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2013年7月

2013年7月29日 (月)

実物日記 ~「一枚の写真から:国鉄川越線」~

古いもらいモノの写真が出てきたぢょん

今日はこの1枚の写真をご覧頂こう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
国鉄川越線1985-301
埼玉県の国鉄「川越(かわごえ)」線での1コマ。

電化直前の1985年頃と思われる。
大宮(おおみや)」行きのディーゼルカー「キハ35」が走り去っていくーン。

この当時、川越線はまだディーゼルカーだった。
都心近郊の、最後の非電化路線。
増える通勤客に、もはや非力なディーゼルカーでは対応出来なくなった。

東北新幹線の上野駅開業に合わせて、「大人の事情」で急遽造られることになった「埼京(さいきょう)」線と乗り入れが行われるという、埼玉県民にとっては一大イベントが起きる前夜であった…。
それまで周りから「ダッセーキハで通学してんのかよ」とからかわれていた同級生も、このニュースの後からは鼻高々だった(笑)

この数年後、池袋から直通電車がやって来るようになり、今や東京湾の臨海地区から銀色がやって来るという変わりよう…。

まだ埼玉が「ダサイ玉」と呼ばれていた頃の、のんびりとした時代だった

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2013年7月25日 (木)

海外鉄旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その45:アムステルダム→ケルン~

前回「その44」のつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

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1996年7月13日(土):くもり

→ Amsterdam:アムステルダム → Köln:ケルン

昨夜ベルリン23:55に発車した列車は、国境を越え、朝の7:39にオランダの「Amsterdam Centraal(アムステルダム中央)」駅に到着した。

ココで、仲間の一人が「オレはさっさとインドに行きたいんだ」と駄々をこね始めた。
日本を出る前に、ちゃんと目的とルートの説明をしたのに、ヤツのアタマの中には「」の3文字しかなかったようだ。
ハナシをちゃんと聞かなく、思い込みが激しい性格なようだ。

今使っている欧州乗り放題のきっぷ「ユーレイルパス」は、「3人一緒で行動する」という条件で割安になっているモノ。
なので、ココでバラバラになるワケにもいかない…。

まぁ、そんなんで、その先のルートや日程など、いろいろ話し合いをする。
その結果、オランダには滞在しないで、早々にドイツ観光を済ませて南欧に向かうことになった。
昼の列車でドイツの「Köln(ケルン)」駅に向かうことにした。

荷物をコインロッカーに預け、駅前に出る。
外はどんより曇っている。
まぁ、欧州はいつもこんなもんか。

記念に駅舎と一緒に撮影。
4501
(1996年撮影)
おぉ、いぇい!!

この駅舎、東京駅の赤レンガ駅舎のモデルとなったと言われるモノ。
言われてみれば、なんとなく似ている…。

さて、「オランダ」と言えば「風車」「チューリップ」などのファンタジックなイメージが浮かんでくると思う。
事実、オラもそうだった。(笑)

そんなイメージで駅前を歩き始めた途端、目の前にいたオランダ青年に大声で話し掛けられた。

ヘイ!チャイニーーーズ!!

(…日本人なんだけどな。)

ハッシシ?!

…おいおい、オランダに着いて5分で麻薬売り付けんなよ

…そう、オランダは大麻OKの国なのだ
フツーに街中に大麻が吸える店がある。

オランダの認識が、すっかり変わってしまった。
少し歩いていると、今度は車から身を乗り出した青年が、何かを大声で叫びながら走り去っていったのを見た。

…オランダ、怖ぇぇぇぇぇぇぇぜ

気を取り直して、アムステルダムでの観光地へと歩き出す。
目的地までの距離は2Kmほどだ。

駅付近の街並みはこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
4502
(1996年撮影)
おされだねぇ~~~♪

さすが欧州、こざっぱりしている。
土曜日なので、のんびりしている人が多いね

アムステルダムは、ほとんどが古くからの埋立地
なので、運河が縦横無尽に張り巡らされている。
当然、標高も低く、海抜0m前後の所も多い。

ココで、仲間が「朝飯食いたい」というので、パスタのレストランに寄った。
パスタを食べようと思ったら、まだモーニングしかやっていなかった。
モーニングの内容は「パン・卵・ハム」だけ。
当然と言えば当然なのだが、すんごくパスタが食べたいモードに入っていたためショックを受けた。(笑)
…納得が行かなかったのさ、何となく。

んでは、歩きながら見た街並みをご覧いただこう。

まずは…
4503
(1996年撮影)
ごーぢゃす

なんと、コレは「王宮」だそうだ
こんな街中(しかも駅のそば)にあるのかっ

道を曲がると…
4504
(1996年撮影)
イイねぇ~~~♪

このような運河がたくさんある。

…お、教会のトンガリ屋根が見えて来た。
4505
(1996年撮影)
南教会」というらしい。

レンブラントの作品にも出ているとか。

さぁ、目的地に着いたぞ
意外と駅から近かったなぁ~。

その目的地とは、コレだ。
4506
(1996年撮影)
まへれ~~~~~~~っ

コレが、あの有名な「マヘレの跳ね橋(まへれのはねばし)」だ。
1671年に造られ、1772年に跳ね橋となった、アムステルダムで唯一の木造の跳ね橋だそうだ。
橋の下の川は「アムステル川」と言う。
ちなみに、「マヘレの橋」とは「細い橋」という意味だそうで

チョット離れた場所から見てみよう。
4507
(1996年撮影)
イイカンジだねぇ~~♪

水の都」って~雰囲気タップリ

さて、駅に戻るか。

途中に青空マーケットがあった。
ちょいと覗いてみる。

いろんなモノが売ってるねぇ~
見ていて楽しい

おっ絵葉書があった。
お土産に買っていこ~~っと

…おぅ、ぢーざす

風車の前で、オランダの民族衣装(あの典型的なヤツ)を着た娘がニッコリ笑って籠を抱えている絵葉書があった。
よく見ると、その籠の中身はすべて大麻草
しかもその娘もしっかり大麻を口にくわえている…。

記念にその絵葉書を買ってみた。

それと、性的なものもそれほど規制が無いようで、絵葉書などにも強烈な写真のものが多い。
郵送で出しても、他国には届かナイんぢゃないかな?(笑)
男女ともに、「丸出し」や「どアップ」のモノが多かった。

ブラックユーモアも痛烈なものがある。
ローマ法王がオシリ丸出しで、オナラか何かしている合成写真の絵葉書もあった。

後ろを歩いていた他の国の観光客たちも、何枚かの絵葉書を見た途端…

…おぅ、ぢーざす

と唸っていた…。

なんか、完全にオランダのイメージぐゎ…

街中を歩いていたら、チャイナタウンらしき一角に入ったようだ。
4508
(1996年撮影)
判りづらいが、カンバンには漢字でいろいろ書いてある。

欧州に来て久々に見る漢字。
…そっか、中国を出てもう2週間かぁ~。

外国のチャイナタウンは大きくナイ。
せいぜい、この見えている範囲くらいだろう。
(日本(横浜)のチャイナタウンは、世界最大級の大きさだ)

さぁ、駅前に戻ったぞ
4509
(1996年撮影)
こうやって見ると、確かに東京駅は似ているなぁ~~~

駅のロッカーに行き、荷物を取り出す。
そしてホームへ行き、列車を待つことに。
これから乗る列車は、13:06発の「EC(ユーロシティ:国際特急列車)」のケルン行きだ。
座席は予約していない。
ユーレイルパスは、空席があれば自由に座れる。

列車が来るまで、他の列車をいろいろ撮ってみた。

まずは…
4510
(1996年撮影)
わんこ~~~~~~っ

犬の鼻」と呼ばれている、オランダの近郊用電車「Mat64形」だ。
日本でも、海外好きの鉄道ファンには有名。

このわんこ同士がくっつくと…
4511
(1996年撮影)
ぷりち~~~~~~~♪

何とも愛くるしいスタイルをしている。

このわんこの後に登場した新型車はコレだ。
4512
(1996年撮影)
…鼻が無ぇッス。

この電車は「ICM形」と言う。
列車同士をくっつけた時に行き来が出来るように、真ん中が開いて通路になるように設計されている。
これは日本の特急電車(485系)などと同じデザインだ。
(日本のほうが先に登場しているので、オランダが真似たのかな?)

