震災日記 ~「東日本大震災直後からの行動と西武新宿線」2011~
世の中も落ち着きを取り戻しつつあるので、通常の日記は28日(am0:00)から再開します。
今回は、2011年3月11日に起きた「東日本大震災」の直後の、私の行動と西武新宿線の出来事を記録に残しておこうと思う。
(既出だが、震災関係の日記は表示をやめたので再掲)
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・3月11日(金)
都心の職場で仕事をしていたら、ゆっくりとした横揺れを感じた。
「あ、地震だ…」とは思ったが、この程度の揺れならなんともないと考えていた。
だが、通常ならもうとっくに収まってるはずの揺れが収まらない。
「…長いな」と思った。
横揺れが長く続く時は、大抵遠くの場所で大きな地震が発生している。
「どこかで大地震発生したな
」と思った途端、「グラッ
」と東京も大きく揺れだした。
その後はみなさんご承知の通り。
職場でみんなでニュースを見る。
未曾有の大惨事が起きていたのだ。
そうしている間にも余震が何度も襲った。みんな急いで机の下に潜る。
ヘタに動けない…。
社内に「建物から出るな」という緊急放送が流れる。
1時間半くらい経った頃だろうか。
「帰れる人から帰宅しなさい」と全社にお達しが…。
交通機関は全てストップ。道路も渋滞し始めた。
電車は動きそうにもないので、徒歩で帰る事にした。
それならば早いほうがいい。
遅くなるとみんな動き出すだろうし、日が沈んだらもっと寒くなる。
なので、職場の仲間数名で固まって移動開始。
寒風吹く中、JR中央線「水道橋(すいどうばし)」駅前に到着。
やはり、大勢の帰宅する人で混雑している。
線路の横を流れる神田川を見たら、逆流していた。
普段も満潮のときは逆流するのだが、この時は流量が多かった。
たぶん、津波の影響だろう…。
駅の改札前には人だかりが。
タクシー乗り場で、ちょっと不満そうな顔立ちでずっと待っているOLの姿も。
言っては何だが、こんな時にまともに動くものなどありゃしない。
やはり徒歩で移動するのが確実だ。
(都心のタクシーは40分以上来なかったそうだ)
みんなは板橋・埼玉方面なので、白山通りを北上するとのこと。
私は西武線方面なので、私一人だけ仲間から離れる。
新宿方向へ歩き出した。
東京ドームの周囲はあらゆる方向に向かって歩く人だらけ。
今まで見たこともないくらいの人の多さだ。
あまりに人が多く歩きにくかったので、隣の「飯田橋(いいだばし)」駅前に到着する前に、裏道へ逃げることにした。
地下鉄丸ノ内線の「後楽園(こうらくえん)」駅の留置線の脇に出て、そのまま丸ノ内線沿いに歩く。
この裏道は、高田馬場付近から水道橋や秋葉原方面に抜ける最短ルートで、車も人も少ないため、自転車でよく利用している。
勝手知っている道なので、何も困ることなく歩く。
空いてるので、いつもと変わらない速さで歩ける。これならば2時間で帰れそうだ。
途中、2階のベランダの壁が崩落している家(アパート)があった。
古い建物なので、老朽化していたようだ。
一応、警察が来て周囲にロープを張っていた。
地下鉄有楽町線の「江戸川橋(えどがわばし)」駅前に到着。
ここからは神田川沿いに歩く。
桜並木の緑道になっていて、普段ならのんびり散歩する人が集う、のどかな空間だ。
だが、今日はみんな黙々と足早に歩いている。
私の前を歩いていた人も、どうやらこの道をいつも利用しているのか、まったく迷わずに歩いている。
しばらくして、都電の「面影橋(おもかげばし)」電停の近くを通過。
道路を見ると、何と都電は動いているではないか![]()
「あ、もう交通機関は動き出したのかな?」と思ったが、後から知ったのでは、この時はバスも含めて交通機関は都電しか動いてなかったらしい…。
すぐに「高戸橋(たかどばし)」の交差点に到着。
ココは、南北に走る「明治通り」と、東西に走る「新目白通り」という主要道路どうしが交差する場所。
…ものすごい人だ。
山手線の利用者は明治通りを、中野区・練馬区方面の人は新目白通りを歩いている。
その大きな塊どうしが交差するのだ。
そこには渋滞した車の列もいる。
なんとか1回で交差点を渡ることに成功。
ふたたび裏道へ逃げる。
途中、コンビニに寄ろうかと思ったが、レジに10人以上並んでいたので諦めた。
(今思えば、この時はまだまだ余裕だったのだ。買い貯め騒ぎになる前だったので…)
山手線をくぐり、西武新宿線沿いに出る。
ここの歩道はかなり広いのだが、人の波に覆われてしまっている。
(新宿線が高田馬場のカーブに入る直前の、あの左側にある歩道)
…い、異常だ。
日没寸前で暗くなった道を、大勢の人が黙々と同じ方向に歩く…。
生まれてから今まで、こんな光景は見たことがない。
ふと、阪神大震災時の「御影(みかげ)」駅周辺の光景を思い出した。
ほどなく、新宿線の「下落合(しもおちあい)」駅が見えてきた。
電車は動いていないようだ。
…というか、真っ暗だ。
ホームには上下とも電車が停まっている。
しかも、パンタグラフが降りていて通電されていない。
