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2011年4月

2011年4月28日 (木)

実物日記 ~「ザ・拝島駅」1986~

今回もサラッと。

昔の写真だぢょ

たぶん、1986年に撮影したモノで、以前、日記に書いた「奥多摩の貨物」と同じ年(日)に撮ったと思われる…。
(画像をクリックすると拡大するよん)
八高線拝島駅1986-3001
国鉄「拝島(はいじま)」駅にたたずむキハ30系の普通列車。

このホームは「八高(はちこう)」線だ。
今でも同じ場所にホームがある。
青梅線ホーム(3番線)から撮影。
(青梅線のホームは現在拡幅されて、現3番線は写真の左隣の線路に相当する)

キハ30+キハ35+キハ30の3両編成。
真ん中のキハ35は、ステンレス車体の900番台(試作品)だ

後ろの西武線ホームは、まだ短くて見えてナイや…。
(この頃って6両分しか無かったっけ

八高線車両って、いつも拝島駅で長時間停車していたよなぁ…。

そのホームの向こう側には…
(画像をクリックすると拡大するよん)
八高線拝島駅1986-3002
でーでー」の重連がやって来た

この頃の八高線は、ディーゼル機関車の「DD51」が重連でセメント貨物列車を引っ張っていた。
東飯能(ひがしはんのう)」駅から「八王子(はちおうじ)」駅まで、チチブセメントの「ホキ5700」と「タキ1900」を主なお供として走っていた。

機関車の車端部の排気用ルーバーの上にある、小さな風量計みたいな風車が「ふ~よふよ、ふ~よふよ」回ってたのが印象に残っている。
でーでーは、いつも拝島で昼寝していたので、風車が少ししか回転していなかった。
動き出す時には、爆音とともに風車の形が見えなくなるほど高速回転してビックリしたのも、あぁ、遠い想ひ出…

ちなみに、後ろの民家のさらに向こうは米軍の「横田基地」だ。

そんなでーでーの手前っ側では…
(画像をクリックすると拡大するよん)
八高線拝島駅1986-3003
で~い~~~~でっせ

でーいー」こと「DE10」が「さぁ~て、今からタンク車を引っ張って行こうっかなぁ~」と、準備しているところ。
八高線ホームから青梅線ホーム側に向かって撮ったモノ。

これは俗に言う「米タン(べいたん)」で、軍横田基地にジェット燃料を運ぶための専用タンク列車だ。
川崎臨海地区から、南武線と青梅線を延々と上って来た。

拝島までは電気機関車(ED16・EF15・EF10・EF64・EF65)なのだが、ココから基地内までは「DE10」の出番だ
いったん立川方面に引き上げ、そこから西武線を横切り、街道を横断し、基地内へと入って行く。

ちなみに、その貨物線は米軍の管轄なので、勝手に線路内に入ったらどうなるか、オラ知らないよぉ~
(少なくとも、日本の法律&警察はまったく効果が無いことは確かだ)

今はJRのカッコイイ機関車が、これまた丸々とした近代的なタンク貨車を引っ張って走っている。
だいぶイメージが変わったものだ…。

…んで、そのタンク貨車「タキ3000」は。
(画像をクリックすると拡大するよん)
八高線拝島駅1986-3004
シンプルぅ~~~

ご覧の通り、形式名などの必要なモノ以外は「700093」としか書かれていない。
屋上のハッチ周りの手スリもナイしぃ。

車輪も良く見てよん
スポーク車輪とプレート車輪の両方が付いているねぇ

これが米タンの正しき姿

だが、もっと良く見てみよう
数字の周りに、何か消した跡が…

上下の線の間に挟まれて「USA 700093」と書かれていた形跡が。

さらにその上には…

UNITED STATES ARMY」の文字が。

現在では消されてしまっているが、当時は賑やかなデザインだったのだ。
その時の写真と、ナゼ消されてしまったかの理由(きっかけの出来事)がこちらに書かれているのでご参照願いたい。

…ま、こんなカンジで、のんびりとした時代の拝島駅でしたぁ~

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2011年4月25日 (月)

実物日記 ~「中央東線」1980's~

一応、「中央東線の時刻表1975」からのつづきーっ!

今回は、「特攻野郎Bチーム」の展示会準備で忙すぃので、サラッと

前回の時刻表の続き…といえば、つづきになるのだが、こんな写真も持っているのだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線1980s-101
中央線「中野(なかの)」駅を通過する、下り急行「アルプス」。

まだグリーン車が入っているが、末期といってもイイ頃の時代だ。

同じく…
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線1980s-102
高円寺(こうえんじ)」駅を通過する、上り急行「アルプス」。

これはかなり夕方に撮ったモノ。
学校帰りかもしれない…。

駅前ロータリーは、数年前にキレイにリニューアルされてしまって面影ナシ。
今や線路の真横にホテル(駅ビル)建っているしぃ。

もういっちょ
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線1980s-103
同じく、高円寺駅を通過する115系普通列車…いや、回送列車

折り返し、17時台の「甲府(こうふ)」行きになったような…
あれ19時台だっけ

もう記憶が曖昧だ…。
メモを取っておけば良かった。

このあたりが、新宿発の115系普通列車を見た最後だったと思う。

おしまいに…
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線1980s-104
四方津(しおつ)」駅で普通列車を追い越す、下り急行「アルプス」。

これは1986年のハズ。
仲間で撮影に行った時のだから

左の普通列車(115系)の2・3両目をご覧いただきたい。
…そう、の車両が混じっているのだ

中央東線の115系の6両貫通編成化のために、東北(宇都宮)線の小山区から移動してきた「モハ114+モハ115」(300番台)だ。
これ以降、サハがどんどん(半分)いなくなり、かなりの編成が「クモハモハサハモハモハクハ」という6両編成になった。