この2種類の電車、外国の車両の中では異様なまでに日本の電車に似ているので、見ていると何かホッとするモノがある
オランダと日本は仲良しだからねぇ~

…おっ奥のホームに話題の列車がやって来たっ
(画像をクリックすると拡大するよん)
4513
(1996年撮影)
タリス~~~~~~~~~っ

THALYS(タリス)」という、高速新線(新幹線)用列車だ。
フランスの新幹線「TGV(テジェベ)」と同型。
タリスは、フランスベルギー・オランダ・ドイツ間を走るために設計された。
この先頭車は、初代TGV(オレンジ色)と同じスタイルの初期型だ。

手前のホームに座っていた金髪美女とのコラボがイイねっ
タリス」とは女性っぽいイメージになるように名付けられたモノ。
(由来や意味は特にナイらしい…)
似合っていて、オラのお気に入りの1枚だ

さぁ、列車がやって来た。
いそいそと一等車に乗り込む。

今度の車両は、ドイツ(旧西ドイツ:DB)の車両だ。
今朝まで乗っていた旧東ドイツの車両とは比べ物にならないくらいの快適さ

今回もコンパートメント(個室)に陣取る。
昼なので空いている。

出発後、列車は時速200Km位で快調に、滑るように飛ばす。
いつの間にか国境を越え、ドイツ国内に入っていた。
(明確な国境のシンボルは見当たらなかった…

ほどなく、列車は目的地「ケルン」駅に到着(15:42着)。

駅のホームはこんなカンジ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
4514
(1991年撮影)
機関車がチト古いが、ホームはそのままだ。

この丸っこい機関車、「103型」と言い、少し前のドイツ(西ドイツ)の花形機関車だった。
セレブな豪華特急列車をガンガン牽き、200Km以上の速度でカッ飛ばしていた
日本にも、この機関車のファンは大勢いる

右が従来の塗色。左の赤いのが新しい色。
左は「よだれかけ」というアダ名が付いていた。

ちなみに、今回乗った客車は、この写真の中央奥に写っている車両と同じタイプのモノ。

さて、駅の外に出よう

ケルンの街はこんなカンジ。
4515
(1996年当時のパンフを撮影)
川を挟んで街があり、中央のノッポの教会大聖堂)がその中心。

教会の右下にケルン駅がある。

この教会裏にあるインフォメーションセンター(観光案内所)で、今夜泊まる宿の予約をする。
駅の裏側(川側)すぐそばにあるホテル「Domblick(ドームブリック)」に決まった。
1泊朝食付きの3人部屋で105DM(約7800円)。
ベルリンよりはるかに安い

ホテルといっても、街中にくっついて並んでいる建物の1つなので、それほど大きくない。
(日本の小さなオフィスビルやカプセルホテル並みの間口くらい)

部屋に入ると、なかなかどーして
シンプルながら、キレイで快適そうだ

早速荷物を置き、街へと繰り出す。
ケルンは以前(1991年)来たことがあるので、勝手知ったる街
のんびり歩き回る。

17時くらいになったので、お腹が空いたから食事することに。
…当然、ドイツなら「 ビール祭り」でしょう(笑)

大聖堂の周りを歩いていると、一軒のビアレストランが目に留まった。
4516
(1996年当時のパンフを撮影)
賑わってて、なんか楽しそうだなぁ~~~~♪

相談して、ココに入ってみた。
お店の名前は「früh am Dome(フリュー・アム・ドーム)」。

ココはケルンでも老舗らしく、かなり賑わっている。
…コレは「当たり」っぽいぞ

お店の中はこんなカンジ。
4517
(1996年当時のパンフを撮影)
東京・銀座のビアホール「ライオン」っぽいフンイキと言えば伝わるか?(笑)

黒ビールを頼もうとしたら、なんと「ビールは1種類しかない」と言われて、問答無用でビールが入ったグラスを置かれた。
ココは「ケルシュビール」という、ケルンの地ビールのお店らしい。
なので、迷わずコレを飲むことに。

ちなみに、グラスはコレ。
4518
(1996年当時の実物を撮影)
俗に言う「ゾンビグラス」だ。

カクテルなどでよく使うサイズのヤツだね。
ビールが入ったこのグラスを専用の入れ物にたくさん入れて、お店の人が歩き回っている。
グラスが空になったら、お店の人が持っている新しいのをもらうシステム。
(「わんこそば」ならぬ「わんこビール」だ

一杯が200mlの少量なので、自分のペースにあった配分で自由に飲めるのがイイところ。
アルコールに弱い人でも安心だ

味は「ピルスナー」に近く、軽く苦味があるがあっさりと爽やかで飲みやすい口当たり。
解りやすく言えば、「苦味のあるスーパードライ」なかぁ…
(ホントはもっと違う上品な味だが)

料理も当然、地元のケルン料理も頼んだ。

・そら豆とベーコンのクリームがけ
・ウィーン風カツレツ(日本で言う「カミカツ」)
・アイスバイン(豚腿肉の塩漬けを茹でたモノ)

いかにもゲルマン民族」的なメニューだ
味は、言うまでもなく超まいう~~~~

我々のエリアを担当していたお店のおじさん、愛想が良くてとっても優しい(マリオみたいなカンジ)
ウチらが日本人だと判ると、さらに優しくなった。
敬礼で挨拶してくれるし(これは戦争(日独伊・三国同盟)の名残だが…)、カタコトの日本語でいろいろ解説してくれる。

とっても楽しかったので、おじさんにチップをはずむと大喜び
お礼にグラスとコースターをくれた。
…と言うより「こっそりポケットにしまって持って帰れ」というジェスチャーだったが。
(このグラス、店ではお土産として販売しているのを、内緒でコッソリくれた状態。日本まで無事に持って帰るのがタイヘンだった…

コースターはコレ。
4519
(1996年当時の実物を撮影)
ドイツのビアホールに行ったら、コースターをコレクションするのも楽しい想い出になる(地域ですべて違う)

料金は、チップ込みで3人で90DM(約7000円)だった。
ヒジョーに満足

少し街を歩き回り、駅の売店で夜食用にヴルスト(ソーセージ)を買い、宿へ戻った。

いやぁ~~~、楽しかった

シャワーを浴び、今日は早めに寝るとするか。
(まだ21時

それぢゃ、おやすみぃ~

つづき「その46」はこちらーっ!

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2013年7月22日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その44:これからの移動場所~

前回「その43」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

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今回は、ちょうど欧州に入ったので「キリがいい」(笑)
…ということで、これから滞在(経由)する各都市の位置をご覧いただこう

では、地図をば。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その44・地図・これからの移動場所-4401
(1996年当時の地図を撮影)
ヨーロッパの中央部だよん

の順に、黒っぽい太線の路線を列車で移動したッス

各地の都市名は以下のとおり。(カッコ内は国名)

…ベルリン(ドイツ)
…アムステルダム(オランダ)
…ケルン(ドイツ)
…ローテンブルク(ドイツ)
…ミュンヘン(ドイツ)
…フュッセン(ドイツ)
…パリ(フランス)
…クール(スイス)
…ジュネーヴ(スイス)
…ポルトボウ(スペイン)
…バルセロナ(スペイン)
…マドリッド(スペイン)

そして、の直後に、ポルトガルにあるユーラシア大陸最西端「ロカ岬」へ到達

では、いよいよヨーロッパ最西端へ行ってみよぉーーーーーーーう!!
(゜`-´)/ おいーっす

つづき「その45」はこちらーっ!

