実物日記 ~「奥多摩の貨物列車1986」その2~
(前回「奥多摩の貨物列車1986その1」からのつづきーっ!)
今回も、昔の青梅(おうめ)線を走る石灰石貨物列車をご紹介しよう★
まずはおさらいで、青梅線がどれだけ東京都の秘境にあるのかというと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2023年のグーグルマップより)
▲から●の間ね★
●…奥多摩駅
■…青梅駅
◆…拝島駅
▲…立川駅
▼…登戸駅
★…浜川崎駅
✈…羽田空港
◎…新宿駅
関東平野の西の端っこから、山梨県の県境に近い山奥までを走っている。
ちなみに、「東京(とうきょう)」駅始発の中央線からの直通列車は、東京都内から一歩も出る事なく、この秘境までやって来る。
都内をほぼ横断する、貴重な列車だ★
青梅線部分をアップで見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
(2023年のグーグルマップより)
半分お山ぁぁぁぁぁ~~~~~~~っ★
▲…立川駅
◆…拝島駅
■…青梅駅
◇…宮ノ平駅
☆…御嶽駅
▽…川井駅
□…古里駅
△…鳩ノ巣駅
○…白丸駅
●…奥多摩駅
青梅駅(■)を境に、東は平野(住宅地)で、西は山地(秘境)になっている。
東京都心からの直通列車も、青梅駅までがほとんどだ。
途中の「拝島(はいじま)」駅(◆)には米軍の「横田基地(よこたきち)」もあるので、平野の端っこながらも田舎臭さは全く無い。
青梅線…と言うか、東京都の秘境には難読駅名や地名が多いので、ふり仮名を付けておくね★
今回は、1986年(1987年かも)の、前日に降った雪が残る寒い日に、学校の趣味仲間(鉄道研究部員)達と一緒に「奥多摩(おくたま)」駅(●)までやって来た時のお話し。
判りやすくするために、奥多摩駅から山を下って拝島駅まで、順番に石灰石貨物列車をご紹介しよう♪
では、スタート★
----------------------
まずは、奥多摩駅のお隣にある「白丸(しろまる)」駅(○)へ移動しよう。
駅に着いてホームで待っていると、貨物列車がやって来た★
(画像をクリックすると拡大するよん)
ろくよぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~ん★
ホームの直前まであるトンネルから、ひょっこりお顔を出したところを撮影。
このトンネルは短くて、線路はトンネルの先で右に曲がっているので、列車が来るのが良く見えるから、それほど危険でもない。
トンネルに入る前の列車が見えてから安全な場所でカメラを構えれば、充分間に合う。
(列車の速度は、それほど速くない)
この機関車は「EF64-1047」号機で、その1に写っていた新鋭機だね
この列車は、奥多摩駅から石灰石を満載して発車したばかりで、今から多摩川沿いに青梅線と南武線を延々と走って、神奈川県の川崎臨海地区までお荷物をお届けするのだ★
(地図の「浜川崎(はまかわさき)」駅(★)近くにある「水江町(みずえちょう)」駅までね)
この場所からクルっと後ろに振り返ると…
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チッチキチぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
この大きな箱のような2両の貨車は「チキ80000」形と言う。
前回その1で、最後にご紹介した車両だ
「生石灰(きせっかい・せいせっかい:酸化カルシウム)」を運ぶ専用コンテナを積んでいる。
コンテナ(タンク)の中に水が入ると激しく発熱して超危険なので、取り扱いは慎重に~★
石灰の粉で真っ白になっているのが特徴だね♪
3両目からは黒くて短い貨車(ホキ34200形)で、石灰石を運搬している。
列車のおしりを撮ってみた。
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黒ホッキぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
…長い、とにかく長い。