「…あ、これは当分動かない」と感じ、そのまま歩こうとした。
…が、ふと「記録に残しておこう」と思い、ホーム横の踏切へ移動。
…で、撮った写真がこれだ。
(画像をクリックすると拡大されます)
古いケータイなので、画質はご勘弁を。
左の黄色い301系(8両編成)は各停「拝島」行き、右の銀色の20000系(10両編成)は準急「西武新宿」行き。
(正面の行き先字幕は消えているが、この後表示された)
この写真を撮ろうとした寸前にパンタグラフが上がり、通電開始。
無線で何か交信している音が聞こえた。
すぐ動くかと思ったが、この後2時間くらい動かなかったようだ。
本線上に真っ暗な電車(特に左の301系)というのも、何か「とんでも無いことが起きた」という不気味さを感じさせる。
下落合駅は8両分しかホームがない。
おまけに、前後は踏切に挟まれている。
この準急の先頭がきれいにホームに収まっているということは…と思い、駅の西側に行ってみる。
案の定、2両が後ろにはみ出して停まっていた。
そのため、踏切は閉まったまま。
この道は目白(池袋)と高田馬場(新宿)を結ぶ裏道で、普段も結構交通量が多い(バス路線でもある)。
だが、この日は車が1台もいない…。まるで深夜のようだ。
電車が動いていないと判ったら、後はもうひたすら歩くだけだ。
でも、もう半分以上歩いたので気は楽だ。
カバンが重いのを除いては。(パソコン+非常用のお茶で重くなっていた)
後は西武線沿いに歩く。
どんな細い路地裏でも、そこが近道だと判るとみんな入って来る。
やはり異様な光景だ。
事実、路地裏で迷いかけている青年がいたが、私が何の迷いもなくスタスタと角を曲がって歩いているのを見て付いて来たようだ。
こうして、何とか2時間で帰宅することが出来た。
「こういう時はトイレットペーパー買占め騒ぎとか出るよなぁ…」と思っていたのだが、歩き疲れて面倒臭くなったので、スーパーに行かなかった。
これが大きな判断ミスとなった。
この時、家にはティッシュが1箱の半分、トイレットペーパーが1ロールしか残っていなかったのだ。
8日頃から「週末(12日)に買~お~っと♪」と思っていたからだ。
それが、まさかの大地震。
花粉症の私に取っては死活問題なのだが…
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・3月12日(土)
12日は余震があまりに多くて外出を断念。
布団に潜り込んでひたすらNHKを観ながら、緊急地震速報に過敏に反応する24時間だった。
一日中寝台車に乗っているような感覚。
揺れてない時間のほうが少なかった。
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・3月13日(日)
スーパーに行ったら…… えぇ、みなさんご存知の通りの状況。
ティッシュ等の紙類が1個、いや、1枚も残っていない。
数軒回ったが、どこも同様で、入手は諦めた。
すぐに帰宅し、一向に収まらない余震に備えていた。
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・3月14日(月)
日付が変わる頃、NHKが騒ぎ出した。
「計画停電を今日から行う」とのこと。
東京23区は対象から外されたものの、電車は変電所の位置の関係で動けなくなってしまう。
西武新宿線は、なんと「西武新宿」~「鷺ノ宮(さぎのみや)」駅間のみ運転とのこと。
…おいおいおい。昭和30年代に逆戻りかよ。
生まれて以来、「鷺ノ宮」行きは荷物電車以外で見たことがない。
余震も続き、停電騒ぎもあるので、出社するのか自宅にいるのかを上司と相談した結果、出社することに。
昼からの出だったせいもあるが、電車はガラガラ。
(中央線は凄かったらしい)
電車に乗ろうとしたら、ちょうどその時に駅に到着した電車から下りは「上石神井(かみしゃくじい)」行きに延長されるとの放送があった。
なので、鷺ノ宮行きがどう表示されているのかは見られなかった。
上石神井行きは「各停 上石神井」と表示されていた。
逆に、上りの西武新宿行きは「臨時」とだけ表示されていた。
たぶん下りも「臨時」表示だったのだろう。
上石神井行きは運転区間が延長されたことを強調するために、ちゃんと表示したと思われる。
帰りに途中の「中井(なかい)」駅でホームの発車案内表示器を撮影してみた。
(画像をクリックすると拡大されます)
ご覧の通り「鷺ノ宮」行きだ。
西武新宿線は、これ以下の短区間運転は出来ない。
生まれて初めて見た。
ちょうどやって来た電車は301系。
字幕は「臨時」になっていた。
他の電車も全て「臨時」表示だった。
301系は、新宿線に在籍している2本とも運用に入っていた。
省エネ車両ではないので「節電」と言う観点からは疑問だが、運転本数が少なくて回生ブレーキが効かないのだったら、銀色の20000系も30000系も省エネ車ではない。
21時過ぎで夜遅かったせいもあるが、車内はガラガラだった。
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・3月15日(火)