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2013年7月18日 (木)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その43:ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ~

前回「その42」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名・名称等にふり仮名がないものは、前回までの日記を参照されたし。

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1996年7月12日(金):晴れ ときどき くもり

Berlin(ベルリン) →

おはよう

今日はお宿でモーニング

簡単な朝食だけど美味しい
欧州のパン・バター・チーズって、日本のと味が違うような…
こちらのほうが「コクがある」感じぃ~~~。

一通り腹に詰めた後は、部屋でのんびり。

このホテル(ペンション)の部屋は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4301
(1996年撮影)
至ってシンプルな造り。

料金と設備のバランスが良くないけど、東西統一後の復興整備中のベルリンでは仕方がナイ…
(宿泊費に「復興税」がタップリ含まれている)

さて、今は地球のどこにいるのかと言うと…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4302
(2019年のグーグルマップより)
だよん

ついに欧州の中央部にたどり着いた

今まではのルートでアジアの香港(右側)から列車でやって来た。
右端のウルムチから左斜め上のノヴォシビルスクまではこんなに近いのに、わざわざ極東の北京まで一度戻っているというこの酔狂さ。

我々の最終目的地は、ポルトガルのリスボア近郊にあるロカ岬だ。(地図の

この岬は、ユーラシア大陸最西端で、今回の旅にふさわしいゴールと言えよう。

…ホントは、リスボアのお宿でおばちゃんに「ロカ岬に行ってきなよ」と言われて初めて知ったのだけど~

ちなみに、からの帰路はのトルコのイスタンブールまで列車とお船で移動した。 
からは、ひこーきでシンガポールへひとっ飛び

次に、ドイツの地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4303
(2019年のグーグルマップより)
四角い国ぃぃぃぃ~~~~っ

ドイツは、南北800Km・東西600Kmほどの大きさで、日本で言うと東京・札幌・大阪を四角く囲んだ面積に近い。
お隣のフランスは一回り大きく、スペインとは同じくらいだ。

今いるのはベルリンで、ドイツの首都だ。
ちなみに、東西統一される前は、西ドイツ側はボンに首都を置いていた。
(東ドイツはベルリン)

余談だが、国の位置に対して首都がミョーに東の端っこある気がするよね
これは、第二次世界大戦前はもっと東にも国土があったけど、敗戦でソビエトに国土を奪われ、ポーランドの国全体を西にズラしてソビエトの領土を広げたためだ。

今日からしばらくは、ドイツ国内を巡って行くよん。
(オラがどうしてもドイツに来たかったのだ

さて、出掛けよう。

観光も兼ねて、今夜の夜行列車の指定券を取りに行かねば。
宿代を浮かすために、今夜は列車で寝ることにした。

我々が持っている「ユーレイルパス」は欧州内乗り放題なので、これを上手く使って宿代を節約するのだ。
この技は結構使われているので、夜行列車は座席を予約しておいたほうが良い。
それに、今は夏休みのシーズンだし、今日は週末なので、学生達も大勢乗って来るからね

12時になったのでチェックアウト。

荷物を持って、最寄りの「Witzleben(ヴィッツレーベン)」駅へ行く。
とりあえずは、大きな駅の「Berlin Zoo(ベルリン・ツォー)」駅まで行こう。

ベルリンの鉄道路線図は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4304
(1996年当時の実物を撮影)
複雑ぅぅぅぅぅーーーーーーっ

まぁ、東京や大阪のほうがもっと複雑なので、数回乗れば大雑把に理解出来るだろう…

今いるのが、左端の濃いオレンジ「U2」と青緑「RB12・RB18」と茶色「S45・S46」の線が交差している所。
…で、目的地はオレンジを右に5つ進んだ大きな乗換駅の「Zoologischer Garten」だ。
Zoo(ツォー)」と言う名のとおり、ここには動物園がある。

…あ、「U2」の地下鉄(Uバーン)だと乗り換えなしで行けるぢゃん

昨日は、近郊電車(Sバーン)の紫「S75」または青「S3」から茶色「S45・S46」に乗り換えて来たので、今日は地下鉄で行こう

昨日と言えば、スウェーデンから来て到着した「Berlin-Lichtenberg(ベルリン・リヒテンベルク)」駅は、中央ちょい右の太い5色の線から紫「S7・S75」とオレンジ「S5」が分岐した2つ目にある。
(茶色「U5」と交差している所)

ちなみに、この地図の裏面は、もっと広域の郊外電車の路線図になっていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4305
(1996年当時の実物を撮影)
大都市ぃぃぃぃぃ~~~~っ

各方向に路線が伸びているねぇ~。

こちらの面は使用しなかったので、参考までにどーぞ
(こういう路線図が好きな鉄ちゃんも多いのでね

さぁ、ツォー駅に着いたぞ。

DB(ドイツ鉄道)の駅舎の窓口に行って、夜行列車の予約をする。
切符はすぐに取れた

欧州はインターネットが発達しているから、楽でいいねえ~。
1ヶ月前の、中国で手売りの指定券を入手した苦労とは大違いだ

予約した列車の指定券は、これ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4306
(1996年当時の実物を撮影)
あむすてぇぇぇぇ~~~~っ

オランダの「Amsterdam CS(アムステルダム中央)」駅行きの、急行列車だ

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 おまけ 

ここで、切符の読み方を解説をしよう。

まずは、中央の青い枠内から。

青い文字はドイツ語・フランス語・英語の順で書いてあり、印字の横に絵文字(ピクトグラム)も表示されているので、多言語の欧州内のみんなが解りやすいようになっている。

3 Sitzplätze」は「座席3人分」で、「BERLIN ZOO → AMSTERD CS」は「ベルリン・ツォー駅からアムステルダム中央駅まで」という意味。
その下に「12.07」と書いてあるのは「7月12日」で、「23:55」は発車時間で、「340」は列車番号で「D340列車」という意味。
左下の「Abteilwagen」は「コンパートメント(個室)車」で、「Nichtraucher」は「禁煙」という意味。

初めてドイツに来た時にすぐに覚えたのが、この「Nichtraucher(ニヒトラウハー)」という単語だった。
これを言えないと、喫煙車に座らされてしまうのでね。
Nicht(ニヒト)」で「禁止」という意味なので、覚えておくと便利

中央下の「Kl. Cl. 2」は「2等車」で、「 175」は「175号車」、「Mitte Milieu 24」は「真ん中の24番席」、「Gang Couloir 22 21」は「廊下側の22・21番席」という意味。
黒い文字の上段(MitteとGang)はドイツ語で、下段(MilieuとCouloir)はフランス語だ。

最下段の「Res-Entgelt」は「支払い」で、左端に「DM3.00」と書かれている。
我々はユーレイルパスを持っているから座席指定のみの切符なので、3DM(240円)と安い。
(DMは「ドイツマルク」の記号。1996年はまだ「ユーロ」に統一されていない時代)

そして最後に、右上はこの切符の発行駅「Berlin Zoologischer Garten」と発行日「1996年7月12日」が書かれている。

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さぁ、これで移動の足が確保出来たので、夜まで自由行動にしよう

まずは、駅のコインロッカーに荷物を預ける。
ロッカーの場所はかなり広い。
余りに広いので、迷わないようにしよう…

そして、最初は3人で有名な「ブランデンブルク門」に行くことにした。

Sバーンに乗って「Unter den Linden(ウンター・デン・リンデン)」駅で降りる。
(路線図の中央の、ピンク「S1」と緑「S2・S25」が4色の線と交差する1個下の駅)

ちなみに、ウンターは「」、リンデンは「菩提樹(ぼだいじゅ)」、つまり「菩提樹の下」駅という意味だよん。

全然関係ないけど、あの有名な音楽家「J.S.Bach(バッハ)」の「Bach」の意味は「小川」なのだ。
なので、「J.S.Bach」さんは「ヨハン・シュトラウス・小川」さんなのよ

地上に出ると、すぐそばにブランデンブルク門があった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4307
(1996年撮影)
おぉ、いぇい

これが、あの歴史的大イベントの現場かぁ~~~っ

これは、旧西ドイツ側から旧東ドイツ側を見たもので、門の向こう(東ドイツ側)は大々的に整備中だ。
クレーンがたくさん見えるね。
2013年の現在は、整備されて広場になっている)

ちなみに、オラが立っている場所が、あの「ベルリンの壁」があった場所で、オラの手前側が旧西ベルリン。
壁があった場所には、その印が道路にず~っと埋め込まれていた。
この場所の印は車道上にあるために直接見ることが出来ないけど、少し移動すれば歩道上にも印があるよん。

