実物日記 ~「奥多摩の103系」1986~
今回は昔の写真だよん★
「奥多摩を走るオレンジの103系」なんぞを…。
以前、日記に書いた「奥多摩の貨物列車1986」と同じ日の撮影で、たぶん1986年。
では、スタート★
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国鉄「青梅(おうめ)」線を、学校の仲間達と撮影しに行く事になった。
「いろいろ撮ってみよう」という事になり、終点の「奥多摩(おくたま)」駅から山を下りつつ途中下車して撮影した。
最初に、奥多摩駅がどれだけ秘境にあるのかというと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2023年のグーグルマップより)
●の位置ね★
▲…立川駅
◆…拝島駅
■…青梅駅
◇…宮ノ平駅
☆…御嶽駅
▽…川井駅
□…古里駅
△…鳩ノ巣駅
○…白丸駅
●…奥多摩駅
青梅線は「立川(たちかわ)」駅(▲)から奥多摩駅(●)までを走っている。
途中の「拝島(はいじま)」駅(◆)では、八高線と西武拝島線が接続し、五日市線が分岐する。
米軍の「横田基地(よこたきち)」も、拝島駅のすぐ近くにあり、貨物線も分岐している。
「青梅(おうめ)」駅(■)が住宅地と山間部の境目で、多くの列車が青梅駅止まりとなる。
青梅線を走る車両は、電車は主に「103」系で、中央線から乗り入れる車両は時代によって「101」系・「201」系・「E233」系と変化している。
貨物列車は、EF64形1000番台が引く石灰石列車がメインで、他に米軍用のジェット燃料等の石油タンク列車がEF65形等で運転されている。
では、電車に乗って移動しよう。
※今回は判りやすくするために、奥多摩駅から山を下って来るという設定でお話しを進めよう♪
まずは、奥多摩駅から電車に乗り込み、お隣の「白丸(しろまる)」駅(○)で下車。
ホーム横の踏切から、奥多摩行きの列車を撮ってみた。
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模型っぽいぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
白丸駅の奥は、ホームに接してすぐトンネルがあり、左右は斜面になっている。
そこにある僅かなスペースに、何とか駅が造られた感じ。
鉄道模型のジオラマっぽくもある。
この見えている範囲が駅周辺の全てと言っても過言ではない。
もちろん無人駅だ。
雰囲気的に、宮城県(仙台)の仙石線の駅のようにも見える。
この立っている地点(踏切)から、180度振り返ってみよう。
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トンネルぅぅぅぅぅぅ~~~~~~っ★
またもや、すぐトンネルだ。
線路またいで、もう1枚。
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冷房車ぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
この当時の青梅線用103系は、冷房車がまだ半分程度しかいなかった。
これらの3枚に写っている編成は冷房車だ。
では、お隣の「鳩ノ巣(はとのす)」駅(△)に移動しよう。
鳩ノ巣駅に着いて、やって来た貨物列車を、ホーム上の跨線橋から撮ってみた。
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長ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~いっ★
奥多摩行きの石灰石貨物列車(空車返送)だ。
機関車のEF64形1000番台は、まだニューフェイスだった時期だ。
EF64形1000番台は、当時は都心西部ではこの青梅線と南武線でしか走っていなかった。
ほとんどが上越線で活躍していて、「上野(うえの)」駅や「隅田川(すみだがわ)」駅に客車か貨車を牽いてやって来る程度だった。
中央線もEF64形が走っていたが、全て0番台だったので、何故ここだけ1000番台が来ているのか不思議でしょうがなかった。
当時の奥多摩の貨物列車は、群馬県の「高崎機関区」の受け持ちだったので、こうなったと思われる。
貨車は黒くて短い「ホキ34200」形で、通称「黒ホキ」と呼ばれている。
車体に黄色い帯が巻かれていて、パッと見だと「北海道内専用車」にも見える。
実際は(本州内では)「制限速度65Km」という意味。
運用区間は、「奥多摩」駅~「水江町(みずえちょう)」駅間だ。
水江町駅は、現JR川崎貨物駅の近くにある。
(羽田空港に近い)
黒ホッキーの長大編成(16両ほど)も懐かしい…
この103系は、非冷房車だね。
でも、無線アンテナが付いているので、国鉄末期の頃の光景という事が判る♪
さらに移動しよう。
電車に乗って「古里(こり)」駅(□)に到着。
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ひろびろぉぉぉぉぉぉ~~~~~~ぅ★
ここには貨物の引込み線がある関係上、中線があり広々している。
この中線は、平日は貨物列車が、休日は特別快速「おくたま」号がよく停まっていた。
今も、休日はホリデー快速が停まっている…よね?