今までは「クモハ+モハ+クハ+サハ+サハ+クモハ+モハ+クハ」という8両編成だった。

この数時間後に撮ったのが、あの201系臨時列車というワケなのだ

まぁ、のんびりした楽しい時代だった

(新宿駅に停まっていた急行アルプス165系のお姿はこちらをクリック

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2011年4月21日 (木)

実物日記 ~「中央東線の時刻表」1975~

ジオラマ制作用にと、資料をいろいろ掘り出していたら、古いJTB時刻表のコピーが出て来た。

1975年、つまり昭和50年3月10日改正の、中央東線の時刻表。

学生時代に、「古い時刻表があるよ~ん」って言われたので、頼んで中央東線だけコピーしてもらったような…
(当時はコピー代も高かった……1枚30円だったか)

まぁ、とにかく見てみよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線の時刻表1975-1101
これは新宿発の下り夜行列車の大群だ。

今では信じられないくらい、夜行列車の本数がある。
ちょうどゴールデンウィーク時の時刻表なのでなおさらだ

では、細かく解説してみよう
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線の時刻表1975-1102
急行まつりぃ~~~~~~~っ

まず、急行は「アルプス」「たてしな」「かいじ」「みのぶ」「こまがね」「かわぐち」がある。

松本以遠に行くのが「アルプス」、上諏訪近辺発着が「たてしな」、甲府発着が「かいじ」だ。
「みのぶ」は甲府から身延線へ、「こまがね」は辰野から飯田線へ、「かわぐち」は大月から富士急行線へ行く。

塩嶺(えんれい)トンネル」(みどり湖駅短絡ルート)などはまだナイ。

この時は上り・下りそれぞれに1号・2号…と番号が振られていた。
なので、「あずさ2号」もこの当時は「上りあずさ2号」と「下りあずさ2号」があった。

定期の夜行急行は「7号・8号」の2本のみ。あとは臨時だ。
(確か7・8号のどちらかの新宿寄りに、荷物電車の「クモニ83」が連結されていた)
その中でも注目株は、最後の「アルプス54号」だ。(赤い矢印

列車番号をよくご覧いただきたい。
8401」列車。

…そう、客車列車なのだ

これは時期によって変わっているのだが、この時は多分12系の8両編成ではなかったろうか
一度、「スハフ+オハ+オハフ+オハ+オハ+オハフ+オハ+スハフ」という、115系と同じような組み方をした編成を、新宿駅で見たことがある。

その後は14系座席車だったり、座席+寝台車だったり…。

この客車列車の返却回送は、後年は中野駅を日没直前に通過したのを覚えている。
17時5分だったかなぁ…)
富士山の後ろに日が沈むのを見ながら、その真下の黄昏の中、高円寺駅から真っ直ぐ向かってくるEF64が牽く客車列車…。

カッコ良かったぁ~

では次。

青い矢印の列車があるねぇ。

これは伝説の名列車「長野夜行」だ

115系スカ色8連+クモユニ82+クモニ83の10両編成。
(クハ-モハ-クモハ-サハ-サハ-クハ-モハ-クモハ+クモユニ+クモニ)

新宿駅を23:55に出発する。
(画像をクリックするとちょっとだけ拡大するよん)
中央東線の時刻表1975-1103
にーさん、ゴーゴー

山好きの連中には「いつもの列車」といえば解るほどの人気っぷり。

入線時刻をご覧いただきたい。
何と「21:30」だ

今の埼京線部分のコンコースに待合場所があった。
そこに山男達は19時くらいから並び始める。
そうしないと座れないのだ

…まぁ、ほとんどの人は座ったりしないが。

駅員に誘導され、ぞろぞろとホームに上がる。
ホーム上に列車に沿って一直線に並び終わる頃、ドアが開く。

一斉に「イス盗りゲーム」のような慌しさで、一瞬にして席が埋まる。

そして発車まで、しばらくの和みムード
(画像をクリックするとちょっとだけ拡大するよん)
中央東線の時刻表1975-1104
超満員っ

写真では見えないが、向かい合わせの座席に4人座っているよね。
…で、最混雑時には、その足元に2人寝て通路にも2人寝ているといった状況になる。

つまり「床が全く見えない」状態なのだ

そんな光景をよく目にした。

トイレにも行けないので、子供だったオラはよく窓からホームに降りて列車のトイレまで行ったものだ…。
検札の車掌さんも一苦労さ

さすがに5月2日は救済用の「上諏訪夜行」が先行して走るようだ。

今回気が付いたのが、緑色の矢印の列車。

これ、富士急の夜行列車ぢゃん

すごい短距離なのに夜行とゎ。

河口湖に2:493:06着だって。

…あ、当時の富士急は6両編成は走れなかったので、大月で3両ずつに切り離して、間隔をあけて運転していたのさ  

ナゼかって

だって変電所のブレーカーが落ちちゃうんだモ~ン

当時の富士急の電力設備は貧弱だった。
1編成にモーター車が3両あったら無理だったのでは…

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では上り列車に行こう
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線の時刻表1975-1105
これは朝~昼の様子。

…まぁ、本数が少ないこと。(笑)

昔はどこもこんなカンジだった。
長編成・長運転間隔。
JR化直前になってから、全国的に短編成・短運転間隔になった。

…で、注目の列車は…
(画像をクリックすると拡大するよん)
中央東線の時刻表1975-1106
ぎょうさんあるでぇ~~~~

まずは赤い矢印↑→の列車。

これは「快速」で、昔の「あの快速」の名残であろう。

そう、スカ色のサロ165(グリーン車)を連結して走っていたという…。

次が青い矢印の列車。

これぞ、本家本元「新宿行き普通列車」だ

中央線の列車は「各駅停車」「快速」「特別快速」「普通」の順に速かった。
まぢで。(笑)

緑の矢印←部分をご覧いただければ判るが、普通列車は「新宿」「立川」「八王子」「高尾」~(以降各駅)にしか停まらなかった。
特別快速は「新宿」「中野」「三鷹」「立川」~(以降各駅)に停車。

