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2010年5月13日 (木)

実物日記 ~「奥多摩の貨物列車1986」その2~

前回「その1」からのつづきーっ!

今回は昔の青梅(おうめ)線を走る石灰石貨物列車なんぞを…
(すべて1986年頃と思われる)
01
白丸(しろまる)」駅隣接のトンネルから、ホームに進入してくる貨物列車。
ついさっき、「奥多摩(おくたま)」駅から青梅線・南武線経由で川崎臨海地区(「水江町」駅)に向けて走り出したところ。
白丸は奥多摩の「おとなり」の駅だ。

同じ地点から振り返って見ると…
02
これが白丸駅構内だ
見えている範囲ですべてだ。青梅線一、何もナイ駅。(笑)

EF64-1000が「チキ80000」の生石灰コンテナ車2両と、「黒ホキ」ことホキ34200をうぢゃうぢゃ引き連れている。
コンテナが石灰で真っ白だ

列車のおしりはこんなカンジ。
03 
…とにかく長い。
がニョロニョロと動いているようなカンジ。(笑)
これの少し前までは車掌車(ヨ3500とか)が付いていたんだけどなぁ…

石灰石満載なので、かなり重そうな音を立てて通過して行ったとさ

お次は所変わって…
04
鳩ノ巣(はとのす)」駅を通過する、奥多摩行き貨物列車。
積荷が空の、返却回送列車だ。

103系様」を待たせての、堂々の登場

ちょうど国鉄末期で、屋根に「列車無線アンテナ」が付き出した頃だ。
103系様もまだ非冷房の時代。
前面の字幕も101系からのお下がり品だったので、横幅が足りなく、字幕の両脇から中の蛍光灯が丸見えだったのが印象に残っている…。
(字幕は布製で文字は黒色。103系純正品はフィルム製で文字色は青15号

…で、その黒ホッキー。
05
…長いッス。俄然長いッス。まぢパネェっす!
なんか、この時代にも「実物でBトレインがいた」と思わせるような錯覚が…。(笑)
線路のカーブに対して、車両たちがキレイに曲がってるね

ちなみに、貨車の屋根には石灰石の飛散防止用のカバーが付いていた。
あんな鉱石でも風で飛ぶのだろうか…?
…あ、「軽石」と同じようなモンか

さらに移動して…
06
古里(こり)」駅での「赤ホッキー」。
ホキ2500(9500)だ。
国鉄(JR)所有車がホキ2500、「日本石油輸送」と「奥多摩工業」所有車がホキ9500だ。
名前(形式名)が違うだけで、貨車自体はまったく同じモノ。
「サンダーバード」と「スノーラビット」の関係のようなモノか。

コレは、ホキの「おなかの中」が見たくて、急遽電車内から撮った写真。
石灰石を積んでナイ状態の内側を見たことが無かったので…。
両側板を支えている中央のパイプや、石灰石の白い汚れ具合に注目
後の、模型のリアル化&ウェザリング等の参考になった

こういう写真は大事だね 構図とかはまったく関係ナイ!

同じ地点から振り返って見ると…
07
これも同様。

ただし、実はこちらの写真は、背後の103系を撮りたかったモノだ。
ホントは赤ホッキーがぢゃまだった。(笑)

ココに写っている103系、イチバン手前の車両に注~目!
コレはレアな「サハ103-3000」だ。
窓がユニットサッシで非冷房。
しかも、屋根にはパンタ撤去跡が…

この車両、元は茶色い旧型国電(72系:ゲタ電)だったのだ
それが、103系風の車体に載せ替えられ「モハ72970番台」と名乗り、東北の仙石線で4両編成で働いていた。
ところが、何を思ったのか、「オラ、東京サ行くだ!」と言い出し、突如東京にやって来た。
しかも、足回りを103系用のと交換しパワーアップされ、名前も「103系3000番台」とナウいヤングになった(←死語)
ナウでオシャレなファッションタウン「原宿」を走る山手線と同じ「ウグイス色」の服を着て、全開バリバリ!ご機嫌だね(←死語2)

さぁ、バッチリ!ノリノリにカッコつけて上京してきたぞ(←死語3)
…だが、東京の世間の風は厳しく、イナカ者(物)の3000番台には都会暮らしが馴染めなかった。orz
ドアに取っ手が付いていて、115系みたいに完全に開かなかったのが、都会人のセンスに合わなかったらしい…。
大事な「おしゃれポイント」を見逃していたようだ
なので、「都会のイナカ」こと埼玉県の「川越線」で細々と働き出した。

しか~し!当時の川越線は、3両編成で充分だった。
なので、上京時に中間の1両が外され、「オレンジ色」の服を着て「サハ103-3000」と名乗り、これまた「東京の秘境」、青梅・奥多摩地区にリストラされたと言うワケ。
こちらは、暖房能力が「都会育ちのモヤシっ子」純正103系よりも強かったため、冬場は結構人気者だったとか

