旅日記 ~「上野発・長野経由新宿行き旧型客車:夢列車」1993~
今回はかなり昔だが、超レアな列車のおハナシを…。
(写真は当時のコンパクトカメラで撮ったポジをスキャンしたモノなので、画質の悪さはご容赦を…)
以前書いた日記「客車急行アルプス:松本行き2009」と「客車急行アルプス:新宿行き2009」も併せてご覧いただきたい。
(画像をクリックすると拡大するよん)
1993年の初め頃か、オラは一通の電話を受けた。「趣味の先輩」からだった。
「貸切の旧型客車で信越線と中央線に乗るんだけど、行かないかい?」と。
当時は旧客には興味が無かったのだが、せっかくの機会、乗ってみることにした。
今思えば、何とゼイタクなお誘いだったのか…と。(笑)
プレミアムチケットのライブに連れて行ってくれるようなものだ。
友人達も誘ってみたら、一発返事で「行くーっっ!!」とのこと。
彼らにはこの列車の価値が解っていたようだ。
かくして、お一人様「3万円」という、当時の急行グリーン車で往復するような金額を払い、1993年10月16日の夜に「上野(うえの)」駅に赴いた。
上野駅地上ホームの中程に、その列車は停まっていた。(上の写真)
16両も入るホームに5両編成なので、改札付近のコンコースからは全く見えなかった。
当然、ディーゼルエンジンなんて邪道なモノも付いていないから静かで、存在感すら無い。(笑)
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機関車は「EF62」。当時でも、もう希少な存在になりつつあった。
客車は4両編成で、高崎所属のの「スハフ32+オハフ33+オハ47+オハニ36」という編成だ。
「夢列車」という列車名だったと思う。
先輩が所属していた同名の趣味グループだったかな?…そこの主催の、完全に仲間内だけの貸し切り列車だ。
参加人数と列車の座席数の関係で、一人アタマの料金が3万円にもなってしまった。
だが、完全に「何でもアリ」の極上の旅が楽しめる
旅程は…
「上野」(深夜発)~「軽井沢」~「長野」(早朝着)~自由行動~「長野」(昼頃発)~「松本」~「新宿」(夕方着)
といった、今こんなのやったら大変な騒ぎになるようなモノ★
ホームで友人達と合流、食糧を買い込み乗車。
我々はスハフ32に着席。
誘ってくれた先輩の計らいだった。
席は自由に移動しても構わないが、一応、号車ごとにメンバーの割り当てがあった。
中間のオハ47は、内装が近代化されててオハ12やキハ58とあまり変わらず、趣はそれほど無い。
オハフ33は、スハフ32と同じようなニス塗りの内装で、窓が大型という違いくらいか。
オハニ36も魅力なのだが、「古さの王様」ということでスハフ32になった。
列車は定時に発車。
ゆっくりと上野駅を後にする。
動き出す前から、先輩グループはすでにベロンベロンに酔っ払っている★
「のんべぇ集団」なので絡まれぬよう、離れた所に席を取った。(笑)
車内はガラガラなのでね♪
ゆっくり走って、お隣「尾久(おく)」駅に到着。列車は停車した。
のんべぇ集団、「おぉ!何だ!各駅停車か?!イイぇね~~~!!」と盛り上がっている。
だが列車は一向に動き出す気配がない…
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何やら係員がホームを行き来している。
…どうも、上野駅出発時からEF62が故障していたらしい。
だから時速40Kmほどのノロノロ運転だったのか。
ホームで普通列車を待っている人も、なんとも言えない表情をして立ちすくむだけだ。
(上の写真のオジサン)
この後に急行「能登」と最終普通列車が来るダイヤだったのだ。
しばらくすると、横の車庫からEF65-1000が現れた。
…で、この列車の前に連結。急遽駆り出されたらしい。
機関区の横の駅で良かったねぇ…
…で、40分くらいの遅れで再び出発。0:30は過ぎていたか…
みんなで「良かったねぇ~」と喜びながら、ホームにいた修理担当の係員さんに「ありがとうございまーす♪」とあいさつ。
係員さんも笑顔で応える。
みんなニコニコしながら列車は加速。ほどなく赤羽駅に入った。
そこのホームには溢れんばかりの人・ひと・ヒト…
しかも、みんな疲れきった表情で最終電車を待っている。
「遅れの原因はコレかよ…」というような冷ややかな眼・目・め…
…我々の笑顔はこわばった。(笑)
だが、すっ~かり出来上がった「飲んだくれ集団」、勢いよく通過する列車の中からホームのみんなに大声で「この列車がブッ壊れて動かなかったんだよ~!ゴメンねぇ~~~★」と無責任に言い放つ。
…あきれたを通り越して、思わず笑ってしまった。
我々も一緒になって「ゴメンなさいねぇ~~~!!」とホームの人々に謝っておいた★
列車は荒川を渡り、さらに加速。
川口~浦和近辺では、EF65が高速で引っ張ってモーレツに飛ばす。特急並みだ★
…あれ?旧客の制限速度って「95Km/h」までぢゃぁ~なかったっけぇ~~??