門に近寄ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4308
(1996年撮影)
ついに来たッス

これは、門をくぐって東側から見た状態。
ここから東ドイツ国民が笑顔で出て来たニュースは衝撃的だった…
(わずか5・6年前までは、日本人等の資本主義国の人間がこの位置に立つことは、ほぼ不可能だったのだ)

門の上の銅像をアップで。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4309
(1996年撮影)
う~~~ん、ドイチュラント

間違いなく、オラは今ドイツの首都ベルリンにいる。
激しく感動

ちなみに、ドイツの国名はドイツ語だと「Deutschland(ドイチュラント)」と言う。
ジャーマン」や「ゲルマン」は、別の言語での呼び方だよん。

オラのへっぽこアナログコンパクトカメラではキレイに撮れないので、ここで買った絵葉書でブランデンブルク門を再度ご覧いただこう。

まずは、これ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4310
(1996年当時の実物を撮影)
キレイだねぇぇぇぇ~~~~っ

夕焼けのグラデーションが何とも

銅像のアップもあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4311
(1996年当時の実物を撮影)
カァ~~ッチョエェ~~~~~ぃ

やっぱりプロの写真は違うねっ

ここで1人と別れて、2人で行動開始。

お次の目的の「ベルリンの壁」を観に行くことにした。

まずは、この周辺の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4312
(1996年当時の地図を撮影)
かなり複雑ぅぅぅぅ~~~っ

細い路地がいくつもあるので、かなり複雑な街になっている。

今いるブランデンブルク門はだよん
から右側が、旧東ベルリン)

ベルリンの壁は、「壊された」とは言え、まだまだ多くが残っていた。(地図の白のシマシマ模様の部分)
一部は、記念に残しておくために保存されている。

周囲を歩いていると、突然壁に出会える。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4313
(1996年撮影)
延々と続く「悲劇の国境」。

今オラが立っているのは、旧西ベルリン側だ。

壁にはいろいろな落書きやメッセージが書かれている。
当時の西側住民が書いたモノや、最近書かれたモノもある。
当時は東側に落書き出来る訳がないので、東側に書いてあったら新しいモノだ。

年代ごとに東側の兵士に射殺された人数が書いてある壁もあった。

これが一番悲しかった。

壁が崩壊するわずか数ヶ月前にも犠牲者がいたのだ。
あと数ヶ月耐えていれば…」と思わずにはいられない。

ここで、ベルリンの壁の位置について説明しておこう。

前回の「その42」でも説明したけど、検索等でこのページに来た方の為にもう一度しておく。
詳細は以下に書いたので、興味がある方はお読みください

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 おまけ 

まずは、古い地図をご覧あれ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4314
(帝国書院の高等社会科地図帳(1987年版)P58を撮影)
これがドイツ東西統一前の、悲劇の都市ベルリンだ。

赤い壁で囲まれた「西ベルリン」と書かれているエリアが、資本主義国(英・仏・米)の西ドイツの管轄地で、それ以外の周囲は社会・共産主義国の東ドイツ領だった。
つまり、西ベルリンは西ドイツの「飛び地」で、本土とはかなり距離が離れている。

何でこうなったかと言うと、第二次世界大戦で日本とドイツが敗戦国となった時に、ドイツは4ヶ国(英・仏・米・ソ)で分割統治されることになった。
そのため、首都のベルリンも4分割され、各国が管理し始めた。

すると、資本主義3ヶ国の管理する西ベルリンとソビエトの管理する東ベルリンとの経済格差が大きく開きはじめた。
社会主義国は、構造や思想もかなり違う。
そこで、資本主義3ヶ国とソビエトとの溝が深まり、ドイツ内のそれぞれの管理区域を「西ドイツ」「東ドイツ」と言う別の国にしてしまった。

ここでソビエト側に不都合な事が生じた。
ソビエトが支配する共産主義の管轄内に、西側への「抜け道」が出来てしまったからだ。
ベルリン市内へ行って西ベルリンのエリアに入れれば、列車や飛行機で自由な世界へ脱出することが可能だったのである。
(列車は東側領内は無停車で、厳戒態勢で監視された)

なので、東ドイツ国民を西ベルリンとの行き来をさせないようにするため、突然予告なしにこの地図の赤い壁「ベルリンの壁」が出来てしまった次第。
境界線上に位置する物は、地下鉄も家の窓も、全て塞がれた。

突然離れ離れになってしまった家族や恋人達が続出。
壁まで行けば遠くから顔を見ることは出来ただろうが、話しをすることは当然出来ない…
もし、東側の人が挙動不審な動作をすれば、東側の兵士によって「即射殺」だ。

そして、アメリカ等がソ連への見せつけの意味等も込めて、西ベルリンに「これでもか」と生活物資を大量に供給。
よって、東ベルリンはだんだん貧しくなっていき、制限・監視だらけの東ベルリン(東ドイツ)に比べて、西ベルリンだけは豊かで自由な生活が送れた。

その後、東ドイツの恐怖政治と抑圧に耐えられなくなった市民達が、この壁を越えて「自由で楽しい豊かなエリア」に逃げようと試みた。
その度に、見つかった市民は東ドイツ側の兵士によって射殺されるという悲劇が繰り返されてきた。
(西ベルリンへ入れれば、飛行機で欧米各国へ行くことが出来た)

1989年11月に、市民デモ等で切羽詰まっていた東ドイツ首脳陣の単純なミスによって壁の通り抜けが自由になる法案がわずか数日で可決・施行され、1989年11月9日にベルリンの壁のゲート(国境)が開かれて市民が一気に西ベルリンに流れ込んだ結果、東ドイツという国はあっけなく崩壊してしまったという訳。
(その数ヶ月前までの書記長は若手部下の周到な作戦にハマって失脚し、すでにソビエト政府にも見放されていたようだ)

その後、1990年10月3日に、崩壊した東ドイツが西ドイツに吸収合併される形でドイツは急速に東西統一され、現在に至るという訳。

この歴史の流れを知っておかないと、ドイツ、特にベルリンという場所の事がよく理解出来ない。

もし、日本も分割統治されていたら、関東以北の東日本がソビエトの管轄になって、東京の23区内がベルリンと同じように分割管理されていたかもしれない。
そして、人々は西日本へ脱出しようと試みて……というような歴史になっていた可能性も否定出来ない。
(実際、ソビエトが北海道の半分近くを分割統治したいと言ったそうだけど、米大統領がこれを拒否したらしい)

日本が占領していた朝鮮半島は、みなさんもご承知のとおり、アメリカとソビエトで分割統治され、現在の韓国と北朝鮮になっている。
日本が今の状態でいられるのは、奇跡に近いのだ。
(ほとんどは米国の思惑で決められた)

このように、べルリンは欧州最大の華やかな都市でもあるけど、悲しい都市でもあるのだ。
わずか6年前までの出来事だ。

 おまけ ここまで 

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その「」と「ベルリン」を象徴する組み合わせを撮ってみたのが、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4315
(1996年撮影)
これぞベルリン。

戦後の悲劇をずっと見て来たSバーン車両と壁。
戦前から走っている古老の車両達は、さぞや気持ちは複雑だろう…

今見えている車両は比較的新しいタイプで、復興に併せてキレイな最新型車両も続々投入され始めていた。

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追記(2019年6月

この写真を撮った場所を特定すべく、2019年6月にグーグルマップで細かく調べていたら…

何とこの1996年当時のままの部分をハッケーーーン

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4316
(2019年のグーグルストリートビューより)
残ってるぅぅぅぅぅぅーーーーーっ

高架下に描かれた落書きが、何と今でも残っていたのだっ(街の地図の

WER」や等が全く一緒でしょ
撮影は2009年10月となっているので、少なくとも13年間はこのまま残っていたことになる。

線路周りはだいぶ近代化されたけど、高架下のレンガ壁等は当時のままだね
でも、壁は撤去されていて、モダンな大きなビルが建っていた。
グーグルストリートビューで確認したら、こののエリアの壁は、ほんの一部しか残っていなかった。
街の地図の中央上部にあるシマシマ部分の壁は、今でもしっかり残っているようだ。