余談だが、青梅~奥多摩間では、唯一この駅だけ上下列車が同時進入出来るのだ。
他の駅は、どちらかの列車が先に駅に停車してポイントが切り替わるまで、後から来た列車が本線上で待たされる。
2011年の今では、どうだか解らない…。
ここでは下車せずに、そのまま移動。
お隣の「川井(かわい)」駅(▽)で下車して、有名な撮影スポットへ…
列車がやって来た。
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優美な曲線~~~~~~~~~~~っ★
川井駅は地形の険しい場所に位置していて、駅の横にあるコンクリートアーチ橋が特徴だ。
この写真では、駅のホームは列車の4両目付近にある。
写真に写っている奴は、仲間だ。(笑)
こいつが邪魔なので、ちょっと違ったアングルで★
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スッキリぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
うん、こっちのほうがスッキリしている♪
そういえば、電柱も邪魔だったねぇ~。
この橋のたもとにある踏切を撮影。
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どいなかぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
う~ん、ローカル★
東京都でも、こんなのどかな場所があるのだ♪
もう1枚。
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良いねぇぇぇぇぇぇぇ~~~~~~っ★
警報機無しの踏切が良い
103系のドア窓に貼ってある白いステッカーは、「冬季はこのドアは開きません」という内容だったと思う。
車内保温のため、青梅駅~奥多摩駅間は、4両のうち中間2両だけのドアしか開かなかった記憶が…。
では、川井駅のホームに行ってみよう。
列車が来たぞ★
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急カーブぅぅぅぅぅぅ~~~~~~っ★
これは、103系の非冷房車の編成だね。
この川井駅はかなりカーブしている為、線路に傾斜(カント)を付けているので、車体も少し傾いている。
列車のヘッドライトが原形だ♪
しかも、行き先の字幕が廃車になった101系から流用した物なので、左右の幅が狭くて奥の蛍光灯が見えてしまっている。
(101系を淘汰する為に、京浜東北線や常磐線等から移転して来た車両が該当する)
列車が停まった。
目の前の車両は…
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おぉ、いぇい★
おぉ!103系でも3000番台ではないかっ!!
(車番は「サハ103-3003」だね)
ドアの銀色の取っ手が特徴で、半自動ドア(開けるのは手動で、閉めるのは自動)の名残りだ。
この車両、元は仙石線で走っていた茶色い旧型国電「72」系だったのだ。
そのうちの4両編成4本が、近代化の為に103系と同じ車体に載せ替えられて「72系970番台」と名乗って、仙台地区で活躍していた。
ところが、何を思ったのか「オラ、東京サ行くだ!」と言い出し、16両全車が突如東京にやって来た★
しかも、足回りを103系用の物と交換してパワーアップされ、名前も「103系3000番台」と、ナウいヤングになった(←死語1)
ナウでオシャレなファッションタウン「原宿(はらじゅく)」を走る山手線と同じ「ウグイス色(黄緑色)」の服を着て、全開バリバリ!ご機嫌だね♪(←死語2)
さぁ、これでバッチリ!
