実物日記 ~「中央東線の時刻表」1975~
ジオラマ制作用にと、資料をいろいろ掘り出していたら、古いJTB時刻表のコピーが出て来た。
1975年、つまり昭和50年3月10日改正の、中央東線の時刻表。
学生時代に、「古い時刻表があるよ~ん」って言われたので、頼んで中央東線だけコピーしてもらったような…?
(当時はコピー代も高かった……1枚30円だったか)
まぁ、とにかく見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
これは新宿発の下り夜行列車の大群だ。
今では信じられないくらい、夜行列車の本数がある。
ちょうどゴールデンウィーク時の時刻表なのでなおさらだ★
では、細かく解説してみよう♪
(画像をクリックすると拡大するよん)
急行まつりぃ~~~~~~~っ★
まず、急行は「アルプス」「たてしな」「かいじ」「みのぶ」「こまがね」「かわぐち」がある。
松本以遠に行くのが「アルプス」、上諏訪近辺発着が「たてしな」、甲府発着が「かいじ」だ。
「みのぶ」は甲府から身延線へ、「こまがね」は辰野から飯田線へ、「かわぐち」は大月から富士急行線へ行く。
「塩嶺(えんれい)トンネル」(みどり湖駅短絡ルート)などはまだナイ。
この時は上り・下りそれぞれに1号・2号…と番号が振られていた。
なので、「あずさ2号」もこの当時は「上りあずさ2号」と「下りあずさ2号」があった。
定期の夜行急行は「7号・8号」の2本のみ。あとは臨時だ。
(確か7・8号のどちらかの新宿寄りに、荷物電車の「クモニ83」が連結されていた)
その中でも注目株は、最後の「アルプス54号」だ。(赤い矢印←)
列車番号をよくご覧いただきたい。
「8401」列車。
…そう、客車列車なのだ★
これは時期によって変わっているのだが、この時は多分12系の8両編成ではなかったろうか?
一度、「スハフ+オハ+オハフ+オハ+オハ+オハフ+オハ+スハフ」という、115系と同じような組み方をした編成を、新宿駅で見たことがある。
その後は14系座席車だったり、座席+寝台車だったり…。
この客車列車の返却回送は、後年は中野駅を日没直前に通過したのを覚えている。
(17時5分だったかなぁ…)
富士山の後ろに日が沈むのを見ながら、その真下の黄昏の中、高円寺駅から真っ直ぐ向かってくるEF64が牽く客車列車…。
カッコ良かったぁ~♪
では次。
青い矢印→の列車があるねぇ。
これは伝説の名列車「長野夜行」だ★
115系スカ色8連+クモユニ82+クモニ83の10両編成。
(クハ-モハ-クモハ-サハ-サハ-クハ-モハ-クモハ+クモユニ+クモニ)
新宿駅を23:55に出発する。
(画像をクリックするとちょっとだけ拡大するよん)
にーさん、ゴーゴー
山好きの連中には「いつもの列車」といえば解るほどの人気っぷり。
入線時刻をご覧いただきたい。
何と「21:30」だ★
今の埼京線部分のコンコースに待合場所があった。
そこに山男達は19時くらいから並び始める。
そうしないと座れないのだ★
…まぁ、ほとんどの人は座ったりしないが。
駅員に誘導され、ぞろぞろとホームに上がる。
ホーム上に列車に沿って一直線に並び終わる頃、ドアが開く。
一斉に「イス盗りゲーム」のような慌しさで、一瞬にして席が埋まる。
そして発車まで、しばらくの和みムード♪
(画像をクリックするとちょっとだけ拡大するよん)
超満員っ★
写真では見えないが、向かい合わせの座席に4人座っているよね。
…で、最混雑時には、その足元に2人寝て通路にも2人寝ているといった状況になる。
つまり「床が全く見えない」状態なのだ★
そんな光景をよく目にした。
トイレにも行けないので、子供だったオラはよく窓からホームに降りて列車のトイレまで行ったものだ…。
検札の車掌さんも一苦労さ★
さすがに5月2日は救済用の「上諏訪夜行」が先行して走るようだ。
今回気が付いたのが、緑色の矢印←の列車。
これ、富士急の夜行列車ぢゃん★
すごい短距離なのに夜行とゎ。
河口湖に2:49と3:06着だって。
…あ、当時の富士急は6両編成は走れなかったので、大月で3両ずつに切り離して、間隔をあけて運転していたのさ♪
ナゼかって?