台枠はモハ72、車内は103系風、台車は101系(DT21T)という、「ちゃんぷる~」な車両だ

その後、川越線に移動し、昔の兄弟たちと合流。
仲良く以前の4両編成に組まれ、冷房化されて大宮~八王子(八高線)間で働き出した。
サハにとっては、ウグイス色に着替えても、拝島駅からは離れられなかった運命だったようだ。
…横田基地にパツキンのチャンネー(金髪の姉ちゃん(彼女))でも居たか?(笑)(←死語4)

…ハナシが逸れてしまった。(汗)

さて、さらに移動しよう。
08
コレは「川井(かわい)」駅を通過し、奥多摩に向かって走る赤ホッキー列車。
有名なコンクリート橋が見所

…しっかし、当時はへっぽこカメラしか持ってなかったので、画質最悪だな。orz
ビンボー少年に「一眼レフ」は高価過ぎた…。

同じ地点(踏切)から振り返って見ると…
09
赤ホッキーのおしり。

こんなイナカで無人の貨物列車が走っていると、最後部あたりに飛び乗っても全然バレないような気がしてた。…当時は。
でも途中駅でバレるし、最新兵器の「列車無線」ですぐ通報されてしまう。
段々と住み難くなり始めた時代だった…。(大ウソ(笑))

もっと移動して…
10
御嶽(みたけ)」駅で待避中の赤ホッキー。
石灰石が満載だ
このように4ケ所の山となって盛られている。
Nゲージの模型でも、同様な形状の「積荷パーツ」が付属しているよね

さて、最後に…
11_2
「宮ノ平(みやのひら)」駅で待避中の黒ホッキー&チッキーズ。
現在のこの位置には、東京行きの直通快速列車がよく昼寝している。
青梅止まりの10両編成、実はおとなりの宮ノ平駅までは入線出来るのであった
ただし、この線にはホームはナイ。
左横に見える駅ホームは4両編成分しかナイ(線路の有効長は7両分(101系特快用))。

黒ホッキーのお姿を
12
これはあまり汚れてナイねぇ~
汚れる場所もスソの周りが多そうだ…。

…で、ホントのラストに。
13
黒ホッキーのおしり

何気にこの車両、奥多摩工業のマークがプレートにではなくて車体に直接描いてあるッス
小さな違いもあるんだねぇ~

…ま、こんなカンジで奥多摩の貨物列車は走っていたのだった。
また画像が発掘されたら追加するね~~

(とりあえず、おしまーい!)

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旅と鉄道(03関東)」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりですしげぺです。
最近は何だか書き込むたびに「お久しぶり」ですが・・・
>「白丸(しろまる)」駅隣接のトンネルから
「リアル・ワンショットジオラマ」見たいな構図萌えズームで見た「新小平駅」ワンジオみたいでもあります。
>毒ヘビがニョロニョロ
目が赤いところも毒蛇らしさをアピールしているんでしょうか?
(違うか・・・)

>「オラ、東京サ行くだ!」と言い出し
都会の荒波に揉まれても最後は(冬場の)人気者になれた上に仲間に合流できたんですね!ヨカッタヨカッタ(何だか昔話みたい・・・)
>最後部あたりに飛び乗~
そのDNAは確実にしげぺが受け継いでます。
>川井駅を通過し
横軽のような風景ですね

投稿: しげぺ | 2010年5月13日 (木) 17時03分

おひさしぶりです♪(笑)

白丸駅の写真、確かに「ワンジオ」っぽですねぇ〜!
…作ってみますか。

この黒ホッキーが海の中を泳いでたら…
すぐに逃げましょう

103系3000番台には長〜くて深〜い歴史があんのよ。
「人に歴史アリ」ってなカンジで

DNAは、変なモノは受け継がナイように。

川井駅のコンクリート橋は、戦時中の「やっつけ仕事」です。
突貫工事で作り上げたそうですよん

投稿: まりりん | 2010年5月13日 (木) 19時04分

両数あわないけどサハ103-3000の相棒はクハ103-900だったと記憶。
どっちに乗ろうか迷った。

投稿: 二足 | 2010年5月16日 (日) 05時21分

サハ103-3000の相手はクハ103-900とクハ103-500でしたね。
3連の付属編成にサハを挿し込んだカタチ。

3連も、もともとは京浜東北線からの移住組みだからクハは500番台がメインだった様子。
900番台の1両は基本編成に入ってた。
なので、残りの3両が3000番台サハと組んでたのでゎ…

…ま、どっちにしろ、今思えばゼータクな悩みです

投稿: まりりん | 2010年5月16日 (日) 21時02分

こんにちは。
青梅線のようなローカル線で、しかも山の中に向かう路線にも貨物列車が走っていた時代、今では懐かしくもあります。
朧げな記憶だけですが、かなり長い編成の貨物列車が走っていたように思います。
行先は水江町だったのですね。
神奈川臨海鉄道の水江線も廃止されてしまいましたし、特定の工場同士を結ぶような貨物列車も減ってしまいました。
青梅線の東京とは思えないような車窓だけは今も変わらず、たまに訪ねたくなります。
お写真、楽しく拝見させて頂きました。

投稿: 風旅記 | 2023年10月27日 (金) 16時45分

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