買い貯めではなく本当に必要なので、会社に行く途中で必死にティッシュとトイレットペーパーを探した。
そうしたら、都心にはまだティッシュが残ってたのだ。
慌てて2箱買う。(1人で2箱あれば充分でしょ)
だが、トイレットペーパーは本気でどこにもない。
昼頃からは、周囲の会社員達が一斉にドラッグストアへ。
ものの1時間ほどで在庫は無くなった。
…良かったぁ、先に買っておいて。
遅めの昼食を食べ、社内にいると…
なにやらNHKが騒いでいる。
「福島第一原発で水素爆発
しかも放射線が漏れている
」
…これはただ事ではない。
午後の仕事をし始めた途端、全社内にお達しが回った。
「原発がただならぬ状況になっているので、全員帰宅し自宅待機せよ」とのこと。
みんな慌てて帰る準備をする。
そんな中、ある上司が「あ、米売ってたぞ」と一言。
その声で、買いそびれていた数名がお店にダッシュ。
(本当に必要だったのに無くて困っていたらしい)
無事買うことが出来て安心したようだ。
(必要量しか買っていないよ。持って帰るわけだし)
そうして、みんな帰宅の途へ。
途中で、数日間家に籠ってもいいように、花粉症のクスリを買う。
(これも無くなりかけていたので…)
会社の判断が早かったおかげもあって、電車はまだ空いていた。
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こうして無事帰宅し、後は余震に悩まされながら21日まで家に留まってたという流れである。
TVはどこも「津波の映像」か「原発の現状」しか放映していなかった。
CMにいたっては「AC」の6種類程度の同じCMが延々と繰り返し流れている…
(スポンサー各社がCM放映を自粛したため)
さすがに、みんな精神的に参ってきたらしい。
被災地の苦労に比べればこんなことは何でもないのだが、元気(無事)な人間まで精神的に参ってしまうと、救援や復興の手助けまで支障が出る可能性もある。
19日頃から、TV番組も通常のものに戻り始めだした。
原発問題さえなければ、もう東京は完全に復旧し復興に向けて全力で動き出せたことだろう。
だが、放射線という「見えない恐怖」にしばらくは警戒が必要だ。あと停電にも。余震もまだ終わっていない。
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本当に個人的な意見だが、今回の大震災は「グルメ」だの「ブランド」だのと、必要以上の贅沢をし続けてきた日本人への戒めだったのかもしれないと思う。
これを機に、もう一度原点に立ち返って普段の生活様式を見つめ直したほうが良いのでは?と思う。
昭和50年代くらいまでは、電気もガスもこんなに浪費しなくても生活出来ていたはず。
平成の今だって、人間の暮らしなんてそうそう変化するものではない。
なので、しっかりと考えて実践すれば、省エネルギー生活は出来ると思う…。
…もっと歩こうよ。階段を上ろうよ。自転車に乗ろうよ。そしてもっとシンプルに。
出来る人から、少しずつ。![]()
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コメント
3月11日。地震があったこの時間。私は 家で子供の帰りを待っていた。テレビを付けたら 港にたくさん停めていた車が津波で流されている映像が何度も流されていた。「何?これ…。」目の前で見ている映像 が異様に見えて怖かった。次は 津波が押し迫っている映像。堤防を乗り越え街をどんどんと破壊していく映像。後に息子が帰ってきて テレビを見て驚く。この時私が思ったのはあの時間は低学年の児童が下校する時間。それを思うとね。胸が締め付けられる思いだった。東京も大変だったんだね。余震でも怖いよね。放射線が怖くて野菜も産地を見て買う人が周りにもいた。私は産地は気にせず買った。瓦礫の問題もどうなんだろう。絆って言ってる割に協力性がない。色々事情はあるのだろうけど。
こちらも南海地震がいつ起きてもおかしくない日々。不安だけど どうしようもない。まりちゃんの日記を読んで今自分たちが出来ること
歩くことや節電など 気を付けたいと思った。
あと。食べ物も無駄にしちゃいけないよね。
投稿: ひめ子 | 2012年4月18日 (水) 21時08分
★ ひめぽ
絆を唱えている人と瓦礫を拒否している人は、精神的な人種が違う。
拒否している人たちも、落ち着いて考えれば解ることなのにね・・・。
自分が同じ目にあったらどうなるか・・・ってね。
とりあえず、家族の3日分の水は確保しておこう。
数日置きに水は入れ替えておくべし。
(古い水からポットで沸かしてお茶やコーヒー飲んでればOK)
あとは、紙類のキープ。
おかしなデマや迷信が、パニック時はホントに通用してしまうから・・・。
それと、食料(乾物)のキープ。
(ラーメン等、お湯を使うのは意味がない)
電池の要らないLEDライト。
ろうそく・ライター。
毛布。
コンビニ袋。
コレくらいは常備しておくべし。
かなり役に立った・・・。
投稿: まりりん | 2012年4月18日 (水) 21時34分