だって変電所のブレーカーが落ちちゃうんだモ~ン♪
当時の富士急の電力設備は貧弱だった。
1編成にモーター車が3両あったら無理だったのでは…?
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では上り列車に行こう♪
(画像をクリックすると拡大するよん)
これは朝~昼の様子。
…まぁ、本数が少ないこと。(笑)
昔はどこもこんなカンジだった。
長編成・長運転間隔。
JR化直前になってから、全国的に短編成・短運転間隔になった。
…で、注目の列車は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ぎょうさんあるでぇ~~~~♪
まずは赤い矢印↑→の列車。
これは「快速」で、昔の「あの快速」の名残であろう。
そう、スカ色のサロ165(グリーン車)を連結して走っていたという…。
次が青い矢印→の列車。
これぞ、本家本元「新宿行き普通列車」だ★
中央線の列車は「各駅停車」「快速」「特別快速」「普通」の順に速かった。
まぢで。(笑)
緑の矢印←部分をご覧いただければ判るが、普通列車は「新宿」「立川」「八王子」「高尾」~(以降各駅)にしか停まらなかった。
特別快速は「新宿」「中野」「三鷹」「立川」~(以降各駅)に停車。
余談で、紫の矢印→の部分もご覧いただきたい。
ナゼか普通列車も大半が「通過」している。
「東山梨(ひがしやまなし)」と「別田(べつでん)」の2駅だ。
(別田は今の「春日居町(かすがいちょう)」駅)
両駅とも人もまばらな無人駅なので、塩山~韮崎間の区間列車以外はほとんど通過していた次第。
今とはだいぶ違うねぇ~。
…あ、駅名も結構変わっているので、現在の駅名と見比べてねぇ~~♪
最後にオレンジの矢印→をご覧あれ。
何と「こーひーかっぷ」のマークが書いてあるではないかっ★
そう、これはビュッフェ車こと「サハシ165」が連結(営業)されている編成なのだっ
急行列車に乗りながらサンドウィッチ食べてオレンジジュース飲んだこと無いだろ、いま学生のおまいら。(笑)
オラもナイ。
だがこの頃には、夜行アルプスのサハシのカウンターは山男のベッド代わりになっていた★
…ま、こんなカンジ~♪
面白かったぁ~?
他にもいろいろじっくり見てみてちょ★
(1980年代の165系急行アルプスのお姿はこちらをクリック)
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コメント
一番上の時刻表の「河口湖行き」あの時間に着いてどうするかと時刻表をめくると、「裏三つ峠行き」のバスに接続されていたかと。
ではその「裏三つ峠」にいってどうするかと思えば、あそこはロッククライミングの名所だったのをつい最近知りました。
クライマーの為に列車が仕立てられているとは・・・。
投稿: 二足 | 2011年5月 7日 (土) 12時50分
決して「富士急ハイランドのスケートリンク」用ではなかったのですね…
(って、この頃はまだオールナイトのスケートリンク繁盛してなかったよね?)
投稿: まりりん | 2011年5月 7日 (土) 20時48分
よく利用していた23:55長野行きの画像を探していて行き当たりました。
時刻表といい、写真といい、当時の状況をよく思い出せました。
あの時刻表をみると、いまなおすぐに荷物をまとめて山に行きたくなります。
投稿: 感謝 | 2015年2月23日 (月) 11時07分
★ 感謝さん
はじめまして。
ご覧いただき、ありがとうございます。
あの時代は、不便だけど楽しかったですね。
「不便だから自分たちで工夫する」という楽しみがあったからでしょうか?
荷物電車の騒音も懐かしいですね…
今、長野夜行が「リバイバル」などで走ったらどうなるのでしょう?!
投稿: まりりん | 2015年2月24日 (火) 01時03分
普通列車は「新宿」「立川」「八王子」「高尾」~にしか停まらなかった。
長年これを知りたかった!ありがとうございました。
投稿: | 2015年11月 6日 (金) 19時23分
★ ↑の方
どういたしまして~
投稿: まりりん | 2015年11月 6日 (金) 21時15分
昔は、楽しかった。今は、ムーンライトながらも 廃止になってしまったし・・・。
投稿: | 2022年11月 5日 (土) 20時08分