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もう少し歩いてみよう」と2人で歩いていると、広い場所に出た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4317
(1996年撮影)
おぉ、長いっ

ここはかなりリアルに壁が残っているねぇ…
ワザと残している場所っぽい。
2019年6月の時点でこの場所は特定出来なかった。もう無くなっている可能性大)

手前が西側だとしたら、壁の後ろのアパートは東側なので、やはり壁の面には窓がナイね。
このアパートの住民は、どういう心境で生活していたんだろう…

わずか6年前までの出来事だからね…

さて、しんみりした気分はここまで

いったん、さっきの「ブランデンブルク門」に戻ろう

門に戻ると、周りに青空市場が出ているのを見つけた。
昔にオラを虜にしたイイ香りがするので、その方向に歩いて行くと…

当然、「ヴルスト(ソーセージ)」様と「おビール」様が売っていないワケがナイ(笑)
鉄板の上でジュージュー言いながら、オラに食べられるのを待っている

いそいそと買い込み、その場で立ち食い。

…あぁ、ドイチュラント

ココロもカラダも生き返った

やっぱり、本場のモノは超~美味しい~

ドイツのビールは、日本で言う「キリン一番搾り」や「サッポロ黒ラベル」のような、全国統一ブランドのモノは存在しないので、その土地にはその土地の「地ビール」しかナイのだ。

…これは困った。

行った先々で、全て味見しないとイケナイではないかっ

…あぁ、困った。どうしよう

腹も満たされたので、市場を見物することに。
どうやら、このエリアは「フリーマーケット」っぽい。

そんな中、さっきの「」をお土産で売っていた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4318
(1997年頃の実物を撮影)
ホントに本物かなぁ~~~

一応、証明にならない「証明書」付きだ。(笑)
日付は「9.NOV.89」、つまりベルリンの壁が事実上崩壊した1989年11月9日だ。

これは、帰国後に近所の人からおみやげでもらったもので、この時は自分では買わなかった。

イメージとしては、こんな感じなのだろう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4319
(1996年当時の絵葉書を撮影)
まさにこの場所でベルリンの壁を破壊している状況だ

この場所って、オラが記念撮影した場所のすぐ左横の位置だね。

壁を買わなかった代わりに、「おぉ」というグッズが売っていたので、思わず買ってしまった。

どん!
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4320
(1996年当時の実物を撮影)
でぇーでぇーあぁーーーるっ

DDR(デーデーアール)」と書かれた新品のプレートだ。

これは、自分のクルマの前後に貼り付けて国籍を示すモノで、欧州ではほとんどのクルマが付けている。
(現在はナンバープレートの左側に、一緒に表示されている)

DDR」は「東ドイツ」を表していて、「西ドイツ」や統一後の「ドイツ」は「D」の1文字だ。
(ちなみに、日本は「J」の1文字)

裏側は、こうなっている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4321
(1996年当時の実物を撮影)
プレス板~~~~~~っ

金属の板をプレスしているので、重量感がある。

印刷された日付は「1990年2月」で、東ドイツ国家が崩壊する直前の製品だ。
なので、大量に在庫が余ったのだろう…
(崩壊は1990年10月3日

さて、そろそろ17時だし、ツォー駅に戻るか…

来た時と同じく、すぐ目の前の「ウンター・デン・リンデン」駅からSバーンに乗る。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4322
(1996年当時の実物を撮影)
これでベルリンの電車は乗り納めぇぇぇ~~~~

初めてのベルリンは、いろいろ刺激的だった…
あちこちで大工事中なので、数年後には今見えている街並みがガラッと変わってしまうんだろうなぁ…

ツォー駅で下車し、近くの「ヨーロッパセンター」付近をうろつく。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4323
(1996年撮影)
第二次世界大戦中に爆撃されて破壊されたままの教会があった。

これは記念のためにこのまま残しておくそうだ。

違う角度で見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4324
(1996年撮影)
屋根が全く無いね。

この前の広場で、中国人と思われる若い女性が「揚琴(ようきん)」で演奏していた。

心が久々にアジアに引き戻されたので、少し立ち止まって聴いていた。
西洋人達は関心が薄いようで、振り向きもせずに通り過ぎて行く…

その後も少しうろつき、ツォー駅に戻った。

ここで3人が合流し、駅のコインロッカーに向かう。

ロッカーから荷物を出していると、隣に西洋人の若いカップルがいた。

かわいい彼女が彼氏に何か言われて、ちょっともぢもぢしている…。
辺りをキョロキョロ眺めたかと思うと、いきなりズボンを脱ぎ始めた

おぉリアル金髪娘の純白おパンツ

どうやら、着替えたかったらしいけど更衣室がナイので、「ここで着替えちゃえよ」と彼氏に言われたらしい…
すぐ横にいた仲間の2人は、全く気付いていなかった。
オラは真正面からおパンツ様を拝んでしまった。

ありがたや、ありがたや(ー人ー)

後で2人に話したら「何で言わないのぉ~」だって。
彼女の真横にいたから言えるわけ無ぇーだろ

さて、ホームに向かおう。

我々の乗る列車が来る前に、目の前にやって来た列車達を撮影してみた。

まずは、向かいのホームの列車から。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4325
(1996年撮影)
夜行寝台列車だ

車体に「City Night Line(シティナイトライン)」と書いてあるので、新型の寝台車シリーズのようだ。

ドイツの列車の名前は、ナゼか英語が多い。
これは欧州圏共通で親しんでもらうためなのかな
最近の車両でドイツ語の名前って…そういえばあまりナイなぁ~。

この寝台車のシリーズには、車体にこんな絵も描いてある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4326
(1996年撮影)
おぉ、いぇい

これぞ「欧州」な雰囲気
一発で「夜行列車」だって解るね

ちょっとしたら、別の列車がやって来た。

それを見て、オラ、思わずコーフン
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4327
(1996年撮影)
みとろーぱぁぁぁぁぁぁ~~

この赤い車両、窓下に「MITROPA(ミトローパ)」と書かれているでしょ。

これは、戦前からあるドイツの寝台と食堂車を運営する会社の名前で、その会社が所有している車両は全てこのようなデザインになっている。
西側のミトローパは合併より消滅し、東側のはそのままの姿で残った。
それの東ドイツ側の寝台車両だ。
(隣の一般車両も東ドイツ型だ)

まさか、今でも見られたとは…

鉄道誌と模型でしか見たことの無かった「MITROPA」の実物にお目に掛かれるなんて

ありがたや、ありがたや(ー人ー)

ミトローパ」の名前を、アップで撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4328
(1996年撮影)
カァ~~ッチョエェ~~~ぃ

文字の両脇にあるマークは、車輪の上に鷲(ワシ)が描かれたモノ。
でも、鷲は「ナチスドイツを髣髴させる」との理由で、「MITROPA」の「M」の文字に変更された。

2003年に旧東側の都市「Leipzig(ライプツィヒ)」を訪れた時だと思うけど、偶然こんなペーパーナプキンを手に入れた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その43・ベルリン・ベルリンの壁とミトローパ-4329
(恐らく2003年当時の実物を撮影)
あぁ、ス・テ・キ

シンプルなのにカッチョエェ~~

さてさて。

我々の乗る「アムステルダム中央」駅行きの、夜行急行列車がやって来た。
車両は、ベルリンに来るときに乗ったのと同じ、旧東ドイツのシリーズのモノだ。

部屋はコンパートメント(個室)で、我々のほかにドイツ娘3人が同室となった。
話し掛けてくれたけど、ドイツ語なのでほんの一部しか解らなかった…

東ドイツの車両のため、設備は少し古い。
ベルリンにはまだ多くの東ドイツ車両が残っている。
(西側の都市からやって来る列車は、ハイレベルの最新型が多い)

おまけに、2等車なので椅子の奥行きが狭くて寝にくい。
それ以前に、「豆電球だけの薄暗い個室に、若くてかわいい金髪娘達と同室」だという事のほうが、なかなか寝付けない要因だけどぉ~
ベルリンは美女が多い

そう言えば、ここのところ足の関節が痛い。

特に股関節が…。

よく考えたら、ずっと移動ばかりで、宿に連泊してゆっくり休んでいる「OFF日」がナイ…。
そろそろどこかの街で、の~んびり休みたいなぁ。

それぢゃ、おやすみんみ~~~~ん

つづき「その44」はこちらーっ!

