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2010年4月 1日 (木)

実物日記 ~「オレンジの衝撃。中央線201系:その4」~

その3のつづきーっ!)(その1はこちら

今回も「引退シリーズ」として、中央線201系のおハナシを…

第4弾は「900番台」…つまり「試作編成」を♪
201
中野駅に停まっている「特快:高尾」行きだ。

昭和54年(1979年)1月、突如コイツは現れた☆
今までの「国鉄型」とは違った、斬新なデザインでだ♪
しかも、「省エネ電車」と謳われたように、今では当たり前の「回生ブレーキ」などの新機軸を盛り込んでの登場だ。

当時の電車は「抵抗制御」が当たり前。
冬でも床下から大量の熱をガンガン放出していた時代。
夏に抵抗器の上に乗車すると、ドアが開くたびに「強(狂)暖房車」と化していた。
運よく冷房車に乗れたとしても、抵抗器つきの車両は暖房車だった…。
本格的なチョッパ制御車は、都心でも「営団千代田線」くらいしか走っていなかった。
(「有楽町線」は、まだ5両で「池袋~銀座1丁目」間を往復するだけの、利用価値が極低の路線だった)

そんな地獄を味わっていた時代に、このナイスガイ☆
「カッコイイ!」以外のナニモノでもなかった…。

中野駅7番線で展示(だったっけか?)されたこの編成を見て、お子様ながらにコーフンしたものだ。
今で言えば「キターーーーーーーー!」的な?「萌え♪」的な??(←もう古いだろ。笑)
チョッパ装置の「プーーーン」という音にも、「未来的なイメージ」がしてカッコイイと思ってた☆

たまたまこの日、カメラを持っていたようで、しかもグーゼン900番台がやって来た。
なので、慌てて撮ったような記憶が…
当時は親から“お下がり”の「へっぽこカメラ」しか持ってなかったので、画質は諦めてくだせぇ…
(でもこの写真も某誌に掲載されたが…。どうやら貴重な1枚らしい)

当時は「模型少年」だったので、写真も「模型作りに役立つよう」な視点で撮っている。
なので、編成を1両ずつ形式写真風に撮ってるね…
では、1両ごとに見ていこう♪

まずは先頭車。
202
高尾寄りの「クモハ200」(10号車)。
試作車にしか存在しない、2両のみの形式だ。
900番台の側面字幕は「103系方式」だったので、このクモハだけ、隣の車両の字幕と並んでしまっていた。

お次は…
203
「モハ201」(9号車)。
最初はダブルパンタで登場したものの、量産型が出た後に1個パンタに改造された。
細かいところも量産車に合わされたが、外観的にはあまり変化は無かった。

さらに次。
204
「サハ201」(8号車)。
最初は「モハ200」で登場したものの、量産化改造でモーターを外され「サハ」に改造された。(8M2T→6M4T)
戸袋窓上にモーター冷却用のルーバーがあるのがその名残り。
床下がスッカラカンだ☆

もっと次。
205
「モハ200」(7号車)。
登場時とほぼ同じ姿のまま。
8号車のサハ201とは「兄弟」だ。(笑)

まだまだ次。
206
「モハ201」(6号車)。
9号車とまったく一緒。
この頃はみんな窓を開けてたよねぇ…
ちなみに、201系から「上段下降・下段上昇」式のユニット窓になった。
101・103系は「全上昇」式で、フルオープンできた。
(301系は地下鉄仕様なので、特殊な構造だった)

そしてラスト。
207
「クハ200」(5号車)。
これは登場時とほぼ同じ姿のまま。
登場時唯一の付随車(モーターなし)形式だった。
900番台の運行番号の字幕は、「白地に黒文字」。103系と同じだった。

この後まだ4両いるが、列車が加速してしまったのと、当時のカメラの性能ではこれ以上は「ブレてしまう」&「シャッターが追いつかない」ので、断念してしまったと思われる。orz