ノリノリにカッコつけて上京して来たぞ★(←死語3)
…だが、東京の世間の風は厳しく、イナカ者(物)の3000番台には都会暮らしが馴染めなかった。
ドアに取っ手が付いる為に、近郊型の「115」系と同様にドアが完全に開かなかったのが、都会人のセンスに合わなかったらしい…。
一番大事な「おしゃれポイント」を見逃していたようだ★
なので、「都会の田舎」こと、埼玉県の「川越線」で細々と働き出した。
しかし、当時の川越線は3両編成で充分だった。
なので、上京時に中間の1両(「サハ103形3000番台」)が外され、「オレンジ色」の服を着て、これまた「東京の秘境」の青梅・奥多摩地区にリストラされたと言う訳。
こちらは、暖房能力が「都会育ちのモヤシっ子」の純正103系よりも強かったため、冬場は結構人気者だったとか。
台枠はモハ72形、車内は103系風、台車は101系の中古品(DT21T)という、とっても「ちゃんぷる~」な車両だ★
その後、オレンジ色のサハ4両は川越線に異動し、昔の兄弟達と合流した。
再び仲良く以前の4両編成に組み直され、しかも冷房化されて「大宮(おおみや)」駅~「八王子(はちおうじ)」駅間(川越線と八高線)で働き出した。
サハにとっては、ウグイス色に着替えても、拝島駅からは離れられなかった運命だったようだ。
…横田基地にパツキンのチャンネー(金髪の姉ちゃん(彼女))でも居たか?(←死語4)
…話が逸れたね。元に戻そう。(笑)
他のサハ103形3000番台も撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
兄弟ぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
こちらは「サハ103-3004」で、さっきの「サハ103-3003」とは兄弟だ。
でも、兄弟でも違いはあるのだ★
ドアの取っ手をよく見て欲しい。
兄のサハ103-3003とは形状が違うのだ。
これも、仙石線時代の名残り。
この兄弟の屋根も、古里駅で撮っておいた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
茶色っぽいぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
元々は電動車の「モハ72」形だったので、屋根にパンタグラフ台がある。
写真では判り難いが、奥側の部分に丸い通風器(ベンチレーター)が1つ無いのが見て取れる。
(純正のサハ103形は7個で、モハ103形は6個)
屋根の色も、純正103系よりは茶色っぽかったので、判別は容易に出来た★
さて、列車に乗って青梅駅(■)に移動しよう。
青梅駅に着いたぞ~。
(画像をクリックすると拡大するよん)
おぉ、いぇい★
これぞ「青梅線の103系」だっ
ヘッドライトが原形で、行先字幕が101系の中古品の「クモハ103」形だ。
…これは良い
右横の留置線にも103系がいたので、撮ってみた。
(…って言うか、103系しかいないんだから)
まずは、これ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
くもひゃぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
運転台付きでモーターが付いた先頭車「クモハ103」形で、ほぼオリジナル(原形)の姿だ。
青梅線では、立川駅寄りに連結されている。
続いて…
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もひゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
クモハ103形のお隣りにつながっている「モハ102」形だ。
この編成では、クモハ103とモハ102でペアになっていて、切り離して運転する事は出来ない。
(103系は、モハ103とモハ102の中間車ペアも存在する。こちらが一般的)
これもオリジナルの姿だ。
今どきの学生諸君、NゲージのKATO製品でしか見た事ないだろ。
さらに3両目は……
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さひゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
先程のサハ103形3000番台だ。
台車は、101系の廃車発生品である「DT21T」を履いている。
(「DT21」からモーターを取り外した台車)
さすがに、旧型国電の板バネ台車(DT13)は流用出来ないからねぇ~★
ドアの取っ手の外に、非冷房車ながら窓がユニットサッシなのも、識別のポイント。
さらに、屋根にパンタグラフ台があって茶色っぽいので、識別は容易に出来る。
最後の4両目は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
くひゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
運転台付きでモーター無しの先頭車「クハ103」形だ。
103系では基本中の基本の形式で、仙台から下関まで、本州のほとんどでこのお顔を見る事が出来る。
…と言っても、青梅線のクハ103形はあなどれない。
クハはクハでも「500番台」と「900番台」がたんくさんいるからだ