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2013年7月15日 (月)

実物日記 ~「撮り損ねたお召列車・かいじ国体お召」1986~

古い写真どぅぇ~っす

今まで撮った写真の中で、「イチバンへっぽこ」かつ「イチバン悔やまれる」モノがこれらだ
それは、1986年10月14日の出来事。

甲府(こうふ)」駅~「原宿(はらじゅく)」駅間に国鉄最後の「お召列車」が走ると聞いた。

「お召(おめし)列車」とは、天皇陛下がご乗車される特別列車のこと。
当然、一般人は乗れるはずもなく、近付くことも出来ナイ。
運転時刻もシークレット。
しかも、「中央本線を走る」というのもヒジョーに珍しいモノ

山梨県で開催された「かいじ国体」にご出席されるために、10月11日14日にそれぞれ片道運転された。

当時はネットも何もナイ時代。
何とか運転時刻を聞き出して(おいおい:笑)、いそいそと「中野(なかの)」駅まで出掛けた。

中野駅の西側に到着すると、すでに何人かカメラを持った人々が…。
自分も撮りやすい所に立って待っていたら、警官が近付いてきて一言。

「警備しやすいように、みんな1ヶ所に集まってもらってるんだ。こっちに来て」

と言われ、強制的に撮影場所を指定された。

…まぁ、こればかりは仕方がナイ。

沿線とホームとすれ違う列車の全てに警官が配置・警備にあたる、大掛かりなイベントだ。

しばらく待っていると時間になったようだ。

みんながカメラを構え出す。
柵の隙間から同様に、へっぽこカメラを出して構える。
(今で言う(アナログの)コンパクトカメラっすよ。「写ルンです」よりも画質が悪いかも…

そしてやって来たお召列車を撮ったのがコレだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
かいじ国体・撮り損ねたお召列車1986-6401
…う、写っとらんやんけ

シャッターを切るのが早過ぎた…。
何とか国旗が写っているカンジ。

でも、一生懸命何回も撮ろうと、オラはがむばった

2枚目。
(画像をクリックすると拡大するよん)
かいじ国体・撮り損ねたお召列車1986-6402
…お、収まってナイ。

機関車「EF64 77」の、磨き上げられた晴れ姿を収めようとしたのにぃ~
お召列車を牽引する機関車は、運転前に特別に整備され、ピッカピカに磨き上げられる。

そして3枚目。
(画像をクリックすると拡大するよん)
かいじ国体・撮り損ねたお召列車1986-6403
おーまい

手前が切れとるし、奥は電柱にカブっとるやんけ

このシックでシヴい客車の形式名は「」。

これぞ皇族の専用車両「御料車(ごりょうしゃ)」だ
この車両がつながった編成を「1号編成」とも言う。

菊のご紋章の部分に陛下がご乗車されている。
これには写ってナイねぇ…

ちなみにこの「お召し列車」、天皇陛下がご乗車にならず、皇后陛下等の皇族方だけがご乗車する場合は「御乗用列車」と名前が変わるそうだ。
(特別な事情の場合を除く)
その場合、菊のご紋章などの装備は簡略化されることが多い。

そして、最後の1枚。
(画像をクリックすると拡大するよん)
かいじ国体・撮り損ねたお召列車1986-6404
…一体何を撮りたかったんだか。

この1号編成は全部で5両で、機関車を入れると6両だ。
でも4両しか写ってナイねぇ…

まぁ、「中野駅」だという証拠は完璧に残っているが。
(後ろの黒いビルがそう。電電公社→NTTが入っている)

…こうして、人生最初で最後の1号お召列車の撮影は壊滅的に終わった。

1号編成、今は現役を引退して、後継の軽快な電車編成(E655系)に変わってしまっている。
(その電車の姿を写した日記はこちらをクリック

今度の電車編成は、中央の御料車以外は一般の団体列車「なごみ(和)」としても使われる。
(御料車は外されて、大切に厳重に車庫にしまってある)

なので、「それっぽい雰囲気」は味わえるけどぉ~~~~

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 おまけ 

原宿」駅とは、山手線の原宿駅ホームの新宿寄り右側に見える、貨物線(埼京線)の横にあるホームのコト。
これは「宮廷ホーム」と呼ばれ、文字通り皇室専用のホームだ。

現在は長らく使用されていないが、姿はそのままで残っている。
(今上天皇が、国民を思ってあまり経費と手間を掛けないようにご配慮されているので、お召列車の運転自体が少ない)
廃止されてはいないが、いつ姿が変わってもおかしくナイ状況なので、観たい方はお早めに~~~

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2013年7月11日 (木)

離島の旅日記 ~「西のはじっこ、与那国島。2006」その7~

前回「与那国島その6」のつづきーっ!)(「その1」はこちら

離島の旅」シリーズ、沖縄編のラストだよ~ん

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町内サイクリングの後は、いったん宿に戻って休憩。
夕飯までにはまだ少し時間がある。
お店がまだ開いていない

宿の連中と雑談をする。
石垣島の宿で一緒だった男子もいたので、あまり「初対面の緊張」はしなかった。
(緊張してたら、こんな安宿の旅は出来ナイが。

しばらくしたら、外がキレイな夕焼けになって来た。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1101
日本のはっじこに日が落ち始めた

宿の目の前にはがある。
なので、結構涼しい

またしばらくすると…
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1102
おぉ!いぇい!!

雲が多いので、イイ夕焼けになりそうだ
宿のみんなで外に出て、夕日を眺める。

そして…
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1103
えくせれんと

これが日本でイチバン最後に見られる夕焼けだっ

…あぁ、もう都会に戻れナイや。

太陽が沈んだら、が良く見え始めた。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1104
みかづきーーーーーーーっ

キレイな三日月だ

なんか、シルクロードのイスラム圏で見た光景によく似ている。
日没のお祈りの時間だ

さあ、夕方になったので夕飯を食べに行こ~~う
懐中電灯を持って(笑)、祖納(そない)の街の中心に行く。
…中心といっても、数分で周れる集落なのですぐ近くだが。
離島では、日が沈むと真っ暗になって道から外れる(溝に落ちる等)危険性があるので、懐中電灯は必須アイテム

ガイドブックに載っていた、集落の中心にある人気の居酒屋に行ったら、開店直前で客が誰もいないのに「満席です」と言われた。
すでに予約でいっぱいなのだそうだ。

…あなどれないぞ、与那国のナイトライフは。

慌てて向かいの建物の「ビアガーデン」に行く。
与那国には数少ないエレベーターに乗る。
入口が判りにくかった…。

店は普通の居酒屋だ。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1105
ガーデン」と名乗っているが、完全な室内ぢゃん

シーズン中には屋上や庭にもテーブルを出すのだろう、きっと。

料理は美味かった。
特に地物のカジキマグロの刺身が超まいう~
オリオン生ビール」が進む、進む…。

お店の奥さん(?)も若くてカワイイ
…ココ、気に入った

非常に満足したので、宿に戻ろう。

チャリに乗る。
街灯が少ないので、周囲はかなり暗い。
懐中電灯持ってきて大正解♪

宿に戻ったら、↓地元の青年と宿のメンバーたちが飲んでいた。
1106
Dr.コトーの撮影スタッフですか?」と地元の青年に間違われる。即座に否定

みんなで飲みながら話しをする。
途中で↑写真の彼が「三線(さんしん)」を弾いてくれた。
ちょっと感動

その彼と「Dr.コトー」のTV放映を見る。
リアルタイムにリアルな場所で見るドラマは非常に面白い
隣で彼がシーンごとに裏話をすべて解説してくれる。
DVDの「オーディオコメンタリー」のようだ

しばらくして、彼の「先輩」という人がやって来た。
その人も交えて話をしているうちに「ウチの店に来い!全員おごってやる!」ということになった。
みんなで軽トラックの荷台に乗って移動する。
…飲酒運転とか定員オーバーとか野暮な突っ込みはしないように。
わずか1・2分、人がまったくいない道を走るだけだから…。

