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2011年4月28日 (木)

実物日記 ~「ザ・拝島駅」1986~

今回もサラッと、昔の写真だよん

今回は、東京都の西部にある「拝島(はいじま)」駅をご紹介
たぶん1986年に撮影したもので、以前の日記に書いた「奥多摩の貨物列車1986」と同じ日に撮ったと思われる…。

まずは、拝島駅がどこにあるのかと言うと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京「拝島駅の八高線と青梅線」1986-1001
(2023年のグーグルマップより)
の位置ね

…新宿駅
…立川駅
…拝島駅
…青梅駅
…奥多摩駅
…登戸駅
…浜川崎駅
…羽田空港

東京都心から中央線で西へ真っ直ぐ行き、「立川(たちかわ)」駅()から青梅(おうめ)線に入って少し進んだ所にある。
関東平野の西の端っこで、「奥多摩への入口」的な存在だ。

拝島駅には、青梅線の外に、五日市(いつかいち)線と八高(はちこう)線と西武拝島線が乗り入れていて、この辺の一大ジャンクション駅にもなっている。
さらに、拝島駅の東側には米軍の「横田基地(よこたきち)」があり、基地内へ続く貨物線もある。

東京の田舎」と思われがちだが、実は結構ハイセンスな町なのだ

平日は都心へ向かう通勤・通学客で、休日は奥多摩へ向かうレジャー客で、結構賑わう。
西武線との乗り換え客も多く、オラもその1人だ

では、スタート

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まずは、こんな写真から。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京「拝島駅の八高線と青梅線」1986-1002
タラコまつりぃぃぃぃぃ~~~~~っ

4番線ホームに停車した、八高線のディーゼル列車。

1986年当時はまだ非電化で、列車は全てディーゼルカーだった。
メインで使われていたのは、写真に写っている「キハ35」系だ。
(八高線は1996年に電化された)

この編成は、前から「キハ30」形+「キハ35」形+「キハ30」形というもので、当時ではごく一般的な編成だ。
ただ、中間のキハ35形はよく見ると、ステンレス車体の試作車「900番台」で、大変に珍しい
房総半島の潮風対策で試作されたのだが、晩年は八高線や相模線に異動して来て使用されていた。

先頭車のお顔の窓下には、補強版が追加されている。
踏切事故対策で、全国の多くの国鉄車両が改造された。

この列車の塗色は「首都圏色(しゅとけんしょく)」と呼ばれるもので、財政難の国鉄が経費節減の為に、従来の朱色とクリームの2色塗りを簡略化したものだ。
赤でもなく、鮮やかな朱色でもなく、オレンジ色でもなく……いつの間にか「タラコ色」と呼ばれるようになった

この時代の八高線は、さすがに超ローカル線で運転本数も少なく、「八王子(はちおうじ)」駅から拝島駅に来るのには、中央線で立川駅まで行って青梅線に乗り換えて来たほうが早い場合が多かった。(笑)
(「八高」とは「八王子」駅と群馬県の「高崎(たかさき)」駅を結ぶ路線と言う意味)

ただ、ローカル線が故に、列車内にトイレが設置されているので、それだけは便利だった。
(垂れ流しだったけどね

ちなみに、今立っている場所は3番線ホームだ。
現在は青梅線のホームが拡幅されたので、3番線は写真の右から2番目の線路になっている。

八高線のホームの向こう側には西武拝島線のホームがあり、ホームの番号は国鉄側から連続していた(6番線と7番線)。
当時の拝島駅は中間改札が無かったので、そうなったと思われる。

この時は、まだ西武拝島線は6両編成までしか走れなかったと思うので、ホームが短くて見えていないねぇ…

余談だが、この時の拝島駅の改札口は、1番線側は国鉄が、7番線側は西武鉄道が管理していた。
なので、入場券を買った場合、1番線側から入ると国鉄の料金(120円だったかなぁ…)になり、7番線から入ると西武線の料金(確か80円だと思う)となった。
同じホームに行くのに、入る改札が違うと料金も変わるという、珍現象があった

中間改札が無いので、ずる賢い奴は、西武線の最低運賃の切符を買って拝島駅まで来て、そのまま青梅線に乗って無人駅でササッと降りてしまうという技を使っていた。
(帰りは、この技は出来ない)
晩年は国鉄(JR)側で監視を強化して、この辺を走る列車内で検札を頻繁に行っていた。 
慌てふためく乗客も多かったので、みんな同じ技を使っていたと思われる。

しばらくして、こんな列車もやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京「拝島駅の八高線と青梅線」1986-1003
でーでーじゅーれぇぇぇぇ~~~~ん

セメント貨物列車だ。

機関車は、当時の国鉄ディーゼル界最強だった「DD51」形だ。
それが重連(2両連結)で走っていたのだから、その迫力は全国の鉄道ファンをメロメロにさせるほどだった

通称は「でーでー」で、鉄ちゃんには「でーでーが来た」と言えば、日本全国どこでも間違いなく伝わる。(笑)
(他のDD形(DD13形等)と区別する時は「ででごいち」と呼ぶ人もいた)

後ろの貨車を撮っていないが(この時は機関車だけかもしれない)、引っ張られているのは「チチブセメント」所有のセメント運搬用貨車だ。
主に「ホキ5700」形と「タキ1900」形が使用され、この頃は「高麗川(こまがわ)」駅から八王子駅まで運んでいた。
(八王子駅から先は、別の機関車にバトンタッチ
昔は「寄居(よりい)」駅からも、秩父鉄道から乗り入れて来たセメント貨物列車があったそうな。
(後年は「熊谷(くまがや)」駅経由となった)