黒ホッキーだけで、16両はつながっているのでなかろうか…。
…何か、黒い毒ヘビがにょろにょろ動いているようにも見える。(笑)
少し前までは、おしりに車掌車(ヨ3500形等)が付いていたんだけどなぁ~。
ちなみに、白丸駅構内は、今見えている部分で全てだ。
写真の奥に、小さな屋根付きの無人改札口のようなものがあるだけで、あとは何も無い。
青梅線で一番何も無い駅だ。
もちろん、駅前にも何も無い。
小さな坂道が1本あるだけで、民家が数軒建っているだけの秘境だ★
この黒ヘビさん(貨物列車)は石灰石満載なので、かなり重そうな音を立てて通過して行きましたとさ♪
では、次に移動しよう。
電車に乗ってお隣の「鳩ノ巣(はとのす)」駅(△)まで移動すると、対向列車がやって来た。
…おっ、貨物列車やん
いそいそと電車から降りて、駅構内の歩道橋(跨線橋)でスタンバイ★
貨物列車がやって来た。
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おかえり黒ホッキぃぃぃ~~~~~っ★
これもロクヨン(EF64形)が牽引する、黒いホキの石灰石貨物列車。
機関車は「EF64-1013」号機のようだ。
(写真の画質が悪くて、ナンバープレートが見えづらい…)
こちらは奥多摩駅へ帰る列車なので積み荷は無く、空の状態なので通過する時の音も軽やかだ。
貨物列車は黙々と通過する。
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長いにも程ガァァァァァ~~~~ルっ★
…長い、あまりにも長い。
完全に黒ヘビさん状態だ★
鉄道模型の「Bトレイン」は、「Nゲージ」の長さが半分というショーティな規格で、ちょうどこのような感じで曲線をかわいく曲がって走る。
なので、我々「特攻野郎Bチーム」のメンバー的には全く違和感が無い光景だ。(笑)
ちなみに、このホキ34200形の屋根には、石灰石の飛散防止用のカバーが付いている。
青梅から川崎までは住宅地を走るので、その対策だそうな。
あんな鉱石でも風で飛ぶのだろうか…?
…あ、「軽石」と同じような物か★
(石灰はサンゴの化石だからねぇ~)
黒ヘビさんがあまりにも長いので、電車は完全に動く事が出来ない状態。
なので、通過し切るまで、じ~っと待っている。
青梅線では、人様を乗せる電車よりも、貨物列車様の方が権力があるのだ
その電車くん、これは「103」系と言う形式で、北は仙台から南は福岡まで生息している、国鉄最大のグループだ。
あまりに造り過ぎたので、高性能な後継車が出て来た晩年では、日本中で厄介者扱いされてしまっている。
この当時ではまだまだ「中堅選手」で、ごく普通に走っていた。
この103系の屋根には、まだクーラーは搭載されていない。
でも、先頭部に無線アンテナが見えるので、「国鉄末期」だという事が判る。
青梅線の103系は、京浜東北線から異動して来た車両が多い。
京浜東北線に冷房付きの新車(ATC車)を投入して、お古を青梅線に持ってきたのだ。
なので、水色のままで走っている車両も昔は多かった。
ご幼少の頃は、それが奇妙でワクワクしたものだった…
では、また電車に乗って移動しよう。
お隣の「古里(こり)」駅(□)までやって来た。
おっ、ここにも貨物列車が…
(実際は、行きと帰りの両方で撮っているからね)
ほれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
赤ホッキぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ★
前回その1でご紹介した「赤ホキ」こと「ホキ2500」形だ。
車番が「ホキ2503」なので、これは一番最初に製造されたグループの子だね★
この写真は、赤ホキの「おなかの中」が見たくて、急遽電車内から撮ったもの。
石灰石を積んでいない状態の内側を見た事が無かったので…。
両側板を支えている中央のパイプや、石灰石の白い汚れ具合に注目★
後の、模型のリアル化&ウェザリング(汚し)等の参考になった
こういう写真は大事だねぇ~♪
撮り鉄の人がよく言う「構図」とかは、全く関係なぁ~い!