500番台は、京浜東北線からクモハ103形とペアでやって来た「偶数向き専用」車。
(逆向きにして運転する事が出来ない。必ずクモハと背中合わせで連結される)
900番台は、山手線からやって来た最初期の試作車で、僅か4両のみの存在。
ここに写っているのは、900番台だ★
量産型(0番台)との見た目の差異はほとん無く、車体中央下部の形式番号を見なければ判別出来ない。
つまり、この編成は「クモハ+モハ(原形車)」+「サハ3000番台(旧型国電からの改造車)」+「クハ900番台(試作車)」という、マニアにとっては夢のような美味しい編成なのだ
青梅線内では何編成かいたので、それほど特別な存在ではなかった。
さて、青梅駅からお隣への「東青梅(ひがしおうめ)」駅へ移動しよう。
すぐに着いたぞ♪
(画像をクリックすると拡大するよん)
急に都会的ぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
青梅線は、立川駅からこの東青梅駅までが複線で、沿線には都市近郊の住宅地が広がっている。
ホームを出たらすぐに単線になるので、下り列車は大抵この駅で待たされる。
これは、その待ち時間に立川行き列車を撮ったものだ。
この頃は、立川発の列車が4・6・8・10両編成の4種類あって、ホームの端で待っていると大変な目にあった方も多くいた。
(昔は編成両数の案内なんて無かったからねぇ…)
奥多摩行きは大抵4両。
武蔵五日市行きは、4両または6両。
それ以外は「賭け」で待っているしかなかった。(笑)
(昔は3・4・5・6・7・8・10両編成の7種があった)
里に戻って来た。
では、最後に…
(画像をクリックすると拡大するよん)
懐かしやぁぁぁぁぁぁ~~~~~~っ★
地上駅時代の、五日市線「武蔵五日市(むさしいつかいち)」駅に停車中の、冷房車編成。
(青梅線と五日市線の列車は共通運用で、どちらにも使われる)
まだ高架化工事が始まっていない、昔ながらの光景だ。
高架完成後は、この当時の面影は一切残っていない。
(このホーム部分は、現在は駅前広場になっている)
もっと昔には、この左側には車庫(東ムイ)があったそうな。
旧型客車やディ-ゼルカーがいたそうで…
奥のお山には支線(貨物線)があり、「大久野(おおくの)」と「武蔵岩井(むさしいわい)」と言う2駅もあったそうな。
…まぁ、こんな感じで、奥多摩の「オレンジの103系」を追ってみた。
いかがでしょうか?
では、またぁ~♪
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★ おまけ1 ★
同じ奥多摩で撮った他の日記もあるので、併せてご覧頂きたい。
時代の変化を比べてみるのも面白いよん★
1986年:石灰石貨物列車(こちらをクリック)
1986年:拝島駅(こちらをクリック)
1995年:地上時代の武蔵五日市駅(こちらをクリック)
2008年:201系(こちらをクリック)
2010年:E233系(こちらをクリック)
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★ おまけ2 ★
各色の車両の日記は、これらをクリック
あお色…ここをクリック
うぐいす色…ここをクリック
きいろ…ここをクリック
オレンジ色…(101系・201系)該当の形式名をクリック
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コメント
今見ると実にディープだ。
「低運転台103系」当時はなんでもない存在だっただけに、ロクに写真を撮っていなかった事に後悔。
90年代のいつからか高運転台になっていて都会っぽく←自分の価値観なった。
でもオリジナルの103系ってなんだか魅力的。
こないだ関西で無理して乗っていがった。
投稿: 二足歩行 | 2011年7月21日 (木) 19時39分
やっぱ103系は、
「小刻みに震える、快適な乗り心地」と
「エアーや回転機器が奏でる、バッハのような大きい不協和音」
が魅力なのではナイでせうか…(w
投稿: まりりん | 2011年7月22日 (金) 10時06分
こんにちは。
青梅線について調べていてこちらに参りました。
私もぎりぎり103系の時代を知っているものの、高運転台の車両の頃でした。
103系の中での新旧やリニューアルの有無、冷房の仕様の違いなどが混在していたのを覚えています。
お写真の頃からずっと、車両の入れ替えが続いて、長く観察したならば興味は尽きなかったのだろうと想像しています。
山手線に入った試作車まで走っていたとは驚きました。
都心から順番に、ある意味忠実に新旧交代させるために転属させていたのですね。
興味深く拝見させて頂きました。
投稿: 風旅記 | 2023年9月25日 (月) 12時51分
★ 風旅記さん
この非冷房時代の103系は、京浜東北線から異動して来た車両が多く、水色とオレンジ色の混色編成が長い間見られました。
「雨漏りがする」とTVニュースで騒がれた73形よりは格段に良いですが、明らかに京浜東北線のお古だというのが子供ながらにも理解できて、何か複雑な心境でした…。
非冷房時代は窓が開けられたので、奥多摩のひんやりとした新鮮な空気を味わえて楽しかったですね♪
貨物列車とのすれ違いも楽しみの一つでした★
投稿: まりりん | 2023年10月 8日 (日) 12時52分