余談で、紫の矢印→の部分もご覧いただきたい。

ナゼか普通列車も大半が「通過」している。
東山梨(ひがしやまなし)」と「別田(べつでん)」の2駅だ。
別田は今の「春日居町(かすがいちょう)」駅)

両駅とも人もまばらな無人駅なので、塩山~韮崎間の区間列車以外はほとんど通過していた次第。

今とはだいぶ違うねぇ~。

…あ、駅名も結構変わっているので、現在の駅名と見比べてねぇ~~

最後にオレンジの矢印→をご覧あれ。

何と「こーひーかっぷ」のマークが書いてあるではないかっ

そう、これはビュッフェ車こと「サハシ165」が連結(営業)されている編成なのだっ

急行列車に乗りながらサンドウィッチ食べてオレンジジュース飲んだこと無いだろ、いま学生のおまいら。(笑)
オラもナイ。

だがこの頃には、夜行アルプスのサハシのカウンターは山男のベッド代わりになっていた

…ま、こんなカンジ~

面白かったぁ~
他にもいろいろじっくり見てみてちょ

(1980年代の165系急行アルプスのお姿はこちらをクリック

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2011年4月14日 (木)

旅日記 ~「伊勢神宮:…帰りは硬い。」2008~

前回「伊勢神宮2008:行き」からのつづきーっ!

内宮を参拝したので、参道のみやげ物屋が立ち並ぶ「おはらい町通り」をゆっくり眺めよう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1201
レトロだねぇ~

ちょうど閉店時間間際の店が多く、あと10分遅かったらほとんどの店が閉まって見れなかったっぽい。
あぶない、あぶない…
(この写真は行きに慌てながら撮ったモノ)

景観が整備・統一されていて、千葉県の「成田山新勝寺」の参道と同じような印象。
視界には電柱と電線がナイ。

途中にあった印象深いお店をいくつかご紹介しよう

まずは…
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1202
郵便局でございますぅー

次に…
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1203
銀行でございますぅー¥$

そして…
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1204
ウワサの「赤福」本店でございますぅー

赤福は大行列だった。(営業再開直後)

…こうまでして買いたいか。
伊勢市駅や名古屋駅の売店でも売っているけどね~。
まぁ、大抵の人が「本店で買ってみたい」と思うよね

この通りは、全体的にテーマパークっぽくて不自然な感じがして、オラ的にはチョット興ざめだった。
みんな江戸時代の格好をしていれば盛り上がるのにねぇ~。

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「おはらい町通り」の途中には「おかげ横丁」という一角がある。
ここも昔風の「」な造りになっていて、おみやげや食べ物を売っている。

入口にはカンバン(立て札)も立っている。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1205
横にいたカップルの娘の仕草が可愛かったので、サックリ1枚

横丁の奥のほうには見世物小屋風の建物があった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1206
まつりぢゃーーーーーいっ

横には射的屋さんもあり、一年中お祭り(縁日)気分。
ナゾなキャラもいるねぇ…。

胃袋が欲していなかったのと、閉店間際だったので、食べ物には手を出さず。

おみやげも特に買いたいモノがなかったのでパス。
前に観たTVでは「伊勢牛コロッケ」をバシバシ食べていたが。

日暮れ近くになって、お店の人達が店先に何かを置きだした。
よく見ると、おはらい町通り全体がそうしている。

赤福の店の裏の河原にも、ぎょーさん置いてある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1207
なんぢゃろりん

通りに出していたポスターを見たら、ちょうどこの日と次の日だけ、17時から町全体をろうそくの明かりでライトアップするそうで。
ただ今、16時45分

もう少しねばって見て行こうかとも思ったけど、寒いし、暗くなるまではまだ40~50分掛かりそうだったし、仕事帰りの「おひとりさま」でイルミネーションを見ても虚しいだけ(笑)なので、見ないで駅に戻る事にした。
ポスターにもライトアップされた町の写真が載っていたしね。

だが、この選択が旅の最後にオチを付けてくれようとは、この時はまだ思いもよらなかった…。

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おかげ横丁を見た後は、日没も迫って来たので、早足に五十鈴川駅に向かって歩く。

結局、来た道を2Km引き返すワケだ。
トータルで8~9Kmは歩いているぞ…

なんとか日没前に駅に到着。

時刻表を見ると、ちょうど6分後名古屋行きの特急が来る。

ラッキー

駅の券売機では特急券は買えナイので、窓口に並ぶ。
前には女性が一人、後ろには同じ特急に乗ろうとしている母親と息子の2人組。

窓口&改札付近の駅員は1人みたいだ。

ちょうど駅員は改札にいた学生に何かを説明していて、前の女性が指定券を買おうとしているのを中断された様子。
説明を終わらせて、駅員が急いで窓口に座る。
前の女性が買おうとしている指定券はあさってのもの。
だが、何か支払い方法でもたついている。
駅員も早く売って並んでいる列を捌きたい様子なのだが、女性がなにやらチンタラしている。
変な支払い方法をしようと質問しだした。

そうしているうちに特急の到着時間が迫って来た。
だが女性の切符は解決しそうにない。

後ろの母親も焦りだす。

オラも最近ちょっとストレスが溜まっていたので、つい文句を言ってしまった。

さっさとしてくれ4分後の特急に乗れないだろうが後ろの人も待ってるんだよ

さっきお参りして少しだが晴れた気分になったというのに…。

後ろの母親も「ホームに行っていいですか」と、言葉は丁寧だが、明らかに何か言いたそうなカンジ。

駅員、「これはヤバい」と思ったのか、「乗車証明書」というのに速攻でスタンプ押して、「これを特急列車の車掌に見せてくださいそこで精算してください」と慌てて我々に渡した。

…で、急いでホームに上がる。

すぐに特急はやって来た。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1208
帰りは行きと違って、近鉄ではごく普通のタイプの特急車両だ。