同じ地点から、クルっと振り返って見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
赤ホッキぃまつりぃぃぃぃ~~~~っ★
赤ホキが並んでいるね♪
右の2両目の赤ホキは「ホキ9500」形と言う、私有貨車だ。
ホキ2500形とは全くの同型で、差異は無い。
ただ所有者が違うだけで、別名になっているだけだ。
なので、前後の赤ホキと見比べても何の違いも無いよね。
奥多摩のホキ9500形は、「日本石油輸送株式会社(JOT)」所有と「奥多摩工業株式会社」所有の2種類があり、どちらもホキ2500形とごちゃ混ぜに使用されている。
この写真のホキ9500形も、ホキ2500形とは車体標記が違っているので判別出来た次第。
ただ、この写真だけでは、所有会社と車番は判らない…
…実はこの写真、後ろの103系が撮りたくて撮ったものだ。
本音を言うと、赤ホッキーが邪魔だった。(笑)
何故撮ったのかと言うと、非常にレアな車両がつながっていたからだ。
この詳細は「奥多摩の103系1986」の日記をご覧あれ
さらに移動しよう。
お隣の「川井(かわい)」駅(▽)で下車。
ここには有名な撮影ポイントがあるので、同行の写真撮影班の仲間(今で言う「撮り鉄」の若年予備軍)も楽しみにしていた場所だ
各自、好きな場所に移動してスタンバイ。
オラは「撮り鉄」ではなく「乗り鉄」と「模型鉄」だったので、一歩下がって彼等の邪魔をしないように待機。
…おっ、貨物列車がやって来た。
(当時は運転本数も多かったので、それほど待たずに貨物列車が見られた)
どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
アーチーチーアーチーーーーーーーっ★
これは、川井駅を通過して、奥多摩駅に向かって走る赤ホッキー列車だ。
駅のすぐ横にコンクリートアーチ橋があり、青梅線の名物になっている。
第二次世界大戦中に急いで造ったので、当時入手難だった鉄ではなくてコンクリート製になっている。
川井駅のホームは、4両目の赤ホッキーから後ろの部分にある。
電車4両分なので、ホームの長さは90m程だね。
…しっかし、当時はへっぽこカメラしか持ってなかったので、画質が最悪だな。
貧乏少年に「一眼レフ」は高価過ぎた…。
同行の仲間達は、お年玉を貯めたりして一眼レフを持っていたよなぁ~。
オラも、鉄道模型を買わなければ、一眼レフは買えたんだろうけどぉ~。(笑)
この場所の真横にある踏切から、クルっと振り返ってこの赤ホッキー列車のおしりを撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
お猿のおしりは真っ赤っかぁぁ~~っ★
赤ホッキーのおしりは、全てが赤かった…。
貨物列車の最後尾に車掌車が連結されなくなってからは、代わりに赤丸の反射板を付けるようになった。● ●
テールライトの代わりだね。
…何か、自転車みたい。
余談だが、この当時は、こんな田舎に無人の貨物列車が走っていると、最後部あたりに飛び乗っても全然バレないような気がしていた。
でも途中駅でバレるし、当時の最新兵器の「列車無線」ですぐに通報されてしまう。
もっと昔だったら電話しか通信手段が無かったので、見つかってもすぐに降りれば逃げられたのでは…?
デジタル化が進みだし、段々と住み難くなり始めた時代だった…。(大ウソ(笑))
では、先に進もう。
さらにお隣の「御嶽(みたけ)」駅(☆)に移動。
御嶽駅は、その名の通り「御岳山(みたけさん)」への登山口になっていて、休日は多くの登山客で賑わう。
駅の下に流れる多摩川でも遊ぶ事が出来て、レジャーには困らない♪
なので、東京都心からの直通列車「ホリデー快速」も停車する。
(御嶽駅のみ、ホームの長さが電車7両分ある。101系時代の快速は7両編成だった)
余談だが、昔の101系電車の行先方向幕には「御嶽」と「御岳」の2種類があった。
103系以降では「御嶽」に統一されている。
ここにも、貨物列車が停まっていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ちょっとお休みぃぃぃぃ~~~~~っ★
山を下る途中で休憩中の、赤ホッキー。
我々が乗っている列車とすれ違うためか、後から来る電車を先に通すのか、ホームの無い待避線でお休み中。
「東青梅(ひがしおうめ)」駅までは単線なので、色々と制約があるからねぇ~。
この車両は「ホキ2547」号車で、国鉄の所有だ。