店に着いて席に座る。
どうやら「先輩」のおばさんの店らしい。
これしかないけど…」と言って出された、メチャクチャ美味いカジキの刺身を食べながら、泡盛飲み放題でカラオケを歌いまくる…。

そこで彼が「ぜひあなたに聴いて欲しい」と、BEGINの「その時生まれたもの」を歌ってくれた。
ハゲしく感動した
…今でもこの歌を聴くと、与那国島と彼を思い出す。

印象深かった飲み会も終わり、みんなで宿に戻ることにした。
オレがおごる!」と言ってた先輩は爆睡
おばさんがいくら起こしてもピクりともしない。
なので、飲み代はみんなでワリカン(笑)

その金額、わずか1000円ナリ。

…や、安過ぎるぅ~~~~っ

帰りの荷台で見た満天の星空はすごかった。
ただ、酔っ払っていてハッキリ見えなかったのが残念。

宿に戻ってからは、みんなで爆睡
おやすみぃ~~~

翌朝、まったりと目覚める。
ひこーきは午前中なので、あんまりのんびりとは出来ない…。
支度をして、宿のおじぃの車に乗り込む。

空港に向かう途中、車中から昨夜の彼を見付ける。
仕事場(「国泉泡盛」)の前で座っていた彼、オラたちと目が合ったら笑顔で手を振ってくれた。

彼がいなかったら、オラの与那国ライフは全然違うモノになっていただろう…。
感謝、感謝

ほどなく、空港に着いた。
1107
…あぁ、もう帰っちゃうのかぁ~~。

…あれ?なんか空港が慌ただしい
到着ゲートの前で係員がテーブルを並べ始めた。

何事かと見ていると、「入国審査」を行うらしい。
…えっ?
国際便なんかナイぞ、この空港にゎ…。

外にはキッズの集団もいた。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1108
歓迎式典だ

お隣、台湾の「花蓮」市長が来日したようだ。
海を挟んだ「ご近所さん」だからねぇ~~。

さて、これから乗る、石垣島行きのひこーきの出発の準備が整うまで、ロビーでまったり。

小さいながらも売店があったので覗いてみた。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1109
一日2~4時間くらいしか開店しない売店。

利益とかは、どーなってんでしょ?

さて、いよいよ搭乗開始となった。
ロビーの人々が動き出した。

荷物のX線検査に並ぶ。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1110
…といっても、この見える範囲で全ての手続きが終わってしまう。

右奥のドアを出ると、もう外だ。

外に出たら、目の前にひこーき
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1111
今から乗るでぇ~~~~~

あぁ、楽しかった、与那国島

今回は時間が足りなかったので、与那国は必ずもう一度来よ~~~~~っと

(沖縄の島々はおしまーい。次のシリーズにつづくーっ!!)

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2013年7月 8日 (月)

離島の旅日記 ~「西のはじっこ、与那国島。2006」その6~

前回「与那国島その5」のつづきーっ!)(「その1」はこちら

離島の旅」シリーズだよ~ん
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日本最西端からサイクリングで、宿の集落まで戻って来た。
(島の地図は「その1」を見てね~

宿のそばまで来たので、いったん寄って休憩しますか。
…ってなワケで、宿へ一時帰還~~~~
体力を回復させるのぢゃーっ
とりあえず、部屋に入る。

ZZZZZzzzzz.....

はっ!Σ(゚д゚;)

寝てもうたぁ~~~~~~っ

あまりの疲労度に寝てしまったようだ。
日が結構傾き始めている…

もう今日はサイクリングは出来ないな…。
(あと半周したら夜遅くまで帰り着けない)
与那国島は1泊の旅なので、明日は不可能。
東半分は諦めよう…。

その代わりに、祖納(そない)の集落をチャリで見て回ることにした。

まずは宿を出て、近くの住宅地をゆっくりぐるぐる。
1001
のどかだねぇ~♪

本土のイナカと変わらない光景だ。

そして…
1002
これも地方の港町っぽいカンジ。

さらに…
1003
おっ!沖縄っぽい♪

古民家がイイカンジぃ~

集落の中心部に行ってみた。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1004
役所ーーーーーっ

与那国町役場だ。
ドラマ「Dr.コトー」でも、志木那島の役場として登場したね。

そして役場の左隣には…
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
1005
診療所だ

与那国の本当の診療所はコレなのだ
結構立派だぞ

さらにあちこち行ってみよう。

…お、なんか大っきなカンバンがあるぞ。
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どなんーーーーーーーっ

与那国の有名な泡盛(あわもり)「どなん」の工場(酒蔵)「国泉泡盛」だ。
どなん」とは「与那国」のこと。
与那国人」で「どなんちゅ」と読む。

与那国の泡盛は、特例でアルコール度数が高いものを作ることが許されている。
なので、「どなん」は60度のモノもある

泡盛は、沖縄の人は水割りかお湯割りで飲むという。
ロックで飲むのは内地の人間だけさぁ~」と、からかうように笑いながら言っていた。

またもや工場らしきものをハッケーン
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まいふな(舞富名)」って書いてあるね。

ココも泡盛の酒蔵、「入波平(いりなみひら)酒造」だそうだ。

入り口を見ると…
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青年たちが一生懸命ビン詰めをしていた。

なんか、手作り感がタップリでイイね
この「まいふな」も60度のモノがある。

チョット進むと…
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古民家だ

しかも、ココは実際に人が住んでいる
これがリアルな沖縄生活の姿か…

さて、集落のはずれにも行ってみようか。
西に向かって移動開始。

途中で見た家には…
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泡盛のカンバンが

金城酒店」…この家も酒蔵なのか

集落の中心付近はこんなカンジ。
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ブロック塀のせいか、あまり沖縄の島にいるカンジがしない…。

竹富島の光景とは大違いだね。

さぁ、集落のはじっこに着いたぞ
集落の高台から坂を下りる。
すると、広~い草むらになっていた。
草むらのはじっこには、小さな川が流れている。

その川の位置から、集落の姿を1枚。
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…空が広い。

こうやって見ると、やっぱ建物は沖縄(本島)風なんだねぇ~。

この川の、南側を見ると…
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わんだほーーーーーーっ

雄大な景色ッス

そして、川面には…
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お約束のマングローブ♪

やっぱ、南の島なんだね。与那国って

さぁ、夕飯食べに行きますかぁ~~~~

つづき「その7」はこちらー!!

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2013年7月 4日 (木)

離島の旅日記 ~「西のはじっこ、与那国島。2006」その5~

前回「与那国島その4」のつづきーっ!)(「その1」はこちら

離島の旅」シリーズだよ~ん
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日本最西端を満喫した後は、サイクリングの再開だ

西崎(いりざき)」からは、島の反対側にある「東崎(あがりざき)」を目指す。
(島の地図は「その1」を見てね~

今度は島の北側の県道を、東に向かって海沿いに進む。
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イイ道だ♪

こちらは車の通りもあるようだ。
祖納⇔(空港)⇔久部良」と「祖納⇔比川」間の道には、人の行き来がそれなりにある。
与那国の集落は「祖納(そない)」「比川(ひがわ」「久部良(くぶら)」の3つしかナイ。
(与那国ライフは、まずこの3つの名前と場所を覚える事からスタートしよう

道端のお花(ハイビスカス?)がキレイだったので1枚。
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南国だねぇ~~~~♪

この道もアップダウンが結構あるねぇ…。
炎天下を汗だくになって進む。
水分調整はこまめにしよう

しばらく進むと、左前方に開けた土地が見えて来た。
空港の滑走路だ

手前で左折し、滑走路を正面から見てみることに…。
舗装されていない、デコボコ道を進む。

滑走路の先端部分に来たところで、右側を見てみた。
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スゲェ~~~~~

この小さな島に、こんなに立派な滑走路が必要なのでしょうか?
…必要なんです

この島は「日本のはじっこ」、つまり「国境が近い」のだ。
有事の際には「最前線」となる。
なので、国防上の理由からも、自衛隊機などが離着陸しやすい設備があったほうが良い。
相手国への「牽制」の意味もある。

ココ最近、中国との関係もなんかギクシャクしているので、ひょっとすると使用することになる恐れも…。
この考えは、ぜひとも杞憂に終わって欲しい。
(オラ、ちうごくは大好きなので

…ま、こんなキナ臭いハナシは置いといて。

滑走路の先(左側)はこんなカンジ。
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一面の「すすき野」だ(札幌ぢゃナイぉ

BEGINの歌的に言うと「かじに~さやさや~、さやぐ~」といったカンジ。
(標準語だと「風にそよそよ、そよぐ」)

さらに進んで、海岸線に出てみることに…。
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正面の丘の向こうが海だ。

ゆっくりと進む。
すぐに丘の上に出た。

すると、目の前には…
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ほうぼくーーーーーーーっ

この辺りは「北牧場」と呼ばれていて、牛くんお馬さんが放牧されていた。
周囲に柵は見えなく、かなり広々としている。

途中の道にも、しっかり「テキサスゲート」があった。
(家畜が脱走しないための、格子状の大きな溝)

空港の建物がある位置くらいまで進む。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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ひろびろ~~~~♪

それにしても、滑走路長いねぇ~~~。
島の6分の1くらいはあるのでゎ…?