余談だが、このDD51形も含めて、ディーゼル機関車の車端部上面の排気用ルーバーの上にある、小さな風量計みたいな風車が「ふ~よふよ、ふ~よふよ」と、ゆっくり回っていたのが印象に残っている。
でーでーは、いつも拝島で昼寝していたので、アイドリング状態で風車が少ししか回転していなかった。
走り出す時には、爆音とともに風車の形が見えなくなるほど高速回転して、びっくりしたものだった

八高線の車両って、旅客列車も貨物列車も、いつも拝島駅で長時間停車していたよなぁ…。 

…あぁ、遠い想ひ出

ちなみに、でーでーの後ろの民家の裏側奥は、米軍の横田基地だ。
拝島駅にいると、米軍の戦闘機や輸送機が頻繁に離発着するのが見える。
(騒音も、かなりのものよ
拝島周辺って、住環境は良いけど、騒音がねぇ…

さてさて。

青梅線と八高線の間にある線路(側線)では、こんな作業が行われていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京「拝島駅の八高線と青梅線」1986-1004
でぇぇぇぇ~~いぃぃぃぃ~~てんっ

こちらのディーゼル機関車は「DE10」形と言い、通称は「でーいー(てん)」。

このDE10形が、「さぁ~て、今からタンク貨車を引っ張ってアメリカに行こうっかなぁ~」と準備しているところで、八高線ホームから青梅線ホーム側に向かって撮ったものだ。

この貨物列車は、川崎臨港地帯から横田基地にジェット燃料を運ぶための専用タンク列車で、通称「米タン(べいたん)」と言う。
川崎臨海地区の「浜川崎(はまかわさき)」駅()付近から、多摩川沿いに南武線と青梅線を延々と上って来た。

拝島駅までは電気機関車(時代の順で、ED16形・EF15形・EF10形・EF64形・EF65形)なのだが、ここから基地内までは「でーいー」の出番だ
いったん立川方面の貨物線に引き上げ、そこから西武拝島線を横切り、街道を横断して、基地内へと入って行く。

横田基地内はアメリカなので、この貨物列車は「国際列車」だなや

ちなみに、その貨物線は米軍の管轄なので、勝手に線路内に入ったらどうなるか、オラ知らないよぉ~
(少なくとも、日本の法律と警察は全く効果が無い事は確かだ)
外務省や防衛省まで巻き込んでの「国際事件」にまで発展する可能性だってある。

米軍の貨物線には、決して安易な気持ちで立ち入らない事

さて、後ろにつながっているタンク貨車を見てみよう。

いきなりアップだが……ほれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
東京「拝島駅の八高線と青梅線」1986-1005
シンプルぅぅぅぅぅぅ~~~~~~っ

この子は「タキ3000」形と言い、昔は日本全国で大量に見られた標準車両だった。
海外にも似たお姿のタンク貨車がいたので、恐らくはそれを参考にして造られたのだと思う。
(製造初年は1947年と、かなり古い形式だ)

タキ3000形は製造期間が長くて車両数も多いため、色々なお姿の子達がいる。

この米タン達は、ご覧の通り、形式名等の必要なもの以外はほとんど書かれていない。
通常は、所有会社名やロゴマーク等が貼られているのだが…
この子は「700093」としか書かれていないねぇ~。
車番が「タキ3166」と、かなりの初期に製造されたので、屋上のハッチ周りの賑やかな手スリも無いしぃ。

さらに、車輪をよく見ると……左右で違う車輪が付いているねぇ。

左側の、奥が透けて見える車輪は「スポーク車輪」と言い、自転車と同じ感じのタイプで、かなり古い物だ。
右側のは「プレート車輪」と言い、現在では標準的な物だ。

このシンプルでレトロなお姿、これぞ「米タン」の正しき姿だっ

では、何故にこんなにシンプルなのか

それには、深ぁ~い理由があるのだ~よ。

700093」と書かれた周囲をよく見てみると、何か消された文字の跡が…

数字の前には「USA」の文字が、上下には真っ直ぐな線が引かれているねぇ。
さらに、その上には「UNITED STATES ARMY」の文字がうっすらと読み取れる。

現在では消されてしまっているが、当時は賑やかなデザインだったのだ
(その当時のお姿はこちらをクリック

文字が消されてしまった理由は、このウィキペディアのページに書いてあるので、ご覧あれ。
(世間に「米軍用だ」と判らないようにしたため)

現在では、JR貨物のかっこいい機関車が、これまた丸々とした近代的なタンク貨車を引っ張って走っている。
だいぶイメージが変わったものだ…。

…まぁ、こんな感じで、の~んびりとした時代の拝島駅でしたぁ~

では、またぁ~

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コメント

>勝手に線路内に入ったらどうなるか~
東京のど真ん中で国境問題・・・リアルに怖いですね・・・・
西武線との交差地点で何か起きたら一体どうなってしまうんでしょうか?

投稿: sigepe | 2011年4月28日 (木) 00時30分

各地にある米軍の引き込み線に入ったらアカンでぇ~!
まぢで日本の警察は手出しが出来ナイから…。
アメリカとは「犯罪人引渡し条約」があるから、ちうごくとは違って、ほどなく「本土」に戻ってこれるが。

西武線との交差地点、むか~し一度「何か起こった」ような気がする…たしか。

でも、あそこは確かまだ国鉄(JR)の敷地だよ。
道路上に出てからが米軍用地だったハズー。
線路端に英文の立て札立ってるからすぐ判るっしょ

投稿: まりりん | 2011年4月28日 (木) 00時48分

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