全席指定なのだが、我々は指定券を持っていないので、とりあえず空いている席に座る。
空いていたので、席は確保出来た。
だが、途中の停車駅が多いので、いつ乗って来るかは判らナイ。

…4駅目あたりだろうか、四日市駅だったと思う。
ココでたくさん乗って来て、満席となる。

当然席を追い出される。

行く当てもなく列車内をうろつく。
喫煙席は空いていたが、座りたくはない。

そしたら、デッキの一部分が広くなっている所があり、女性が2人立っていた。
オラもそこにいることにした。

ふと角を見ると…

イイ座席があるではないか

その座席は少々硬いが、まぁ、立っているよりは快適だ。

オラは迷わずそこに座ることにした。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1209
シルバーで、しゃれおつぅぅぅ~~~っ

まぁ、俗にいう「機器カバーの出っ張り」というヤツだ

デッキも広く、人がいないので静かでイイ雰囲気だ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1210
ココはバーかいな

窓がナイのと、ドアの閉まる時の音がハンパなくウルサイのを除いてはね。

途中、車掌に不審そうに検札されるが、「さっき3号車にいた」と言ったらすぐに思い出したらしく、にこやかに「満席ですみませんねぇ…」と言ってくれた。

途中で女性達が降りてからは貸切状態となる
さらに途中で席は空いたらしいのだが、あまりに静かで落ち着いた雰囲気だったのと、終点の名古屋まであと1駅(10分程度)だったので、そのまま居つく事にした

ちょっとケツが痛くなり出した時に、名古屋駅に到着。

名古屋駅では速攻で1時間半後の新幹線の指定券をGETしたのは言うまでもない。(笑)

…で、厄払いと言わんばかりに、落ち着いて名古屋駅の地下で名物の「味噌煮込みうどん」を堪能。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・帰り(おかげ横丁)-1211
どえれぁ~うめぁ~でよ

そして満足の後、駅売店でビールとつまみを買い込み、悠々と新幹線に乗り込んだ。

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こうして、「お伊勢様 半日お参りツアー」は終了した。

…何だか、良かったのか悪かったのか解らない旅だった。

改めて振り返ってみると、「内宮にバスで行く」か「おはらい町通りのライトアップを見ていく」のどちらかを選択すれば、すべて順調に事は運んだと思う。

でもこういったアクシデントこそ「旅のおもしろさ」というモノだ

教訓:「行きはよいよい、帰りは硬い。切符はあらかじめ目的地まで買っておこう

(おしまーい)

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2011年4月11日 (月)

旅日記 ~「伊勢神宮:行きはよいよい…」2008~

前回「It's 津」からのつづきーっ!

今回乗っている近鉄特急「アーバンライナー」は快適だ
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1101
登場してからもう20年くらいになるのかな…

でも全然古さを感じさせず、結構満足

前回乗ったのは阪神大震災1995年だったか…。
今回が2度目の乗車。

そして、特急は「伊勢市(いせし)」駅に着いた。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1102
カッコイイねぇ~

駅で車体を見たら「Urban Liner Plus」と洒落たデザインで列車名が書いてあった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1103
Plus」って何がプラスされたんだろう…

マークの色といい、形といい、何だかビタミンかヒアルロン酸かコラーゲンあたりでもプラスされたシャンプーのボトルのようなイメージを受ける。
まぁ、この電車もお歳ですからねぇ…

…で、列車が去った後、改札に向けて歩き出す。
向かいのホームには…

…あったあった
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1104
コレだよ

伊勢市」の駅名板と地元の老舗「赤福」ベンチのコラボ。

…う~ん、いろんな意味で感慨深い。
(この直前に「赤福賞味期限改ざん事件」があり、しばらく営業停止していた)

駅を出て、いよいよ伊勢神宮に向かうのであった…。

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伊勢市駅前の道をまっすぐ数分も歩けば、最初の目的地「外宮(げくう)」に到着する。

伊勢神宮は大まかに「外宮(げくう)」「内宮(ないくう)」に分かれている。
場所もかなり離れている。
参拝の順序としては「外宮→内宮」だとか

14時過ぎとはいえ、曇り空で少々肌寒く、もう夕方のような雰囲気。
しかも、駅の周りには人がいないので、よけいに寂しさを感じる。

外宮の周りには多少の観光客がいた。
一緒に参道を入って参拝する。

参道は広く、木々に覆われていて、森の中にいるようなカンジだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1105
木がデカい…

100mほど歩けば社殿に到着する。

社殿の横にはご本尊がある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1106
なかなか荘厳な造りだ。

名古屋駅でGETしたパンフの解説を読みながら、それぞれの神様を参拝した。

あまりのんびりしていては次の内宮参拝の時間が無くなってしまうので、早々に移動を開始する。
バスもあったが、初回なのであえて徒歩で行くことにした。

この決断が後で思わぬ展開になるとも知らずに…

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外宮を後にして、内宮に徒歩で向かう。

まぁ、歩いて30分くらいかな~」なんて思って歩き出す。
パンフにしたがって、少々遠回りではあるが、「天皇陛下ご参拝ルート」を歩くことにした。
このルートは、ず~っと歩道に灯篭(とうろう)が建っているので、判りやすい。

チョット歩いて近鉄の「宇治山田(うじやまだ)」駅を通過。
伊勢市の隣駅で距離も近い。
伊勢神宮参拝はこの駅が玄関口だそうで。

ココから上り坂になり、山道(林道)的なカンジになる。
歩いているから軽く暑いものの、チョット立ち止まったり風が吹いたりすると、やっぱ肌寒い…。

歩けども歩けども次の目標物にたどり着かナイ…。

どうやら距離感を少し読み間違えていたようだ。
15時半を過ぎていたので、日没(拝観時間)との勝負になっていた。

チョット焦りだす。
歩くペースを上げる。

森の中を通過して、近鉄の「五十鈴川(いすずがわ)」駅を通過。(宇治山田の隣駅)