ま、イイっか。(笑)
その後もイキオイ良く走り、深夜の高崎に到着。
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ここでEF65とブッ壊れたEF62の重連が切り離される。
そして、別のEF62が新たに連結された。
その間に、後続の「能登」が隣に到着。すぐさま発車していった。
ダイヤ上では、ここで1時間くらいの長時間停車の予定だったのだが、遅れの関係ですぐに発車。
「能登」と終電の乗客には悪いが、この列車はこれでダイヤどおりの定刻運転に戻った。(笑)
さて、ココからは信越線に入り、碓氷峠を目指すのだが、外は真っ暗で何も見えない。
なので、チョット車内の様子でもご紹介しよう♪
まずは「スハフ32」から。
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小窓が並ぶ、営業車両の中では「日本で最古」といってイイくらいの年代モノ。昭和13年生まれだ。
車内はニスが塗り重ねられ、重厚な雰囲気。
そのニスがひび割れてる模様も、さらに良い味を出している…。
床板は、当然、木(今で言うフローリング)だ。
ただひとつ残念なのは、照明が白い蛍光灯だということ。
当時製品化され始めた「電球色の蛍光灯」に、自費でもイイから取り換えたいほどだった。(笑)
次に「オハニ36」を。
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ここは荷物室部分だ。
オハニの照明は白熱電球のままで、荷物室内には、破損防止用のガードが付いている。
今回は、ここは幹事の控え室になっていた。
客室部分はコレだ。
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窓は大型で、座席も急行用の立派なモノ。スハ43系と同じ座席だ。
車内はニス塗りのまま。
電球の照明がすばらしい…♪
上の写真はフラッシュを焚いて撮ったので明るいが、本当の明るさは↓これだ。
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…どうだい?暗いだろう★(笑)
昔はこれが標準の明るさだったのだ。
奥のオハ47のまぶしいこと…
今回は夜行列車なので、ぜひ「オハニ36の車内も味わってみよう!」と碓氷峠あたりで座ってみた。
雰囲気は最高なのだが、死ぬほどしばれる…
ナゼかって?
…そう、このオハニには「電気ヒーターが付いていない」のだ★
現代の青年にはチョット信じられないと思うが、旧客には当初、全車電気ヒーターは付いてなかった。
それを後で改造で取り付けたのだ。車番に2000番を足してあるのが電気暖房付き車両だ。
この車両は「オハニ36 11」。「2011」ではナイなので付いてない。
(オハニ36に限って言えば、電暖付きは重くなったので「スハニ37」と形式名が変わった)
…ぢゃあ、何で暖めるのかって?