少し先に進み、ココでチョット休憩。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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ココはコトー先生が良く来る場所だとか。

座ってみたら痛かった…。
最西端の碑の所もそうだったケド、与那国島は溶岩で出来ているようだ。
なので、岩が固くて尖ってっている

しかも、草むら部分は家畜のフンだらけなので、座れナイ…

…仕方ナイ、先に進むか。

今来た道を戻り、また県道に出る。
今度は空港の建物の前に来た。

ノドが乾いたので、ココで炭酸飲料でも
空港の建物に入る。
……何もナイ。

それぞれの飛行機が到着・出発する前後(2時間程度)しか店が開いていないので、入り口の自販機でジュースを買う。

ウマーーーーーーーーーーいっ
炭酸がカラダにしみるぅ~

水分補給も出来て、気力復活

さぁ、進もう

途中に大きな工場があった。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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おたからーーーーーっ

さとうきび工場

さとうきびは島の宝

沖縄の離島では、サトウキビの栽培が重要な産業だ。
援農隊(えんのうたい)」と呼ばれる内地の若者たちが、収穫シーズン中に手伝いに来ている。
与那国は、さとうきび抜きには語れナイ…。

やっと祖納の集落に戻って来たぞ
これで半周かぁ…

しばらく走ると、交番があった。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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おまわりさぁーーーーーーーん

沖縄県の交番には、このような警官の等身大パネルが置いてある。
その中でも、おそらく彼は日本最西端氏だ。

ふと、足元を見る。
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下水管のマンホールだ。

下水のマンホールは、日本各地で地域独自のデザインが施されているのが多い。
ココのは「日本最西端 そない おすい」と書かれていた。

…はぁ~~、チョット疲れたね

宿のそばまで来たので、いったん寄って休憩しますか。
…ってなワケで、宿へ一時帰還~~~~
体力を回復させるのぢゃーっ

つづき「その6」はこちらー!!

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2013年7月 1日 (月)

離島の旅日記 ~「西のはじっこ、与那国島。2006」その4~

前回「与那国島その3」のつづきーっ!)(「その1」はこちら

離島の旅」シリーズだよ~ん
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急坂サイクリングの末、いよいよ西の端っこ西崎(いりざき)灯台」に到着した。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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天気サイコーっす♪

さて、ココには「日本最西端の碑」が建っている。
コレは何としてでも写真に収めたい

すぐそばにあるので、いそいそと行ってみた。

すると、目の前に…
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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どどぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~ん

ついに来た
リアル日本のはじっこ♪

まずは、「来た」という証拠写真を。
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おぉ、いぇい!!

…この頃、オラは茶髪だったのだ
さすらいの旅人」ってカンジがするっしょ

はじっこ」と言うからには、を入れて撮らないと意味がナイ。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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完璧ッス

さらにギリギリの地点まで寄って、海を撮ってみた。
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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これがリアルな日本のはじっこだっ!!

海面に沈むように陸地が消えている。
イチバン先っぽのが、日本最西端の陸地

この111Km先は、もう「台湾(たいわん)」だ。
いろいろ話題になっている「尖閣諸島(せんかくしょとう)」は、写真の右斜め後ろ(北東)へ150Kmほどの位置にある。

これで南と西は制覇したぞ

さぁ、サイクリングの続きだ
振り返って島のほうを眺めてみた。

すると、目の前に…
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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おぉ、いぇい!!

なんとこれも「Dr.コトー」のエンディングに出てくる光景ではナイかっ

港の右奥(岸壁)に建っている建物が、ドラマに出て来た「漁協」だ。
手前の堤防は、急患用の救助ヘリが飛んで来たところ。
実際には、自衛隊や海上保安庁などが使用するのだろう…。

視線を少し右に移すと…
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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ワイルドっす

これが与那国島の本来の姿ッス

さぁ、チャリに乗って移動開始っ
今度は下り坂なので、快適、快適
あっという間に港にまで降りて来てしまった。

ここで、草むらの中にがあるのを発見
(画像をクリックすると拡大するさぁ~)
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さいせいたーーーーーーーん

おそらく、この家が日本でイチバンはじっこに建っている人家であろう。
でも住んでいる気配はココからは感じ取れなかった…。

明らかに人が住んでいる、最西端の建物はコレ。
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民宿だ。

ダイビング関連のサービスも行っている、日本最西端の民宿
ココに泊ると、日本のはじっこ気分を味わえるぞ

この近くには、港関連の建物もいくつか建っている。
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倉庫かな?

ドラマでも出てきているのだろう。
あまり記憶にナイ…。

さて、ココでお腹が空いて来た。
そういえば、お昼なのにまだ何も食べてなかったね…。
しかも、あんなにチャリこいで運動したから、なおさらだ。

この集落「久部良(くぶら)」で食事を摂らなかったら、この先6Kmくらい進んだ「祖納(そない)」地区まで何も、ホントに何も無い。
死んでまうがな…。

ガイドブックを見ると…
なんとこの集落に、おされな「カレー屋さん」があるではナイかっ

ホントにぃ~~~~~~~??!!

他に店や売店も無さそうなので、半信半疑で行ってみた。
そしたら、集落の中にお店「ユキさんち」があった
日本最西端のカレー屋さんだ。

チャリを停めて、店の中に入る。
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おされ~~~~~~~~♪

古民家を利用した、シンプルながらもおされなお店だ。
まるで都心近郊吉祥寺や下北沢、横浜、神戸など)にあるようなカンジ

せっかくなので、軒先の席に座る。
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イイねぇ~~~~~~~~♪

ホントに日本のはじっこにいるとは思えないほどの、おされっぷり
お客も店員も若者ばかりで、女子が多い。

こんな場所なので、この集落にはもっと古臭い、「おじぃ」や「おばぁ」がやっている「大衆食堂」しかナイと思っていたので…

メニューを見ると、ヘルシーで女子にウケまくりそうなカレーが書いてある。
でも、場所が場所だけに、いろいろな素材は手に入りにくい。
よって「本日のカレー」みたいなカンジになっている。
これはさすがに仕方ナイね…。

ちなみに、お値段は都心価格だ。

おいしいカレーを食べながら、外を眺める。
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さっきまでいた「はじっこ」が良く見える

山の右上にニョキッと生えているのが、さっきの西崎灯台だ。

余談だが、このお店、トイレが異様に広い
8畳間くらいの広い空間に便器がポツンと2つ(大小)いらっしゃるだけ。
便器の両側にも、つい立てのようなモノも何もナイ。
壁と屋根の間には少し隙間があって、外の光と木々が見える。
(もちろん、外からは見えない)

ドアには当然カギがあるので、一人っきりの空間なのだが、なんとも落ち着かない…。
女子は相当ビックリするんぢゃナイかな 

解放感をタップリ味わえるトイレ」と言えば、そうかもしれない。
まぁ、「超清潔なちうごくのトイレ」と思えばまったく問題ナイが

さぁ、お腹も満足したので、またチャリに乗って出発だぁ~~~~~

つづき「その5」はこちらー!!

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