内宮はもう少しだ…と思ったら、駅入口に「内宮 2.3Km」と書いてあるではないか…。
まだ20分以上歩け」ということだ。(笑)

覚悟を決めて、超っ速(ちょっぱや)で歩く

そして何とか到着。
途中にあった参道のみやげ物屋さんは、全てスルーパス。
おかげ横丁」という一角もあったが、これも後回し。

結局は6Kmくらい歩いたのではないかいな…

ヘタりながらも、内宮の入口に立つ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1107
やっと入口だよ…

外宮と違って、かなりの観光客がいて、敷地も広く感じる。
写真に写っている有名な橋を渡り、参道を歩く。

途中には河原があり、何とも風情がある。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1108
イイねぇ~~

内宮は五十鈴川を挟んで建っている。

この河原から50mほどの所に本尊があり、造りは外宮の本尊とほとんど同じだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・伊勢神宮2008・行き-1109
今立っている所から先は撮影禁止★ 

ココでも参拝し、川を挟んだ社にも行って参拝した。

この時点で16時半くらい。
何とか間に合った…

ホントは伊勢で1泊して外宮・内宮を別々に見ようと思っていたけど、駅前のあまりの寂しさ(笑)に止めて、半日で見て回ることにしたのだった。

後は門前町というか、参道のみやげ物屋さんをゆっくり眺めるだけだ。

空は曇っていたが、オラの心はチョットだけ晴れ間が出ていた。
(それまでは心も曇っていた)

つづき「伊勢神宮2008:帰り」はこちらーっ!

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2011年4月 7日 (木)

旅日記 ~「伊勢神宮:It's 津」2008~

2008年10月24・25日に出張で父親と名古屋に行った時のおハナシ。

24日は新幹線で移動ののち、午後から仕事。
25日は午前中で仕事が終わってしまったため、翌26日に行こうと思っていた「伊勢神宮」詣でをする事にした。

昼食を「金山(かなやま)」総合駅で摂り、名古屋駅で父親と別れる。
父親はすぐに東京に戻るそうだ。

…で、身軽になったオラは、近鉄線ホームへ行き、「伊勢市(いせし)」までの特急の切符を買う。
発車まで2・3分しかなかったので、慌ててお茶を買い乗り込んだ。

昼の特急なので空いている。
前のオバチャン達が少々やかましかったが、即座に車掌に注意され、ほんの少しだけ会話のボリュームが下がる。(笑)
快適な車内(アーバンライナーだった)で、「のへ~」としながら景色を見る。

やがて電車は「(つ)」駅に着いた。
三重県の県庁所在地だ。

…ふと、隣のJRのホームを見る。

駅名板が目に入った。
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・津駅2008-1001
やっぱ「」だ…と、1人ニヤける。

で、奥のホームを見ると…
(画像をクリックすると拡大するよん)
三重・津駅2008-1002
・・・「」・・・はてな

あぁ、そうか


 津

を遠くから見ると「」に見えるんだねぇ~。

特急列車はニヤけたバカを乗せて、伊勢市へと走り出したのであった…。

つづき「伊勢神宮2008:行き」はこちらーっ!

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2011年4月 4日 (月)

海外旅日記 ~「Go West!ユーラシア大陸横断鉄道旅行1996」その7:香港から広州へ~

前回「その6」からのつづきーっ!)(「その1」はこちら

このシリーズは、香港からスタートし、中国・ロシア・北欧・南欧と進み、ユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬までの極貧鉄道旅行。

注:文中の地名等のふり仮名は、ひらがなは広東語読み、カタカナは英語読みなのだ
ふり仮名がない名称は、前回までの日記を参照されたし。

香港の詳細については、こちらのシリーズ日記「小心地滑友の会」もご参照あれ。

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1996年5月14日(火):晴れ

香港(ホンコン:Hongkong)

今日は10時半頃に起きた。

重慶(チョンキン)マンションの安宿は狭い。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0701
(2001年撮影)
これで3人部屋だ。

左がダブルベッド、右がシングルベッドだ。
1人分の幅が60cm程度なので、「日本の40年前の寝台車並み」と言ったところか。(笑)

狭いけど、一応部屋はキレイだ。
たま~に虫さんが出るよん

さて、今日は11:10頃に慌てて宿を出る。
中国のビザを申請しに行くためだ。

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この当時は、ビザは絶対に必要だった。
日本で申請すると、個人では申請出来ずに旅行業者に頼むため、高額な費用(5000円以上)が掛かる上に、有効(滞在)期間が短い30日間のビザしか発給してくれない。
香港だと、安くて長期間のビザが個人で申請出来るのだ

現在は、15日間内の滞在であれば、ビザは不要ッス。

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ここで、香港の中心部の地図をご覧いただこう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その3・香港・中心部の地図-0301
(1996年当時の地図を撮影)
ほとんどの観光客は、このエリア内だけをうろついているッス。

…啓徳空港 (カイタック)
…九龍湾 (カオルーンベイ:友達の家)
…油麻地 (ヤウマーテイ:お宿)
…九龍駅 (紅磡駅)
…尖東 (尖沙咀東:チムシャーツィ・イースト)
…尖沙咀 (香港の中心街)
…女人街 (通菜街)
…男人街 (廟街)

…堅尼地城 (ケネディタウン)
…上環 (ションワン:マカオ行きの船の埠頭)
…中環 (セントラル:ビジネスの中心街)
…山頂纜車 (ピークトラム)
…山頂 (展望台)
…湾仔 (ワンチャイ)
…銅鑼湾 (コーズウェイベイ:香港島の繁華街)
…北角 (ノースポイント)

お宿(チョンキンマンション)はにあるよん。

香港島の「湾仔(わんちゃい)」(地図の)にある、中国外交部の事務所に向かう。(赤い矢印のビル)
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0702
(2008年に同行の仲間が撮影)
慣れないと行きにくい場所ッス…