そりゃぁ、「蒸気」だよ、「スチーム」♪
むかしはSLだったから、熱い蒸気はいくらでも機関車からもらえた。
なので、客車はその蒸気を暖房に使用してたワケ。
蒸気暖房は旧客全車使える。
でも、このEF62には蒸気発生装置(SG)は付いていない。電気暖房用発電装置(EG)だけだ。
なので、「オハニだけ暖房が効かない」という結果に…。
隣の明るくて暖かいオハ47には誰もいないのに、このオハニには震えながら多くの人が乗っている…。
気持ちは解るが、ココは初春の深夜の碓氷峠。
外気温と同じ車内にいたら死ぬで…★
我々は寒さに耐え切れずに、そそくさと暖かいスハフ32に戻った。
軽井沢を出発したその後は、特にイベントもナイので、寝ることに。
だが、そうゆっくりも寝られずに、列車は早朝の長野駅に到着した。
ココで、昼頃の出発まで各自自由行動となる。
我々は、眠かったのと、寒かったのもあり、「善光寺参り」だけにしておいた。
朝早い善光寺は実に清々しかった…。
昼頃、またみんなは長野駅に集結。
ホームに入ると、もう列車は入線していた。
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当時まだ“新色”の115系とツーショット♪
帰りの機関車は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
おぉ!EF64だ♪(当然だが)
今度は我々のスハフ32が最後尾。
ご覧のとおり、後部の展望はバツグンだ
眠気も取れず、昨夜から酒も入ってるので、もう気分はナチュラルハイ
やがて出発。帰りの列車は篠ノ井線を進む。
途中の「姨捨(おばすて)」駅で、列車交換待ちでしばらく停車。
ここで「プチ撮影タイム」となる。
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イイねぇ~♪
この「4両」ってぇ~のが、またイイっ
スハフの側面にサボが付いてるのに気がついた。
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…う、上野行きぃ~~
今、上野駅から来たばっかりだよ。
だが、なんとも味がある。イイ♪
個人(乗客)の所有物だ。たぶん。
先頭は…
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これもなかなか。
ホームには凄い人だかりだ。
発車時間も迫ったので、みんな乗り込む。
そして再び発車。
快調に走り、松本に到着。
ここからは「急行アルプス」気分を味わおう♪
…いや、年上のみんなは「急行たてしな」か「準急上高地」気分なんだろう。(笑)
列車は実に快調に飛ばす。
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「快速」という表現がピッタリな速度だ。
時速60~80Kmくらいで、ジョイント音を「タタン、タタン」と響かせながら山を下る。
実に幸せなひととき…♪
途中、上諏訪駅だったか、女子高生達に大笑いされた。
「今度の列車は団体専用でご乗車できませ~ん」というアナウンスとともに、見たこともない重苦しくてボロい茶色い列車が「ギギギギー!」と轟音を立てて目の前に停まりゃぁ、キョトンとするわな。
…で、1秒ほど沈黙の後、
「あはははーっ!★何この列車~~~~っ!!」と大騒ぎ&大笑い。
それを聞いて、昨夜から飲みっぱなし「ダメダメ集団」がキレた。
「うるせーーーっ!!オマエらにはこの良さが解らねぇんだよっ!!」と車内から吠える。
だが、いくら吠えても攻撃力は「ゼロ」に等しい。(笑)
ただ、その影で「あまりに懐かしくて、どうしても乗りたい。一駅でもいいから乗せてください!」と懇願していたおば様もいたのも事実。
車掌さんが丁寧に事情を話して断った。
気持ちはすごく良く解る。
個人的には是非乗せてあげたかったなぁ…。
あと、相模湖駅で特急退避のため、ホームのないイチバン山側の側線に入線。
そこでホームにいた男子高校生達とダメダメ集団が線路越しに会話を始めた。
「…すごい列車ですね。」
「これカッコ悪いかい?」
「とんでもない!カッコイイっす★ どこまで行くんですか?」
「新宿だよ」
「へぇ~~~っ★」
と話しながら、手元にあったポテチを彼らに投げる。
「腹減っててんだろ、これ食いなよ!」
「…あ、ありがとうございます!腹減ってたんですよ♪」
その間に特急が我々の間を通過する。
やがて出発。
ホームの彼らは「ありがとうございます~~!」と言いながら、いつまでも手を振ってくれた。
我々も車内から手を振り続けた。
窓が開く客車ならではの、懐かしい光景だった…。
やがて列車は都内へ突入!