石灰石の積み方は、ご覧のように4つのお山が突き出た状態になっている。
奥多摩駅の奥の建物内で、上から石灰石を落とし込むためだ。
カップにホイップクリームを流し込むのと似ているね★(笑)
鉄道模型のホキ2500形にも、このような石灰石を積んだ状態になるパーツが付属している。
もっと先へ進もう。
御嶽駅から山を下って7駅目、「宮ノ平(みやのひら)」駅(◇)に到着した。
もう次は青梅駅(■)だ。
つまり、宮ノ平駅は「お山の端っこ」かつ「平野の端っこ」にある駅という事になる。
(まぁ「平」って言う字が付いているくらいだからねぇ~)
ここにも、貨物列車はいた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
待ってたよぉぉぉぉぉぉ~~~~~ん★
我々の乗った電車とすれ違うために待っていた、黒ホッキー軍団。
チキ80000形も、2両連結されているね♪
現在のこの位置には、東京行きの直通快速列車(10両編成)がよく昼寝をしている。
青梅駅止まりの列車が、ここまで来て出番待ちをしているのだ。
営業列車(電車)は、青梅駅より先は4両編成しか各駅に停まれないが、実は宮ノ平駅までは10両編成が走れるのだ★
ホリデー快速用にホーム部分の線路が長くなっている(7両分)が、ホームは4両分しかない。
現在のホリデー快速は全て6両編成なので、かなりゆとりがある線路配置になっている。
貨物列車がこれだけ長いのだから、御嶽駅と奥多摩駅を改良してホームを伸ばせば、10両編成も走れたんじゃない?
休日の輸送力が大幅にアップ出来たと思うんだけどなぁ…
この貨物列車の黒ホッキーを見てみよう。
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意外ときれいぃぃぃぃぃ~~~~~っ★
この子は「ホキ34296」号車で、あまり汚れていないねぇ~。
工場できれいにしてもらったばっかりなのかな?
列車のおしりにいる子も見てみよう。
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おしりが赤いぃぃぃぃぃ~~~~~っ★
この子は「ホキ34252」号車で、さっきの子とちょっとした違いがある。
それは「車体標記」だ。
この子は、ロゴマークと会社名が、鉄板のプレートではなく直接車体に書かれている。
隣の子と比べてみると、判り易い♪
各車両をよぉ~く見てみると、もっと小さな違いがありそうだ★
さぁ、これで里に下りたぞ。
最後に、市街地で撮ったお写真をご紹介して、おしまいにしよう。
では、拝島駅(◆)へ、れっつらごーぅ!
(※以下は2023年末に追記))
----------------------
みなさんの頭の中の時計を、1995年に進めて欲しい。
だいぶ近代化された拝島駅に行くと、貨物列車が停まっていた。
なので、いそいそと1番線ホーム(五日市線ホーム)に移動。
先頭まで来て、機関車を撮ってみた。
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涼しいろくよぉぉぉぉぉ~~~~~ん★
機関車自体はEF64形1000番台のままなのだが、運転席にクーラーが付いて、だいぶ近代化されている。
車番は「EF64-1033」号機で、1000番台の中では中期に製造された車両だ。
後ろにつながっている赤ホッキーは「ホキ2672」号車で、偶然にも前回その1で、縦長に撮った雪景色の写真に出て来た子だ★
車体標記が「西(国鉄)」から「東(JR貨物)」へと変わっているが、元気なままでいるのは嬉しい限りだ
(青梅線の石灰石貨物列車の運行は、この3年後の1998年8月で終了した)
…おっ、奥から立川行きの電車がやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
若いひゃくさぁぁぁぁぁ~~~~~ん★
この日記の最初のほうに出て来た103系とは、同じ103系でもかなり違ったお姿だ。
これも、都心部に銀色の新車を入れたので、お古として青梅線にやって来たものだ。
以前、青梅線に古い103系を追い出した当人が、今度は青梅線に追い出されて来た訳で…
…う~ん、歳月って残酷ぅ~★
4両編成なので、奥多摩駅から延々と走って来た列車だろう。
当時は、奥多摩行きはほとんどが4両編成のままだったので、立川駅~青梅駅間はかなり混雑したのだよ。
4~10両編成が混ざって走っていたので、列車によって混雑具合がかなり違っていた。