受付が、午前は9:00~12:20、午後は14:00~17:00なので、交付の日が遅れないように何としてでも午前中に申請書を出したい。

事務所に到着し、急いで申請書を書いて提出する。
その時刻12:00

ギリギリだった…。

おかげで、HK$100(1350円)で翌日受け取りとのこと。
しかも、有効(滞在)期間「60日間」のロングビザだ

60日間」ビザは、日本では絶対に取れナイ
もし旅の途中でビザが切れそうになったら、中国のどこにいても北京上海に行って延長の申請をしなければならない。

ホッとしたので、同じビルのレストランで飲茶(やむちゃ)をする。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0703
(2005年撮影)
いぃ~やっほぉ~~~~い♪

ここは以前「香港一広いレストラン」として有名で、ガイドブック等で飲茶の点心(てぃむさむ)を載せたワゴンを押しているオバちゃん達の写真を見たことがある方も多いはず。
昔から行きつけのレストランだ。
メチャメチャ美味いぞぉ~
2010年10月現在、このビルは全体を改装工事中で、建物の中に入れなかった)

そして「銅鑼湾(とんろーわん)」(地図の)に行き、香港一大きいデパート崇光(そんくぉん)」に入る。

この崇光デパート、英名だと「SOGO」と書く。
そう、日本の「そごう」デパートだ

ここで日本のCDを探し(日本で買うより安く、本物が1枚1700円ほど)、地下の食品街で買い物をする。
日本の商品がたくさん置いてあるので、日本人は香港では何も困ることはナ~イ
仲間の1人がCDを探しに、後で合流する約束をして離れていった。

また湾仔に戻り、スターフェリーで九龍半島側に移動する。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0704
(2004年撮影)
これがスターフェリーだ

今まで大きな画像を出していなかったねぇ…

このお船、「両運転台」と言うか、どっち向きにも進めるようになっている。
なので、埠頭に着いてもすぐに逆向きに出航出来る優れモノなのだ
座席(木のベンチ)も、背もたれが転換出来るようになっている。

九龍側の「尖沙咀(ちむさぁちょい)」に到着。(地図の

埠頭の目の前にある時計塔の下で、仲間と待ち合わせる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0705
(2006年撮影)
大昔はこの時計塔の位置に九龍駅(今の紅磡駅)があったそうだ。

昔の青森駅や高松駅のように、港に直結した駅で、ここからロンドン行きの列車が走っていたとか。
駅の移転後、この時計塔だけが残された。

この写真のすぐ左と後ろは、ビクトリア湾だ。
海沿いに遊歩道もあるッス。

今日はもう特に何もしないので、セブンイレブンでカップラーメンを買って安宿に戻る。
部屋でラーメンを食べ、洗濯等をしてゴロゴロした。
(ゴロゴロ出来るほど広くはナイが…

…んぢゃ、おやすみんみ~~~~ん

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1996年5月15日(水):晴れ

香港(ホンコン:Hongkong)

今日は11時頃に起きた。

14時頃にお宿を出て湾仔へ行き、昨日申請したビザを受け取る。(地図の

コレで準備は整った

その後、地下鉄「佐敦(ちょうとん:ジョーダン)」駅近くの「男人街(廟街)」(地図の)に行き、安いTシャツ等を買う。
で、またすぐに宿に戻った。

次の目的地「広州(くぅおんちゃう:グヮンジョウ)」に留学している友達(日本人男性)に、電話で連絡を取ってみる。

…通じナイ。

まぁ、「ちうごく」だしぃ。
(この当時の中国は、まだ電力・通信事情が良くなかった)

夜に、香港在住の友達(日本人女性)とみんなで食事。

その後、先日まで泊っていた香港人の友達の家(地図の)に行き、ハナシをする。

…そのままオラだけ、ここに泊ることにしてしまった。

再度、広州に電話するが、またも本人につながらず。
仕方ナイので、学生寮の同室と思われる人に伝言を頼んだ。
(言葉が通じナイので、友達にしゃべってもらった)

さぁ、いよいよ明日は「ちうごく」入りだ
もう寝よう

…んぢゃ、おやすみんみ~~~~ん

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1996年5月16日(木):晴れ のち くもり

香港(ホンコン:Hongkong) → 広州(こうしゅう:Guangzhou)

今日は友達の家で目覚めた。

8時頃に家を出て、出勤する友達と一緒にラッシュの地下鉄(MTR)に乗り、「金鐘(かむちょん:アドミラリティー)」駅で友達とバイバイキン
そして、1人で安宿に戻り、仲間と合流。

出発の準備をし、10:50頃にチェックアウト。

…さぁ、今から広州に行くぞ

香港と広州の位置関係は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その38・地図-3804
(1996年の地図を撮影)
距離的には150Kmほど。

(青枠)…香港(英国領)
(緑枠)…マカオ(ポルトガル領)
…深圳
…広州

からまでは、「東京~沼津」間と同じくらいかなぁ~。
近いけど、国境を越えるので時間が掛かるのだ

地下鉄で「九龍塘(かうろんとん:カオルーントン)」駅まで行き、九広鉄路(KCR)に乗り換える。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0706
(1995年撮影)
ご覧のように、完全なる通勤用の中間駅だ。

ひっきりなしに来る12両編成の電車に乗り、国境の駅「羅湖(ろーうー:ローウー)」を目指す。
(余談:編成に1両だけ連結されている1等車の運賃は、単純に普通車の倍額)

KCR沿線の風景は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0707
(2008年に同行の仲間が撮影)
ヒジョーにのどかぁ~~~~

香港」と言うと「高層ビルと派手なカンバン」というイメージが浮かんで来るけど、中心地を一歩外れれば、ヒジョーに閑散としたのどかな景色なのだ。
電車を10分も乗れば、こんな風景になってしまうのさ~