オレンジ色の電車との競演が始まる★
国分寺駅手前で1枚。
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奥にまだ新しい「丸井」のビルが見える(国分寺駅に隣接)。
オレンジ色の201系(快速電車)横の旧下河原線の線路は、この時代でももう無かった。
JR化後の、スカートがまだ付いてない201系も懐かしいねぇ~♪
武蔵小金井駅を通過。
(画像をクリックすると拡大するよん)
これまた懐かしい…。まだ地上だよ。(笑)
そして三鷹駅を通過。
高架複々線区間に入る。
そして緩行線の103系を追い抜く。
(画像をクリックすると拡大するよん)
103系の車内の乗客の表情といったら…
若者は「 何だ!これ~?!」といった、フシギそうなカンジ。
お年寄りは「おぉぉぉぉ~~~っ★」というような、懐かしそうな表情。
どこの駅でも繰り返されてきた光景だが、さすが都心部ではその数が違う。
特にお年寄りの、何ともいえない懐かしそうな、嬉しそうな、少し遠い目をして昔を思い出してるような表情が、強く印象に残った。
それには男女の区別は無かった。
これと似た光景を今年撮影した。
以前書いた「客車急行アルプス:新宿行き2009」に載せてあるので、見比べてみていただきたい。
時代の差を感じるから★
そして中野駅を通過。
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終点まであと5分ほど。
…あぁ、ついにこの旅が終わってしまうのか。
最後に、「証拠写真」というほどでもナイが、「ジェネレーションギャップ」的な対比を狙って撮ってみた。
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昭和ヒトケタ生まれ(設計)の旧客の車内から見た、現在の新宿歌舞伎町。
何となく気分は「銀河鉄道999」か
そしてついに終点、新宿駅に到着。
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201系との並びにも違和感を覚える。
だが、この201系もまだ原型に近いフォルムだ。
今観ると懐かしいね♪
こうしてくるっと信州を一周したのだが、これがキッカケで、オラの「旧客趣味」がスタートしてしまった。
現役時代を知らない、遅すぎるスタートだ。(笑)
今考えると、もう二度とこんな体験は出来ないだろう。
超ラッキーな一日だった
一生忘れることは無いだろう…
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コメント
これは凄い。
まさに百聞は一見にあらず。
ルート変更すれば理屈の上では現在も可能かもしれないが、
安全性だのなんだかんだで「役所」はおkしてくれないだろう。
貴重な体験、自分もしたかった。
91年当時、バブルはじけた当時の自分は・・・・orz。
投稿: 二足歩行 | 2009年11月20日 (金) 12時05分
この時の故障がきっかけか、これ以降は旧客の都心乗り入れに本社が難色を示すようになったらしいです。
この次に乗った夢列車は、「宮原」発でしたし。(大宮にすら入れない…)
その列車の日記も近いうちに書きましょう♪
ちなみに、これの前の夢列車は「上野発:板谷峠越え」というモノだったらしいです。
…あぁ、もっと早く夢列車の存在を知ってれば…orz
投稿: まりりん | 2009年11月20日 (金) 13時45分
全て好きというわけではありませんが、
昔の車両は温かみがありますね。
総武線とか懐かしかったです。
そして車内が良い意味でレトロな感じがします。
こういう雰囲気で寝台特急も作ればよかったのに。
スチームは今でもVSOEが使ってますよね。
私も旧客持ってますが、単に古臭いと言うだけで
片づけられないと思います。
重みというのを感じます。
こう言った人達を大事にしてもらいたいですよね。
乗る楽しみがあります、今は・・・
投稿: CHIANTI | 2009年11月20日 (金) 20時31分
「古臭い」という言葉を「アンティーク」と置き換えて考えれば、この世ももう少しはオシャレな生活が営めるのではナイでしょうか…?
