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2010年5月10日 (月)

実物日記 ~「奥多摩の貨物列車1986」その1~

今回は昔の青梅(おうめ)線「奥多摩(おくたま)」駅なんぞを…
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奥多摩駅のホームから、青梅方面を見たところ。
手前2線が電車ホーム用。左側にあるのが貨物ヤードだ。

現在では、手前の2線以外は撤去され、駐車場になってしまった…orz

同じ地点から振り返って見ると…
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これが昔の奥多摩駅構内だ
左側のカーブしているのがホーム。

EF64-1000が「赤ホキ」ことホキ2500(9500)を引き連れて、発車待ちというシーンだ。
青梅線・南武線経由で川崎臨海地区(「水江町」駅)まで走る。

ホームはこんなカンジ。
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これは現在とあまり変わらず。
この駅構内はとにかく「カーブしている」の一言。

ホームの端っこ(終点)寄りはこうなっていた。
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ペッタンコなDLがタキ9900を牽いて入換えしているねぇ~。
DLの先の線路が1つにまとまってるでしょ。
線路の先は建物になっていて、そこで、ホキに石灰石が上から「ぢゃらぢゃら」と積まれていくのだ
その音は周りにこだまするほどだった…。

…で、そのDLちゃん。
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…低いッス。俄然低いッス。まぢパネェっす!
台車も、アメリカの貨車が履いていそうなチャチぃ奴。

…で、その後ろのタッキー。
06
…太いッス。俄然太いッス。まぢパネェっす!
おなかの下から抱きついてみたいッス

…さて、ココまではJR時代のおハナシ。
ココからは国鉄時代よん

最初の画像とほぼ同じアングルで…
07
ちょうど空の貨車が川崎方面から返却回送されてきたところだ
この時、確か1985~86年だと思う…。

使ってる車両はずっと変わってナイってコトね

…で、その後ろのホッキー。
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これはホキ2500だ。
まだ国鉄の「東京西鉄道管理局」の「西」マークが付いてるね
奥にいるのは「黒ホキ」。

この日は寒かった…。
09_2
えぇ、真っ白ッスよ。同じ「東京都」なのに。

…で、その後ろのクロホッキー。
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これはホキ34200だ。
黄帯巻いてるからって、別に北海道で石炭を運んでた訳ではない。
この黄帯は「制限速度65Km/h」という印なのだ。
北海道専用車だと黄帯に「道外走行禁止」という文字が追加されている。

所有は「奥多摩工業株式会社」。マークがカッコイイ!
余談だが、このマークをまぁるくぷりちーにすると、「奥多摩町」のマーク(←クリック!)になる
どっちも私にとっては「傑作デザイン」だ

「黒ホッキー」が短いし老朽化してきたので、性能の良い「赤ホッキー」に世代交代したワケ。
これはその過渡期の姿だ。当たり前に混結して走ってた。
赤ホッキーだけで16両編成(ロクヨンは別で)で走っていたのはよく見てた。。

んで、またまた駅の奥を見ると…(画像をクリックで拡大)
11
ロクヨンの奥で、赤ホッキーが建物に潜って石灰石積まれてるのが判るねぇ~
ちなみに、貨物ヤードの線路はペッタンコだった。(画像左端の線路が旅客用の標準レール)
あんな貧弱な「へなちょこレール」によくロクヨンみたいな「おっきな箱」が載っかってて平気だったのか…?
いつも不思議なカンジで見ていたのを思い出す。

さぁ~て、左側に停まっているキミョーな貨車は何者ぞ?!
気づいた方はエライっ

その貨車はコレだ(画像をクリックで拡大)
12
貨車自体は「チキ80000」という、コキを短くして黒く塗ったような車両だ。
特にへんな所はナイ。
だが、その上に載っているコンテナが珍しい。