20分ほどで、電車は羅湖駅の1つ手前の「上水(せぉんそい:シェウンシュイ)」駅に到着。

パスポートを持っていない人は、この駅で下車しなければならない。

上水駅から先は、国境間の「立ち入り禁止」区域なのだ。
羅湖駅は立ち入り禁止区域内の、まさに国境ギリギリの所に位置していて、昔からこの近辺に住んでいる人以外は外に出ることは許されていない。

余談だが、上水~羅湖駅間の運賃は異様に高く、九龍~上水間の運賃と同じくらいだ。
つまり、たった1駅間で運賃は倍になる

上水駅を出ると、途端に線路際に物々しいフェンスが何重にも立ち並ぶ。

そのフェンスに平行して、何やらブッといパイプが何本も走っているのが見えてくる。(赤い矢印
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0708
(2008年に同行の仲間が撮影)
これは何だ…

そう、これは「水道管」なのだ。

香港のあの人口を支えるには、大量の水が必要だ。
だが、香港内では調達しきれないので、大陸から水を「輸入」しているのだ。
(今や同じ国だからモウマンタイ(無問題)だけど

ガス管とかもあるのかなぁ…

広大なヤードの横をゆっくりと通過し、電車は終点の「羅湖」駅に到着。

ホームに降りる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0709
(2001年撮影)
ちょうど大陸直通の列車が通過中だ。

今立っている所が「英国香港」の羅湖駅、この列車の先頭部分の所が「中国」の「深圳(さむちゃん:シェンジェン)」駅だ。(地図の
(日本語では「しんせん」と読む)

目の前のポイントのすぐ先にあるガーダー鉄橋部分が「国境」の川。
列車の左側は香港、背後のビル群は中国だ。

このように、両駅は近接している。
東京の地下鉄丸ノ内線「新宿新宿三丁目」か、JRの「新宿代々木」駅間くらいだ。

このホーム上(写真右側)に出国審査のゲートがある。
香港人は1階、中国・外国人は2階に行き、手続きをする。

香港人は非常にスムーズに手続きが終了し、簡単に中国へ入ることが出来る。
その逆に、中国人はそう簡単に香港へは入れナイ。

イギリス側の「出国」スタンプを押してもらい、国境に掛かった橋(通路)を歩く。

9日間に及ぶ「英国生活」にピリオドを打ち、いよいよ人民「中国」へ突入だ
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0710
(2008年に同行の仲間が撮影)
これが国境部分だーーーっ

左がイギリスで、右が中国。
(ホントは撮影禁止らしいので、コッソリ撮った。

この川を境に、民族は同じなのだが、通貨・言語・漢字・社会制度が激変する。

例えば…
英国香港:ドル・英語(広東語)・繁体字・資本主義
中国  :人民元・北京語・簡体字・社会(共産)主義
という風にだ。

特に漢字これが意外と厄介。

例えば日本語で「広州」と書くが、香港では「廣州」、中国では「广州」と書く。
児童」は「兒童」、「儿童」となる。

ビミョーに違っていたり、大胆に省略されていたり…と、いろいろだ。

紺色の「警察官」が立っていた建物から、緑色の「公安」同志が立つ建物に入る。

2階に上がり、メチャメチャに散乱した入国審査用のエントリーカードを拾って記入する。
備え付けのペンは使えるワケがなく、持参のペンで記入する。

入国審査でパスポートを提出。
何の笑顔もなく、「入境」スタンプが押されたパスポートを放り投げられて、無事入国完了。

余談だが、慣れてくると、この究極の無愛想顔でパスポートを放り投げられた時に「あぁ、ちうごくに来た」とワクワク・ゾクゾクしてくる

やる気のナイX線検査機(係員も)の脇をそのまま通過し(気まぐれで呼び止められて検査される)、建物の外に出る。

すると、そこはもう深圳の街中だ

深圳駅は、すぐ左にある巨大なビルだ。
駅までの道は真っ直ぐなので、迷うことは決してナイ。

…やかましい、とにかくやかましい。

そして人の洪水。ひとヒト

人民共和国」とは良く言ったものだ…

国内に生物(動物)は「人民」しかいないのだろうかというくらいのヒトの数。(笑)

ここ深圳は、昔は小さな農村だった。
それが「改革開放」政策で「経済特区」になり、近代都市に激変したのだ。

香港から見た深圳の街が、これだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0711
(1995年撮影)
もっと昔はビルもナイ田舎町だった。

1年経てば街の景色が変わる」くらいの急変ぶりだ。
2011年の今は、もうこんな景色ではナイ。
(今や、手前の香港側のほうが田舎だ)

当然、治安も良くナイ。

この街に住めるのは、難しい試験に受かった「エリート」のみなのだが、地方からコッソリと流れ込んでくる民も多く、一時は「盲流」と言われていた。
貧富の差が激しいので犯罪も多く、当時は「夜は出歩くな」とも言われていた。

物乞いに囲まれながらも移動し、駅前の高級ホテル「シャングリ・ラ」で人民元に両替をする。
(次の訪問時に知ったが、このホテルでは宿泊客以外は両替出来ナイそうだ。断られちゃった…

信号もなく横断歩道も機能していない、無法地帯の道路上を無理やり渡って駅に戻る。
車は止まらない(減速しない)もの」という考えでタイミング良く渡らないと、いつまで経っても渡れナイよん。
その時、決して走ってはイケマセン
走ると車か人にぶつかるよ。

さて、広州行き列車の切符を買おう。

まずは、建物内の切符売り場をチェック。
2ヶ所あるねぇ…

キレイで空いてる2階の「外国人切符売り場」ではなく、1階の「人民」用切符売り場に並んだ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0712
(2008年に同行の仲間が撮影)
これは後年の撮影なので近代的でキレイだが、1996年当時は古く薄暗く混雑していた。