投稿: まりりん | 2009年11月21日 (土) 21時01分
そういった発想が出来る所がヲタクな鉄道ファンとは違う点です。
“真の”鉄道ファンです。
いわゆる海外のように紳士の嗜みとしてのスタンスです。
国内だけでなく世界も見ているだけの事はあります。
視野の広さ・・・大切です。
さすが西武Bトレ車両部長ですね。
投稿: CHIANTI | 2009年11月21日 (土) 23時43分
91年といえばまだヒカリ物やブランド物が愛されていた時代。
野球選手が「DCブランドのソフトスーツ」を着こなしていたり、赤いイタリア車なども人気だった。
そんな時代にこういった「渋い・味わいのある」列車は余程情報を張っておかないと(当時はネットなど無かった)気付かぬままに終わっていたでしょう。
ちなみに6月の客車アルプスは2ちゃんに書き込まれたのをキャッチしたからです。
「片玉無料サービス(91年)」で思い出した。現在の白糸台駅そばに東急ハ○ズの配送センターがあり、「あぁ、車ホスイ」でそこのバイトに明け暮れていた楽しくも愚かな年でした。
お粗末。
投稿: 二足歩行 | 2009年11月28日 (土) 18時37分
実は私はこの列車に乗っていました。(しかも世話役)
写真が引っ越しでなくなってしまい、寂しい想いをしていたのですが、これを見て元気が出ました。
ありがとうございます。
投稿: あっきー | 2017年5月10日 (水) 23時06分
★ あっきーさん
何とっ
この時は大変お世話になりました。
ありがとうございます。
これがきっかけで、旧客にも詳しくなった次第でして…
これ以外にも、宮原~軽井沢往復の旅にも乗りました。
板谷峠の旅にも乗りたかったなぁ…
これらの写真、時間があるときに大きいサイズにアップし直しておきます。
(再度スキャンせねば…)
投稿: まりりん | 2017年5月11日 (木) 00時56分
まりりん様
あの頃は、まさかの鉄道サークルで貸切が出来た大らかな時代でした・・・
板谷峠では、峠駅で売り子のおじちゃんに法被を借りて記念撮影をしてみたり、黒磯駅では赤ちゃんのミルク用のお湯を別けてもらったり。
写真の荷物室の緑のダサい服が私です。
大きい写真がアップされるのを楽しみにしています。
投稿: あっきー | 2017年5月11日 (木) 22時04分
★ あっきーさん
ひとまず、画像を大きいサイズにアップし直しました~
同時に、他の夢列車の写真も全てスキャンしましたので、近いうちに記事を大幅に修正して画像も追加します
いつになるか分かりませんが、お待ちくださいませ
投稿: まりりん | 2017年5月20日 (土) 21時44分
1991年といえば、私の実家付近でも流石に、客レは通常50系(というかすでに電車化の波が…)の運用のみでしたね。
旧型客車は50系が出てからあっという間に駆逐されていきましたよ。
まりりんさん、いい体験ができましたね♪
小さいころよく通った秋田運転区には、
24系、14系(座席)、12系、50系それに、
うなるくらい485系が置いてありました…。
今では全部貴重品なのね。
旧客や50系で停車寸前に、ホームに飛び降りとかやってたなぁ・・・
普通に開いてたからなぁ…今やったら絶対問題になると思う。
投稿: 小鶴 | 2017年6月 8日 (木) 21時39分
★ コヅールたん
東京も、尾久の車庫には50系以外は秋田と同じラインナップで停まっていたぞぉ~
今だったら、京都の向日町を観に行けば、ほぼ「動態保存博物館」状態かと。
東京だって、昔は営団地下鉄が全駅で当たり前に停車前にドアを開いていたッス。
その後社会問題になり、ちゃんと停車してから開くようになりましたとさ
投稿: まりりん | 2017年6月 9日 (金) 17時03分