これは「生石灰(きせっかい:酸化カルシウム)」用のコンテナだ。
この車両には「T10」と描かれたコンテナが載ってるねぇ。

で、この生石灰、水に塗れると「大変なコトになる。
よく、お弁当などで、ヒモを引っ張ると暖かくなって加熱できるモノがあるよね?
それがこの生石灰に水を掛けて化学反応させる商品だ。乾燥剤もそう。
ほんのわずかで、すごく熱が出る(数百℃)。
なので、このコンテナ内部に雨水がドッと入ると…
まぁ「メルトダウン」でしょうな。うんうん。(笑)

ま、とにかく「禁水」なシロモノなのだ。

この車両は、石灰石貨物列車の端っこに、2両ほどくっついて走っている姿をよく見かけた。

その辺の姿は次回にでも…

つづき「その2」はこちらーっ!

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旅と鉄道(03関東)」カテゴリの記事

コメント

一度はじっくり観察しておきたかったな。

懐かしや、ED16。

投稿: 二足 | 2010年5月10日 (月) 18時59分

サスガニ「ED16」ハ古過ギルヨー

投稿: まりりん | 2010年5月10日 (月) 22時09分

私が小学生の頃です。
今は奥多摩工業に伸びる線路はなく、奥多摩工業従業員の駐車場となっています。
写真を見てとても懐かしく思いました。
電車の「キーッ」という音を聞きながら、そばの小学校で育ちました。
あの頃の思い出よみがえってきます。

投稿: 南川 | 2011年7月21日 (木) 16時24分

★ 南川さん

はじめまして。
生粋の奥多摩っ子「おくたまー」なのですね!

ホントに、このヤードはいつ見ても楽しいものでした…。

投稿: まりりん | 2011年7月22日 (金) 10時01分

11年前の記事に指摘もどうかとは思いましたが、この記事を読んで誤解される方が増えても、ということで・・・
北海道の貨車の黄帯も、65km/h制限の意味自体は全く同じです。
「道外禁止」の文字と一緒に黄帯を巻かれているものが多いので誤解している人もおられるようですが、北海道運用限定車は65km/h制限が基本であったため、結果的にセットで表記されているものが殆ど、ということです。

投稿: くたきち | 2021年12月13日 (月) 19時18分

★ くたきちさん

ご指摘ありがとうございます。
私も北海道車の黄帯は疑問に思っていたのですが、ちゃんと調べずにそのまま放置していまして…(^^;)
文章もとりあえず修正しておきました。
時間があったら、この日記もリニューアルできれば…と思っております。

投稿: まりりん | 2021年12月14日 (火) 05時49分

こんばんは。
線路が剥がされて駐車場になってしまった奥多摩駅の側線、改めて見てみますとちゃんとしたヤードになっていたのですね。
山奥のこの駅に忽然と聳え立つ奥多摩工業の工場、生産現場が間近にあってとても興味深く感じられます。
トラック輸送に変わってしまったのだと思いますが、道路事情も決して良いとは言えない場所、鉄道貨物を活かすことはできなかったのかと寂しく感じます。

投稿: 風旅記 | 2023年10月28日 (土) 00時54分

★ 風旅記さん

昭和~平成の建築ラッシュが落ち着いた頃から、各地の車扱いの貨物列車(特にセメント列車)が消えていきましたね…

沿線の青梅街道は道幅も狭くカーブの連続で、大型のホッパー車が走ると結構危険です。
自転車も多いので、見ていてもヒヤヒヤする時があります。
多摩川対岸の吉野街道は道幅も広くて走りやすいので、歩行者もそちらを歩くほうが安全ですね。
毎日あれだけのホッパー車が走っているのですから、貨物列車を残しておけば良かったのでは…?と考えてしまいます。

貨物列車の長さは16両くらいでしたので、その設備を活かしておけば、グリーン車がつながった8両編成も奥多摩まで入線出来たんですけどねぇ~。(電車は7両編成までは入線実績があります)

投稿: まりりん | 2023年10月29日 (日) 22時19分

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