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2010年9月30日 (木)

実物日記 ~「あおい103系」~

今回は昔の写真シリーズだぢょん
コレも、もらいモノの写真ばっかりですが、何か?

でゎスタート
101
昔の「国電」の、定番中の定番。
水色の京浜東北線、103系(ATCタイプ)」の写真だ。
(ATCとは「自動列車制御」装置のこと。制限速度を超えると自動的にブレーキが掛かる)

しかも、撮影場所も定番中の定番。
雑誌や模型の広告なんかには必ず登場した場所(構図)だ。
大井町(おおいまち)」~「蒲田(かまた)」駅間ならば、どこでもこんなカンジに撮れる。

オラは当時、「中央線バカ」(笑)だったので、この写真には全く興味ナシだった。
今になって見ると、チト懐かしいねぇ~

もういっちょ
102
反対側の道路から撮った一枚。

たぶん「大森(おおもり)」駅付近。
たしか、奥の木があるところにSLが置いてあったような…?

まだ国鉄当時なので、先頭車の「クハ103」も新車のカンジがするねぇ~
103系の中でも、京浜東北線はいちばんカッコ良かった(新車ばっかりの)編成が多かった。

さてさて…

同じ色でも、その先輩
103
仙台(せんだい)」駅に停車中の、仙石(せんせき)線103系だ。

京浜東北線に上記のクハ103ATC車が入った関係で、それまでいた古い103系が、青梅線仙石線にバイバイキンとなった。
昔は↑コレが京浜東北線を爆走してたのだ

このホームは地下化される前の、東北線とは離れた位置にあったモノ。
乗り換えるためには、結構地下道を歩かされたような…。

写っているのはクハ103(初期型)。
乗務員扉の後ろの戸袋窓がナイね。
仙石線用の103系は、タブレット授受の関係で、すべての先頭車のこの窓だけが埋められていた。
埋めないと、タブレットが窓に当たってガラス割れちゃうからねぇ~
タブレット…信号代わりの「通行手形」みたいなもの。これ持ってナイと走行禁止)

窓の部分は、キレイに溶接して埋めた車両と、上から鉄板貼っただけの車両があった。
内側のガラス窓はそのままだったので、溶接跡が裏側から丸見え状態。
子供心ながらにも「キタナイなぁ…」と思っていた。
…あ、コレは自分で撮った写真ッス

もう一枚。
104
反対側の先頭車、クモハ103だ。
ちなみに、ドアは半自動。取っ手が見えるね
寒さと雪のせいか、塗装が…

…あぁ、なんか昔の青梅線を想い出す。

青梅線が103系化された時は、水色の103系ばっかりだったのだ。
それを少しずつオレンジ色に塗り替えたというワケ。
もちろん、その間は「混色」は当たり前

今ドキの学生ならば「あ、デビュー当時の京葉線だ」というのだろうか…?
…って、コレももはや古いか。

今ドキの阪和線ですが、何か?」という質問は受け付けません

…さてさて。
あおい”103系というと、フツーは「水色(青22号)」の車体を想像するだろう。
だが、昭和中期くらいまでに生まれた紳士・淑女のみなさんに言わせると、コレだけではナイ。

…そうだ、この色もだ。
105
常磐線唯一のオリジナルカラー「エメラルドグリーン(青緑1号)」だ。

上野(うえの)」駅に進入してくるところ。
この画面の左奥に写っている車両も、手前のこの車両も、彼らに言わせれば同じ「あおい電車」なのだ。

ナゼかって

京浜東北線は「青い」電車、常磐線は「碧い」電車なのだ。
どちらも「あおい」と読む。
「碧」=「エメラルド」=「あおみどり(紺碧)」。
意味的にも合っている。

なので、近所の親~年寄りたちは、みんな「緑色(グリーン)」のことも「あおい」と言っていたので、当時のお子様は少々「慣れ」が必要だった。
これは「東京弁」(標準語ではナイ)だったのか…

でも信号は「あお」って言うよなぁ。
昔(電球)は緑色、今(LED)は青緑色だもんねぇ。

むかし、上野・日暮里駅のホーム案内板にも「山手線:みどりいろの電車」「京浜東北線:みずいろの電車」「常磐線:あおいろの電車」って書いてあったしぃ。

…ってなワケで、これも「あおい」電車だ

しっかし、このクハ103、ヘッドライト以外は恐ろしいくらいに原形の姿をしている。
連結器上の通風口なんて…
右奥のカンジからして、新幹線のホームを掘ってる時期だろう。

もういっちょ「あおい」のを。
106
常磐快速線を疾走する103系。それも元地下鉄千代田線用の1000番台

緩行線(地下鉄千代田線)から地上に上がって、碧く塗り替えられた後の姿。
国鉄後期の姿だな。
JR化後には「12M3T」(15両中、12両が電動車)なんていう、バカアメ車みたいに源泉掛け流しエナジー垂れ流しの編成が多かった。
地上運用になったので、しっかりと「おクーラー様」も搭載された。

地下運用のときは、トンネル内での排熱の問題から、クーラーは搭載していなかった。
まだこんなに東京が「過熱島(ヒートアイランド)」してナイ時代だったから、地下はぜ~んぜんクーラー要らなかった。(地下水もまだあったしぃ)

クーラーの排熱でトンネル内の温度が上昇するから、たとえ新車の203系(銀色の電車)にクーラー搭載していても使用しない!
と、営団地下鉄では言っていたのだが、103系の床下にある抵抗器から出る熱のほうが何倍も大きかったりする。(笑)

当時は都営地下鉄(浅草線)のほうが先にクーラーを使用していた。
涼しかったぁ~

まぁ、こんなカンジで「あおい103系」の時代は過ぎていきましたとさ。
ちゃんちゃん

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 おまけ 

各色の車両の日記はこれらをクリック

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きいろココをクリック
オレンジ色…(101系・103系・201系)該当の形式名をクリック
灰色ココをクリック

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コメント

『あおい』と来たので、『畜生!大嫌いな宮崎○おいを彷彿とさせられ嫌だなぁ。』
と思いつつ・・・。
読み深めていくと、懐かしい車両ばかりで、私の愚かな考えは吹っ飛びました。

特にクハ〜1000の『蒼い奴』はカルチャーショック。
違和感ありまくりでしたが、今となれば格好よかったな。
『国鉄』時代の古きよき思い出ですね。

投稿: トトロ | 2010年10月 2日 (土) 07時05分

エメグリの103系は、都民でさえも馴染みの少ない塗色でした。
なので、久々に遭遇すると、その深い色合いに見とれてたものです…。

江戸の「鬼門」をしっかりと守っていてくれました。
ありがとう「あおい」ちゃん

(…あ、「宮崎~~」のコトではナイっすよん

投稿: まりりん | 2010年10月 2日 (土) 11時15分

仙石線仙台駅ってこの当時地上駅だったっけ?
JRになってまもなくの頃2回利用したけどぜんぜん覚えていない。
随分やつれた塗装ですね。

投稿: 二足 | 2010年10月 4日 (月) 12時32分

平成12年3月11日から地下化とのこと。

国鉄時代の塗装はめためたなのが多かったですねぇ~。
特にEF65とか…

投稿: まりりん | 2010年10月 4日 (月) 14時05分

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