でも最後に1号車の「お顔」だけ撮ってあった☆
208
グーゼン、奥に黄色い201系がいて、並んでくれたねぇ~♪
ちなみに、2号車も「サハ201」だが、こちらは「モハ201」をサハ化したもので、屋根上はパンタや配管を外した跡がまるまる残っていた。

…まぁ、こんなカンジで少年時代の私にとっては「お宝」的編成だった☆

その後、この編成は三鷹電車区に残った関係で黄色くなり、中央総武緩行線に転勤になってしまった。
209
新宿駅「9番線」に佇む黄色い900番台。(友人が撮影)
現在の「13番線」だ。

この黄色くなった時点で900番台に対しての「あこがれ」は消え去った…orz
ほどなく、ATS-P型取り付けの関係で、クモハへの搭載が難しい900番台は、2分割されて量産車編成の中間に封じ込められてしまった。

そして、さらに!
まさか「青く」なるなんて…!

KATOの201系900番台は「時代を先読み」してたんだね。(笑)

つづきはこちらーーっ!

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旅と鉄道(12 201系電車)」カテゴリの記事

コメント

この人に対する愛情が強烈なオーラを発しているのが
文章を読んでいてわかります。
私が500系のぞみ様に対して発狂するのとは
違うかもしれませんけど。
記事の場合ですと、何としてでも手元で再現して見せるといった
意気込みが感じられます。

私にとっての中央線は、この人たちです。
総武線でも見かけました。
ブラックフェイスなのに優しい顔立ちをしています。
当時の世相を表している…というのは深読みでしょうか。
(そもそも産まれてないんですけど、何となく大らかみたいな)

いつもながら良い意味での鉄道少年的な雰囲気が楽しいです。
もちろん今でも“少年”ですけど

表札に八トタとでも表記しておきましょうか?

投稿: CHIANTI | 2010年4月 1日 (木) 00時18分

当時の世相・・・あまりイイものではありませんでしたよ。(笑)
「大量生産・大量消費」の時代ですから。
オイルショックがなかったら、世界的に「破滅」に向かってたでしょうね。恐ろしい速さの環境破壊で…

表札は「西カノ」でお願いします

投稿: まりりん | 2010年4月 1日 (木) 01時13分

自分にとって「クモハ」の存在は大きかった。
201系は全盛期嫌いだったが900番台は好きだった。

投稿: | 2010年4月 1日 (木) 12時51分

>900番台
戸袋窓が「大きい」のではなく、「細長い」のですね!
あの「縦長さ」ではドアが開いたら戸袋窓からドアがハミ出して見えたのでは!?(僕の知らない時代なもので・・・)
>模型少年だったので~
僕も最近そう・・・なのでしょうか?(模型というよりはB‐トレか!?)
パンタ車屋根上の写真が撮りたくて堪らないという衝動にいつも駆られてまス・・・
>某誌に掲載
雑誌に自分の撮った写真が掲載される・・・・スゴイ・・・!

投稿: しげぺ | 2010年4月 1日 (木) 14時26分

900番台の窓は、東京メトロ5000系と同じです。
やはり戸袋窓からドアが見えます♪
丸ノ内線の300系~500系シリーズも後年はそうでしたね…

パンタ周りの写真、私もそうでした☆(笑)
みんなが通る道?!です

わたくし、模型・実物の写真と顔が雑誌やTVに出てますが、何か
JAMでグラビアアイドルとDCCで遊びましたが、何か
(ケーブルテレビの取材だよ)

目立とうとせずに、みんなと仲良く好きなものを楽しく遊んでいれば、いずれ人々の目にとまりますよん♪
別に大したことではナイですよ。

投稿: まりりん | 2010年4月 1日 (木) 16時34分

201系900番台を最初に見たのは1998年頃で運転室の後ろに戸袋窓があるのが印象的に感じ、201系を収録した「JR東日本の電車3」を見て「これが試作車だったのかぁ~!」ということを知れました。

あと、交通博物館のジオラマにあったオレンジの201系は実は900番台の模型が使われていたというのはご存じでしょうか。

投稿: kaipan | 2023年11月28日 (火) 16時20分

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