとか…
(画像をクリックすると拡大するよん)
特攻野郎Bチーム「新メンバー募集中」2011夏-1005

こんなのも作れるよ~ん
(画像をクリックすると拡大するよん)
特攻野郎Bチーム「新メンバー募集中」2011夏-1006

ではでは~

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