(青梅駅で運用が分断されてからは、編成長はある程度統一された)
では、赤ホッキー達をじっくりと眺めてみよう★
まずは、この子から。
(画像をクリックすると拡大するよん)
標準的ぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ★
この子は「ホキ2659」号車で、JR貨物の所有だ。
形態的には、ごく一般的なお姿だ。
…おっ、前後につながっている子達は「ホキ9500」形だね★
奥の子は「ホキ9562」号車(たぶん)で、日本石油輸送株式会社の所有だ。
手前の子は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
奥たまは魔女ぉぉぉぉぉ~~~~~ぅ★
この子は「ホキ9593」号車で、奥多摩工業株式会社の所有。
この子達は形態には一切差が無く、ただ単にお名前が違うだけだ。
余談だが、さっきから後ろに写っているDE10形のディーゼル機関車や西武鉄道(拝島線)の新2000系も、(2023年時点で)あと数年もすれば貴重な光景になる。
もっと昔(1986年)の拝島駅の日記をご覧になりたい方は、こちらをクリック
(恐らく、この日記の撮影旅行と同じ時に撮影したと思われる…)
…あぁ、八高線(はちこうせん)の貨物列車も撮っておけばよかった…
----------------------
…まぁ、こんな感じで奥多摩の貨物列車は走っていたのだった。
現在は、拝島駅までの米軍用ジェット燃料輸送列車しか走っていない、バラエティーに欠けた路線になってしまったが、東京都民にとっては楽しい路線である事には変わりがない
みなさんも、奥多摩に遊びに行ってね
では、またぁ~♪
(おしまーい!)
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コメント
お久しぶりですしげぺです。
最近は何だか書き込むたびに「お久しぶり」ですが・・・
>「白丸(しろまる)」駅隣接のトンネルから
「リアル・ワンショットジオラマ」見たいな構図萌えズームで見た「新小平駅」ワンジオみたいでもあります。
>毒ヘビがニョロニョロ
目が赤いところも毒蛇らしさをアピールしているんでしょうか?
(違うか・・・)
>「オラ、東京サ行くだ!」と言い出し
都会の荒波に揉まれても最後は(冬場の)人気者になれた上に仲間に合流できたんですね!ヨカッタヨカッタ(何だか昔話みたい・・・)
>最後部あたりに飛び乗~
そのDNAは確実にしげぺが受け継いでます。
>川井駅を通過し
横軽のような風景ですね
投稿: しげぺ | 2010年5月13日 (木) 17時03分
おひさしぶりです♪(笑)
白丸駅の写真、確かに「ワンジオ」っぽですねぇ〜!
…作ってみますか。
この黒ホッキーが海の中を泳いでたら…
すぐに逃げましょう
103系3000番台には長〜くて深〜い歴史があんのよ。
「人に歴史アリ」ってなカンジで
DNAは、変なモノは受け継がナイように。
川井駅のコンクリート橋は、戦時中の「やっつけ仕事」です。
突貫工事で作り上げたそうですよん
投稿: まりりん | 2010年5月13日 (木) 19時04分
両数あわないけどサハ103-3000の相棒はクハ103-900だったと記憶。
どっちに乗ろうか迷った。
投稿: 二足 | 2010年5月16日 (日) 05時21分
サハ103-3000の相手はクハ103-900とクハ103-500でしたね。
3連の付属編成にサハを挿し込んだカタチ。
3連も、もともとは京浜東北線からの移住組みだからクハは500番台がメインだった様子。
900番台の1両は基本編成に入ってた。
なので、残りの3両が3000番台サハと組んでたのでゎ…
…ま、どっちにしろ、今思えばゼータクな悩みです
投稿: まりりん | 2010年5月16日 (日) 21時02分
こんにちは。
青梅線のようなローカル線で、しかも山の中に向かう路線にも貨物列車が走っていた時代、今では懐かしくもあります。
朧げな記憶だけですが、かなり長い編成の貨物列車が走っていたように思います。
行先は水江町だったのですね。
神奈川臨海鉄道の水江線も廃止されてしまいましたし、特定の工場同士を結ぶような貨物列車も減ってしまいました。
青梅線の東京とは思えないような車窓だけは今も変わらず、たまに訪ねたくなります。
お写真、楽しく拝見させて頂きました。
投稿: 風旅記 | 2023年10月27日 (金) 16時45分