…ナゼ1階にしたかって

この1996年当時は「外国人料金」というのが存在していて、外国人はあらゆる場所で2倍近い料金を支払わなければならなかった。
なので、東洋人は一生懸命に中国語を覚えて、何とか「人民料金」で支払いが出来るように努力したものだった。
(後で知ったのだが、この直前に列車の外国人料金は廃止されていたそうだ

ついでだったので、ケチッて「特急」だけど普通座席車の切符を買った。

普通座席車は中国では「硬座(インツォ:Ying Zuo)」車と言い、グリーン車は「軟座(ルァンツォ:Ruan Zuo)」車と言う。

…解りやすい。(笑)

第8次特快」という特急列車で、14:30発で広州駅16:40着。

車両は、先ほどの国境にいた列車と同じ25型だ。(確か…)
深圳→広州(約150Km)が49元で、エアコン代が別途2元の、合計51元

何と690円…や、安すぎる~っ

中国の列車に乗るには、まず「候車処(待合所)」という所に行って、乗る列車の区画の中で待たなければならない。
軟座軟臥(A寝台)利用者には、豪華な専用待合室がある)
勝手にホームに行くことは出来ナイ。

アナウンス後、大勢の人民と共に改札を通り、ホームへ向かう。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0713
(2008年に広州駅(または広州東駅)で撮影)
座席は指定されているので、該当の車両へ移動する。

今回乗る列車は十数両程度だが、長距離列車は平気で「20両編成」とかだったりするので、かなり歩かされる。
各車両のドアに「小姐(しうちぇー)」(娘さんの意味)が立っているので、切符を見せて車内に入る。

全席指定なのに、大きい荷物を持った人民が急いで走っている。
彼らは網棚に荷物を置きたいので、早く行ってスペースをキープするためなのだ。
我々は走る必要はナ~イ。

深圳駅は、こんな感じ。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0714
(2008年撮影)
広告等の飾りもナイ、無機質なホームが並んでいる。

中国内は、どの駅も似ているッス。
社会(共産)主義だからね。

…んで、その硬座車だが、その名に恥じぬ硬さであった。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0715
(2001年に同行の仲間が撮影)
う~~ん、ハードだぜぇ~~~ぃ

これは深緑色の旧型客車(22型)の硬座だが、この特急(25型)の硬座も、これにキレイな白いシーツカバーが掛かっているだけで、座り心地に大差は無かった…。
3+2人掛けの、座面の小さい直角シートだ

深圳駅を出発。
列車は滑るように滑らかに走る。

イスは悪いが、乗り心地は日本のJRよりはるかに良い
大陸なので地盤が固いのと、超重量級の貨物列車が走る関係で、レールや路盤が頑丈に造られているのだ
車両自体も重いしねぇ~。
ちなみに、線路幅は国際標準の1435mm(日本の新幹線と同じ)。

都市部の風景がしばらく続く。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0716
(2008年に同行の仲間が撮影)
かなりの大都会になったねぇ~~~。

来る度にビルが増えているね。

…が、少し走るとのどかな田園風景に変わる。
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0717
(2008年に同行の仲間が撮影)
何とのどかなイイ風景だろうか。

こうやって見ると、広東地方というのは「米どころ」なんだなぁ~って思った。

農民も牛くんも、の~んびりと田んぼの世話をしている。

列車は何気に120~140Kmくらいの速さで走る。

…案外速いっ

だが、「特急」なのによく駅に停まるし、途中駅で列車の待避。

…ナゼ

なので、ノンストップ便よりも時間が掛かっていて、遅い。
ノンストップ便に追い抜かれたようだ。
(最近では、「特急」よりも速い「准高速」や「高速」等がある)

窮屈だし、ケツが痛くなってきた…。

しかも、斜め前の2人はスス汚れた「いかにも地方から出てきました」系の人民だし。
(我々は3人席に座っていた)
唯一の救いは、目の前の乗客がカワイイ小姐だったということ
(当時の「荻野目洋子」似の、キレイな香港人だった)

荻野目ちゃんも退屈してきたのか「今何時ですか(広東語で)」とオラに聞いてきた。
それが唯一の会話だった。

しばらくして、列車は「広州(くぉんちゃう:グワンジョウ)」駅に到着(地図の
(画像をクリックすると拡大するよん)
ユーラシア大陸鉄道横断旅行 Go West!1996その7・香港から広州へ-0718
(2001年同行の仲間が撮影)
着いた、着いた

あ~、ケツが痛かった…。

早速、広州の友達(日本人)に電話し、タクシーに乗る。
中山大学(ちょんさーん たーいほっく)」の正門前で待ち合わせをし、大学の広大な敷地内の宿泊施設(ホテル)に泊ることになった。
1泊1人80元(1080円)ほど。

2部屋あり、各部屋に立派なベッドが2つあるので、4人まで寝られる。
風呂も広い(広大だ)し、キッチンに冷蔵庫まである
すばらしい

…あの香港の狭い安宿は何だったのだ(笑)

泊る所に満足したので、そのまま4人でホテルの1階のレストランに行き、食事をする。

やっぱり「広東料理」の本場、ヒジョーにまいう~

淡白で上品な、塩味がベースの味付け。
香港も美味しいのだが、外国の影響も受けているので、「広東料理」と言うよりは、もはや独立した「香港料理」と変化してしまっている。

ココでやっと「本当の広東料理を食べた」という感じがした

しかも、満腹状態まで食べても1人30元弱(380円くらい)。

安い~~~~っ食のパラダイスやぁ~~~っ

食後はお宿に戻ってゴロゴロ。

結局、留学生の友達も「カゼ気味だから」というよく解らない理由で、一緒に泊ることになった。
(寮のベッドは寝にくいらしい…。いや、日本語が恋しくなったか

さぁ、ちうごくに一歩踏み込んだぞ
大陸の旅はこれからだ…

…んぢゃ、おやすみんみ~~~~ん

つづき「その8」はこちらーっ!

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